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石鼎俳句鑑賞・11月                  草深昌子

   山茶花の花よれよれに小春かな    石鼎

 10月に石鼎のオノマトペの句を引いたが、これも「よれよれ」が面白い。
 「よれよれ」というのは、風采が上がらなかったり、疲労困憊している人間的心情が伺われるが、かの清らかな美しい山茶花のものとしているところ意表を突いている。ここにも石鼎の感情移入が際立って、汗ばむような気温の上昇が思われるのである。
 初冬の穏やかな日和を、小さい春「小春」と称美して詠いあげることと、そんな小春に確と咲きながら猶散ってやまない花の印象は石鼎の中でセットになっているのであろう。全句集に二句抱き合わせの如く並んで、その光彩の明暗を濃くしている。

 大正10年、
   山茶花や蕊開きたる小半日 
   山茶花の花よれよれに小春かな 

 大正11年、
   山茶花に日を疑はず歩きけり
   雪の富士鏡の如き小春かな

 昭和13年、
   山茶花ややすまるひまもなき人に
   小春日にみどり明るく透く葉かな

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(ブログ「原石鼎」・平成21年11月12日UP)
by masakokusa | 2009-11-12 18:19 | 原石鼎俳句鑑賞 | Comments(0)
秀句月旦・平成21年11月

   あたたかき十一月もすみにけり    中村草田男

 成田千空著『俳句は歓びの文学』(平成21年10月刊行)は、成田千空が終生、敬愛してやまなかった師、中村草田男への熱い思いがつまっているエッセイ集である。
 草田男の第一句集『長子』(昭和11年11月刊行)について、〈六つほどの子が泳ぐゆゑ水輪かな>、<そら豆の花の黒き目数知れず>、<父の墓に母額づきぬ音もなし>、<蜻蛉行くうしろ姿の大きさよ>等をあげ、「これほど素直に初心が生かされた俳句を私は知らない。初心はこういう俳句において自然を獲得しており、従って作者の天性と直結しているはずであった。成心をもってしては決してとらえることができない言葉のかたちにおどろくのである」と記している。
 掲句もまた『長子』所収、千空の云う通り、初心にして、成心にあらざる句である。
十一月に入ると、ある日突然の寒波に震えあがるのは毎年のことである。慌てて寒さに身構えていると、豈図らんやぽかぽかの小春日和に恵まれることが多い。そんな明暗著しい11月という季節のありようをざっくりと一息に把握して17音字に結んだ。
 寒さは一句の裏にひそんでいる。
 「終りけり」でなく「すみにけり」に名残を引いて、いっそうしみじみと有難かったあたたかさを思うのである。


   畑の木に鳥籠かけし小春かな    正岡子規

 「小」は、小さい、未熟、つまらぬ、少ない、低いなど、さまざまの意味を含んで、日本人好みの修辞詞であるが、「小春」も本当の春に対して、よく似た小さな春というイメージで、初冬の温暖な気候をいう。コハルというひびきからして、なんとも愛らしくあたたかな感じである。
 子規の句は明治30年のものだが、平成の世の今も同じような風景に出会うことが嬉しい。
 籠の鳥は小さな一羽であろうか、文字通り小春を奏でて、土もほっこりしていそう。
 この年、松山で柳原極堂が「ほととぎす」を創刊。子規は腰部の手術を受け、一時容態が悪化した。
 <蜜柑を好む故に小春を好むかな>、ちょっとひねった句も、同年のもの。


   冬と云ふ口笛を吹くやうにフユ    川崎展宏

 冬というときの唇はどこかとんがっているように思う。きちっと区切って発音しないとフ・ユとならないから、口笛を吹くように一音一音となる。
 「冬」が、「フユ」という発声のカタカナ書きになったことで、私にはどこか寂しさを伴って冷やかに感じられるが、寒気の中にもユーモラスなあたたか味を覚える方が自然かもしれない。
 いずれにしても、斬新な一句は、今もって冬になると口誦したくなるものである。
 蛇足だが、女は口辺から老いるから「くちびる美人」になるためには、「ありさんあつまれアエイウエオア~ばんごうばらばらバベビブベボバ」などのはっきり読みエクササイズが必要という。掲句を読みあげるのもエクササイズの一つになりそう。


   鴫立庵時雨冷えしてゐたりけり    草間時彦

 草間時彦は鴫立庵(神奈川県中郡大磯町)の二十一世庵主であった。
  心なき身にもあはれはしられけり鴫立沢の秋の夕暮  西行
 この西行の歌が大磯にある鴫立沢という川であると定めて、元禄時代に大淀三千風という俳人が鴫立庵を開いた。
 「鹿火屋」の原石鼎が晩年隠棲したのは大磯の隣り町、二宮であったことから、鴫立庵で催される句会にはよく参じた。掲句の「時雨冷え」という美しいことばが身に入みるようになつかしく思い出されるものである。
 時彦はむろん、中世の歌人や江戸のさまざまの俳人を心からしのんでおられるのであろう。
 固有名詞「鴫立庵」に多くを物語らせている。


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  山茶花やいくさに敗れたる国の     日野草城

 昭和20年8月15日終戦の詔勅をきいた、その年の11月の句である。
 草城は、空襲で居を移すこと五度に及び、ついには草深い二上山の麓に隠れ棲んだ。
 <二上山を瞻(み)てをりいくさ果てしなり  草城>
 今日、平成21年11月12日、天皇陛下即位20年を祝う記念式典が開かれた。
 両陛下は一つの務めもゆるがせにせず、たゆみない日々の実行の積み重ねによって、全ての戦争の犠牲者に対する鎮魂の思いや、重荷を背負いながらそれに耐えて健気に生きる人々への思いを具現化され続けた、それがこの20年ではなかったか、と前侍従長が語られている。
 草城が山茶花を見てしみじみともの思いにふけった、その感慨が、今日のそれとなって感じられるのも、市井の花、山茶花のおかげである。俳句という詩のことばのおかげである。

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   高き木に梯子かけたり冬構    高浜虚子

 今朝、俳句を始めたばかりの方から、「冬を迎えるために薪割りをしていますが、このマキワリは季語になるのでしょうか」という質問を受けた。
 冬を迎えるための防雪、防風、防寒など用意の一切を含めて「冬構」という冬の季語がある。したがって「薪割」は季語ではないが、素材として活用できますよね、と答えて、ちなみに歳時記を繙いてみると掲句があった。
 例によって虚子の句は誰にでもよくわかる、季語が一句の中心を貫く情景は「なるほどねー」というほかない。
 尚、薪を積みためる仕事は、「冬仕度」とか「冬用意」の範ちゅうにも入るが、これは秋の季語となる。この季語で虚子の一句はと引いてみると、
 <妾より美しき妻冬仕度 虚子>であった。ウーン、これは大分考えてから、そうか、漬物の仕度などしている妻を見直しているのであろうか、と感じ入った次第であるが、読みが浅いかもしれない。マキワリの男性はどう鑑賞するであろうか。


   まだ名無き赤子にのぼる山の月    大峯あきら
 
 生まれたばかりの赤ん坊は、まるまるとつるつると裸を見せる。全身これ火の玉となって泣くかと思えば、全身これ水の平らとなって眠り落ちる。そんな凄まじい生命力、穢れをしらぬ生命力には、まだ名前すらついていない。
 折から、山の端には煌々たる月が昇り始めた。授かった命への賛歌のごとき月光が惜しみなく注がれる。宇宙と一つになった命への畏敬が、森閑たる静けさを大らかに伝える。
 何より、無垢なるものの温みがいとおしい。

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   人生の冬に入りたる我等かな    今井千鶴子

 新橋の居酒屋で時の経つのを忘れた。
この夏、奥穂高登山中二千メートル付近で熱中症から意識不明になり村人に水を運んでもらって九死に一生を得た友、ジープでアメリカ縦断を果たした友、老人介護付きマンションに入居した友、同級のわれら一団の話にはつぎつぎ花が咲いて、弥が上にも盛り上がった。おつまみは豆腐、サラダ、卵焼き、仕上げはお蕎麦という、おきまりの油抜き健康志向コース。
 早めに切り上げて、「じゃー」「ジャー」と威勢よく駅頭に手を振り合った誰彼の顔は、明るいライトに照らし出されて一様に「人生の冬に入る」ものであった。
by masakokusa | 2009-11-04 08:58 | 秀句月旦(2) | Comments(0)
新刊書評・辻恵美子句集『萌葱』          草深昌子

     萌え出づる命の色
              
   真つ青な笹の葉を敷く鵜の巣かな
   木枯や籾殻を敷き鵜の眠る
   籠の目に嘴懸けて鵜の病める
   瀬波より白き小菊や鵜の供養
   蹼も羽も破れし鵜なりけり
   疲れ鵜の首に手縄の食ひ込めり


 眼に染み入るような「真っ青な笹の葉」は命への慈しみのまなざしそのものである。鵜へ寄せる直情はどれも澄んでいる。
 かの芭蕉の、〈おもしろうてやがてかなしき鵜舟哉〉で有名な長良川を故郷とする俳人辻恵美子は、二十余年前、「鵜の唄」でもって「角川俳句賞」を受賞されている。
 「俳句はもはや私そのもののようにも思います」というあとがきは、何とすばらしい言葉であろうか。鵜への愛情に貫かれている鵜の句群は、そのことばが真実であることを立証している。
 年年歳歳、一日として季題へ心を通わさないことはない。季題への愛情なくして作品は成らない。まさに俳句は、作家その人の愛情、その人そのものなのである。

   白鳥に萌ゆる畦より近づかず
   菜の花の中あをあをと長良川
   薄墨桜今年橙色がかる
   紙を漉く崖の上なる一戸かな
   衣掛の柳の下の遅田植

 風土詠もまた、色鮮やかである。緊密なる措辞には、敬虔な祈りがこめられていてゆるぎがない。

   濡るるまで瀧に近づく女かな
   涙目に青葦の真つ直ぐに立つ
   栴檀の花の七日を稿籠り
   枝の揺れ幹に響きて花樗
   稿書くと白き木槿の花に向く
   讃美歌や赤く生まれしチューリップ
   さやけくて飯炊くことを忘れゐし

 句集を拝誦していて、半ば過ぎあたりであったろうか、ふいに、細見綾子の〈峠見ゆ十一月のむなしさに〉が思い出された。読者の胸にすっと入って、透き通るような感覚を覚えるが、これを解説するとかえって味わいを損ねそうな綾子の一句。
 そんな綾子俳句の面影に立ちながら、現代俳人として生きる恵美子俳句工房の日々も又真摯にしのばれてならない。
 「私そのもののよう」であることと、「物をまっすぐに見、作句していきたい」という言葉は、表裏を成している。
 まっすぐに表現することは、難しい、ある種むなしい。そのむなしさの覚悟が透明感をもたらしているのではないだろうか。

   枯れてゆくしだれ柳の萌葱色
   渡り鷹風の速度に入りにけり
   空が青過ぎるか紅葉濃過ぎるか
   実樗の萌葱を兆す祝膳

 沢木欣一の具象と綾子の天然を併せ持って、しなやかに且つ強靭に一筋道を歩まれる俳人に、萌葱色はもっとも似合っている。
 日本の伝統から生まれ出た萌葱色、自然に調和する彩色のさりげなさが『萌葱』の一集を底光りさせているのである。

(2009年11月号・「晨」第154号所収)
by masakokusa | 2009-11-01 22:53 | 俳論・鑑賞(2) | Comments(0)
特別作品     いきいきと             草深昌子
           
                   

   出来秋の土手まつすぐに来たりけり

   八朔や三十畳に風渡り

   水澄んでことに階段軋みけり

   野分過ぐすずらんの実をひとつまみ

   豊年や風鈴の鳴り水の鳴り

   弁当を路傍にひらく一葉かな

   いきいきと流るる水の澄みにけり

   稲負鳥か船頭かこゑ低く

   鶏頭に手を泳がせてをりにけり

   草花や正岡子規の眼がきれい



 今年、百歳以上の高齢者が四万人を突破したという。二十年前に比べると十三倍にも増えたそうである。
 二十年前といえば、八十歳だった母が大腿骨骨折をし、人工骨頭という骨の代替を嵌めこむ手術をした年である。
 医師から「人工骨頭は二十年持ちますから大丈夫です」と言われ、部品だけが百歳まで長生きをしてどうなるのって、泣き笑いしたことが思い出される。
 あれから二十年、夢のような百寿を母は迎えた。さまざまの恩恵をつくづく有難いと思っている。


(2009年11月号・「晨」第154号所収)
by masakokusa | 2009-11-01 22:35 | 昌子作品抄 | Comments(0)
平成21年11月~昌子週詠 

     11月29日(月)

          大雨の宿りを室の花のもと
          葉は赤く花は瑠璃なり室の花
          室に咲く花にともしび明くしぬ
          壁なくて柱ありける柞かな
          深大寺そばがどこにも雨冷た
          石燈籠よりも濡るるは花八ツ手
          喧しき鴉に園の枯れゆくか
  

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  11月23日(月)

          開け閉ての電車ごつこの障子かな
          あかあかと十一月の実のこぼれ
          焚火してあたる人なき漁港かな
          親指のおろそかならぬ蜜柑剥く
          年嵩の女の暖房嫌ひかな
          冬麗や犬の引きゆく人の顔
          枯野行くわれに背中のありにけり


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     11月16日(月)
  
          立冬をきのふにしたる銀座かな
          日の丸の小旗通りも小六月
          歌舞伎座や十一月の水打つて
          寒菊のここなる銀座発祥地
          室咲きの茶房に段差ありにけり
          かのセーター赤し歩行者天国
          七五三帰りのみゆき通りかな


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     11月9日(月)

          宮ケ瀬の瓜田家の天高きこと
          木の家に吸うて木の香や秋深し
          一木に一輪小春日和かな
          木の葉髪赤いリボンのつけどころ
          まただるまさんがころんだ花野かな
          秋逝くや吊橋高く細長く
          人々の総じて黒き冬に入る


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     11月2日(月)

          母逝きて秋の蝶々ふえにけり
          思ふたび母生きてゐる野紺菊
          まなじりにひきゆく日差し旗薄
          かなしさはきちきちの糞しぼりたる
          鳥渡る木々のてつぺん細りけり
          五位鷺の流し目釣瓶落しかな
          秋深む小鍋を買うてきたりけり
   
       

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by masakokusa | 2009-11-01 22:00 | 昌子週詠 | Comments(0)