<   2007年 10月 ( 6 )   > この月の画像一覧
『朴の花』・体験的作品鑑賞・飯田久夫

 
  帰省子に階段一つづつ鳴りぬ    草深昌子

 
 久々 に故郷の駅に降り立った帰省子の心情をさり気なく、しかし十分に語ってくれる句である。両手に荷物を提げホームから改札口に向かって階段を一段づつ踏みしめながら下りていく帰省子、帰って来たよ、お帰りなさい、という言葉が靴音と反応する階段の間で交されているようである。そして、改札口が近付きその先に出迎えてくれた甥っ子などの顔が見えて来た。帰省の序曲である。階段といえば駅の階段は最近はあまり見なくなったけれど木製の方が私は好きだ。柔らかくやさしい感じがするからである。もう一つ付け加えると、私の故郷はそうした新幹線の駅で私鉄の電車に乗り替えるのだが、電車のホームへの階段が昔のままの木製で残っており嬉しい。ただ最寄りの駅はリストラのため無人駅となってしまった。

(2007年秋号「朴の花」所収)
by masakokusa | 2007-10-13 12:18 | 昌子作品の論評 | Comments(0)
特別作品評・矢野康代

       起 居                 


  稲刈の鎌をはなさぬ往き来かな    昌子


 近年は、手作業で稲を刈る姿をとんと見掛けなくなった。機械化が進み、大型のコンバイ(刈り取り、脱穀、選別)が導入されて以来、農家の作業は著しく軽減されている。
 掲出句は、対称的に一株一株を鎌で刈り取る稲刈り。それは手間隙のかかる作業である。「鎌をはなさぬ」の措辞は真に言い得ていて、下五の「往き来かな」と相侯って、実感の伴った躍動感が伝わってくる。

  秋草や起居はものにつかまつて   昌子

 前掲の句と一連を成しているように思われる。 稲を刈る作業は、終日腰を二重に折って行う苛酷な労働である。疲労の極致を、「起居はものにつかまつて」と、省略を尽くした措辞に、安らぎを秘めた季語「秋草」を置くことにより、情感豊かに詠いあげている。

  よきこゑに呼ばるる萩のこぼれかな   昌子

 幾たびも読み返すうちに、妙なる声か、風のささやきか、萩の花びらがはらはらと散る様までが見えたように思われた。風雅にして嫋々の余韻がある。

f0118324_21192750.jpg

(2007年3月号「晨」第138号所収)
by masakokusa | 2007-10-13 12:08 | 昌子作品の論評 | Comments(0)
秀句月旦・平成19年10月           草深昌子


  老いて似る父の兄弟温め酒    藤埜まさ志

 陰暦九月九日の重陽の節句に、酒を温めて飲むと無病息災であるといわれた。ちょうどこの頃から寒さを感じるようになると、あたたかいものを好むのも自然の成り行きである。
一句の兄弟(はらから)は背恰好も生き方もそれぞれであったのだが、現役を過ぎるともう肩肘を張ることもなく一応に相似て、ご苦労さんという気分になったのであろう。長男と末子はお互いに立場が違って言い合ったこともあったが、いまはみな好々爺という風情で酌み交わしているのである。昨今は冷酒が人気のようであるが、古き良き時代をかいくぐってきた男どもにはなんといっても燗をつけるのがたしなみ。冷酒でも熱燗でもない、温め酒であるところに作者の眼差しも潤んでいるのである。


  新米のつぶつぶ青味わたりけり   福永耕二

 掌に受けた新米であろうか、青味とまでいわれてみてはじめてその光のつやめきが実感できる。写生というのはとどのつまり作者の発見にほかならない、と思われるのはこんな句に出会ったときである。と、ここまで書いて、いつか宇多喜代子の解釈、鑑賞に感嘆したことを思い出した。ざっと控えておいた文章はこうである。「収穫されたばかりの米粒の透明感を実によく捉えた〈青味わたりけり〉である。透明感があるのはまだ水分が残っているせいで水をやや控えめにして炊かなくてはやわらかくなってしまう。米の一粒を手にのせてみただけではわからないが、米粒をかためてみると一粒ずつの青味が確認できる。それが〈つぶつぶ〉なのだ。」
 鑑賞において宇多喜代子は作者の眼になって、作者の気持になってねんごろである。〈つぶつぶ〉と言ったからにはつぶつぶに意義があることを忘れてはならないと気付かされた。


  秋晴れの如雨露に水を入るる音   岸本尚毅

 省略が効いて無駄のない作品は、読む後からすぐ静けさやなつかしさがたちのぼってくるものであるが、この句もそうである。どの語句にも無駄がない、といってもそっけなくはなく、かなりゆったりした物言いである。物言い即ち律調のもってりした感じが俳諧そのものであって、散文と一線を画している。オトと切って、あとは読者にその物音を聞かせる算段である。そこからあとは澄み切った大気を十二分に吸い込むのである。その音がどうである、こうであるとは言わないで自ずとわかるのは一句に筋が通っているから、そのことの強みが写生句であろう。


  もたれあふことなき菊や菊花展   大木あまり

 もたれあうことのない菊だけですでに発見である。その上に菊花展と駄目押しをした感じだが、これが凡手ではない。菊の一個一個が可憐であり豪華であり、かつ孤高なることがいやがうえにも印象付けられる。
 岸本尚毅が、自分の中が豊かな人は観念にいってしまうが、大木さんはしぶとく現象から離れないと言っているが、この句もそれを裏付ける。写生でありながらいかにも人生的である。


  手ばしこく菊の膾をでかされし   高浜虚子

 まったく、〈手ばしこく、でかされし〉一句であることよ、と一笑してしまう。
食用の菊をさっとゆがいて、さっと三杯酢であえる。このササッとするところの歯ざわりや香りがとりもなおさず菊膾の本領なのである。女を見直している男の飄然たる風情が好ましい、さあ、一本付けましょう、ってところ。

f0118324_931848.jpg


  神謀りゐる十月の水鏡    原 裕

 「水澄む」という季節の原型を追って「十月の水鏡」の表現が得られた。上五の「神謀りゐる」にこの水の澄みをおそれる感情を托した。――作者自註である。
 「現代俳句全集六」(昭和53年)の原裕作品に対する飯田龍太の文章がある。
――集中、水鏡の作品が三つある。
    水鏡して炎天はいづこにも
    夏兆す杉の吉野の水鏡
    神謀りゐる十月の水鏡
 同じ水鏡でもそれぞれ把握、表現を異にする句であるから、その点差支えないが、一体作者はこの三句のどれを今最も佳しとするのか。この三様の句の選択によって氏の俳句は今後大きく異なってくるように思われる。むろん私には私の結論があるが、今は口噤んで、そのなりゆきを見詰めたいと思う。――
 果して、龍太の結論、裕の選択はどの水鏡であったのであろうか。「神謀りゐる10月」は、奇しくも10月にこの世を去った原裕の求道的な精神の推し量られる一句ではある。原裕が亡くなって満8年が経つ。その後は原和子が引き継ぎ、原石鼎の創刊した「鹿火屋」は10月で1000号を迎えた。


  秋思なら電子レンジにかけてある    櫂未知子

 秋思は秋の物思いであるが、同時に凋落の風光のありようでもある。春には春愁という物思いがあるのも、どこかけだるい春という季節の情趣の代弁にほかならない。
 そんな秋思は、「電子レンジにかけてある」という。電子レンジの何周目かにチンなる響きをもって清澄なる秋気を突き破ってくれる。作者のみならず読者もまた露払いをしたような感覚に目が覚める。言い換えれば、秋思なんてものに取り付かれているのが、フッとあほらしくなってしまう。まこと秋思の詩情がここにはある。これが春愁ではチンは何の足しにもならない。
 秋思といえば〈頬杖に深き秋思の観世音 淡路女〉が思い出される。掲句は俳句史上類を見ない秋思の表出であるが、根底は同じである。ただ頬杖が電子レンジに取って代わっただけで、観世音であることに変わりはない。


  恋ともちがふ紅葉の岸をともにして   飯島晴子

 「恋とちがふ」と言いきらない、「恋ともちがふ」の「とも」は、いっそう悩ましい恋する心の現れのようである。華やかに紅葉した岸辺に、その内面までもパーッと赤らむような感慨が瞬時に伝わってくる。やがて「岸」に思いを致すと、やはり「恋ともちがふ」、めぐりあいの不思議に人生をじっくり味わっている静けさがただよってくる。
 「恋とも」、「ともにして」、二つの「とも」が口誦性を生み出している。

f0118324_8534495.jpg


   日のくれと子供が言ひて秋の暮    高浜虚子

 遊び呆けていた子供たちの誰かが、多分お兄さん格が日の暮れと言ったのだろう。あるいはオチビちゃんがぼそっと言ったのかもしれない。日の暮れなんて生活実感のこもる言葉は大人の使う言い回しであるが、核家族でない時代、家居に日毎繰り返される言葉であったろう。深い意味を持たずに、子供が言ったところに秋の暮れ方の情趣が際立った。
にわかに顔も見えなくなるような夕闇がせまって、身近にいる人々がいっそういとしくなる。


   芋の露連山影を正うす   飯田蛇笏

 私にとって長い間、俳句の形といえば先づこの句であった。今は、虚子の柔軟さも大好きである。しかし似て非なる柔軟さというか、散文的な俳句が充満して疑問が生じた時は、やはりこの句に立ち返る。そして姿勢を正し、己の俳句の軟弱たることを恥じる。蛇笏の眼は遠くまでお見通しの眼であった。
 蛇笏を継いだ龍太の眼も澄み切っていた。〈去るものは去りまた充ちて秋の空  龍太〉淋しさのうえのさらなる輝き、また充ちて、がうれしい。


   白露や死んでゆく日も帯締めて   三橋鷹女

 〈死んでゆく日も帯締めて〉には、自分というものを見失うことのない生き方、生涯そうありたいと意を決している女流俳人の肚の坐った美意識がひしとこめられている。凛とした白露はその象徴、と思っていた。だが、最近になって、〈死んでゆく日〉と〈今生きてある日〉が同義語として考えられるようになった。今あることにおいて生きているわけで、死が遠い先にあるのでなく生の裏打ちとしてひそんでいるような死であれば、〈死んでゆく日も帯締めて〉は生きながら死ぬとでもいうような、世のありように身をまかせている自然を知る人の流露にほかならない。白露は天空そのもの。
by masakokusa | 2007-10-12 21:09 | 秀句月旦(1) | Comments(0)
『文心』・招待作品                  草深昌子
 

     かなたこなた


  青田風とは絶えまなく入れ替はる

  ぼはぼはと巣立ちに早き毛がのぞく

  巣のもとの糞まみれなる暑さかな

  扇風機おのが埃を飛ばしけり

  清少納言に白花菖蒲ほどな恋

  ほととぎす釈迦も阿弥陀も細りたる

  ことごとく拝みし玉の汗であり

  一つ松末広がりに涼しかり

  白百合をかなたこなたや小石川

  水亭はここなる草を刈りにけり


f0118324_21555252.jpg


(2007年7月22日発行「文心」 新日本文芸協会きれい・ねっと)
by masakokusa | 2007-10-11 19:27 | 昌子作品抄 | Comments(0)
川崎長太郎『抹香町』を詠む           草深昌子


   たびらこの花ぞここなる抹香町

   物書きのほつつき歩き霾ぐもり

   まうしろのそれとありける座禅草

   駒返る草がどこにもかつをぶし

   するすると波の引きゆく菜飯かな

   食パンに味噌塗りたさん囀れり

   こでまりの花や干物屋活け魚屋

   行くほどに城下はさびし桜草

   船頭の手首のかへり鳥雲に

   戦場のごとき巌や石蓴掻く

   船賃はただなる春を惜しみけり

   猫に道あけたる猫や花なづな

   暮れかぬる猫に猫背のなかりけり

   色町のうしろ寺町あらせいとう

   お干菓子の匂へる春の愁ひかな

   さくら草一日筆をはこびけり

   裏口のやうな巣箱の表口

   色町やはなはだ高き春の潮

   富士壷を増やして鴨の引きゆけり

   行く春や鰹節屋の濃きにほひ

   荒布屑拾ひもしたり私娼窟

   おぼろ夜の蝋燭の火のつつたちて

   年寄は手に手をとつて花惜しむ

   螢烏賊明滅川崎長太郎


      
f0118324_1347526.jpg


(2007年10月5日発行「ににん」秋号№28所収)
by masakokusa | 2007-10-11 19:05 | 昌子作品抄 | Comments(0)
師系燦燦 九
f0118324_8463763.jpg








 「若葉」の系譜
 ―――富安風生を師として(一)


  大文字夏山にしてよまれけり 風生
  蛍火や山のやうなる百姓家
  蝶低し葵の花の低ければ

   
 富安風生の処女句集『草の花』は昭和八年、四十八歳にして上梓された。
福岡為替貯金支局長として赴任中の三十四歳の折、巡遊してきた虚子の謦咳に接したのが俳句の皮切り。この頃のことを「福岡でひとたび俳句の針を咽元深くのみこんだ私は、俳句が面白くてたまらず」と記している。

  街の雨鶯餅がもう出たか    風生
  一生の楽しきころのソーダ水  
  秋晴の運動会をしてゐるよ

   
 風生の句はもとより軽妙瀟洒だが、一字一句もゆるがせにしない洗練された新味は、口誦するほどに鮮やかである。

  夕顔の一つの花に夫婦かな  風生
  古稀といふ春風にをる齢かな
  生くることやうやく楽し老の春 
  死ぬまでは生きねばならぬ手毬手に
  わが齢わが愛しくて冬菫
  春惜しむ心と別に命愛し
  九十五齢とは後生極楽春の風


 夕べに開く「夕顔」に重ねて、老を意識しはじめた五十九歳から、辞世に至るまで流麗なる風生俳句の一条にして長い道筋は「命」を肯定的に詠いあげることにあった。
「ー― 所詮この一つの小さい俳句の虫は死ぬまで同じ小さい俳句の虫、というわけであろう」とは、第十二句集『傘寿以後』のあとがきである。

  風生と死の話して涼しさよ  虚子

 虚子八十三歳の作品である。この時風生は七十二歳。虚子の風生たる人間への心の預け方と共に「風生」という語意や語感もまた自ずから涼しいその人を印象づけるものである。

  藻の花やわが生き方をわが生きて 風生

 生前に十五冊の句集、一冊の遺句集が出版された。人口に膾炙された名句は数知れないが、風生ほど俳句に謙譲なる人はいない、風生ほど自身を信じて疑うことの無かった俳人はいないのではないだろうか。まこと名にし負う風生の風格に驚くばかりである。  


         ☆

 岡本眸の『午後の椅子』(平成十八年十二月刊行)は、氏の第十句集で第四十一回蛇笏賞を受賞した。
昭和二十五年職場句会を通じて富安風生に師事、「若葉」入会。昭和三十二年より「若葉」編集長であった岸風三樓の指導を併せて受け、「春嶺」同人。風生逝去の後、昭和五十五年「朝」を創刊・主宰。因みに、氏は昭和三年「若葉」創刊の年に誕生している。

  温めるも冷ますも息や日々の冬
  花種を蒔き常の日を新たにす
  初電車待つといつもの位置に立つ


 一句目、こんな大いなる発見さえも、これどうだ、という顔はしない。下五の「日々の冬」は普通の顔をしている。その平生なありようが命を養うしずけさを漂わせている。
 二句目、花種を蒔くという行為はあたかも俳句を生み出すそれに似て、切なる祈り。 
 三句目、常の日の常の出来事はたとえお正月であっても同じこと。定位置に足を揃えたとき、いじらしいまでの真面目さに思わず笑みがこぼれた。その瞬時こそが、命を新たにするめでたさの確認である。

  ひかり飛ぶ時間のひまの更衣
  浮氷見てゐる自由時間かな
  石蕗咲いて午後の時間のひと握り


 「俳句で忙しいというのは恥ずかしい。俳句は自分の歩みの少し後ろにあるのが良いと思っている」、肝に銘じている眸語録である。
 一句目、更衣という光陰の通過点、一瞬にして身を軽くしたような感覚が光っている。俳句の意匠も少しもモタモタしない。
 二句目、冬の間張り詰めていた氷が春になって解けてきた。「自由時間」の語感には、氷の硬い感覚と体まで解けていきそうな緩やかな思いがこめられている。
 三句目、風生に〈石蕗黄なり文学の血を画才に承け〉がある。文才を画才に承けたのは、むろん人のことであるが石蕗の花自体にある輝かしさのようにも思われる。そんな好ましい石蕗の花を目の当たりにしながら、束の間の日差しに心してペンを走らせている。

  室咲や姪来て何かして呉れる

 〈姪来て何かして呉れる〉は一見、日記に書き付ける日常語のようであるが、「姪来て」といい、「何か」といい、俳句的処理の技術が格段に違う。「室咲」でもって一気に詩情あふれる俳句に仕立てあげた。他のなにものにも置き換えられない室の花は清らかで透明な空気感や会話までをも伝えてくれる。
 氏の代表作〈雲の峰一人の家を一人発つ〉、と共に「俳句は日記」の本領をもっとも発揮している句であろう。「雲の峰」の緊張感、「室咲」の安堵感、共に日常を生きる独りの人間の表裏を普遍的に描き出している。

  きのふより今日枯深し飯白し
  暖かし人帰したるそのあとも
  パセリ青し癒えねば何も片づかぬ
  まつ白な息が言葉に今日はじまる
  一生の残り時間の夜干梅
  さみしくてならぬと水の温みだす
  星空へハンカチ貼って生きむかな
  帰れば孤り赤い冬服脱ぎおとし

  
 作家の「俳句は日記」という信条はいかにも俳句を取り組みやすく思わせる。だが謙虚なもの言いほどにたわやすいものではない。
 リルケの『若き詩人への手紙』の一節が思い出される。「もしあなたが書くことを止めたら、死ななければならないかどうか、自分自身に告白してください・・あなたの夜の最もしずかな時刻に、自分自身に尋ねてごらんなさい、私は書かなければならないかと」。
 作家に存在しているのは常に今だけ。日記とは今を書き付けるもの、明日は知れない、今しかない命の「俳句は日記」なのである。必然から生れた詩情にこそ読者はうたれる。 

  幼きへ木の実わかちて富むごとし
  きんぽうげハモニカは子を俯向かす
  やうやくに齢重たし落し文


 一句目、お金があるとかないとか格差社会の嘆きの何と虚しいことだろう。〈並べある木の実に吾子の心思ふ 虚子〉、〈よろこべばしきりに落つる木の実かな 風生〉、いつの世の木の実もいきいきと生きている。
 二句目、子供をいつくしむ眼差しがやさしい。きんぽうげはハモニカの金と大の仲良し。
 三句目、風生をしのぶ〈やうやく〉である。「落し文」はペーソスにしてユーモラス。
丁寧に生きてかつ朗らかさがあるのは、作者が若くして癌を病まれたことと無縁ではないだろう。第一句集『朝』のあとがきに、手術を控えた母親が、気丈にも平静に、わが子に「・・寒くなったから冬の下着出しなさい。お父さんのは箪笥の下の抽斗よ。お母さんは大丈夫、あんた達風邪をひかないで・・」という電話をしている、誰とも知らない女性の声を病床に聞き止め、女とはなんと素晴らしい生き物なのだろう、人間は死ぬまで社会の担い手の地位を棄ててはいけない、と気付かされたことを感動的に書きとどめている。この出来事は後々まで眸俳句に通底している。
 風生はその序文で、どこまでも女流俳句というベースに立っていることを称えている。師の示唆を深く受け止めて、処女句集の時代からその方向性を見定めた。それは虚子が勧めた台所俳句の延長にも似て粛々たるものであったが、風生の教えの通り〈わが生き方をわが生きて〉来たのである。
 今や岡本眸俳句は目の覚めるような鮮やかな一つの現代女流俳人の典型を現している。


           ☆ 

 鈴木貞雄の『遠野』(平成十八年九月刊行)は氏の第三句集。昭和三十九年慶應大学俳句研究会に入り、清崎敏郎に師事。平成十一年、三十五年間師事した師の亡き後を承け「若葉」の三代目主宰を継承した。

 「若葉」は初め風生一代と考えていたが、誌友が拠り所を失ってはいけないという気持から後継者に清崎敏郎を指名した。

   敏郎君へ二句
  潺々と虚子より承けし水の秋  風生
  二た流れ和して同ぜず水の秋
  
 
 敏郎は昭和五十四年風生没後を継承した。昭和十五年風生に師事、昭和十八年からは虚子にも師事をした、花鳥諷詠の徒である。
貞雄も又敏郎の遺志に従って、その継承はスムーズに行われた。

   敏郎先生御逝去 二句
  大いなる泰山木の花散華    
  胸奧の一滝に耳傾けむ     
  初刷や一誌承け継ぐこと重し
   主宰就任
  迷ひなきこの道をゆく石蕗の花


 継承にあたって思い起こされるのは〈滝落したり落したり落したり〉、〈石蕗咲くや心魅かるる人とゐて〉等、師の実作と理念である。

  熱し熱しと虫送る火を掲げゆく
  火達磨のぶつかり落つるどんどかな
  水揚げの間も日は昇る鰹船
  嬰児籠に猫のねむれる炉火明り
  囀りを共にす縄文杉と吾
  祭獅子綿を噛ませて休めあり
  たなごころ月にひらきて踊るかな
  ほっかりとかまくらの灯の世界かな


 掲句の前書きは順に、越谷虫送り、大磯どんど、御前崎、遠野、屋久島、佃祭、西馬音内盆踊、横手、である。ほぼ千二百句を収めた持ち重りする一書は、これらの民俗行事や祭事の自然詠が何より圧巻である。
 他に、郡上八幡、小川百八灯、瑞厳寺、遊行寺芒念仏、浪江、中之条鳥追祭、秋山郷、旭川、霧積、松山・尾道、八尾、三峰神社、出水荒崎、三春、三崎、裏磐梯等など、津々浦々の旅吟は静謐な情熱に満ちている。

  天地のはじめの嗚呼を初鴉
  つばくらの嘴に藁しべ一文字
  子雀といふに凛々しき頬の紋
  まくなぎの暫くばらけ遊びをり


 耳目に触れなければそれまでというような小さな命の小さな現象が、ときに人間の懈怠を叱咤激励してくれるものである。
 一句目、最も卑近な鴉声をして元朝薄明の宇宙を力強く大きくひろげきった。氏の処女句集にある〈捕虫網まだ使はれぬ白さもて〉が思い出される、新品の清浄感。
 二句目の一文字、三句目の頬の紋は、まるで燕や子雀の意志の如くにいじらしい。
 四句目、「ばらけ」を捉えて、むしろ顔面を離れないまくなぎの密集を感じさせる。 

  横顔にして咲きそめぬ沙羅の花
  なかぞらに滝の背骨の顕ちにけり
  峰づくりしてはをれども秋の雲
  ひよん吹けば絮のごときが飛びゆけり

 
 一句目、「横顔にして」とのみに沙羅の花を詠って作者の情感が滲み出てくる不思議。
 二句目、「滝の背骨」というメタフアーは、ダイナミックな一瀑を描ききっている。「なかぞら」もまた一切の邪念を払拭している。
 三句目、夏から秋へ移行する自然のありようを見落とさない。「してはをれども」というゆったりとした呼吸があたりを見渡すかのような広がりを見せて爽快である。
 四句目、「絮のごとき」がすでに切ない。正直な具象は図らずも作者の思惟を伝える。
どの句も、季題そのものへ直截に迫りながら、余白を大きく描いている。

  羽子板に今も青年裕次郎
  初夢の師と問答を交しけり
  右顧左眄せずひたゆくが恵方道
  老梅のくれなゐの艶風生忌
  師を憶ひをれば前山しぐれくる


 敏郎に〈ポスターに裕次郎ゐる氷店〉がある。師が素材としたものはいつも心にかかっているものである。「今も青年」がいとおしい。 
 初夢の中なる師弟の俳句問答、これほどの吉夢はないだろう。 
風生にも敏郎にも右顧左眄はなかった。師の信じた道、人間の命もろとも自然の命をいとおしむ道こそが吉方である。師への思いの深さが継承をゆるぎないものにしている。
 「若葉」は平成十九年九月号で通巻九百三十五号を迎えた。

(2007年10月5日発行「ににん」秋号№28所収)

f0118324_2133135.jpg

by masakokusa | 2007-10-03 22:59 | 師系燦燦 | Comments(0)