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秀句月旦・平成20年1月             草深昌子

  去年今年貫く捧の如きもの        高浜虚子

 「去年」は過ぎ去った年をふりかえって詠う、新春の季語である。大晦日NHKの紅白歌合戦が終ると、番組はたちまち「ゆく年くる年」に切り替わって名刹の除夜の鐘が響きわたる、ここにもう新年は来ている。かにかく、倏忽(しゅっこつ)のうちに年は去り年は来る、その感慨が「去年今年」であり、これもまた古くからある新春の季語である。後拾遺集にも、「いかにねておくるあしたにいふことぞ昨日を去年と今日を今年と 小大君」とある。
 虚子の句は昭和25年の暮に、翌新春放送用に作ったものという。12月秀句月旦評に採りあげた〈年を以て巨人としたり歩み去る〉の如く大胆不敵というか、いっそう大自然の意に任せるという虚子の考え方がよく現われている。虚無という目に見えないものを見えるように思わせる内容もさることながら、「ツラヌクボウノゴトキモノ」この大ぶりにして強力、かつなめらかな韻律には光陰そのものが乗り上げているような余韻がある。人口に膾炙される俳句はかならず耳に訴える力を持っている。


  卵割る音に耳立て嫁が君       大木あまり

 なんとまあいきいきと生きている嫁が君であろうか、鼓動の聞こえるような正月ならではの命の淑気もひそめている。「嫁が君」とは新年の鼠であることをあらためて思い返す一句である。 子供の頃は、天井を走る鼠の物音が恐かった。母の若き日の書物にも鼠の齧りあとがカリカリと残っている。こんな気持ちの悪いイメージを払拭して、干支の先頭を行く鼠の目聡さが、丸々として愛らしく思えるのも嬉しい。
 ねづみ年の鼠に、鼠年の人々に、幸あれと願いたい今年である。


  鳥のうちの鷹に生まれし汝かな    橋本鶏二

 正月二日、浜離宮恩賜庭園にて放鷹術が披露された。浜離宮は昔将軍家のお狩場であったところ。放鷹術はつまり鷹狩りのことで、飼い馴らした鷹を放って野生の鳥獣を捕まえさせる猟法である。鷹の一種である隼を電通本社ビルの屋上から放つと隼はビルの気流にのって遠くの空へ一点となって消え去ってしまったが、鷹匠である女人、大塚紀子氏が粘り強く呼子の笛と共に紐につけた鳩を振り回し続けると、俄かに舞いあらわれて翼を大きくひろげたかとおもうとたちまち急降下、一瞬にして鳩に喰らいついた。まさしく猛禽であった。だが、実演のあと鷹匠の拳にのった鷹を間近に見せてもらうと、まこと清楚にして繊細な面構えであった。神の化身とされる鷹は気配はもとより人の感情まで読みとることができるというのも気高く思わせる。掲句もそんな鷹匠の飼う鷹を観察して生まれた句であろうか。鷹への切々たる思い入れが呼びかけの表現をとらずにはおれなかった。

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  母と子の重なり合うて初鏡    阿波野多美子

 昭和22年、多美子20歳の作品。昭和27年一周忌記念に発刊された小冊子に掲載されている一句。多美子は阿波野青畝のお嬢さんである。
 病床にあった多美子は父青畝にも誰にも言わずこっそり「ホトトギス」に投句をしていたという。青畝は、はしがきに――ほんとうに作品は未熟です。お父さんたちは余計なことをなさるわね、と娘に歎かれてましても、私どもはただ娘の俤を追うばかりです。「多美子様の俳句には、一種の光りがある様に考えていました」との虚子先生のおことばがありましたように、少しは物になりかけていたのかとも思われます一―と記されている。初鏡はまことに初々しく、一点の曇りもない美しい気持ちが映し出されている。5歳のときに生母を亡くした多美子は新しい母に心からよりそっている。聡明でやさしい女性であったのだろう。
 俳句にも普遍性がある。遠い日々子育て最中の母であった私にもこのように幸せな新年があったのだった、なつかしさがこみあげてくる。


  福寿草家族のごとくかたまれり     福田蓼汀

 福寿草は元日草ともいわれお正月の縁起ものとして欠かせない花である。浅い鉢に7つ8つあるいは10ほどを寄せ植えにする。少し大小があってあちこち向きの黄金色の花々はなるほど家族の一人一人のようである。
 「家族」をかくもあたたく意識するのはお正月ならばこそであろう。昨今では家族間での相克が悲惨な事件をうみだしているが、家族を大切にできない人が何を大切にできるというのであろうか。
 掲句は具象でありながら抽象的な世界を描きだしてほのぼのとしている。
 〈誰かひとり小さきことにいら立てば悲しみ広がる家族のなかに 文子〉、はるか昔、歌人木俣修がサンケイ歌壇において秀作として選んで下さった母の一首も思い出されるのである。


  冬菊のまとふはおのがひかりのみ     水原秋櫻子

 秋に咲いてまだ残っている菊や枯れはじめている菊ではない、冬の寒さのなかに咲いている清楚な菊である。おのづから真っ白な菊が想像される。それに、この冬菊にはあたかも人間の分身のような気配がただよっている。秋櫻子その人が「おのがひかり」をまとっているような、静かにも屈することのない凛としたありようである。日当りにあっても日陰にあっても誇るでなく悴むでなく内部から微光を発している。
 主観と客観が表裏一体となっているからすっと心に入ってくるのである。



  寒牡丹見て去る影を菰に引く    皆吉爽雨

 牡丹は初夏の花であるが、春にその蕾をとって冬に咲くように花期を遅らせ牡丹が冬牡丹である。
 雪中菰の中に一輪二輪と華麗に咲いているのを観賞するのは、ほっとするようなやさしさをもたらしてくれる。でも花の身になってみると華やかな色彩のどこかにかげりを感じて痛々しい思いもするのである。そんな寒牡丹へのいたわりが「見て去る影を菰に引く」であり、あまりの寒さに楚々と立ち去るのであるが、寒牡丹とつかのま会話されたであろう心情が美しい余韻となっている。
 今年は一月四日、上野東照宮ぼたん苑を訪れた。寒牡丹を詠った俳句の札が花の数ほど立てられてあって私には目ざわりな気がしないでもなかったが、あるご夫妻は一つ一つ俳句の解釈をしあって頷きあいながら廻っておられて、すてきな光景を見せてもらった。
 〈そのあたりほのとぬくしや寒牡丹 高浜虚子〉

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  大寒の一戸もかくれなき故郷     飯田龍太

 この句には龍太独特の味付けをほどこした自註がある。
「(前略)決して上品な趣味とはいえないが、私は立小便が大好きである。田舎住いのよろしさは何だ、と聞かれたら、誰はばかることなく自由にソレが出切ることだと即答したい。特に寒気リンレツたる今日この頃、新雪をいただく南アルプス連峰を眺めながら、自然の摂理に従う。この気分は極楽のおもいである。これもそんな折の一句(後略)」
立小便云々はともかく、作品それ自体は生真面目な気持ちで作った句である、とも述べている。
 言わずもがな生真面目も生真面目、悲壮感すら漂う透明感、遠近感の中にあって、人間的なキラキラ感が魅力的である。
 この句は昭和29年の作、第二句集「童眸」の巻頭にある。昭和29年といえば第一句集「百戸の谿」を刊行した年。その前年に〈山河はや冬かがやきて位に即けり〉がある。そしてこの「百戸の谿」の扉には「兎に角、自然に魅惑されるといふことは怖ろしいことだ」と短文が記されいる。
 百戸の渓谷の部落住いが、大寒のもとにまるごと投げ出されたような大自然の大らかさ、ここにはもう俳人龍太の覚悟が決まっている。
 
  刀工の火花暮しや龍の玉   石田勝彦

 全国の刀鍛治は300人ほど、その頂点を極めているのが吉原義人刀匠。大寒の21日、葛飾区高砂にある鍛錬所を訪問、刀鍛治の工程を目の当たりにさせていただいた。砂鉄を溶かして作られた玉鋼(たまはがね)という鋼鉄を真っ赤に熱しては叩いて炭素量を減らしてゆく、その間鞴の左手を休めることはない。黄の炎、紫の炎は盛大にかつ微妙に火花を散らしながらついには「鋼が沸いてくる音」が聞こえるという。ハンマーで鋼を鍛錬するときの気合いもさることながら、一つ一つのどの過程にも集中力のゆるぶときはない。火花の凄みを拝見しているだけでフーッと脳貧血を起しそうになってしまった。
 名人・吉原義人の仕事振りを龍の玉に結晶させたのは名人・石田勝彦である。刀鍛治の「何が何でもいい刀を作りたい」、ただその執念あるのみの日々を、「火花暮し」と言いきった。何でもなさそうに見えてたった7文字でその執念を身にひきつけているあたり、これまた「何が何でもいい俳句を作りたい」執念のゆきつくところと思われた。 
 〈大寒や素手ばたらきの刀鍛治 勝彦〉


  初場所や髪まだ伸びぬ勝角力  水原秋櫻子

 大相撲初場所は一月、東京の国技館で行われる。そのはなやぎや熱気はまこと正月場所ならではのよろこび。この間、両国の繁華街は星取の一喜一憂に夜遅くまで盛り上がっていることをたまたま飲み会があって知ったが、ことに今年は朝青龍の復帰があって緊迫した雰囲気も楽しみの一つになっているようである。
 掲句はまだ髷も結えないほどの初々しい力士の颯爽たる技を称えて新春のめでたさが漂う。
 〈獅子舞は入日の富士に手をかざす〉、〈蓬莱や東にひらく伊豆の海〉、〈羽子板や子はまぼろしのすみだ川〉、〈柴門や詣でじまひの福禄寿〉、など秋櫻子の新年の句は大ぶりにしてじわっと艶やかである。
by masakokusa | 2008-01-01 23:17 | 秀句月旦(1) | Comments(0)