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鳥曇

      
   秋風や薄情にしてホ句つくる       川端茅舎

 茅舎が薄情だとは思わない。ただ、俳人としては時に薄情でなければ悲しみを突き放して詠うことはできないのだと、秋風の中でさびしく自己を肯定しているのだろう。
 この句から、初めて句会というものに出席したときの厳しい師の声が思い出される。 「悲しいことも苦しいことも大自然の眼を通して見たら何ほどのこともありません。俳句は自分を客観的に見つめることを教えてくれます。悲しんでいるヒマはありませんよ」
 その言葉はいろいろの局面で実感することができたが、一方で喜びごとに出会っても手放しに浮かれるということはなかつた。どこかに感情制御装置が働いてしまうのだった。
 ところが八年前、孫が生まれたときばかりは制御装置のタガが外れてしまった。

   みどり子に宛てて文書く良夜かな      昌子
   赤ん坊紙風船を鷲づかみ           昌子
   手にしたるものみな舐めて初節句      昌子


 産後、母子を我が家にひきとった一か月間、赤子は泣いて泣いて大騒動であったが、母親に抱れて帰ってしまった満月の夜、ミルクの空き缶の山を片づけながら、さびしさのあまり声を上げて泣いてしまった。その後の婆バカぶりは拙句の通りである。

   鳥曇一歳にして耐ふること           昌子
     
 一年あまり経ったある日、娘は緊急入院した連れ合いのもとへかけつけて行った。孫を預かった私が何度手を引こうとしても孫は強く振り払って、手をつなごうとしない。ぎゅっとくちびるを噛んで、眉をしかめて、転んでも転んでも体を前へ前へ運ぶのだった。
 「たった一歳であるというのに、もはや長い人生のはじまりを人間として一人で何かに耐えなければならないことを噛みしめるように歩いていることよ」と初めて覚めた思いで孫という生き物を茫然と眺めたのだった。
 鳥曇というのは、春になって渡り鳥が北方へ帰っていく頃の曇り空のことである。あの日、渡りゆく鳥と同様に、婆も孫も季節のありようのままに哀愁を滲ませて曇り日をやり過ごすほかはなかったようである。
 茅舎を引き合いに出すのは御笑いだけれど、孫を詠った中では薄情の方である。


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by masakokusa | 2009-03-19 16:59 | 俳句はめぐる | Comments(0)
山桜                         
    
           
 新年が明けると、早々と桜の開花が待たれるほど、桜が一番好きである。俳句では「花」と言えば桜を指す。 そして花と言えば、西行。十数年前、辻邦生の『西行花伝』を読んでから、いつそう西行に心が寄りそうようになった。

   吉野山こずゑの花を見し日より心は身にも添はずなりにき
   あくがるる心はさてもやまざくら散りなんのちや身にかへるべき


 吉野山の桜を見た目から、私の心は体から遊離してしまった、桜の花をあこがれる心は一向にやまないけれど散ったあとでは心は元通りに戻ってくるのだろうか、と西行のこころは悩ましい。桜に恋してたましいは放心状態のようである。西行が妻子を捨てて、出家遁世したのはやはり恋ゆえであつたのだろうかとしのばれる。そんな吉野の山桜を詠う旅は私にとって何より大切な年中行事になっている。
 十年前、鐸々たる俳人にまじって初めて参加したときは緊張感でいっぱいだった。谿から吹きあげてくるすさまじいばかりの花吹雪を浴びせられると、西行ならずも足が地に着かなかった。それでも、蔵王堂は登りゆく径のどこからも雄大に見渡せて、見るほどに落ち着きを与えてくれた。巨堂をはるかに、はらはらと睫毛を掠めてゆく花びらはいっそう愛しく思われるのだった。

   花散るや何遍見ても蔵王堂      昌子

 その夜の句会で、「作者は花が咲くことより、散ることに感慨を深めている」という鑑賞をいただけた。思えば、桜は古来より散り際の見事さに心打たれる花である。
 かつては少しでも多くの桜を観ようとオッカケをしたが、近年はあまり欲張らなくなった。ごく自然に巡り合わせた花のありようが、そのまま私の心に沁み入るようになったからかもしれない。
 西行はこう弟子に語っている。
 「日輪はつねに輝いている。森羅万象(いきとしいけるもの)に恵みが溢れている。花を見ても慈悲が輝いている。月を見ても慈悲が心に染みてくる。それはそのまま歌の相(すがた)なのだ」

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by masakokusa | 2009-03-19 00:13 | 俳句はめぐる | Comments(0)
雨が好き                              
          
          
 私は雨が好きである。イラチな私は先へ先へ心が動いて絶えず忙しがっている。当然、成果は少しもあがらない。そんな落ち着かない日々に雨音を聞こうものならたちまち、すーっと気持ちが癒される。今日はもうなにも焦ることはないのだ、そう思うと心の底から安心する。雨の粒々は精神安定剤そのものである。
 一日中雨にふりこめられるのもいいが、雨をおして出かけるのもいとわない。
 「おっ、いい雨だ」といそいそと傘を開くのは雨の俳句が詠えるからである。まさに「雨が降ろうが槍が降ろうが」という心境は、下手の横好き俳人の証かもしれない。

    春雨や小磯の小貝濡るる程     蕪村   
    五月雨の降りのこしてや光堂    芭蕉
    秋雨や夕餉の箸の手くらがり    荷風  
    翠黛の時雨いよいよはなやかに  素十


 春夏秋冬、どの雨も明らかにして美しい。
 ところで、わが俳句は如何なりや、と句帖を繰ってみて愕然とした。好きな雨の句が見当たらないのである。もっとも私は晴女で雨に出くわす回数が少ないことを言い訳にしても、こんな筈ではなかった。雨の中をねばってつくるというのはどうもイラチに向かないらしい。
 それでも忘れられない雨が拙句に少々残っている。

    金屏の金あたらしや花の雨      昌子

 吉野の花見の二日目はかなり激しい雨であった。山桜の色合いは少しばかり褪せてみえたが、お屋敷の金屏風の金がいっそう浮き立ってあたりの風景がなつかしく思われた。

    雨止んで夕日まっかやほととぎす   昌子

 鎌倉の雨は俄に止んでこれでもかというほど夕日が赤かった。折しも時鳥の一声は、「テッペンカケタカ」とも「東京特許許可局」とも違う、男ぶりがすこぶるよかった。

    子規の忌の雨号泣す大笑す      昌子

 三十五歳で永遠に旅立った子規の忌日は九月十九日。その日、車軸を流すような雨を歩きながら、激痛のあまり小刀で咽を突いて死のうとした子規、弟子と俳論を賑わした子規、子規のあの日この日を思いやってずぶ濡れになっていた。私にとって子規はいつでもすぐそこに居る人である。俳句に出会えたこと、子規に出会えたことが私の一生の幸せであった。
 子規から賜った一句が、私をいっそう雨好きにさせたのかもしれない。


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by masakokusa | 2009-03-10 20:57 | 俳句はめぐる | Comments(0)
百五十号記念特集 私の愛する俳人の一句      草深昌子


   虫干や子規に聞きたき事ひとつ     大峯あきら

 私の愛する俳人二人の出会いに快哉を叫んだ一句です。
 明治三十五年、激痛に煩悶する子規に某氏から手紙が来ました。「人力の及ばざるところをさとりてただ現状に安んぜよ現状の進行に任ぜよ痛みをして痛ましめよ。号泣せよ煩悶せよ困頓せよ而して死に至らむのみ」という主旨に、余の考えも殆どこれに尽きると子規は感銘します。
 これに触れて宗教学者大峯顯は、手紙の主は仏教改革者の清沢満之であろう、本物は本物を知るということだと書いています。号泣する子規は、もう如来と一緒にいたというのです。
 清沢が全身全霊をこめて自らの言葉で人間存在の真実を語ったに違いないという推察は、大峯顯が実践されていることにほかなりません。
 数年前、病苦にあった俳人田中裕明は、「いのちが生きることを肯定しているから、あなたはなにもしなくていいよ」という氏のひと言に救われました。瞬時にこれを了解した俳人は、いくら感謝しても足りないという言葉を残しています。本物は本物を知るということを、ここにも見出して思い出すたびに泣けてきます。
 さて、俳人あきらの作品は平明にして大きく、奥行きがあります。季語と助詞の確かさがもたらすものでしょう。去年一年間、ネット上に大峯あきら俳句日記を拾い続けて、そのことを再確認しました。
 そして何より、私意を離れながら、俳人大峯あきらの心が深く入っていない句はないこと、命を賭する静けさに打たれるのです。

(2009年3月号「晨」 第150号所収)
by masakokusa | 2009-03-06 20:24 | 俳論・鑑賞(2)NEW! | Comments(0)
秀句月旦・平成21年3月
   
    春塵や観世音寺の観世音     高野素十

 簡潔明瞭なる一句は、おもしろいと言っては観音菩薩に失礼かもしれないが、とにかく楽しい。
 何の解説もいらない句意だが、シュンジンヤカンゼオンジノカンゼオン、というカ行やサ行の響き、濁音が多いところへもって、ンという撥音がとびとびに挟みこまれていて、口誦すると何だかスカッとする。
 それでも、その切り刻んだような響きが微小にもざらつく砂埃を皮膚感覚に訴えて、眼にもよく見える。ほのぼのとありながら、いかにも古いお寺のあたりがイメージされる。むろん観世音も古そう。
 観世音寺は大宰府市にあり、天平18年の建立、日本で最古の梵鐘は国宝になっているという。

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    辛夷咲き日暮のこころ永くせり     細見綾子

 枯色の多い、まだ緑の乏しい山中や野道を歩いていて、ある時あっと驚かされるように咲いているのが辛夷の花である。先日も浜離宮の芳梅亭から、一人が見つけると一斉に歓声があがった。高層ビルを抜きん出て咲いているのは壮観であった。
 「暑さ寒さも彼岸まで」の頃、満を持して開く香り高い花は、にわかに日差しの眩しさをもたらしてくれる。そういえば短かった冬の日がめっきり春らしくなって、暮れ方も遅くなったことが大ぶりの真っ白な花弁に実感されるのである。


   雲はあれど彼岸の入日赤かりし     正岡子規
 
 春分を中日として、その前後三日ずつ七日間を彼岸という。今年の彼岸入りは17日。
 彼岸入りというと必ず口誦されるのは子規の<毎年よ彼岸の入に寒いのは>である。「母の詞自ら句となりて」という前書がある。 この時、子規は26歳、まだ病床についていない。それどころか、母のつぶやきをすかさず一句にする斬新さ、子規の才気はあふれるばかりであった。
 翌年には、<数珠ひろふ人や彼岸の天王寺>、<乞食も乗るや彼岸の渡し船>、そして翌28年が掲句である。
 現代俳人が今も使うこの口ぶり、この情景、現代俳句のすべての種は子規が播いたのだとあらためて思う。


   いつぬれし松の根方ぞ春しぐれ   久保田万太郎

 時雨は冬の季語だが、気まぐれな雨は春にも降ってくる。傘の用意がなくて、はらはらと濡れているうちに、いつしか止んでしまうところ、やはり春ならではの明るさだと思う。
 掲句は瑞泉寺に句碑となっているが、この句碑に会うたびに、「ああ、俳句ってこういう風に作るんだ」とよく教えられた思いがしたものだった。ゆっくりと大ぶりに読ませて、これぞ春時雨というものを見せてくれる。そのうえ、人情の機微もうかがわれるところ、さすがに万太郎である。
 瑞泉寺には他に、大宅壮一評論碑「男の顔は履歴書である」、吉野秀雄歌碑「死をいとひ生をもおそれ人間のゆれ定まらぬこころ知るのみ」、等の文学碑が建っている。


   田楽もかたき豆腐にかたき味噌    高濱虚子

 田楽は木の芽田楽のこと。硬めの豆腐に青竹の串を刺して、こんがり焼いて、硬めの木の芽味噌をつけて、もう一度あぶる。木の芽はサンショウの芽のことで、これを味噌に摺りこんで、きざんでのせる。
 数年前、吉野の花見の帰途、伊賀上野の芭蕉生家を訪れたがあいにく閉っていた。そのがっかりを吹き飛ばしてくれたのは、近くの老舗でいただいた田楽だった。味噌の焼ける匂いに柚子の香りがたちこめて、忘れられない春の味覚となった。魚介類の乏しい伊賀上野は古くから豆腐作りが盛んであったという。
 田楽の句なら波郷の<田楽に舌焼く宵のシュトラウス>、がおしゃれで好きだった。だが今はやはり虚子の句の方が一段ウマイと思う。虚子の句は何ともそっけない、そのそっけなさこそが田楽の風味であることに唸らされるのだ。
 料理も俳句も飾り気のないのが飽きがこなくていい。

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   はくれんは生まれる前に咲いてゐし     山本洋子

 吉野山六句と前書きのある一句。
 はくれんは「白木蓮」。幹の高さは十数メートルであろうか、花は陽春の日を浴びて燦々たる白色を放っている、花弁もすこぶる大きい。吉野山の花見の途上、尾根道を少しおりたったところに静けさのはくれんはあった。
 その夜の句会で、掲句にまみえた時、息を飲んで絶賛した句である。「生まれる前から咲いてましてん」と、白木蓮の咲く山家の女主が言われたのであろうか。この一言が眼前の「はくれん」を捉えて離さなかった作者の感動。
 打坐即刻、生まれたての印象をもたらして、一点の汚れもない。おかげで読者もまた、この上もない清浄、清潔なるはくれんを目の当たりにするのである。命へ及ぶ連想の深み、韻律の潔さ、まこと斬新そのものである。
 「名句は賜る」、その現場に立ち会ったことで忘れられない句である。


   なかなかに長き若布を拾ひけり    石田勝彦

 逗子か鎌倉あたりの浜辺であろうか。「なかなかに」が、おもしろい。「なかなかに」、「長き」と頭韻に畳みかけて、若布のすがたが「見える」ようである。同時に俳人石田勝彦の得心の表情や渋い仕草が彷彿と浮かびあがってきて、思わず眼前にお会いしたようななつかしみを覚える。大人の風格というほかない句である。
 「なかなかに」という言葉が一句の中で見事に「こなれている」ことに感心するばかり。

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   なにはともあれ山に雨山は春     飯田龍太

 大らかでしっとりとした春の訪れである。「なにはともあれ」、これまた前句同様、龍太でなければ「こなれない」言葉。
 山梨県も奥の方、代々庄屋であったという古い邸宅から眺められたであろう、その広やかな深い呼吸から発せられた「なにはともあれ」である。この一言に誘われて読者もまた臨場感をもって、みずみずしい感覚を目の当たりにすることができる。
 芽起こしの雨といわれる、早春の雨はけぶるように山々の木々をうるおしていく。雨の中でも鳥はときに美声をもらす、やがて囀りの季節の到来である。
 それにしても、「山に雨」ときて、あらためて「山は春」という、(「山に春」ではない)、そのあたりに土着の俳人の眼が坐っているのだと思う。龍太は「家の眼の前にある山は、普段からそこにあるんで、眺めるというより、山から眺められる意識になる、俳句は自分の住んでいるところを、旅人の目で見ること。旅に出れば、そこに住む人の目で見ることなんです」と語っていた。


   音どれも春となりたる水辺かな      黛 執

 おさな子は水辺に来るとすぐに靴を脱ぎたがる。石でも何でもかんでも投げたがる。やがて老人の杖の音もやってくる。烏がやけに大きな声を発したりする。作者の鼓動もまた春のものである。
 「どれも」といって具体的なものは何一つ出さないで茫洋としたまま平明な言葉でもって一句に仕立てた。いかにも水温むころの風景、水彩画の世界である。打ち出しの「音」一字で持って一句は立体的になった、霞のかかった山なども遠くに見えるようである。
 

   ねんごろに生きていつしか霞みけり     浅井一志

 作者は、第三句集『百景』でもって、第48回俳人協会賞を受賞された。飯田龍太の命日の前日に当たる2月24日、表彰式を終えられたばかりである。正々堂々たる霞にほのぼのと包まれておられる頃であろう。霞は遠くから、いと微かにもたらされるもの、その健やかな己のありようを伝える「いつしか」になつかしみと感慨を覚えている。

   青空の狎れを許さず雪解富士
   鎌倉に月の海ある櫻かな
   菜が咲いて観音堂へ見知らぬ子
   春の鳰だれも齢のとどまらず
   種芋やそばに女の素顔あり

 20歳から飯田蛇笏に10年師事し、蛇笏亡き後は龍太に30年師事された。「雲母」終刊後は「白露」同人。まこと一筋道の俳人である。30数年前、私の「雲母」時代には、すでに有力作家であった。
 ちなみに手元にあるその頃の「雲母」五月号を開くと、横須賀 浅井一志は三句入選。
<一散に齢過ぐるか青柚の香>、<亡国のうつつに蘭の花ざかり>、<杉の箸割れば香の立つ涼夜かな>


   霞より引き上げられし地引網     伊藤通明

 作者は、第五句集『荒神』でもって、第48回俳人協会賞を受賞された。(浅井一志と同時受賞)
 「抒情立志」という簡潔にして力強いひびきにみなぎっている句集である。
 霞さえも引き上げられたかのような印象をもたらす措辞の強靭さは又しなやかさでもある。

   ももいろをはなれて桃の花雫
   遠足を容れてしまへり石舞台
   古伊万里の赤としばらくあたたかし
   貝のひも噛みゐて春も尽きんとす
   西行忌こゑを使はず暮れにけり

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by masakokusa | 2009-03-01 00:52 | 秀句月旦(2) | Comments(0)