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詩歌句に見る家族・母               草深昌子
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 (2008年2・3月合併号「詩歌句」・shikakuことばの翼 所収)
by masakokusa | 2008-03-28 19:16 | 昌子作品抄 | Comments(0)
「在原」を尋ねて    ~平成18年度晨同人総会に参加して~       草深昌子

 琵琶湖の北側にある在原は青杉、青田、青空、青野原、どこを見ても一面真っ青。ここで晩年を過ごしたという在原業平の墓は、七十センチほどの小さな宝篋印塔である。真二つに罅割れた石が針金で縛ってあるのは、色好みの美男のジョークのようで少々おかしい。それでも涼やかな木陰に大瑠璃の声を聴いていると、この密やかな墓標の傾ぎこそが歌人の哀れのようで慕わしく思われるのだった。 
 其処此処の茅葺屋根は修復の真っ最中で、はらはらと茅がこぼれては舞い上がった。  
 ふと雲隠れされた大峯あきら先生は、手に一輪の笹百合を捧げてにこやかに舞い戻られた。わっと取り囲んだ女性陣はかわりばんこに神秘の香りを分け合った。白昼夢のような香りは業平の化身に違いない。一輪は、在原集落の一掬の水もろともに宿に持ち帰った。 
 清楚な笹百合、わけても業平の笹百合にまみえるのは今日を限りのことである。同人会の前夜はなにやら興奮して眠れなかった。  

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(2006年9月号「晨」第135号所収)
by masakokusa | 2008-03-26 10:04 | 挨拶文・書簡・他 | Comments(0)
合同句集『谿声』
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  序文
    写生より想像力へ
          ――句集『谿声』に寄せて   原 裕 

 
       感嘆符              草深昌子

  
   春暁やわが産声のはるかより

   涅槃図に蛍飛ぶかと問はれをり

   飛鳥路の謎ある方へ青き踏む

   淡雪や白珠となる浮鷗
   
   彩消えてぬくみいつまで春の夢
 
   手鏡の真二つに割れ蜥蜴出づ

   さへづりのなかの疑問符感嘆符
 
   どの子にも影ついてゐる春の庭

   まだ誰も戻らぬ雛の夜なりけり

   恋猫の嘆きを膝に乗せゐたり

   暮れかぬる夫と読書の向き違へ

   口笛を吹きたくなりぬ植田べり

   父の日の空の厚みを知らず居りし

   滴りへ母の手窪のうすみどり
 
   四万六千日の顔獅子鼻も鷲鼻も

   屑籠の底ぬけてゐる終戦日

   真白なる花火はつひにあがらざる

   老鶯の推敲かさねゐたるかな

   湯のやうな日がさしきたり青葡萄

   師のこゑのやや嗄れし星今宵

   狂ふかもしれぬ手を挙げ踊るなり

   白靴の踏めば踏むほど霧生まる

   まんじゅさげ疑心暗鬼のなくもがな

   子規の忌の雨号泣す大笑す

   たれかれに甘えたくなり柿の下

   山の木にシテとワキある良夜かな

   日翳れば襤褸ともなり紅葉山

   末枯を真間手古奈として行けり

   銀杏に頬打たるまでもの想ふ

   肩に日が乗りて重たし一葉忌

   洛北の冷えを弥勒の胸乳まで

   たっぷりとおこぶのおだし近松忌

   手鞠麩を買ふや時雨の華やぎに

   青年のこゑ糢糊として冬木の芽

   裸木や千手千眼われになし


   (52名参加 掲載総数1580句 あとがき・小林実美)

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 (平成5年1月20日発行・鹿火屋厚木勉強会)
by masakokusa | 2008-03-24 22:49 | 昌子作品抄 | Comments(0)
特別作品                    草深昌子

       寒     


  透く硝子曇る硝子や室の花

  菊の黄の濃くなりながら枯れながら

  綿虫に障子外してありしかな

  物陰やわづかに見ゆる寒施行

  裸木のはだかのどこかそはそはと

  水鳥の水引つぱたく引つぱたく

  寒晴や男にかぎる羅漢仏

  着ぶくれて好きな羅漢を殖やしけり

  臘梅の人差し指にこぼれたる

  黄の花は芯まで黄色日脚伸ぶ


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  初吟行で雲水に出会った。
  喜捨の少しに一枚の散華を下さった。裏を返せば、墨痕鮮やかにただ一文字〈目〉とある。
  もっとよく見なさいということであろうか。
  以来、折々手鏡を覗くように〈目〉を見つめている。


(2008年3月号「晨」第144号所収)
by masakokusa | 2008-03-04 23:09 | 昌子作品抄 | Comments(0)
秀句月旦・平成20年3月              草深昌子

  苗札の夕影長く曳きにけり     てい女

 私の手元にある三省堂版の虚子編歳時記は平成13年増訂68刷発行(初版は昭和9年発行)のものであるが、これに載っている一句である。この「てい女」なる俳人が阿波野青畝の妻、貞であることを知ったのは、自句自解・阿波野青畝句集からである。
 青畝に、<苗札がひとりたふるることありて>がある。苗札が全く自然に倒れている、それを青畝はまた挿しなおしたのだが、それは「けだるい春の日が私にささやいた一つの動きだったように眺めた」と書いているが、このとき、数年前に36歳で亡くなった前妻のおもかげを見たのではないだろうか。続けて、「苗札といえば、前の妻は<苗札の夕影長くなりにけり てい女>の唯一句をホトトギス雑詠に登録した。当時は作者の号だけ書き、姓は無かった。ついでながらのことを発表しておかないと、亡き妻は一句も世に残さなかったと思われるから」と記している。
 青畝と貞の間には昭和3年長女多美子が生まれた。だが、多美子は23歳にして亡くなっている。多美子は歌に<苗札の夕影長くなりにけり実母の残せし文字のつたなく>を遺している。5歳にして生母を亡くした多美子にとって苗札の一句こそは母その人をしのぶ恋しい恋しいよすがであったのであろう。青畝が<夕影長くなりにけり>と自句自解で誤記?しているのは、この多美子の歌の印象が濃くあったのかもしれない。
 掲句は朝でも昼でもない、何より「夕影」が美しい。今日という一と日の安堵を伝えて、いとけなきものへの祈るようなまなざしがうかがわれる。


  雛の軸おぼろ少女と老女寝て    原 裕

 床の間には雛の絵の掛け軸がかかっている。雛に見つめられて、その座敷には祖母と孫が相寄って、すやすやと眠っている構図である。
 一句のまんなかにはさまれた「おぼろ」という措辞が文字通り朦朧として一句全体に行き渡っているところ韻律と言い内容と言い、なつかしさにあふれている。
 原裕は「自然物であれ、生活であれ、心の奥になつかしさを呼び覚ますものを詠みたい。なつかしさは過去にかかわるならば原始的ななつかしさを、現在にかかわるならば身を切るなつかしさを、そして未来にかかわるならばいのちの尊厳にふれたなつかしさを」という持論をくりかえした。一句の頭にまず「なつかしや、、」と置いてみて、よくひびく句はいい句だよ、と言われたこともある。
 掲句はそのような深き思いに至るべくひたむきに実作に取り組まれていたであろう頃の37歳の作品である。時空のやすらぎにほのぼのと目を細めている作者の温顔が目に見えるようである。ちなみに、雛の軸は原石鼎の描いた内裏雛、老女は原コウ子、少女はその孫、当時幼稚園児であった原朝子であろうと思われる。
 茫茫40年、原朝子は平成19年第一句集「やぶからし」を刊行された。

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  鳥雲に入るおほかたは常の景    原 裕

  「鳥雲に入る」は、秋から冬にかけて日本にやってきた渡り鳥が越冬して、やがて春になって北方へ帰ること、つまり「鳥帰る」という季語と同じことである。だが、「鳥帰る」よりはいっそうはるけさを誘い、リアルにしてなお余情があるようである。これはひとえに雲の一字の働きでもって具体的に目に見えるかたちとなっているからであろう。これを感傷的にゴタゴタと捉えてはつまらない。
 「おほかたは常の景」というぶっきらぼうな、ある種突き放したような言い方が、より季語の世界を拡大して生活者たる人間の寂しさを暗黙のうちに感じさせる。鳥は来て、鳥は去りゆく、そういう移りゆく季節への思いがしんかんとひびいている。
 簡潔な言い方にこそ俳句の魅力がつまっている。読者がこの短さあとの思いを埋めてゆくのである。


  春の雪薪の上につもりけり     大峯あきら

 雪はどこにでも降る。川の上、崖の上、屋根の上、塔の上、木々の上、雪は降るところを選ばないできりもなく落ちてくる。だが作者は、もろもろに降りかかる春の雪のなかでも、薪の上につもりゆく雪にほーっというほどの明るさを覚えて引き寄せられたのである。そしてその素直な感動をそのまま表出するにとどめた。何とあたたかな視線であろう。読者もまたその視線にゆったりと導かれる。
 谷あいの山家であろうか、しろじろと花びらを積み重ねたような穢れない淡雪もさることながらそこにはぎっしりと整えられた薪の切り口までもが見えてくる。薪水という言葉を思うまでもなく、薪は燃料として暮らしに欠かせざるもの、やがては竈に焼べられて焔となるものである。「積りけり」でなく「つもりけり」には、そっと畳み置かれたようなやわらかさが感じられる。
 春雪の落ち着きどころとなった薪棚の薪はしっとりとして静寂そのもの、それでいてどこか刹那の交歓にはなやいでいる気配が漂う。


  帆を立てて近江堅田の春しぐれ      橋本榮治 

 上五の「帆を立てて」が何といっても一句の気分を高揚させる。固有名詞の「近江堅田」も堅牢である。この隙間のなさが春の情趣を奏でて雨の糸を目に見えるように描いている。
 堅田は、〈湖もこの辺にして鳥渡る 高濱虚子〉と詠われた浮御堂のあるところ、琵琶湖の東西両岸の幅がもっとも狭くなるあたりである。芭蕉七部集の「猿蓑」に、〈いそがしや沖の時雨の真帆片帆 去来〉がある。―ー去来曰く、猿ミノは新風の始、時雨はこの集の美目なるに、此の句仕そこなひ侍る。―ー等はともかく、沖がしぐれてきて出漁の舟が真帆にしたり片帆にしたりあわただしく動いているというのは冬の情景そのもの。
 片や春しぐれの掲句は、堂々としていささかの躊躇もしない帆舟である。いさり舟であれヨットであれ、この帆かけは真っ白で、時雨の中に春色をきらめかすのである。


  象谷に恋する蝶として生まれ      山本洋子

 象谷(きさだに)に二匹の蝶がもつれあうように舞っている。それを目の当たりにした作者は「恋する蝶として生まれ」と瞬時に詠いきられたのではないだろうか。そんな勢いのある句である。勢いはとりもなおさず蝶の飛翔そのものでもあった。
 ひらひらといのちをひらめかす蝶々は子々孫々、蝶々として生まれ、蝶々として生き、蝶々を生んできた。ああ、いまここにもまた命が引き継がれようとしているのだ。
 おおらかな感動のほとばしりがまこと率直に「恋する蝶」の直感につながっている。象谷であればこその直感である。
 象谷は、宮滝遺跡から吉野川を隔てて、象山と三船山の間にある狭い谷間である。
〈み吉野の象山の際の木末(こぬれ)にはここだも騒ぐ鳥の声かも〉と山部赤人に詠われた万葉の時代をとどめる象の小川をたどりつつ、敬虔にしてこころ大きく解き放たれた女人ならではの一句。
 万葉集に蝶は一首も詠われなかったというが、まぎれもなく万葉の息吹を伝える蝶である。

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  姉ゐねばおとなしき子やしゃぼん玉     杉田久女

 久女には二人の女の子がいた。長女昌子と次女光子は五才離れている。
 久女の子供に限らなくても思い当たる仲良し姉妹のありようであり、しゃぼん玉はほほえましくも愛らしい光彩を放っている。若き母親の一息ついたのどけさも味わいである。
 このような子育て最中の大正八年、久女二十九歳の時に、〈花衣ぬぐやまつはる紐いろいろ〉の代表作が生まれている。
 紐いろいろ、を解釈しながら「此句の如きは女の句として男子の模倣を許さぬ特別の位置に立っているものとして認める次第である」と虚子が評言したものであるが、しゃぼん玉もまた女親ならでは観察眼が利いている。


  卒業の涙を笑ひ合ひにけり     加藤かな文

 卒業のはれやかさがこんなにも気持ちよいものであったのだと、今さらに思う。すばらしい卒業のありかたである。
 卒業とは別種のものも含めて人の世の別れを思うとき、いつも幸田文の文章が思い出される。「別れだの終りだのは、事のしめくくり、情緒の栄養剤、生活の清涼剤ではなかろうか。あえて意地のわるいことをずけずけいうなら、そんな軽い別離ではなく、もっと重くずんと身にこたえる、別れの哀惜、終りの悲嘆に出逢ったとき、人はみがかれると思う。私たちの胸には、日常ああ思いこう思う、いわば情念のごみみたいなものが山と積もっているが、別れや終りにはそれを吹きはらってくれる、冷えた風のように私は思う。傷みを伴うけれど、別れとはいいものである。」


  かたくりは耳のうしろを見せる花     川崎展宏

 この句に出会ったときの驚きを忘れられない。そして未だに初めて出会ったときと変わらぬ新鮮さをもって片栗の花といえばもうこの句しか浮かばない。一切の手あかを排除した潔癖なつややかさは、ひやっとした感覚をもって、ついつい大らかに口誦したくなる。そして、堅香子色に透き通るような季節感がただよって、すぐそこにいる乙女、いやすぐそこにあるかたくりの花に跪くのである。
 この客観にして鋭敏な対象への迫りかたは、高濱虚子を論究してやまなかった展宏の花鳥諷詠であると同時に、やはり人間探求派加藤楸邨門ならではの巧みさであって、まさに鬼に金棒というほかない。


   赤い椿白い椿と落ちにけり    河東碧梧桐

 初学より印象鮮明という点で忘れられない句である。何十年経ってもいよいよ鮮明に蘇るのは、この句ほど即物的なものはないからかもしれない。
 紅い椿がぽたっと落ちて、そのあとにまた白い椿がぽたと落ちて、また赤い椿がぽたっと落ちて、動画を見るように眼前に赤い椿と白い椿が舞い踊るのである。しかし、実際の解釈としては赤い椿が散り敷いていて、白い椿もまたひとところに散り敷いているという光景であろう、とは思う。そんな静けさにある絵画的なものでなく、より過激的に色彩がゆらいで見えるのは「落ちにけり」という、言葉が作用しているからであろう。生き生きとしてかつ重量感のある椿である。
 三尺の童子が作ったようでいて、なお冷徹な俳句ではある。
 河東碧梧桐は、松山市生まれ。子規の俳句革新運動を助けて、その没後高濱虚子と俳壇の双璧をなした。碧梧桐の新傾向俳句は一世を風靡したが、次第に衰退し、昭和8年には俳壇を引退し、昭和12年に没した。
 <たとふれば独楽のはじける如きなり 虚子>は、前衛俳句に散っていった旧友をしのんで高浜虚子がたむけた弔句である。ここにも、私には、赤い椿白い椿が一色になって急回転しているような勢いを感じるのである。

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    盥浅く鯉の背見ゆる春の水     正岡子規

 ある日左千夫鯉三尾を携へ来たりこれを盥に入れてわが病床のかたわらに置く。いう、君は病に籠りて世の春を知らず、故に今鯉を水に放ちて春水四沢に満つる様を見せしむるなりと。いと興ある言ひざまや。
 さらば吾も一句ものせんとて考ふれど思ふやうに成らず。とやかくと作り直し思ひ更へてやうやう10句に至りぬ。さはれ数は10句にして10句にあらず、一意を十様に言ひこころみたるのみ。
  春水の盥に鯉のあぎとかな
  盥浅く鯉の背見ゆる春の水
  鯉の尾の動く盥や春の水
  頭並ぶ盥の鯉や春の水
  春水の盥に満ちて鯉の肩
  春の水鯉の活きたる盥かな
  鯉多く狭き盥や春の水
  鯉の吐く泡や盥の春の水
  鯉の背に春水そそぐ盥かな
  鯉はねて浅き盥や春の水
  
                           (墨汁一滴 3月26日)

 今、あたかもそこに居る子規を何と身近に感じることだろう。そして、春水四沢に満つるさまをいかようにも見ることができる日々にあって、その実何一つ見ていないわが凡愚を恥じるばかり。
 それにしても10句中、どの一句にも、春、水、盥、鯉の4文字の漏れがない。まこと一意に徹してひるまいない精神である。病床六尺の子規は、盥の鯉になりきっている。この春日の一と日をまぎれもなく生きた子規、今なおここにありありと生きている子規である。


   春の山屍をうめて空しかり      高浜虚子

 高浜虚子『七百五十句』は、虚子没後に、高浜年尾、星野立子共選にて、「日本現代文学全集」第25巻『高濱虚子・河東碧梧桐集』に収録された。これの最後に次の6句が入集されている。昭和34年3月30日、虚子の最後の句会である。

    幹にちょと花簪のやうな花
    椿大樹我に面して花の数
    鎌倉の草庵春の嵐かな
    英雄を弔ふ詩幅桜生け
    春の山屍をうめて空しかり
    句仏17回忌
    独り句の推敲をして遅き日を

 虚子は二日後の4月1日に脳出血で倒れ、意識が戻らぬまま4月8日に永眠、85歳であった。「屍をうめて空しかり」も「独り句の推敲をして」も、てっきり虚子のことだと思いこんでいた。

 桜が咲き始めると、いつも見慣れた山々がにわかに親しみを増して、「春山淡治にして笑ふが如し」とは言いえて妙だと納得するのであるが、掲句からは、そんな春山と一体になった虚子がイメージされて、「空しかり」がいっそう胸にひびくのだった。
 絶句となった、句仏なる前書の俳人は大谷句仏上人であることを承知しながらも、句仏とは虚子が生きながら俳句の仏さまになったようなイメージで捉えられてならなかった。つまり70年にわたる句業の生涯は最後の最後まで、ペンを握って俳句を案ずることに他ならなかったという思いである。

 ところが、稲畑汀子の『虚子百句』(平成18年9月刊行)を読んで、「屍」は鎌倉の山に葬られた英雄、頼朝のものを指すこと、そして「独り」の句は完全な贈答句であって「孤独であっても信念を曲げずに」という句仏に寄せる虚子の深い情であることを緻密な検証からあらためて知ることとなった。
 ――「この生き生きと生動する鎌倉の春山の姿に比べれば、頼朝の屍を埋めたことなど大したことではない。現に750年の経過の中で、頼朝の墓所はすっかり源氏山の一部になってしまっているではないか。いかに英雄の埋葬という人間界の大事件と言えども宇宙の運行の前ではむなしいものである」といった程の意味であろう。――
 この解釈に感動を覚えながら、なお「屍」が虚子であり、「独り」が虚子であってもいいのではないか、そんなに大きな違いではないかと安堵の気持ちがわきあがるのは、汀子の鑑賞が、虚子の一句に対して、ダイナミックな「脇」になっているからであろう。

 花鳥諷詠の虚子に死の予感などなかった、とうに生死を超えたところにまみえておられたのだった。
 <幹にちょと花簪のやうな花>花鳥となった虚子はどこまでも初々しい。虚子没後半世紀、虚子の忌日がまたやってくる。

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by masakokusa | 2008-03-04 22:52 | 秀句月旦(1) | Comments(0)