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特別作品評                     草深昌子

      夕笹子 ・  辻 恵美子


   紙を漉く崖の上なる一戸かな

 真っ青な空を透かして崖の下は清流であろうか。
 「崖」という一語からは、おのづから紙漉きの現状やその心情がかぶさってくる。 
 季語に本意本情があるように、どの言葉にも本意本情とでもいうべき何かが内包されてあることを改めて気づかせてくれる一句である。ましてや紙漉きを生業とする三千戸以上が今は十戸になったという、そのうちの「一戸」もまた象徴的である。 
 伝統の灯を消すまいという一念に心を寄せながら、緊密に仕上げられている。

   紙漉くや山茶花散るをまなかひに
 
 山茶花は朝な夕なによき日当たりを得て楚々としている。散りゆく山茶花に焦点をあてられたことで、紙漉女の静けさのしぐさが目に見えるようである。

   今漉くは迎賓館の障子紙

 迎賓館は和風の粋をあつめた京都迎賓館であろう。世界中からの賓客をもてなすに、美しい陰影を見せる障子は何よりやさしくかつ機能的である。迎賓館のもたらすイメージは、すみずみまで真心のこもった美濃紙の貴重なありようそのものでもある。



       雀隠れ  ・  稲田邦子


   人見知りする子に雀隠れかな
 
 萌出たばかりのいたいけな感じの若草もいつしか雀が隠れてしまうまで丈をのばしたという「雀隠れ」なる季語が何ともいきいきと匂い立ってくるようである。 
 この子はさぞかし利発なよい子に成長するであろう。自然と人間の鼓動の共鳴がうれしい。

   子供ゐて春の雪踏む小枝橋

 「小枝橋」は固有名詞であろうが、小枝という語意の印象が上五の「子供ゐて」とよく呼応して一句全体にひそやかな響きを奏でている。このひびきこそが春の雪のもっている本意に通うのである。

   築山の起伏さだかや初つばめ

 「初つばめ」が見事である。これが単なる「つばくらめ」であったなら、「起伏さだかや」は平凡な措辞に終わったであろう。
「初」という新鮮な驚きは、築山の輪郭を起伏もろともに際立てて、その飛翔をいっそう祝福せずにおれないのである。

(2008年7月号「晨」第146号所収)

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by masakokusa | 2008-06-28 19:36 | 俳論・鑑賞(2) | Comments(0)
秀句月旦・平成20年6月                草深昌子


   六月を奇麗な風の吹くことよ       正岡子規

 この一句をもって六月はすばらしくなった。およそ子規らしさのない、およそむさくるしさのない颯爽たる一句は清新そのもの、この風の実感は永遠に消えないもののように思われる。「六月や」でなく「六月を」、ここに実感がある。
 事実片田舎に住んでいると、田植えが済んだばかりの一面を水平にわたる風のみどりはたとえようもなく清々しい。このころの風光が何より心身を癒してくれる思いがする。田んぼでなくても、街角や海辺であっても、あるときふっと入れ替わったような風を感じるのも六月のことである。
 この句を口づさむと、蕪村の<愁ひつつ岡にのぼれば花いばら 蕪村>がセットになって思い出される。掲句はやはりもっとも子規らしい、明晰なる句である。

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   田を植ゑるしづかな音に出でにけり   中村草田男 
  
 昨日たまたま田植機をあやつっているところに出くわした。男の慎重なハンドルさばきは機械の末端に及んで、回転する爪の部分はまるで人間の指のような所作でもってつぎつぎに定位置に苗を植え付けてゆく。あっという間に一枚の田は植えられた。
 さて、掲句からは早乙女が田植え唄など唄いつつ、祈るような仕草の田植えの様子がうかがわれる。 人の声とも鳥の声とも、雨とも風とも言ってない、とにかく「しづかな音」のする田植えである。このしづけさこそは田植えの原初的情趣そのものであり、作者の心象もまたしづけさのうちにしのばれるものである。
 事実を象徴的にするに、「音」の一字がしづかにも大きくはたらいている。いかに時代が変わろうとも、普遍的な田植えを詠いあげて心に残る句である。


   日本語の優しすぎたるゆすらうめ     後藤比奈夫

 ゆすらうめがどんなものかよく知らない頃から、この「ゆすらうめ」には語感もろとも魅了されていた。
 ゆすらうめが漢字で書けば「山桜桃」であること、真っ赤に熟れてまるで宝石のように透き通った小さくまんまるい実であること、甘酸っぱくておいしいこと、それらをよく知るようになっても、なお初めて読んだ私の中の「ゆすらうめ」は変わらない、そのままである。
 徹底した写生からもたらされた独自の表白は、読者に間違いなくそのもののイメージを見せるものなのだと思う。
 作者は父親であり師である後藤夜半から「技巧でないものは作品ではない」とよく聞かされたという。

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   姉妹や麦藁籠にゆすらうめ          高浜虚子

 おとどいやむぎわらかごにゆすらうめ、と読む。何とやさしくおっとりとしてゆたかなるしらべであろう。
 見めうるわしい姉と妹であろうか、仲良く麦藁籠にゆすらうめを積んでいる光景は、誰にでも覚えのあるような、日本人の原風景のようである。初夏の日差しがかけがえのない今を輝かせて、まこと珠玉のゆすらうめが摘みためられてゆく。ありのままにして立ち上る詩情もまた技巧なしには得られないものであろう。
 この美しい調べが、<日本語の優しすぎたるゆすらうめ 比奈夫>の世界に引き継がれたように思われる。


   山上に遠き沖あり黐の花            矢島渚男

 黄緑がかった白い小さい黐の花は目立たない花で、大方の人に好かれることもない花のように思われるが、私にはその匂いも好ましい花である。庭にも路傍にも見かけるが、掲句の黐の花はもっとも黐の花らしいところを得て悠然と咲いている。人々のチマチマした思惑に遠く離れた黐の花はごく自然に、季節感のままに咲いている。
 黐の花を見直した思いである。すがたの美しい句である。
 掲句から、<玫瑰や今も沖には未来あり  中村草田男>、がゆくりなく浮かんだが、やっぱり玫瑰は玫瑰らしいところを得て咲いている。玫瑰は玫瑰、黐は黐、それぞれの花の持ち味が出ているのは何といっても調べの巧みさであろう。


   戦死とは夭折のことゆきのした        吉田汀史

 「戦死とは夭折のこと」と「ゆきのした」が切っても切れぬ縁につながっていることにト胸をつかれた。夭折という言葉から思うのは芸術家や学者など天才の若死であった。だが、あの大東亜戦争での犠牲者も多くは20代30代ではなかったろうか、生きてあればどんな分野にどんな才能の花をひらかせたか計り知れない。
 一句は戦没者への深い哀悼がこもっている。
 あらためて戦死という夭折はあってはならないのだという思いが胸につかえてくる。そんな晴れない思いを鎮めてくれるのは「ゆきのした」という質素な花の姿である。
 ゆきのしたは、鴨足草とも雪の下とも書き、山地の日蔭や湿地に底知れぬほどに生えているが、わが狭庭の片隅にも年々歳々楚々として咲くことを忘れない。その白い小さい花弁はどこまでも潔白、清楚である。


   雨音を野の音として夏座敷          広瀬直人

 雨の涼しさがとりもなおざす夏座敷の涼しさになりかわっているところが、いかにもこの作者の甲斐ならではの風土がしのばれて臨場感のある句となっている。
 開け放たれた夏座敷から見渡すことのできる野の青さや広さがうかがわれると同時にそこに居る人のたたずまいが落ち着いている。雨音に心が集中している心の涼しさが感じられるのである。雨を出しながら少しもじめじめしないむしろ晴れやかな座敷である。


   十薬も咲ける隈あり枳殻邸          高浜虚子

 枳殻邸(きこくてい)は渉成園ともいう、書院式回遊庭園で石川丈山の作庭である。東本願寺の別邸で、当時枳殻(からたち)を生垣に用いたことから枳殻邸と呼ばれている。京都市中とも思えないほどの大きな静けさの空間には平安時代の優雅さをしのばせて四季折々、名のある花々が開くところであり、数ある茶室や書院も美しくまこと名勝である。
 さて掲句、十薬というマイナーな花を「十薬も咲ける」と大きく打ち出して、すかさず「隈あり」と十薬らしい視線に引き落としたかと思うと、下五は「枳殻邸」をもって堂々たる風姿に納める。なんとも気持ちいい仕上げの早業である。
 この時節ならさしずめ杜若や花菖蒲、紫陽花や睡蓮など色鮮やかな花々が枳殻邸を彩っているであろう。だがそのことは「十薬も」に匂わせるにとどめて、絵ハガキ的ではない枳殻邸の美しさを十二分に伝える。枳殻邸にまた行きたくなった。

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   難所とはいつも白浪夏衣           大峯あきら

 「難所とはいつも白浪」からは、海岸の崖っぷちであったり、込み入った岩礁があったりで、寄せ来る白波の砕けようも賑わしいことであろうと想像され、波音が聞こえるようである。このフレーズだけでも清冽な自然界を見せるのだが、下五「夏衣」と読み下ろすに至って、たちまち俳句の風景はただの絶景だけではない漁夫の生活と一体となった生々しい実体のあるものとして繰り広げられるのである。歴史をせおった風土のありようである。
 「夏衣」は、白波にたたみかけるような白さ、天女の羽衣のような透き通ったイメージをも浮かび上がらせて、漁夫が命を落としたであろうことにも思いを至らせ、魂鎮めのような詩情をもたらすものである。
 作者は、吟行では下五に「夏花摘」と置いて賛同を得たものの、もう一つ不満で、のちに「夏衣」に推敲したことを総合誌に書かれていたように覚えているが、かにかく「取り合わせ」という二物の照応が成功するときは、いっそう高次の興趣をもたらすものであることを教えられるものである。

   蛍の夜老い放題に老いんとす        飯島晴子

 「食べ放題」「詰め放題」なんていう欲張った「放題」が私は大好きである。そんな放題とはおよそかけ離れた「老い放題」に出会った時には驚いた。文字通り言いたい放題、口から出まかせのようなフレーズに胸のすくような気分を覚えたのは私自身が老いのとば口にさしかかっていたからであろう。「老い放題に老いた」ほうがやっぱりお徳な気がして、颯爽たる気概に励まされた。20年前のことである。

 作者がこれを書いたのは昭和62年、66歳であった。それから10年後蛇笏賞を受賞して、さらに4年後<大雪にぽっかりと吾れ八十歳>をもって、この世から姿を消された。
後に、「本当に老いたらこうは言えないだろう、なと思った記憶がある。老い放題に老いることなど実現できないことの予感はあった。そして「老い」の非常に近いことを感じた。」と記されたが、まさにこの「老い」の非常に近いところに私自身も直面してみると、フレーズに驚くというよりしみじみ「蛍の夜」が美しいと思われる。

 蛍火の闇に身を置くと、女は恋を夢見る。和泉式部の<もの思へば沢の蛍もわが身よりあくがれ出づる魂かとぞ見る>なども浮かび上がって、うっとりもする。老いに脅かされる日常をほうと忘れてふとした心のはなやぎが、切なくも大胆なる一句を生らしめた。
 俳句の日常が老いを支えるものであることを信じたい、と掲句からまた励まされている。

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by masakokusa | 2008-06-01 19:51 | 秀句月旦(1) | Comments(0)