<   2009年 02月 ( 3 )   > この月の画像一覧
平成21年3月~昌子週詠 
     3月30日(月)
          点心の湯気の熱々彼岸明け 
          もの食うて書いて机や暖かし 
          猫の眼のみどりは恋の終はりたる
          しろじろと散り込むものや春の泥
          鳥雲にお伝ひ橋といふがあり
          踏青のここに一礼深くしぬ
          栄螺焼く刷毛のしづくのうまさうな



f0118324_20373318.jpg


    3月23日(月)
          春分や巫女の緋袴白袴
          初桜ここら平次の銭飛んで
          鳥雲に巫女のお辞儀をいつまでも
          甘酒に舌焼く春の雨あがる
          鳥ぐもり絵馬の地べたに触るるまで
          湯島より根津に濃くなる春日かな   
          お彼岸の傘や日にさし雨にさし


f0118324_2131212.jpg

     3月16日(月)
          亀鳴くと離宮に舟をつけにけり
          凧揚げの上手な母のほつそりと
          焜炉から立ちし煙や山霞
          坐らねば春座布団のもりあがる
          恋猫の小走り吉屋信子邸
          米櫃も風呂もからつぽ囀れる
          初蝶に薹の二尺が立ちにけり
 


f0118324_0101244.jpg


     3月9日(月)
          えんぴつを雛の前に削りをり
          三月の口を大きく開けて泣く
          雛段のうらのからつぽおもはるる
          春遅々と蓬莱島は松の島
          風の音立ちて風来ぬ椿かな
          囀や一とあきなひの一と筵
          教室の窓と巣箱の窓と合ふ


f0118324_22581225.jpg


     3月2日(月)
          人体に似たる若布を干しにけり
          浜砂のここは凹まぬ春の風
          若布干す一人一人となってをり
          若布干すうしろにしたる光明寺
          この通り酒屋の多き春日かな
          マフラーも服も真つ黒風光る
          たんぽぽのほとり赤子のほとりかな


f0118324_22353547.jpg

by masakokusa | 2009-02-28 22:30 | 昌子週詠 | Comments(0)
平成21年2月~昌子週詠
     2月23日(月) 

          富士山か霞か雲か鳴雪忌
          ヨットの帆たふれふすとも風光る
          若布干す材木座とはなりにけり
          まつかうの枝のゆらりと鳥の恋
          春愁は幹のはだへにさはりける
          廃校の時計の生きてさくら草
          春セーター淡水をゆき汽水ゆき


f0118324_23504245.jpg

      2月16日(月)

          誕生日祝の北を開きけり
          みなと大通りの春の寒さかな
          セーターはマチスの赤や海は春
          どの船も白を惜しまず冴返る
          料峭の汽笛は人をよろこばす
          冴返るビルのかたちは波に帆に
          春愁の万国橋に俄かなる


f0118324_22595565.jpg

     2月9日(月)

          手をつなぎたくなる風の光りけり
          墓原に覚えありけりあたたかし
          案の定うぐひす餅に笑まひける
          カンバスの手ざはり春の来たりけり
          詩吟とも謡ともなく春うれひ
          年寄のじまんばなしも梅日和
          わが影の頭一個や雀の子


f0118324_21281099.jpg



     2月2日(月)

          寒の雨甘味をふふみゐたりけり
          笹鳴や暗がりにして実の赤き
          臘梅のうらへまはってみたるかな
          のっぺりと幹の濡れたる春隣
          下萌の地図になかりし道であり
          水温む水鳥陸にあがりたる
          節分の双眼鏡をつかひけり
     

f0118324_23461597.jpg
  
by masakokusa | 2009-02-01 23:44 | 昌子週詠 | Comments(0)
秀句月旦・平成21年2月                 
   
   外にも出よ触るるばかりに春の月     中村汀女

 俳句はつくづく調べだと思う。かくも艶やかに優美に詠いあげることができるとは、驚きである。たった17音であるとは思いもよらぬほど大きく引き伸ばされている。口誦するたびに、女性ならではの思いの深さがしのばれるのである。
 この句は昭和21年の作、戦争に敗れて、うちひしがれた気分を一掃するかのようなつつましくもあたたかな日本の春の月であろう、そこには日本の母の笑顔が映し出されているようである。
 小田急線の「梅ケ丘」駅を北側に降りると、梅の名所で知られる羽根木公園がある。この小高い丘の上に掲句の句碑が立っている。句碑の前に佇つと、梅のうるわしい香りが漂ってきて、汀女の柔和にして芯の強い声が聞こえてくるようである。


  春浅く子のもの干して紐垂るる      皆吉爽雨

 この「子のもの」は、生まれてまだまもない幼少のものと思われる。涎かけか肌着か小さなものから、また細く紐が垂れ下がっている。そのいたいけなさまに目を細めている感覚がそこはかとなくあたたか。その感覚はまた「春浅し」という季語の情感そのものでもある。二月は暦の上では春であっても、春色まだ整わない寒さがあって、本格的春が一途にまたれる日々なのである。「紐」の一字が一句全体に作用して浅春の息吹を伝えている。
 皆吉爽雨は住友電工の課長であったが、「部長になったら忙しくて俳句に打ち込めなくなるんじゃないかと心配になって」、昭和24年、47歳で退社した。第8句集『三露』(昭和41年刊)でもって第一回蛇笏賞を受賞した。
 この句集のはじめに孫を得た爽雨は、「みずからが無心になって遊ぶことが大切なようで、うまく遊んでくれぬ時は、たいていこちらがめんどうだなと思いながら片手間に相手になっていることに気づきます~私は我々が句を得ようとして向き合う自然というものに結び付けて考えるときがあります。自然という相手と、虚心に正面切って向き合うて、やがて、微笑が交わせた時に俳句は生まれる~」と、あとがきに記されている。


   猫柳高嶺は雪をあらたにす    山口誓子

 猫柳は山野の川べりに自生している。二月ごろから銀ねづみ色の花穂をつけて、つややかに日を照り返している風景はうれしい春のさきがけである。誓子の句は、立体的に構成されている。猫柳からはるか遠くへ目を遣ると、またも春雪の降りつもった真っ白な頂上が見渡されるという奥行きのある大景であり、調べも雄大である。夾雑物が何もなく、スカッとした早春の大気がみなぎっているばかり。
 山口誓子もまた、住友本社社員であった。常務理事には川田順がいた。同じ労務課には住友金属会長になった日向方斉、経理課には源氏鶏太がいた。誓子に、<定家忌や勤めやすまず川田順>の句があるが、誓子は、やがて病気になって、昭和17年に退職している。「病気のおかげで重役になりそこねましたが、句作には幸いだったと思います」と、語っている。

f0118324_21425944.jpg



   乳牛の黒き眼バレンタインの峡     大峯あきら

 2月14日はバレンタインデー。この日は「女性から男性へ愛の告白チョコレート」、いや愛がなくてもチョコレートという習慣にすっかり毒されてしまった今日この頃、掲句に出会って、はっと初めてバレンタインとはかくも心洗われるような清純な思いにたちかえる日であったかと、「愛の日」の本当に気付かされたことである。
 その昔、ローマ帝国では強兵策として兵士の結婚を禁止していたが、それに反対したローマの司教聖バレンタインが多くの兵士たちを結婚させた。司祭はそのために西暦270年2月14日に処刑された。以来この日は、その死を悼む宗教的行事であったが、14世紀頃から若い人たちが愛の告白をしたりプロポーズの贈り物をする習慣になってきたという。毎年2月14日から鳥が交わりはじめるという伝説に因むところがあるのかもしれない。
 蛇足ながら、日本の習慣は昭和11年にチョコレート会社モロゾフが最初で、その後昭和33年にメリーチョコレートがハート型チョコを発売して浸透していったそうだ。
 掲句の作者は国際人であるから本物のバレンタインの情趣であるが、それでも、どことなくミルクチョコレートの香りが季節感もろともに立ちあがって来るようで、喜ばしい。


   まんなかにごろりとおはす寝釈迦かな  日野草城 

 「まんなかに」、しかも「ごろりと」、まさにそのような寝釈迦、涅槃像のありようをこれまで何度見たであろうか。京都の東福寺、あるいは泉湧寺など、さまざまの涅槃会が思い出される。いや「見た」なんて不遜、拝んだと言わなければならないのだけれど、この表現こそ、そんなことに少しも恰好を付けていないところが面白い。  
 これを読んで不遜などとは思わない、むしろお釈迦さまにどこまでも寄り添っているように思う。つまり一句の臍ともいうべき「ごろりと」に作者の全体重が乗りかかっていて、借り物の言葉でないことを読者は見破るのである。そして、「まんなかに」「ごろりと」在す、その事実から読者は夫々に思いを巡らしはじめる。
 草城には、<ところてん煙の如く沈み居り>、という秀逸なる比喩の句があるが、あるいはこの「ごろり」も一種の比喩と言ってもいいかもしれない。ある物を、ある思いを、ただならぬ言葉に転換することにおいて、天才的であった。

f0118324_1134257.jpg


   たわたわとうすら氷にのる鴨の脚     松村蒼石

 「たわたわと」、たった五音でもってたちまち魅了される。何ともシンプルで、淡白で、すがすがしい。その感じは季節感そのものでもある。
 「たわたわ」は視覚・触覚の印象と同時に、聴覚まで印象されるから、擬態語でありまた擬音語でもある。薄氷と鴨の危うさすれすれの緊密な感覚が手に取るように「薄氷にのる」のを読者は「たわたわ」でもって見届けるのである。
 写真家が接写したようなクリアな映像、音楽家がタクトを振ったようなピアニッシモ、俳句が平板でなく奥行き深くあるのは、映像と音楽の両方が響き合うからだろう。


   大方は高く飛ぶ鳥梅の春     岸本尚毅

 「大方は高く飛ぶ鳥」、そういう情景こそは、とりもなおさず「梅の春」というものですよと、駄目押しをしたような、相乗効果をもたらしている一句である。凡手なら単に「梅の花」で済ましてしまいそうなところを、能役者が床を踏み直すごとくに「梅の春」と大きく渋く締めくくるあたり、まさに役者である。
 広やかな空間がしかも高々とあって、そこらに点々と梅の花が散らばってくると、これはもう古来から変わることなく今日まであった日本の春のさきがけの風景にほかならない。現代的なあっけらかんが、典雅な色彩をまといはじめる。
 下五ではぐらかされた分、読者は遠い記憶を呼びおこしながら、ある種の雰囲気とでもいった調和のよろしさをじっくり味わうのである。


   受験子の登りて海を見る木かな    長谷川双魚

 木登りをして海を見遣るのは、受験の鬱屈を晴らす一番の手立てであろう。あるいは海の見える丘に登って一木に凭れかかっているという少し大人びた様でもいい。受験子を頼もしい一木に託した作者の眼差しはどこまでもやさしい。奥行きのある自然のすがたから、この受験生は首尾よく合格したであろうことが想像される。
 虚子に<大試験山の如くに控へたり>があるが、「山の如くに」という圧迫感から、「海を見る木」は解放される思いがする。
 もう20年以上前になるが、『長谷川双魚集』(蛇笏賞受賞の句集『ひとつとや』を中心にした自句自解の本)からは、俳句実作の秘密工房を包み隠さず惜しげもなく見せてもらった。
「この一冊を読み了ったら、何となく作句力がつき、鑑賞眼が養われたような気のする本にしたいと思った。」と、はしがきにある、まさにその通りの手引書であった。そして「人生は楽しくなくてはならない。無暗に悲しがったりする感傷を私は好まない。俳句も生きる喜びの大きな一環であると思っている」と。この人生観、俳句観が掲句にもよく出ていると思う。


   切株に鶯とまる二月かな    原 石鼎

 一幅の絵を見るような一句は、絵をよくした石鼎ならではのものと思う。そして、ふと見かけた、たまたま見かけた鶯というものではない、四季の循環のなかで、さあぼちぼちと、この一瞬を待ち受けていて、まるで罠にはまったようにその眼中に飛び込んできた鶯、その一羽を包容する大きな空間のつめたさ、石鼎ならではの二月の感受であると思う。
 こんな二月こそは、私の好きな月である。
 幸田文も『季節のかたみ』の中で、こう書いている。
 「二月は、しいんと心うち静める月。一年は12の月のあつまり、ひと月ひと月に季節もめぐるし、ものも事も変るし、各月各様の特徴がある。一年のうちに一度しかまわってこない、その特徴。60年の人生なら、たった60回しか経験できないその一か月一か月。秋の紅葉、菊の行楽から急に来た冬の風、つづいて歳末、新年のせわしなさ、楽しくあったが、身も心もざわつき通し。二月はしいんとうち静めて、身を休め、こころを深くする月である。」

f0118324_1135469.jpg



   支へあふ雪吊しあはせのかたち     原田 暹

 一瞬にして雪吊がまのあたりに立ち上がる句である。本当にそうだ、そうだ、と深く頷かされる。あらためて雪吊のかたちを美しいと思う。同時に、見た目だけではない、雪吊というのは古木の枝が雪の重みで折れるのを防ぐために縄や添木でもって枝を吊りあげておくという、実用のものであることを再認識して眺める。
 いかにも軽妙に詠いあげながら、どっしりと坐って余情たっぷり。
 句またがりであるが、やはり五七五の流れを尊重して「支へあふ」「雪吊しあは」「せのかたち」という音節の切れ目を意識して披講したい。中七と下五の間に微妙な間合いをとって、「せのかたち」とすこしトーンをあがて読み上げると、思わずにっこりしてしまう。意味の切れ目から「支へあふ雪吊」「しあはせのかたち」と二分してしまうとボソッとしてそっけなく思われるのだが、如何・・。


   碧梧桐のわれをいたはる湯婆かな    正岡子規

 2月1日は河東碧梧桐の忌である。碧梧桐は中学時代より子規に俳句を学び、虚子とともに子規門の双璧であったが、子規没後は新傾向俳句を唱え、その活躍は次第に衰退し、昭和12年65歳で没した。
 病臥の師に対して碧梧桐はいろいろといたわったであろうが、子規は「湯婆」の一点に絞って碧梧桐の情の厚さを象徴的に詠いあげた。健啖の子規であったがどんな好物をここに置いても「湯婆」に勝るものはないと思わせる。湿り気のある人間的な湯たんぽの熱さが、足元から全身にじわじわとめぐってゆくほどに子規は感涙をかくせなかったのではないだろうか。
 <小夜時雨上野を虚子の来つつあらん>、にも察せられるように、虚子と碧梧桐は、絶えず子規の枕もとに居て、看病に心を尽した。「二子が傍らにあれば苦も苦しからず死もまた頼むところあり」と子規は書いている。心の通い合った師弟の状況が、子規の業績につながっていることを思うと、読者もまた感謝したい気持ちである。
by masakokusa | 2009-02-01 00:31 | 秀句月旦(2) | Comments(0)