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『俳句研究』・招待席                 草深昌子

       七夕


  泳ぎ来し人のてきぱきしてゐたる

  腐心とは水母の水をくつがへす

  あまたたび音の線香花火かな

  揚羽蝶頭も尾もあらずふるへけり

  人心地付きたるカサブランカかな

  白鷺に横向かれたる今朝の秋

  けたけたと獣か鳥か秋じみる

  七夕の傘を真つ赤に開きけり


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(2003年11月1日発行「俳句研究」11月号所収)
  
by masakokusa | 2007-12-29 22:28 | 昌子作品抄 | Comments(0)
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「若葉」の系譜(2)――清崎敏郎を師として


 富安風生は、その著『俳句読本』(昭和四十八年刊行)の中で「鑑賞」について、次のように述べている。
 「――何かが加わるという、その何かを考えてみますと、まず第一に、対象を経験や智識で理解する前に、空想を馳せたり連想を辿ったりして彷徨する過程があり、その間の楽しさというものがある。つぎにまた知ること、理解することと結びついて感性が働いて、後味、余韻、余情に遊ぶ過程の楽しさというものがあります。私の単純、素朴な分析によりますと、この知ること、理解することの前の模索と、後の反芻というプラスする何かではないかと思われます。味わうという本当の意味がそこにあるのではないでしょうか――」 
 即ち、考証したり解説したりという客観的な面の上に更に主観的な面の何かが加わらないと鑑賞にならない、味わうという言葉があたらないということである。短小な俳句の表現は象徴的、暗示的であり、言い残した余韻に強くよりかからざるを得ないという性格から、ことに作品を味わうということが喧しく言われるのは故あることである。
 この風生の言葉にぴったりよりそった鑑賞文に先ごろ出会った。それは、行方克巳・西村和子共著による『秀句散策』(ふらんす堂)である。両氏が代表を務める「知音」の十年来の秀句選評を集成したものである。

 二人の師である清崎敏郎は国文学の専門家であり、虚子―風生の系譜を貫徹した作家である。敏郎は、虚子を語って、「若いちんぴらを相手にしても俳句を作る。虚子本来の句でないと思うものも作る、そういう意欲がある。革新性が新人を見つける。若いのともひとつ渡り合ってみましょうという意欲」を称えていたように記憶しているが、自身もまたそういう作家であった。
 いかなる評論もどう読むかという鑑賞が基本になければならないことを敏郎から繰り返し説かれたという。実作への意欲同様に、他人の秀作を味わい、その特性を伸ばすことによって選者もまた磨かれるという精神のありようは、着実に引き継がれている。

 清崎敏郎の第一句集『安房上総』(昭和二十九年刊行)は著者十八歳から三十一歳までの作品。題字は虚子、長文の序は風生である。 

  コスモスの押しよせてゐる厨口  敏郎
  下りてきし坂がうしろに蝉時雨
  人をらぬ時の春の炉うつくしく
  短日のかゝるところにふとをりて
  かなかなのかなかなとなく夕かな


 〈かなかな〉の句は、秋櫻子が「どうしてこのような句が読まれるのか、全くわからない」と評したそうだが、名句であってもなくても、私には、かなかなが鳴きだすと決まってこの句が口に出て気持が楽になってゆく。
 虚子に〈蜘蛛に生れ網をかけねばならぬかな〉の句がある。虚子は、このような宿命をうべない、宿命に開き直って自在であったが、敏郎もまた師にならって、もっともシンプルな精神、自然随順の詩精神を二十代にしてすでに養っていたように思われてならない。

             
                       ☆


 西村和子の『心音』(平成十八年五月刊行)は氏の第四句集で俳人協会賞を受賞。氏は、昭和四十一年、慶大俳句会に入会。

  紙風船息吹き入れてかへしやる
  蓮見舟声をひそめて乗り合はす
  くべ足して暗みたりけり花篝


 一句目、小さな手にポンポンしたかと思うとすぐに鷲掴みにして、ぺしゃんこになる紙風船が楽しい。「かへしやる」ところに、あたたかな空間を共有しながら子供の成長を見守っている気持がこもる。何より、まんまるい紙風船の球形がたしかにそっと保たれている。
 二句目、船頭の竿が頼りの蓮見舟は、バランスよく慎重に坐らないとぐらぐらと危うい。まさに「声をひそめて」、蓮見の情景へ一気にいざなわれる。そして極楽に咲く花のさなかに「乗り合わせた」静けさに息を呑む。平明な言葉の連係が、水上をなめらかに漂う。
 三句目、この暗みこそは妖艶に燃えさかる炎の序奏である。速水御舟の〈炎舞〉の如くほむらのゆらめきが瞬時に浮かび上がった。
 花篝は祗園夜桜のものであろうか。和子は著書『虚子の京都』の中で、〈花篝衰へつゝも人出かな 虚子〉等から、自我を全面に押し出さない、ワキの心のありようを論じている。シテの本音を導き出すことは、対象の本質を導き出すことにほかならない。俳人協会評論賞受賞の著書は虚子のあとを徹底して辿った体験の積み重ねが感動的である。掲句は、その論じたことが自分のものになっている証しのように実作に反映されたものである。
 速水御舟もこう語っている。「無駄を省くと真実が残る。しかしそれは単に無駄を省くという観念だけでは得られない。多くの無駄を経験したあとでなければ得られない。所謂無駄の尊さを味読する境地を経験したあとでなければ得られない。」

  憂き我に大阪ことばあつたかし
  骨切も聞かせてこれの祭鱧
  うち連れて今日は御室の桜見に
  夷切よってたかってさは売れぬ
  どうでもいいやうに踊りて手練なる


 関西系の味付けは弾みがあっておもしろい。アホな大阪、イケズな京都のようでその根底にある文化レベルの高さ、人間としての情味の濃さを伺わせているあたり、大阪生れの読み手には何より嬉しい。

  肌脱の末子に男匂ひけり
  長子あるひは読むやも知れぬ書を曝す
  五月幟男の子は家をはなれゆけ
  初桜立ち出でて子はふり向かず


 我が子を詠って普遍的である。
 一、二句目、末子と長子が動かない。ためしに、長子と末子を入れ替えてみるとたちまち俳句の放つ不思議な光は消えてしまう。
 三句目、「はなれゆけ」は五月幟そのものの声のようである。幟は伊達にはためいているのではない、その祝意は大らかである。
 四句目、子がふりむいたのでは一句にならない、ふりむかないところに詩情が生まれた。待ち焦がれた初花は匂い立つばかり。初花をそっと称えてやまない作者に、初花もまたその真価を発揮することができるのである。

  運命に安んずるとは木々冬へ
  十年をとり戻さなむ燗熱く
  水音と虫の音と我が心音と

 
 虚子が立子に宛てて、「皆それぞれの運命がある。運命に安んずるか安んぜないかが其人の幸不幸の歧るるところである。運命に安んずるといふのは安心して眠ってをるといふ意味ではない。其境遇に立って其境遇より来る幸福を出来るだけ意識することだ」と、諄々と書いたくだりは立子ならずとも勇気付けられるものであった。冬へ突入する木々はやがて萌え出づるその日まで新芽を大事に養っていることと、ごく自然に照応している。
 俳人協会新人賞の第一句集『夏帽子』に、〈熱燗の夫にも捨てし夢あらむ〉の代表句がある。燗を付けては自分と向き合い、自分を鼓舞してきた、それは夫婦共々であったろう。幸せな時間の凝集した充実の熱燗である。
 一集を拝誦し終わるとなぜかしみじみと作者の心音がわが心音のようにひびいてくるのもこの熱燗の味わいを反芻するからかもしれない。人生のたどり方そのもののように。

  紅梅に佇ちて師系といふことを
  継ぐといふことを尊び初蹴鞠


 和子は、昭和五十四年「若葉」六百号記念論文に「岡本眸論」を書いて入選している。その掉尾に、岡本眸が三十年近く、風生という大作家にして卓越した指導者について作句活動を続けてきたことは作家として稀に見る幸せだった記しているが、和子も又、稀に見る幸せを体得した作家ではないだろうか。
 敏郎に三十三年間師事し、花鳥諷詠を徹底的に学ぶなかで、季題が明確であれば、我を詠うことが客観写生に何ら矛盾しないことを認められ独自の文体をうちたててきた。
 和子の鑑賞眼は鋭い、作者の眼差しのありようを理解してあたたかさにあふれている。評論もまた明晰にして平明、いつどこで読んでも説得力がある。『心音』の一字一句が共感させられるのは自身の中にあるものでしか勝負しない、静かにも勁い自覚であろう。


                           ☆

 
 
 行方克巳の『祭』(平成十六年六月刊行)は、氏の第四句集。氏は、昭和三十八年、慶大俳句会に入会。第二句集『知音』は俳人協会新人賞受賞。西村和子と共に「知音」代表。

  鉾建の結び目ひとつ一仕事
  さと払ひたりし一画大文字
  顔見世の昼の部はねし騒きかな
  欲得も喜捨もなかなか初大師
  竿燈を横たへたれば月の船
  武者ねぶた瞋恚も恋も真赤ぞよ


 行事や祭を詠った句は、どれも韻律に抑揚があって、伝統ある内容を際立てている。
祇園祭は祭事の長さからも日本最大の祭である。山鉾を組み立てるだけでも三日も四日もかかる。古材を縄結びするのは荘厳にして気合い充分に引き締めなければならない。大文字の呼吸のよろしさ、一画に一念がこもっている。昼の部のはねた興奮を「騒き」と言い、初大師の賑わいを「なかなか」と言い、「横たへたれば」、「真赤ぞよ」という措辞は、皮膚感覚でもって迫真する。

  父の背ナより降り立ちて七五三
  手をつなぎをり遠足の最後尾
  卒業す一面識もなき如く
  組み込める機械ぎっしり天道虫


 一句目、「父の背ナより降り立ちて」というさりげない表現が世界をひろげている。いつしか子供は親の庇護から離れて一人で歩んでゆく、親の背中を見て育つということ等も念頭にするとき、父の温みから降り立った瞬間は永遠に意義あるものに思われる。
 二句目、小学校の遠足であろう。しんがりという不安な心持がおのずから手を繋ぐという行為に至らしめているところほほえましい。これが中学生あたりであると「チャッカリしとるなー」と教師が首をすくめるという男女一対の風景かもしれない。
 三句目、卒業という儀式において、生徒は否応なく教師と縁を切るようなよそよそしさと緊張を強いられるのであろうか。教師は面食らいながらも、これを是としなければならない。まこと印象的な顔立ち、感慨である。 
 四句目、天道虫は巧緻な電子仕掛だという。コドモの心を失わない大人の眼が輝いている。

  つはるてふこと怠らず冬桜
  鮟鱇といふ死に恥をさらしけり
  椎の実や見えざる轍われを轢く
  秋の蝉われはも何に口ごもる
  死ぬ日まで自分で飛んで百合鴎
  熱燗の徳利をすぐに倒したがる


 一転して、重厚。さびしさを漂わせながら、腰の砕けない力を感じる。それはこれらの句群が、生活者としての自己そのものを正直に語っているからではない。季題発想という作句方法、つまり正攻法でもって詠いあげたからである。季題を通して詠う態度が、はからずも、作者自身の発見につながっているのはなんとも不思議な魅力である。
 初冬の頃、一輪一輪小さな白い花をつける冬桜は倦まずたゆまず芽ぐむ気力を充実させているという。冬桜に愛情を寄せなければ気付かない発見である。自身にそのような資質があるからこそ見出したものであろう。
 鮟鱇も、椎の実も、秋の蝉も、生きとし生ける物はみな我と一如である。
百合鴎の句からはもう一度、さっきの七五三の句を味わい直すことになるだろう。
 ことに熱燗の句は、生きている鼓動の聞き取れるような人生の機微が詠われる。真面目に生きれば生きるほど不真面目にならねばならない生のありようがいとおしい。

  踊りけり募る思ひといふことを
  踊らねば只のししむら踊りけり


 精神のすべてをかけてこそ、肉体は肉感的になる。作家の本領が発揮された踊りである。

 行方克巳・西村和子共著『名句鑑賞読本』には富安風生他、姉妹編『名句鑑賞読本藍の巻』には清崎敏郎他が鑑賞されている。

  蹤いてくるその足音も落葉踏む 敏郎

 敏郎の第四句集『系譜』の掉尾に置かれた句である。風生を引き継ぐ覚悟に詠われた句であるが、弟子もまた一人一人の覚悟に味わっている。ここには確かな道筋が見える。

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 (2008年1月5日発行「ににん」冬号№29所収)
by masakokusa | 2007-12-29 21:59 | 師系燦燦 | Comments(0)
ときめきの一句 ――結社誌より     中 拓夫


  みどり児に宛てて文書く良夜かな   草深昌子

  

 みどり児は作者の初孫であろう。遠く離れた子息か娘の子の誕生を喜び、その嬰児を案ずる手紙を書く仲秋の夜。良夜は、十五夜の月が清明に照る夜。その月光のさす部屋での日常の場面だが、一句のみどり児と良夜の取り合せの叙法に清潔な風趣が見え、慎ましやかな諷詠の態度が句の姿の優しさとなっている。俳句は庶民の詩。目立った発想や技法によって人の目を惹くよりも、日常の心がしーんと染みとおり、その中に作者が、今生の寂しさににある自身を慰め、また温めるものでありたい。

                                  (2000年総合誌所収)
by masakokusa | 2007-12-28 23:02 | 昌子作品の論評 | Comments(0)
晨集散策・俳句鑑賞        草深昌子
           


  夏木中人を思ひて歩きけり      大峯あきら


 歩く速さは人の物思いにかなっている。夏木と夏木の間からは青空が見える。石鼎が、〈美しき空と思ひぬ夏もまた〉と詠ったそんな空である。豊かな茂りと交響しながら、一体こころに誰を思っているのだろう。きっと夏木のイメージに立ち上がってくる人に違いない。木々は枝葉の影を深く落としながらも欣然としている。
 何故か引き込まれて私もまた人を思い始める。私には「池田は死ぬが私は死なない」と言った、かの哲学者池田晶子が思い起こされてならない。知と信を巡る大峯顯との対話では血気盛んに論じながらも、その後書きに於て何とも素直な気持を綴った、その人。
 とまれ、静謐にして逞しい夏木の力を己の力としながら、思索の足どりは迷いなくかなたへ向かってゆく。
 本当のことは不思議と何かを訴えてくる力があることをひしひしと感じる句である。

  帰省子の先づは深井の水飲める   大久保和子

 胃の腑に落ち行く水の冷たさは、子供の頃に馴染んだあの感覚と変わりはないだろうか。故郷に問いかけ、我に問い掛ける接点としての井戸水。どこまでも深く透きとおった水には詩情が湛えられている。覗いただけでなく、ゴクリと飲み込んだところが含蓄。

  灼けてゐるレスラー力道山の墓    菊田一平

 「空手チョップ」の力道山はわれらがヒーローであったが、ぎらぎらの筋肉は私には空恐ろしくてならなかった。「灼けてゐる」、この一言で、力道山の強靭な肉体は強靭な精神にほかならなかったことを哀切する。「レスラー」の冠を載せた作者のまなざしは涼しい。

  泳ぎ子のいつまでもゐる柳かな    山本洋子

 作者には〈泳ぎ子のすこし流され葛の花〉の代表作がある。動画をみるような葛の句に対して、掲句は一見静止画である。だがよくよく見るとやはり柳は戦ぐともなく戦いでいる、なんと気持のいい風であろうか。読み手をも憩わせる、鮮やかな手法である。いや手法より何より、対象へこころがストレートに通っている。

 人が人を思うとき、人は季節のことばを聴きとめている。

  背の高き人を入れたる夕焼けかな     加藤喜代子
  苧殻折る父の手つよくありしころ       白石喜久子
  秋深きところに立ってをりし人         中杉隆世
  九十の媼にめうが咲きにけり         中村雅樹
  手渡してとしよりの日の案内状        西野文代


 (2008年1月号「晨」第143号所収)
by masakokusa | 2007-12-28 22:43 | 俳論・鑑賞(2)NEW! | Comments(0)
秀句月旦・平成19年12月       草深昌子


  日沈む方へ歩きて日短か          岸本尚毅

 日が短くなると人々は何かに追われるように慌しくなってくる。こういう気分を人事と配合して詠われることが多い。虚子にしても〈物差しで背なかくことも日短か〉といった具合である。しかし掲句はおよそ類想をみない、あらたに見直される美しい短日のありようである。短日のしかるべき方へ、つまり釣瓶落しといわれる夕日にむかって、真正面に向き合っている。大真面目にしてどこか切ない人間のありようがおかしみにもなっている。岸本の、「言葉で景色を追いかけても絶対に追いつかない。言葉を罠のように立てて待っていると景色のほうから飛び込んでくる」といった花鳥諷詠の態度がここにもよく伺われる思いがする。


  ゆたんぽのぶりきのなみのあはれかな     小澤實

 湯婆は最近見直されてよく売れるらしいが、私はもう巷に湯婆が消えてなくなった頃からあちこち捜し求めて愛用している。そして掲句は湯婆に湯を注ぐとき、つい口誦してしまう一句である。掲句の、波の発見にはおどろかされた。錻力という硬いものが波打ってあるところに情が動いたのである。物理的に必要欠かせざるものが、情緒的に欠かせざるものに転換した。俳人とはなんこころやさしいものなのであろう。ひらがながきは人肌のぬくもりをそっと保っている。掲句とセットになって口誦するのは渡辺水巴の〈寂寞と湯婆に足をそろへけり〉である。こちらも安眠へ誘われる「寂寞」の境地がしっとりとしている。

  
  母郷とは枯野にうるむ星のいろ       福田甲子雄

 蕭条たる冬野は枯れきっている。だが空を仰げばきらりと荒星が光っている。それも少々湿り気を含んで。ああ、何とやさしい、なつかしいまたたきであろう。まるで母なるふるさとに抱かれるようではないか。
 故郷と言わずして母郷と言ったところに星の色はうるむのであろう。甘く流れないのは風土に密着した甲子雄ならでは枯野が実感されるからである。

  ももいろの雲あれば染み都鳥       山口青邨

 都鳥といえばたちまち、「名にしおばいざ言問はん都鳥わが思ふ人は在りやなしやと」、在原業平の歌が口ずさまれる。百合鴎の雅称である。「ももいろの雲あれば染み」はそんな古歌のみやびを滲ませながら、千年以上の時を経て、今も隅田川や不忍池にさっそうと飛翔する百合鴎を活写している。

  正面に由比ガ浜あり日向ぼこ       星野椿

 由比ガ浜は鎌倉の海水浴場として人気のスポットであるが、冬でもヨットやサーフアーが溢れて輝かしい波を繰り広げている。「正面に」であるから燦たる海原の日差しを受けてさぞかしほこほこであろう。この由比ガ浜は作者の祖父にあたる虚子が明治四十三年から亡くなるまで五十年にわたって暮らしたところでもある。江ノ電の踏切際には、〈波音の由比ガ浜より初電車 虚子〉の碑が立っている。「正面」に虚子を据えていることは言うまでもない。なつかしい日向ぼこでもある。

  一枚の音を加へし朴落葉        鷹羽狩行

 むかし飯盛葉といわれたほどの大きな落葉は突然にパサッともバサッともいうような響きを立てて朴落葉の上に落ちてくる。「一枚」、しかも「音」が印象明瞭に朴ならではの落葉をクローズアップして見せる。星野立子が〈朴の葉の落ちをり朴の木はいづこ〉と詠った風景にまた一枚深みが生まれた。

  ここに母佇ちしと思ふ龍の玉      石田郷子

 ほろほろとこぼれて弾む龍の玉は女性にとって、子供の頃から大好きな蒼い蒼い愛らしい実である。「ここに」母その人をきっちり意識しながらさりげなく「思ふ」、万感の思いは龍の玉に封じ込めた。〈龍の玉沈めるこころ沈めおく 石田いづみ〉、胸中にこだまする句であろうか。龍の玉の透き通るような瑠璃の光はどこまでもやさしくて強くて美しい。

  石鼎忌今年仏に蛇笏あり       京極杜藻

 原石鼎は昭和26年12月に入って尿毒症を病んで床についた。20日絶命。65歳であった。戒名は花影院真誉石鼎居士。
〈耐へて来し身に散る紅葉あかあかと〉、生涯を石鼎につかえた原コウ子の悼句である。石鼎は高浜虚子にその才能を見出され、深吉野の句群はあまりに有名である。虚子の悼句に〈いつまでも吉野の花の君をゑがく〉がある。掲句、杜藻の句は昭和37年、石鼎12回忌のもの。今年、蛇笏のもとに龍太も旅立った。石鼎を継いだ原コウ子、原裕も既にいない。時は流れてやまない。光陰人を待たず。
〈うつむきて静かな悲願お茶の花 原コウ子〉、〈波郷の死以後も石蕗照る石鼎忌 原裕〉

  聖樹下に踊りてはらふ塵少し    原  裕

 昭和30年、25歳の作品。この時代、サラリーマンなら盛り場でサンタ帽を被って賑々しく過ごしたことであろう。大学生なら寮のホールでダンスパーティに興じていたであろう。そしてクリスマスツリーといえばモミの木。雪に見立てた綿を置いて、金銀のモールをからめて、豆電球が点滅すると、誰彼となく手を取り合ってくるくる身をまわし心ときめかす。イエスキリストの生誕にこころを馳せたかどうか、「塵少し」には「聖」に対するささやかな世塵のおもむきが効いている。華やぎのなかの恥じらいでもあろう。
 ところで今年のクリスマスは、丸の内、日比谷公園、六本木ミッドタウン、銀座ミキモトなどなどクリスマスツリーの見学に走り回った。ミキモトは根のついた針葉樹であったが、大方は鉄骨製、ガラス製にして、発光ダイオードなるものを何万個も使っての巨大ツリーである。街じゅうに相愛の二人の世界があふれているのも眩しかった。そんな幸せの「塵少し」をいただいて帰る途中、目の当たりに仰がれた大きな冬の満月は昔のままの光を放っているのだった。

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  冬蜂の死にどころなく歩きけり    村上鬼城

 「―私どもは、毎日々々生きていますけれど、結局死にどころなく歩いている冬の蜂みたいなものです。つまり鬼城は一匹のあはれな冬蜂に自分自身の姿を発見して、それを全ての人間の姿として感じたのです。それは耳が悪くて貧乏である、鬼城個人の境涯というような特殊なものでなく、人間そのものの普遍的な真相です」、村上鬼城顕彰会第18回全国俳句大会において講演された大峯あきらの語録である。あはれな我々の存在の正体を言って、悲惨でも虚無的でもないのは、季語が生きているから。季語は死にどころのない人間存在にとって大きな救いのシンボルである。俳句に季語があるということは、つまり人間を無限なもの大いなるものの世界につなぐ働きをしている、と結ばれている。
 死に場所を探しているのではない、無心に生きている冬の蜂をしのび、又鬼城の、〈うとうとと生死の外や日向ぼこ〉を読むとき、「うとうとと」、こういう心境に生きることができたら、人の間違った言葉に腹を立てるのもアホラシイとあはれ私は気付かされるのである。


  年を以て巨人としたり歩み去る    高浜虚子

 「偽」という少し寂しいシンボル文字をこころに、今年もいよいよ暮れてゆく。掲句は、いつの時代であろうと、どういう背景のあった年であろうと、思わず一年の歳月を振り返えらずにはおれない大いなる感慨をもたらされる。
 〈大空に伸び傾ける冬木かな〉にみるように、虚子は自然と対話してやまない、自然に近づいてやまない、造化に従い、四季を友とした、俳人である。「行く年」の主観もまた、虚子その人だけのものでなくだれしもに思い当たる客観、花鳥諷詠そのもののようである。
 ここでも先の続き、大峯あきらの、「写生、写生と言っても写生をお題目のように繰り返しておれば佳い俳句ができるというわけではない。本当の写生の行き着くところは、やっぱり自分と対象との区別がどこか突破されるという経験にちがいありません」、という言葉が思い出されるのである。
by masakokusa | 2007-12-06 22:36 | 秀句月旦(1) | Comments(0)