<   2008年 05月 ( 4 )   > この月の画像一覧
客人との対話                      満田春日


 草深昌子さんは『ゆう』をあたたかく見守っていた方の一人である。
 雑誌でのご活躍のほか、ご自身のホームページでも積極的に発言されている。実作、論とも俳句と切り結ぶような強い心志を感じる俳人である。
 「あたたかに枯山水の掃かれあり」。単に体感的な暖かさではなく、抽象の域に達しようとする暖かさであるようだ。
 「花虻や松の空から松の空」は花虻にして松に寄るということ、松一本ずつに別々の空があるような把握を新鮮に感じる。鍛え抜いた写生の技量はそのままに、一瞬それを手放して得られたようなのびやかな佳品である。

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(2007・8・8発行「はるもにあ」秋号所収)
by masakokusa | 2008-05-22 08:46 | 昌子作品の論評 | Comments(0)
晨集散策・清沢冽太(部分抜粋)               


   冬の水一杓まゐる波郷居士    きちせあや

   無患子の球の一個に悴める    草深昌子


 波郷墓所深大寺本堂の前に無患子の大樹があり、秋の終りの頃、次々と実を落とす。落ちるところが身辺であったり、数間離れた前後左右であつたりする。その音の遠近を確かめたり、屈んで実を拾つたりしていると、波郷の温顔とあたたかさがよみがえる。あの大足の白さが切なく現前するのである。

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(2008年5月発行「晨」第145号所収)
by masakokusa | 2008-05-07 21:42 | 昌子作品の論評 | Comments(0)
特別作品評・ 織田敦子

           寒                        

   寒晴や男にかぎる羅漢仏         昌子


 云われてみればなるほど、と…。今まで羅漢さんの性別を考えてみたことなどなかつた。
笑った顔、怒った顔、御澄まし、おとぼけ、様々な表情の羅漢のなかに、必ず自分に似たお顔の方がいらっしゃる、と云われている。
 寒晴れの一と日、寺の法会に出掛けられたか、それとも吟行?出会った羅漢に改めて男でなければならない、と、その思いに感じ入っておられたことだろう。    
 その思いが一句に成った。

   着ぶくれて好きな羅漢を殖やしけり    昌子

 前掲出句と同じ場所での作であろう。
 羅漢を殖やしたのは誰。以前に来たことのある寺に新しい羅漢が出来ていて、それが又佳い顔をしておられる。思わず嬉しくなって出来た句、と考えるのが自然だと思われるが、其処に、にこにこ顔のご住職が登場されたらどうだろう。「佳い羅漢さんが出来ましたね。」「お陰さまで。」そんな会話が聞こえてくるような。
 着ぶくれているのは作者か住職か、羅漢を殖やしたという発想もおもしろい。
 俳句ほど読み手の想像カが試されるものはないと改めて思った。

(2008年5月発行「晨」第145号所収)
by masakokusa | 2008-05-07 21:27 | 昌子作品の論評 | Comments(0)
秀句月旦・平成20年5月                草深昌子

   厄月の庭に咲いたる牡丹かな     正岡子規

 五月が来ると、まっさきに思い出すのは「五月はいやな月なり」と言った子規の胸懐である。
<うすうすと窓に日のさす五月かな  子規>など、生気あふれる五月に反して、子規の苦痛がしのばれてならない。
 「病床六尺、これが我世界である。しかもこの六尺の病床が余には広過ぎるのである。」に始まる正岡子規の『病床六尺』は明治35年5月5日からの新聞連載であるが、この五月こそが子規には厄月で、重患はいつも五月だった。最初の吐血も明治22年5月のことである。明治32年の新年には、
 <初暦五月の中に死ぬ日あり 子規>と詠ったほどである。
 明治35年、この年の5月13日も未曾有の大苦痛を現じ、「さて五月もまだこれから15日あると思ふと、どう暮してよいやらさッぱりわからぬ」と人知れずうめいているのである。
 さて、掲句は、そんな事実を述べながら、不穏な空気のなかに牡丹をゆったりと咲かせて、こころにホーッと大きなやすらぎが生まれている。この牡丹と子規の間にはだれも介入することのできない静謐な時間があって、牡丹はいっそうはかなくもつややかに、豪奢にも上品に揺らいでいるのであろう。
 牡丹がうれしい、これが花茗荷でも薔薇でもいけない、牡丹の花ならばこそ病床の子規の気息がたっぷり伝わってくるように思われる。

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   五女ありて後の男や初幟      正岡子規

 「五月の中に死ぬ日あり」と詠った明治32年の作品である。
 子規は苦難の病床あって、いついかなる時も弱者ではなかった。健やかな精神を最期まで絶やすことがなかった。
 掲句は、陸羯南のところに男の子が生まれた喜びである。女の子ばかり5人続いて、やっとこさの男の子、跡取りの誕生はいかばかり狂喜したことであろう。こんなにめでたい初幟があるであろうか。読者もまたご同慶の至りというほかはない。
 それにしても、「五女ありて後の男や」と簡潔に言いきって句意によどみがないところ、厄月にしてかくも晴れやかな五月の空を詠いあげるとは、子規の才覚を敬うばかり。



   ざぶざぶと白壁洗ふ若葉かな     小林一茶

 「ざぶざぶと洗濯する」とはよく言うが、その洗濯物がなんと白壁だというあたり飄逸としてスケールが大きい。そこで若葉かな、とくるからにはもう目の覚めるようなさみどりとまっしろな対比、存分の水の透明感がどっと印象されていかにも快適である。
 一茶終焉の地を訪れたのはもう20年も前になるが、一茶旧居の土蔵はたしか白壁だった。家にまつわりついたしがらみもろとも洗い流すような、ひたすらの壁洗いであろうか。力強く、さぞかしスカッとしたであろう仕上がりである。
 「若葉かな」、季題が光っている。



   父想ふことが力よ新樹行        星野立子

 「立子は海が好きであった。海のブルーが時にはエメラルド色に変わる時もあり穏やかな由比ケ浜の海岸は虚子も好きでありよく散歩されたものであった。風に吹かれて立っている立子に沖の波は繰り返し声援を送っていたのに違いない。私はその海の色を立子ブルーと言いたい。」、と立子の長女、星野椿が『星野立子句集 レクイエム』のあとがきに記している。
 虚子をして「立子に学んだ」とまで言わしめた立子の俳句は、どれも虚子の力をわが身の力として歩んだあかしでもある。
 掲句のみずみずしい立木のみどりは、立子の芯にあるもののイメージをはからずも引き出している。


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   万緑や死は一弾を以て足る     上田五千石

 なつかしい句である。初学時代に共鳴したということもあるが、やはり内容そのものがなつかしい。
 「死は一弾をもって足る」というフレーズは、死へのはるけき憧憬があればこそ言いきれるもので、ここには青春の匂いが立ちこめている。だが、この句を成したときの作者は、そんな物思いとはうらはらに、今の私は絶対死にはしない、という確信があってこそ詠いあげられたのであろう。「死は一弾を以て足る」という危うさを以て、「万緑」という季語に錘をかけたのである。
 「一弾」の凄みを架空に秘めて、いっそう溢れんばかりの生命力が緑濃くおおいかぶさってくる。


   白きもの隠しおほせず柏餅      鷹羽狩行

 柏餅を手にしたとたん、もう子供の心になっている。粒餡がいいの、漉し餡がいいの、いや東京人は味噌餡ですよ、なんて好みを言い合うのも楽しい。
 柏餅が句会のお茶受けに登場すると、兼題は「柏餅」に決まりである。そこで浮かびあがってくるのは、<てのひらにのせてくださる柏餅 後藤夜半>の一句である。
 かねて、このシンプルにまさる柏餅はない、と決め込んでいたのだか、掲句の「白きもの隠しおほせず」に出会って、久々に夜半句同様の感銘を覚えた。
 葉っぱの端っこからは、文字通り真っ白な餅肌がのぞいていて、その艶やかな白さを新茶の緑とともにまず目で味わうのが常だったからである。全く「その通り」としか言いようのない句である。
 歳時記を繰ると<柏餅古葉を出づる白さかな 渡辺水巴〉もあったが、やはり掲句の率直こそがおもしろいと一呼吸入れたところで、もう一味隠されていることに思いあたった。
 この「白きもの」はご自身の白髪でもあるのだろう。古来男子の節句に欠かせない柏餅たるものの味わいをしかと味わっているのである。年齢を意識したとしても、気持ちがスカッとして明るいところ、さすがダンディーな柏餅である。


   声かけし眉のくもれる薄暑かな      原 裕

 「薄暑とはどのような暑さをいうのか?」と聞かれたら、「声かけし眉のくもれるような暑さです」、と答えることができる。たまたま行き会った人に声をかけたら相手の眉がくもった、そのことで薄暑が認識されたのであり、あるいは、薄暑の折であったから、相手の眉がくもったともいえるだろう。作者の微妙な感覚が薄暑に後押しされるように、間髪を容れずに仕上がったものである。
 人生という暮らしの日常と自然という時節のありようが、すばやく一身の中で一体となった。「俳句とはなつかしさの発見である」と言いきった作家の面目躍如たる一句である。


   夏木立少年の尿遠くまで          辻 征夫

 何と爽快な光景であろう。青葉濃くなった木々の影を踏まえて、少年の放尿は清流の如き響きを伴っていかにも涼しげでありかつ健康的である。小便小僧のあの身の反りの印象もあれば、幻想的な絵の趣もあって、夏木立を切なくも際立たせている。


   鳴き出せる声はるかなり時鳥       松瀬青々

 「伝統を負う季語への挑戦を」と題して茨木和生が松瀬青々の「ほととぎす」の句の多作ぶりを示していた。そこに、中上健次の発言として、「パッと作らず<体験>から<経験>に通底したときに大きなものが飛び出してくる」とあったように記憶している。中上健次の発言はさながら掲句のような一句に結び付くものであろうか。
 作家のほととぎすへのあこがれを思う。生まれたときからすでに古い、古いものが何よりいま新しい、そんな時鳥の声である。


   泰山木乳張るごとくふくらみぬ       阿部みどり女

 阿部みどり女は明治19年生まれ。虚子に師事し、写生を体得するために素描も学んで春陽会展に入選する腕前であったという。デッサンの眼がここにも大きく開いている。掲句は遺句集にあったもので、90歳を超えての作品と知れば、この馥郁たる情感、愉快さ、たおやかさ、瑞々しい命に驚くばかり。
 他に、<九十をいつか越えたりいつか夏>、<ばら愛すごとわが生涯愛すかな>、<握手してこぶしに秋の涙かな>


   二階にも薔薇を咲かせて留守らしく     原田 暹

 「バラが咲いたバラが咲いた真っ赤なバラが、さびしかった僕の庭にバラが咲いた、、、」、一世を風靡したマイク真木の歌を思わず口ずさんだ。まことフオークソング調の少し影ある明るさがが滲んでいてほほ笑まされる。あいにくの留守ながら作者は十分にこの家の友人と心つながった思いに立ち去ったのであろう。歌もこう続く、「、、僕の心にいつまでも散らない真っ赤なバラが、、」。
 歌はさておき、二階にも、むろん玄関回りにも庭にも丹精込めたバラの花を静けさの中に咲かせて美しい一句である。
 読めばふっと明るくなる句は作者の独壇場である。


   蕾はや天と語りて桐の花           加藤信吾

 桐の花といえば思い浮かぶ名句は、<電車いままっしぐらなり桐の花 星野立子>、<通るとき落ちしことなく桐の花 中村草田男>、<曇天にまぎるる桐の咲きにけり  相馬遷子>、<桐咲いて雲はひかりの中に入る  飯田龍太>などである。かにかく、桐の花は咲ききっているときさえ定かには捉えにくい花である。その靉靆たるところがなつかしさを呼び覚ます情緒として詠われることが多いのであろう。
 しかるに掲句は、天上高く蕾をさしだしている梢がくっきりと見えてくるものである。
 いましも花咲かんとしてほぐれそうなる蕾を詠いあげた視点のあたらしさこそが、穢れなく清楚なる桐の花をイメージして堂々としている。

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   地面よりつめたき風や蝸牛       中村夕衣

 平明だが臨場感のある句にはふと立ちどまされる。そこに居る蝸牛の命のさまはいかにもいとしい。「つめたき」だからこその蝸牛、しかも何に比較してのつめたかさと言えば「地面」、この目線の低さがあればこその「蝸牛」である。なまあたたかい風であればたちどころに蝸牛の輪郭は失せるであろう。
 作者の師であった俳人田中裕明の句に<穴惑ばらの刺繍を身につけて 裕明>がある。この句はいつ読んでも、まるで蛇が薔薇の刺青しているような錯覚を覚えて思わずニヤッともゾッともするのだが、中村夕衣もまたこの句について、蛇の姿の映像としてとらえたが、人間が身につけている「薔薇の刺繍」と理解する方が自然かもしれないとし、――どちらにしろ、穴惑という季語が配されることによって、「薔薇の刺繍」というものがもつ秋の季感が引き出されてくる。そのことに驚かされ、そして納得する――と述べている。
 この感想からあらためて掲句にもどると、地面にはたっぷり水が満たされているようなみずみずしい潤いが感じられて、立ち去りがたくなった。
by masakokusa | 2008-05-01 17:31 | 秀句月旦(1) | Comments(0)