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秀句月旦・平成20年8月                草深昌子
   日を追はぬ大向日葵となりにけり     竹下しづの女

 人の背をはるかに超える大向日葵は、その頭状花をさも重たげに垂れているのであろう、詠いぶりもまた大きくどっしりとしている。だが盛夏ではなく晩夏の気配が感じられる。「大向日葵でありにけり」ではなく「大向日葵となりにけり」のもたらす印象であろう。
 ヒマワリの名は、燃える太陽を連想させる花であること、太陽について回ると誤認したこと等から付けられたという。それはさておき、太陽を見向きもしないで、それでいてまあ何と大きな向日葵であることよ、という認識がすでに鋭く、人生的でもある。
 しづの女(明治20年生)は、<短夜や乳ぜり泣く兒を須可捨焉乎>(みじかよやちぜりなくこをすてつちまをか)というホトトギス巻頭を得た作品でよく知られる。又、<汗臭き鈍の男の群に伍す>など、戦前にして目の覚めるような男勝りの句を残している。


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   浜木綿は裂けて咲く花潮迅し      中 拓夫

 浜木綿は、あたたかな海辺に自生する花であるが、つい先日、横浜の日本大通りで見かけたときは、その白い花にほっと暑さを忘れることができた。
 「裂けて咲く花」なる措辞には清々しい潔さがあり、さらに「潮迅し」と畳み掛けられるといっそう白さがかがやくようである。張りのある下五の押え方は、一句の奥行きを深くしている。
 楸邨門一筋の中拓夫氏は、去る5月8日亡くなられた。当日、「寒雷」誌校正中に「編集長を退めます」と電話があって、その直後の訃報であったという。
 <蜜柑つめたし夕日が変へる海の色>、<迎火や海よりのぼる村の道>、<夏果ての波かがやけば魚飛べる>、<満潮の海動きをり曼珠沙華>など湘南の海が俳句工房であった。


   涼しさの肌に手を置き夜の秋      高浜虚子

 一読男性のものと感じる、と言った男性俳人がいたが、女性にもすっと入ってくる感覚ではないだろうか。また、浴衣掛けを思い浮かべても、Tシャツを浮かべてもいいだろう。いずれにしても人間のふとした所作がそのまま、いつ忍び込んだやもしれぬ夜の涼しさに通っている。「涼しさの」の「の」で軽く切れて、ごく自然に一息ついた感覚を静かにも動的に演出しているところ心憎いばかりである。
 「夜の秋」は夏の季語である。石鼎の<粥すする杣が胃の腑や夜の秋>をもって虚子が夏の季語に定めとされている。季節感を先取りする姿勢がいかにも俳句的で、<西鶴の女みな死ぬ夜の秋 長谷川かな>などは、忘れられない夜の秋である。


   泉の底に一本の匙夏了る        飯島晴子

 「泉に底に一本の匙」が即ち、「夏了る」の象徴として文字通り定着している。ありとあらゆるシーンを想像させながら一本の匙はいかにもシンプルにシャープに透き通る。夏百日のエッセンスとしてあるものは、あまりに卑近にしてあまりにはるかである。
 飯島晴子の生前最後の発言断章にはこうある、「読んだときに首筋を風のようにサッと感じるのが俳句なんだと思ったことがあります」、まさに掲句はそのような俳句である。


   墓に来て日傘の太く巻かれけり     岸本尚毅

 「墓に来て」、ハッと心が動いた出来事、といっても取るに足りない些事ではるが、書きとめずにはおれない何かを感じた、その気持ちが思わずペンを素直に走らせた。何かをわかってもらおうというわけではない。作者は墓に来てただそっと佇んでいるのである。忙しさに過ぎゆく日常には感じとれなかったディテールが妙に切実である。
 詩情を感じるが、鑑賞の言葉をつくしたら面白くなくなってしまいそうである。いや鑑賞できないのが正直なところ。そんな理屈のない、無意味なものこそが人の世の真実というものであろう。真実に感応するのが俳句実作者である。
 俳句は、これどうだっ、とばかり手柄顔に見せられても後ずさりするばかりであるが、この句のようにそっと静かに差し出されると、読者の方から、その世界へ足を一歩進めたくなるものである。


   一房のぶだう浸せり原爆忌        原  裕

 一房の葡萄を浸してある水は、どこまでも冷たくしんと透き通っている。葡萄という果物は、<亀甲の粒ぎっしりと黒葡萄 川端茅舎>、<葡萄食ふ一語一語の如くにて 中村草田男>、等に詠われきたように、美酒にも薬用にも用いられる豊穣な印象がある。このみずみずしい葡萄は、作者にとって原爆で亡くなられた方々一人一人の鎮魂として浸されてあるようである。生活の裡にあって、一房の葡萄に眼光を据えて動かぬ静けさは、原爆への怒りや悲しみがむしろ迫ってくるものである。
 原爆投下の日は、日本人にとって日常の大きな要となる日である。それぞれのよすがに死者への深い祈りがささげられてきたが、今年ははや63回目を迎えた。


   親よりも白き羊や今朝の秋        村上鬼城

 羊の親子が並んで草原の草を食んでいるのであろう。朝日にかがやく羊の白さ。わけても、小さい方の、そう子羊のまたなんと真っ白な毛並みであろうか。
 この子羊の新鮮な白色こそは立秋の朝ならではの清々しい発見である。かたわらに立つ親の羊がすこしばかり汚れているのは、むしろこの世の命のありようとしてめでたいものではないだろうか。
 われわれ人間もまた、こうして親のおかげで大きく育ってきたことに気付かされ、天地に感謝したいような気持になった。心が洗われるような立秋の朝である。


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   露草も露のちからの花ひらく      飯田龍太 

 露草は、路傍にも畦にもどこにでも自生する花であるが、その色彩は目の覚めるようなコバルトブルー。
 <朝咲き夕は消ぬる月草の消ぬべき恋も我はするかも>と、万葉集にも詠われ、はかなさの象徴として古くから親しまれてきた。「月草」は露草の古名で、衣につけるとよく染まるからとも、月の光を浴びて咲く花だからともいわれる。
 徳富蘆花は、「つゆ草を花と思ふは誤りである。花ではない、あれは色に出た露の精である」という。
 龍太は蘆花の言葉をこころに置いていたであろうか。「露草も」、「露のちからの」、と畳み掛けて「露」の一字を強調すると、「花ひらく」とそっと結んだ。
 まこと葉の先から瑠璃の露を吐くかのように可憐なさまに詠いあげられた。



   白昼の闇したがへて葛咲けり      松村蒼石

 「この作者の自然観照の執拗さはすでに定評のあるところ。よくよく業の深いことだが、自然観照もここまでくると、一種凄絶の気を帯びて来る。まことにもって凄じい気力の作だ。わけてもこの葛の花色の妖しさはどうだろう。白昼の幽谷を蔽う葛の葉叢。その中はまさに微光も及ばぬ闇。しかも句は、淡々として叙景の調べを失わず、秋の白光は天空を展べる。」(『飯田龍太俳句鑑賞読本』)
 蒼石俳句の気力に勝るとも劣らぬ龍太の鑑賞文である。龍太は、俳句の実作と鑑賞を車の両輪に喩え、あるいは歩行のようなものと言い、両者不可分の関係に俳句の醍醐味があることを、身をもって実践し続けた俳人である。鑑賞する佳句は有名無名を問わなかった。
 <ときかけて木の葉燃しをり師を忘る 蒼石>、蒼石は飯田蛇笏、龍太父子を終世師とし、天寿を全うした。掲句を口ずさむたびに、龍太の選者としての真摯な態度が思われてならない、そして蒼石の葛の花はいよいよ盛んに生い茂ってくるように思われるのである。 


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   ぬれ縁のとことん乾く敗戦日       宇多喜代子

 第二次世界大戦が終結した日の暑さは、全国民の痛恨の極みの象徴として語り継がれている。濡れ縁は昔の家屋のどこにも見かけられた、そのなつかしい人々の居場所に、徹底的に照りつける太陽の日差しを描いて、市井の悲しみを静かにも表出している。
 終戦から63年。今年もまた猛暑の8月15日であった。全国戦没者追悼式には、戦没者のひ孫にあたる、9歳の子供が二人最年少で参加したという。戦争を体験的に伝えることができる人はいっそう少なくなった。
 昭和25年8月15日、私の小学一年生の絵日記には「おおきなすいかをほとけさまにおそなえいたしました。おねえちゃんがおそなえするまえにすいかをおとしてわりました」とある。西瓜は濡れ縁から転がり落ちたのだろうか。仏さまは戦没したわが父のことである。


  老いしと思ふ老いじと思ふ陽のカンナ   三橋鷹女

 熱帯産のカンナも日盛りにはさすがにぐったりとしているようである、それでも、炎帝に負けじとする意志の強さがあればこそ、あのように鮮烈な赤や黄を持続しているのであろう。鷹女は老いをなかば認め、なかば認めない、なお精神の張りを失ってはならないと、自身に言い聞かせるような口ぶりで、その心情をカンナに仮託した。
「カンナかな」ではなく「陽のカンナ」という止め方はさすがに鷹女である。
 鷹女は、<鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし>、<夏痩せて嫌ひなものは嫌ひなり>、<初嵐して人の機嫌はとれませぬ>、など、短歌に詠いあげるような感情を、俳句ならではの断定を武器に、胸のすくように描き切っている。
 そして、<白露や死んでゆく日も帯締めて>、<老いながら椿となって踊りけり>、等、終世老いを意識しながら、女の矜持を毅然とまとっていたようである。
 63歳の鷹女はこう言う ~一句を書くことは 一片の鱗の剥脱である 一片の鱗の剥脱は 生きてゐることの証だと思ふ 一片づつ 一片づつ剥脱して全身赤裸となる日の為に 「生きて 書け- - -」と心を励ます~

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by masakokusa | 2008-08-31 22:12 | 秀句月旦(1) | Comments(0)
私の好きな古典の一句                  草深昌子
                         
   柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺     正岡子規

 この句を評して、碧梧桐は、〈柿喰ふて居れば鐘鳴る法隆寺〉とは何故言われなかったであろう、と言う。だがその表現では、他人ごとのようであって感動がない。「柿くへば鐘が鳴る」には、こう言わずにはおれなかった子規の切実、子規の躍動が感じられる。だからこそ人はその喜びを共有し、その面白さを堪能せずにはおられない。 やがて子規個人のことが自分のことのように思われてくるのだ。
 柿を食うたら、鐘が鳴る、何の因果もない関係を捉えた直感が、因果関係があるから理屈だと鑑賞する向きのあることがすでにこの俳句の力を物語っている。
 人生には不思議が多い。人と自然とのかかわりは大方は偶然に過ぎない。否、偶然として見逃すから偶然なのであって、耳目を凝らして待ち受けていれば、偶然の中から必然を見出すことができる。子規だからこそ鐘を鳴らすことができた。偶然を必然に変えたのが子規の迫力である。
 今、脇にいる二歳児に口うつしに言わせてみると、ぎこちなくも十二音をもらさず言って、ホーリュージと大きく口を突きだして息を吐ききったとき、そのリズムの快感に手を打って喜ぶのである。
 母や祖母が日常の中でよく、「―、カキクエバカネガナルナリですわ」と笑い合っていたのは、謂れない符合が人生そのものであることを俳句にこと寄せて納得していたのであろう。私もまた子供の頃から口ずさんでいたから、俳句というよりは標語のようでもあるが、やはりいのちの静けさに満ちていることに気づかされる。

   糸瓜咲て痰のつまりし仏かな
 糸瓜が咲いた、しかるに、痰がつまった、命旦夕に迫っても、柿食えば鐘が鳴る式のゆとりは失われていない。天性の明るさ、天性の明晰、まことに打てば響くように直感する詩人であった。

   絶えず人いこふ夏野の石一つ  
 愛誦句である。大空から俯瞰したような涼やかな「夏野の石一つ」こそは私にとって子規その人にほかならない。子規という盤石にどれほど癒されたかしれない。子規は病者ではあったが弱者ではなかった、巨人であった。いついかなるときもすぐそこに居てくれる気がする。
 脳科学者の茂木健一郎によると、メタ認知といって自分をあたかも外から見ているようなことをできる人は、苦しさを人生の糧にできるのだという。その最たるものが子規の頭脳であった。

 明治二十八年、日清戦争従軍後に喀血、松山で漱石らと交遊ののち東京への帰途、腰痛をおして大阪、奈良に遊んだ。子規が歩いた最後の旅に得られたのが「柿」の句である。
 その二年前、奥州旅行記に、「― 無窮時の間に暫らく我一生を限り我一生の間に暫らく此一紀行を限り冠らすにはてしらずの名を以てす。はてしらずの記ここに尽きたりとも誰か我旅の果を知る者あらんや。」と記した、哲学好きの、情熱の子規の旅路は、実は今も果てしなく続いている。

(2008年9月号「晨」 第147号所収)

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by masakokusa | 2008-08-27 21:08 | 俳論・鑑賞(2)NEW!