<   2007年 01月 ( 18 )   > この月の画像一覧
乳母車                    草深昌子


 孫が二ヶ月になった頃、「乳母車に乗ってお散歩しましょうよ」と言うと、娘に、「ウバグルマなんて、そんな恥ずかしいこと言わないで」と、眉をひそめられてしまった。乳母車のどこが悪いの?と、一瞬キョトンとしたのだが、ちょうどその時、赤ん坊が泣き出して口論はお預けになってしまった。
 この間、湯島の白梅を見に行った折、近くにある春日局の墓にお参りした。将軍家光の乳母として誉れの高かった方だけに聳え立つように大きな墓だったが、チューリップがバケツの中に溢れるように供えられていたのはいかにも庶民的なイメージで心和んだ。このとき、ハッと気がついたことだが、「乳母」は、生母に代わって乳を飲ませ育てる女のことで、めのとともいい、また、守役の意味にも援用される言葉だ。そんな語意や語感が、娘たちの世代には馴染まないのも、もっともなことかもしれない。
 ともかく、そのベビーカーなるものに孫を乗せて、神田川沿いを散歩するのは、新米の婆にはなんとも楽しい。だが、内心で眩く。「やっぱり、ベビーカーなんて、アスファルトジャングルを行くようでムードも味気もない。それにひきかえ、ウバグルマていう言葉のひびきは、いかにも手押し車の感じがあって、タンポポの野辺を辿るようで愛らしいし、何より安心感があるじゃない」。
 やがて、東京にもこんな市場がまだ残っていたの、という風な古色蒼然たる駅前通りにたどり着いた。市場なんて言ったら、また恥になるぞと注意深く、「まあ、素敵なマーケットねえ」と気取ってみたら、案の定、娘はご機嫌で、「ねえ、これ可愛いでしょ」と赤ん坊の頭に店先の帽子を載せてみせた。
 「うん、ナウい、ナウい!」とつい調子に載ったら、「ナウいとか、オニューとかだけは絶対止めてよね」とたちまち眼が三角になってしまった。廃れた流行語の使用ほどくだらないことはない、と言うのだろう。流行語は死ぬべくして生まれている。寿命が短い。私などがやっと馴染んで使うころにはとっくに死んでいる。横文字で言うのが一般化してしまった目本語を、性懲りもなく時代遅れに使っている方がまだしも許せるらしい。
 ところで、私に好きな俳句がある。

乳母車夏の怒涛によこむきに    橋本多佳子

  怒涛の真横に置かれた乳母車は、いとけない命を護らんとする母性そのものを象徴しているのだ。これが、「ベビーカー夏の怒涛によこむきに」だったら、赤ん坊はひとたまりもなく大波に呑み込まれそうで、危なっかしい。 
  婆の胸にも、母性は残っているらしい。乳母車というとき、孫が可愛いという気持ちがせつせつとこみ上げるものだから、娘に嫌がられてもついつい連発してしまう。

f0118324_20524087.jpg

(2002年9月横浜エッセイストクラブ発行・「風笛」第2号p13~15所収)
by masakokusa | 2007-01-30 20:09 | エッセー2 | Comments(0)
写真               草深昌子

 
 若い頃は、写真を撮ってもらうのが大好きだった。
 婚礼の荷運びのときも運び方の友人が、何十冊もの重いアルバムに悲鳴をあげながら、「吉永小百合さん気取りですなあ・・・・アハハ」などと、大いに冷やかしたものだ。新婚家庭に来客があると、先ずさっとアルバムを開いて披露するのが常だった。
 そんな私が、写真嫌いになったのはいつ頃からだろう。五十歳の頃、文集作成のために近影の一枚が必要になったが、一人きりで写している写真はどこを探してもなかった。歳をとると、記念撮影に加わることがあっても、わざわざ一人で写真を撮ってもらうことはないのだとそのとき気がついた。最近では、孫と撮った写真を見ては、「まあ、変なの! 写真写りが悪いのよねえ」と嘆かないことはない。娘は、「どこが変なの、このとおりですよ」と、すげない。確かに、孫の方は間違いなくリアルに写っている。
 昔、ピアノの先生に言われたことをつくづく思い出す。
 「自分の腕前が、ライバルと同じぐらいだと思っている時は、ライバルより下ですよ。自分のほうが数段上だと思う時でやっと、どっこいどっこいの腕前です」
 そう、自分を計る尺度というものはたいてい甘い。他者を見る目で、自身を眺めることが出来ないからだ。私という姿は鏡を通してみるしか方法がない。この鏡が、うぬぼれ鏡なのである。どうしょうもない老いを認めながらも、おのずからなだめようとする気持ちが働いて採点は甘くなる。鏡を見るとき女は慌惚としているといわれる。その恍惚の残像を、精巧なメカによって無残に打ち消されるから、納得がいかなくなるのである。
 若い日はどうして、人様に自分の写真を臆面もなくお見せしたのだろうか、首を傾げたくなる。ぼっちゃり太って、何がそんなに嬉しいのかいつも笑ってばかりいる写真だ。思うに、当時、自分の姿など一向に構わず、そこに写し出されることがとにかく楽しくてならなかっただけなのだろう。

    樹下美人ならばと梅の咲く下に   津田清子

 「どう? 樹下美人図というところで一枚」とカメラを向けられると、ただいそいそと樹下に走った天真爛漫さが、今はなつかしいばかりである。

f0118324_10194663.jpg

 (2002年9月横浜エッセイストクラブ発行・「風笛」第二号p15~16所収)
by masakokusa | 2007-01-26 22:52 | エッセー2 | Comments(0)
  針供養               草深昌子

   
  針納めちらつく雪に詣でけり   高橋淡路女

 二月八日は針供養の日である。俳句のお仲間たちと浅草寺の淡島神社にお参りした。ぎつくり腰で数日問寝たきりになっているうちに暦の上ではもう春になったというのに、今朝の冷たさはどうだろう。今にも雪がちらつきそうである。
 仲見世をそぞろに過ぎて、香炉の煙を痛い腰にあてがっていると、じわーとあたたかみが染み入ってご利益の腰巻を一枚まとったような心地になった。
 本堂の左手に淡島神社がある。すでに女性ばかりの行列が三、四十人、粛々と連なっている。
 お堂に上がると、普通より十倍くらいも大きいお豆腐が神前に供えられている。針は、豆腐の手前右隅から順序良くびっしり混み合っている。私もその並びを崩さないようにそっと針を突き刺した。やわらかではあるがぶすっとした刺しごたえがあって、はっとした。豆腐に針なんて手ごたえのないものとばかり思っていたのに、とてもしっかりした感触が胸に残った。
若い女性たちは洋裁学校に通っている人たちであろうか。一年中使っている針を刺して、ご苦労様でしたと手を合わせている姿は美しい。
 真ん丸い艶のある老婆の顔に出会って、祖母のことを思い出した。
祖母はいつ見ても、日当たりのよい廊下に膝を突き出すように座って縫い物をしていた。時折、眼鏡を鼻にずり落として、小学生だった私のいたずらをぴしっと叱った。ある日大きな地震があったとき、母は、私をほっぽって一人で外へ素っ飛んでしまったが、祖母は一瞬「あつ?」という顔をしただけで縫い物の手を休めなかった。この時ばかりは幼心に驚嘆と尊敬の思いで祖母を見つめたものだった。
 母が針仕事をしている姿は記憶にない。一家の仕立てやつづくりものは祖母が一手に引き受けていたのだろう。後年、母もおばあちゃんと呼ばれるようになると、孫娘に何度か服を作ってくれたが、昔の祖母のように、いつも日向に座っているという落ち着いた風情ではなかった。そんなゆとりある日々ではなかったのだろう。
 科学が進歩して時代が便利になるほどに、人の生き方はむしろ忙しくなるのかもしれない。
 現にこの私など、裁縫箱すら身辺に置かない。ちょっと厚地のビニール袋に小間物や針山を詰め込んで、糸やら針やらぐちゃぐちゃになっている。ワイシャツのボタンつけの時ぐらいしか用のない袋である。そのボタン付けすら、「頼んでおいてもいつになることやら」と、夫のほうがマメに針を動かしている。
 でも、針供養の今日ばかりはと、針山に埋もれて錆びてしまった針を納めた私は、うしろめたさを抱きながらも久々に家庭の主婦の気持に戻っていた。
 仲間と一緒に裏手に回った。 そこには、針の供養塔があって、薄紅梅が匂うばかりに咲き開いていた。澄み切った寒気の中で、真っ白でもなく真紅でもなく、ぼってりと薄い紅色に染め上げられた梅の古木に眼を据えていると、ふいに女の月日のかなしさとよろごび、ふしあわせとしあわせのことが脳裏をよぎった。そのとき初めて、針供養という行事には、男の知らない女のよろこび、男の知らない女のかなしみがこめられていることに気付き、あらためて感傷に浸ったことだった。 そして何より昔の人々のことを思った。今の女たちに比べて、昔の人はもっともっと女だったに違いない。母の役割、妻の役割、女の役割をしっかりとこなしていたのだろう。そんな女から見れば、私など女の資格は無きに等しい。ボタン付けまで男にやらせるのだから。こんなことでは女の特権を主張するなんてことはとても出来ない。
 薄紅梅のあどけないような、それでいて凛としたはなやかさと落ち着きは、昔の女性のありようをしみじみとしのばせてくれる。子供心に怖かった祖母も、本当はそんな女性だったのかもしれない。私も、梅の香りのごとき女の香りをもてたらどんなに素敵だろうと思いかけて苦笑してしまった。もう手遅れなことではある。
 そんな物思いにふけっていて、ふと行く手に目をやると、腰の悪い私の足運びを先を行く男性の句仲間が見返り見返りしている。遅いじゃないか、というように顔をしかめながらも気にかけてくれているのだ。精一杯足を早めて追いついて「お待たせしてごめんなさい」と詫びると、一人が悪戯っぽく「昌子さんどうかしたの、今日はやさしい顔」
 言われて、あ、と思った。ただ慌しい日常の中で針を持つことから遠ざかっていた私が、針供養に来て祖母を思い、また母を思い出しているうちに体の中をやわらかな風が通り抜けてゆくような心なごむ思いになっていた・・それが表情に出たのかもしれない。
 「ありがとう、嬉しいわ」すんなりと出た素直な答えに自分でも驚きながら、なんといい一日だったろうと胸の中で反芻していた。

f0118324_955452.jpg


 (2002年10月・「随筆春秋」第18号P84所収)
by masakokusa | 2007-01-26 22:49 | エッセー2 | Comments(0)
浄智寺 花幻想             草深 昌子

 桜の花がすっかり散りつくして、あたりがにわかに緑色を帯びはじめると、空がいっきに筒抜けの明るさになる。垂れこめたようなあの花ぐもりの空の吐息は、もう聞かなくて済むのだ。ふわあっと力の抜けたような空、どこからともなく新たな力の湧いてくるような空、そんな空を仰いでいると、白雲木の花に会いたくなった。ハクウンボクと口ずさむさえ清々しくなってくる花を、初めて見たのは、鎌倉の浄智寺だった。
 迷わず浄智寺へ出かけた。しかし、白雲木にはまだ早かった。やはり五月の花なのだろう。それでも若々しい緑の葉や穂状のつぼみの隙間から空が透かし見えて、心が清められていく。幹のところどころから金色の光を放っている。かたわらの女性が、「木霊がやどっているわねえ」と、ぽつりとつぶやいた。

 寺の書院に目を遣ると、あっと息をのむようにあでやかな緋牡丹がひらいていた。牡丹には絶えず陽が注がれている。それに、花自体も発光体となって光を発散させているので、まるで火花が散るように光のしずくが土の上にしたたり落ちていく。
 いっか、新聞のコラム欄に、「中国河南省から牡丹の花を見に来ないかと誘いの花信が届いた。旅ごころ抑えがたく見に行くので、二週間ほど筆者交代します」と、あった。黄河のほとりでは「牡丹祭」が近づき、町も人も浮足だって“花"に狂っているという。中国で“花"という時、富貴の象徴であり、花の女王である牡丹をさすのだろうか。われわれ日本人が“桜”に抱く感動のようなものを牡丹に感じるのかもしれない。
 私は牡丹を、どちらかというと好まなかった。何かしら重くれて、はなやかすぎる風情がなじまなかったからである。ところが四十路も半ばを過ぎてから、ようやく妖艶そのものの花のありように心ひかれるようになった。渾身の勢いをもって咲きつめた花が、やがて他のどの花にもないしずけさのうちに散りていく。そのことに気づいたときは胸を打たれた。それは豪華とか絢爛という形容にいいつくされるものではなかった。あまりにも遅すぎたことであるが、妖艶のなかにある、はなやかさとはかなさに、女の哀しみを重ねあわすことのできる齢になったということであろうか。
 寺の縁にかしこまっている三毛猫が、いかにも幸せそうに目をしばたかせ、ひげをぴくっと動かした。あとはずうっと、目をつむって瞑想にふけっているばかりである。ひき込まれるように私もめつむると、遠い日のことが思い出された。
 つつましくも明るさに満ちた女系家族のなかに私は育った。姉と私は、祖母や母に連れられてお茶を習っていた。私の着物は、大輪の緋牡丹が一面に咲きあふれている柄だった。「昌ちゃんは、けらけら笑ろうてばかりやさかい、ぼたんがよう似合うなあ」というのが祖母の口ぐせだった。
 祖母には祖母の哀しみ、母には母の哀しみがあったものを、つゆほども知らなかった。-―牡丹は、昔、「ふかみぐさ」と呼ばれた。

 苔むした寺のそこここに、著莪の花が首を伸ばすようにして咲きそろっている。こつこつと踏み鳴らす自分の足音を、おろそかならず聞きとめられるのは、足元を照らす著莪の花のせいである。「ちょっとごめんなさ一い」と、寺男が竹帯を持って風のようにすっとんできた。サアーッサアーッと地面に大きな文字を描くように全身で掃き始める。その筆さばき、いや箒さばきの見事さに見とれてしまう。寺男の地下足袋はまっさらだ。その地下足袋の紫紺が、著莪の花をいっそう清楚にひきたてるのである。

 うら庭の燧道をぬけると、弥勒菩薩の化身といわれる布袋尊がまつられている。一歩身をのり出して福々しい笑みをこぼしている。墓原にはひとむらの濃山吹が揺れているだけ。あたりはしんとしている。誰もいない。私ひとりきりだ。この世の外へまぎれこんだ気がして、嗚咽のような声をあげそうになった。
 タベ、くりやごとをしていてふっと淋しさを覚えたのは何故だったのだろう。夫がいるのに、子がいるのに、友人がいるのに、わけもなく、私はひとりだという思いがふいにやってくることがある。自分は自分ひとりで何とか生きつづけていくしかないのだと気づかされる。愛されていても、慕われていても、同一体ではあり得ないのだから、身も心もいつもぴたりと重ねあわせていることはできない。まして、ひとの思いを、自分に強要するなんてことはとてもかなえられないのである。所詮、人はひとり。
 この墓原の日だまりにいると、そんな思いが、むしろやすらぎにさえ感じられてくる。いつのまにかひとりでいることを忘れて、あたたかくうららかなここちにひたっていった。
 はるかに揺らいでいる濃山吹の下には、小さな石があって、中に和合仏が刻まれているのを写真で見たことがあるが、近づいてみようとはしなかった。
 目をつむると、手にとるように、あのひしと抱きあっているみほとけの姿があって、私も布袋尊のように目尻が垂れていくのであった。
 
f0118324_22371527.jpg

 (1993年6月1日牧羊社発行・「俳句とエッセー」p146所収)
by masakokusa | 2007-01-20 17:09 | エッセー2 | Comments(0)
『食の一句』--今日出会う名句    櫂 未知子
    

 11月30日

      手毬麩を買ふや時雨のはなやぎに      草深昌子



 「柔らかいが口中では溶けず、一度軽く抵抗したうえで従ってくれる食材」が私は好き。たとえば葛切や白滝、タピオカ、そして掲出句の〈手毬麩〉など。麩は乾燥となまのがあるが、この麩はもちろん生麩である。桃色や緑の糸が小さな小さな丸い麩を彩っていて、溜息が出るほど愛らしい(その分、高価)。
 伝統的季語〈時雨〉は常に哀れでわびしいとされたのが、この句は、その時雨に華やぎを見出した、ごく新しい感覚の句である。
                                (『邂逅』)季語=時雨(冬)



(2005年7月1日発行・ふらんす堂 「食の一句」櫂未知子著作・365日入門シリーズ①199p所収)


f0118324_21532727.jpg

by masakokusa | 2007-01-16 10:45 | 昌子作品の論評 | Comments(0)
晨集散策・俳句鑑賞         草深昌子
   いま三つ                       

                        
  冬晴や羊の群はいま三つ          大峯あきら

 「いま三つ」、なんて楽しい表現だろう。茶目っ気すら感じられる、少年のような純粋感動は、「羊の群は三つなり」と言い切らなかったことにあきらかだ。その感動をひきついで読者は連想する。
 まさか二つに減らないでしょう、五つ六つと増えてほしい、ほらほら日差しも濃くなって・・。作者と読者が共有できる冬晴の世界のなんとはるかで、透明感にあふれていることだろう。
〈みちのくのいづこで付きし草じらみ〉も同様、ほんの少しを提示して、その先の想像は読者にゆだねてくださった。

  ひるまへに終ってをりし松手入       山本 洋子

 庭師の手際に逡巡がなかったのだろう。松の姿が美しく立ち現われると同時に、読後にしんとした時空がひろがってくる。庭師ならぬ俳人の松手入によせる焦点の絞り方にも凡百の迷いがない。

  流木を歩く体育の日の鴉          中嶋 鬼谷

鴉といえども、足腰を鍛えるのであろうか。少しシニカルな視線は生きとし生けるものへの作者の愛情であろう。そして体育の日であることに気付かされた自虐がほんのりとゆかしい。

  赤い山青い山山鷹渡る           蔵田美喜子

 「青い山山」が晴れやかである。大らかな鷹の飛翔がリズムにのっている。色彩感とともに、感動が調子にのって奥行きが生れた。

  その真紅幻ならむ烏瓜           中田  剛

 烏瓜の真っ赤な色彩を、たとえ火の玉と言ったとしてもそれは事実の一端に過ぎないように思われる。「その真紅幻ならむ」という表現からは、にわかに発光してやまない烏瓜が典雅にゆらめく。

  受賞者はみな白髪や菊日和        東條 未英

 「みな白髪」という発見が見事である。思わず微笑んでしまったあとに、切なくも明るい菊の香気をしみじみ味わった。受賞者へ対する畏敬の念がなければこうは詠えないであろう。

 人は、生老病死という道筋を避けては通れない。悲しいことも苦しいことも、俳句の目で見れば、嬉しいこと美しいことに取って代わってくれる。ほのぼのと豊かな俳句の群れに幸せをいただいた。  

  吾亦紅大きな月に驚きぬ           宇佐美魚目
  花野なり名の無き花の美しく         藤 勢津子
  冬座敷末席といふあたたか味        角  光雄
  文机へ木犀の香のまたたき来        田島 和生
  コスモスを飾りどのジャムいただかう    西川 章夫
  蜂の子飯赤子めでたく名を貰ひ       本村  蠻
  道問へば稲架の終ひを右へ行け      堀江 爽青





 
(平成18年3月1日発行・「晨」第132号p63所収)
by masakokusa | 2007-01-03 22:17 | 俳論・鑑賞(1) | Comments(0)
晨集散策・俳句鑑賞                 草深昌子
                                 
   プラス思考

                
  餅花の餅にあばたのなかりけり       茨木 和生

 あばたと言えばたちどころに、痘痕も靨、というフレーズが思い浮かぶが、そんな痘痕すらない餅花である。正真正銘の餅肌である。
ごつごつの柱に飾ってあったりするといっそう初々しい。餅花に思い入れた視点のやさしさは、新年を寿ぐ心の現れである。

  春昼のおひとりさまと言はるる餉       岩城 久治

 「おひとりさま!」なんて呼ばわれると、あらら、侘びしや照れくさや、微苦笑がもれる。一人の昼餉に胡坐をかいた男の春愁でもあろうが、こんな一齣を詠い上げる余裕が、春昼の駘蕩たる情趣そのもの。春昼の把握こそが一句であろう。

  頸のべて頸をちからに鶴帰る         濱田 俊輔

 丁寧に分ち書きした、その一呼吸おいた間合いに祈りが込められている。細長い頸を引き絞るとき、鶴のいのちは生き延びる。切なくも美しい生の営みに、人は古来より長寿の夢を授けてもらった。

  幸せなこともいろいろ冬の虹          原田  暹

 激しい夕立のような雨が降ったあとに、冬の虹は現れる。季節はずれな虹の鮮烈さは、夏のそれ以上に人に感動をもたらしてくれる。
人は悲しみや怒りに敏感である。だが、幸せに対してはどうであろうか。いろいろは、虹の彩にもかよって、微笑みを誘われる。

  立雛や日和の黐に鳥のゐて          晏梛 みや子

 「立雛」と「日和の黐に鳥のゐて」の照応がすばらしい。座り雛でなく立雛がことに清か。たおやかで俊敏な感性がゆきわたっている。

  木蓮は叫び辛夷は騒ぐかな           黛   執

 叫ぶにしても、騒ぐにしても、生きる命を揺さぶっている木々の花に、作者は感動している。正鵠を得た擬人法は、花への思いを年年胸中に問いかけてこられた答えであろう。頭韻のそろった潔さは、早春の花に共通した清冽な印象を打ち出している。

  白鷺の翔つ北窓を開きけり           山本 洋子

 北窓を開けた瞬間のまばゆい瞬き。一つの小さな所作でもって、清浄無垢の世界を大きく展開して見せた感がある。
悴んだ冬の日々から、今解き放たれた感触がひやりと心地よい。

f0118324_18165816.jpg

(平成16年7月1日発行・「晨」第122号p62所収)
by masakokusa | 2007-01-03 21:57 | 俳論・鑑賞(1) | Comments(0)
史上の一句・高野素十                    草深昌子
       
  大榾をかへせば裏は一面火   高野素十

 三十年ほど前、俳句を始めたばかりの頃、〈廿草の芽のとびとびのひとならび〉というような句は、「草の芽俳句」と言って作ってはいけない、と教えられた。(と思い込んでいただけかもしれない)
 ともかく、素十の大方の句は、私にとって、それがどうしたの?って感じ、まさに「猫に小判」だったのである。だが今は素十の句に憧れてやまない。
真正面に真面目に無心に切り取った自然の相が、一句とするに最も的確な言葉で最も的確な場所に置かれていることに気付かされる。なべて、リズムと内容がぴたりと一致している。

  風吹いて喋蝶迅く飛びにけり

 はっとして、やがていじらしくなる句である。
 何でもない当たり前こそが、ドラマチックなのである。喋々は風に吹き飛ばされたのではない。従順ながらにも意思をもって飛んでいるという気合いを込めた見方が、人間味をにじませる。こんな、素十の男らしさのやさしさが面白くてたまらない。

  雷魚殖ゆ公魚などは悲しからん
  苗床にをる子にどこの子かときく
  歩み来し人麦踏をはじめけり
  紫の袷袖口濃紫
 

 どうしてこのようなことが俳句になるのであろうかと、思わず微笑まされる。ごく自然のなりゆきのままに叙したようにみえて、誰もが持ってる過去の体験を思い起こされるのである。まさに梵鐘一打、響きはいつまでも伝わってくる。
 ところで、素十は、私の句はすべて大なり小なり虚子先生の句の模倣である、と言う。又、随分とつまらぬ句迄も先生に採られてそれに依ってある方へある方へと導かれて来た、と言う。あくまで謙虚である。
 秋桜子の、素十の句は芸術の領域に入らないとする非難にも、「自然の真といふものを僕は知らない。又これに大切なるエツキスといふものを附け加へたという文芸上の真といふものも知らない。それを私は少しも恥と思はない。私はただ自然の種々なる相を見ただけである。(中略)私一個の卑見を述べたまでである」とまこと淡々としている。かえって超然たる素十の凄味をおもわないではいられない。

  大榾をかへせば裏は一面火

 一句の凄味は、まさに素十その人ではないだろうか。
大榾の大の一字は、一面をぱっと広げて、ぎょっとするほど真つ赤な炎を目に焼き付けてしまう。
 どう謙虚に下手に出ても、裏返せば壮絶なる信念に支えられている人であつたのだろう。
「三千年の齢をくれても自然の真など知ることはできない」と言う通り、自然に包容された小さな一個を知る人の、一心の営みを絶やさぬ命のありようを、はからずも見せた感がある。

(平成17年5月1日発行・「晨」第127号p70所収)

f0118324_2117361.gif

by masakokusa | 2007-01-03 20:48 | 俳論・鑑賞(1) | Comments(0)
史上の一句・原石鼎          草深昌子
                          

  雪に来て美事な鳥のだまり居る    原 石鼎
 
 石鼎が存命なら数え年百歳にあたる年に、私は「鹿火屋」に入会した。
翌、昭和六十一年、石鼎生誕百年のお祝い会で、原コウ子先生にまみえることが出来たのは今もって胸の熱くなる思い出である。
 『原石鼎全句集』のあとがきに、原裕主宰は、漸くまとめた第一本を今は亡き原コウ子(昭和六十三歿)の霊前に献ずることを許されたい。コウ子夫人の内助がなかったら、石鼎の闘病延命はなく、この本の後半の句は生まれていなかったろうから、と記されている。裕主宰も、その生涯を石鼎顕彰に尽くして、すでに亡くなられた。
 石鼎を思うと今はなぜかしみじみするばかりである。

 さて、石鼎の俳句は、初学から印象鮮明でよく口誦した。後年、飯田蛇笏が、石鼎の作品は、捉えた光景がはっきりしていて誰にも合点がゆく、常に大衆性を具備した強みがある、と述べていることを知って、それこそ合点がいったものである。
 石鼎生前唯一の自選句集『花影』の中では、最終章の昭和九年から十一年あたり(四十八歳から五十歳)の作品が一番好きである。
 掲句も昭和九年作。一句は、華麗なる一幅の絵として一寸の狂いもなく静止している。真っ自な雪は、あたかも鳥の念力がもたらすかのように降りしきっているのだが・・・何鳥とも言わないで、美事な鳥と大胆にも言い放った見事さ、一句を支配しているのはミゴトナトリに及くものはない鳥のひびきである。また、だまり居ると、擬人化したことの凄み。睨み据えている鳥の眼光から、背後から、なぜか絢爛たる極彩色が立ち上ってくるような光景を覚える。この不思議を解明してくれたのは、永田耕衣の言葉である。
 「〈雪に来て美事な鳥の黙り居る〉といった句も、どこか神性というものがないと出てこない句といえるだろうな。神の出てくる句も神サマっぽくはない、どこかおおらかなんだ。子供のときに神の放射能を受けとったんだろうなア、郷里で、たっぷりと。」

 ところで、この麻布本村町時代の石鼎の姿を、子供の頃、隣に住んでいた須賀敦子が、その著『遠い朝の本たち』の中で触れている。
――「原さんて憶えてる?おとなりの」、妹は遠い記憶をたぐるようにうーんといった。「うん、あの麻布の家のとなりで、いつも庭に立って、空を見てた、じじむさいおじいさんでしょう」――
 病身の石鼎にとって、言いたいこと泣きたいことは山ほどあったに違いない。だが、只黙って、自然と同化することのみに一心であったのだろう。いつも空を仰いでいた俳人の孤独な姿は、内なる自信に支えられて耐えて立っていた孤高の姿でもある。だまり居る鳥の重量感や貫禄の風姿は、石鼎そのものに思えてならない。

  こくめいに生きて句に住む寒椿   石鼎

 これからも、石鼎に、勇気付けられ、癒されることであろう。

f0118324_2113241.jpg


(平成16年5月1日発行・「晨」第121号p57所収)
by masakokusa | 2007-01-03 20:09 | 俳論・鑑賞(1) | Comments(0)
清水哲男『増殖する俳句歳時記』
 2006年6月末で清水哲男氏のインターネット版「増殖する俳句歳時記」が十周年を迎え、当初の予定通り一旦終了となりました。この間に収録していただきました私の三句を下記に転載させて頂きました。

           
 July 10 2003 

   仲良しのバナナの皮を重ね置く   草深昌子
 
 季語は「バナナ」で夏。いまでこそ年中見られるが、昔は台湾や南洋を象徴する珍しい果物だった。さて、房のバナナは「仲良し」に見えるが、掲句ではバナナが仲良しなのではないだろう。食べている二人が仲良しなのだ。「仲良しの」の後に「二人」や「友だち」などを意味する言葉が省略されているのだが、この省略が実によく効いている。「の」の効かせ方に注目。ちなみに「仲良し『は』」などとやると、はじめから仲良しとはこういうものだと規定することになって面白くない。作者の意図は、あくまでも二人の行為の結果から二人の仲を示すことにあるのだ。互いに示し合わせたわけでもなく、意識してそうしているわけでもないのに、ごく自然にそれぞれが剥いた「バナナの皮を重ね置」いている。まだ、そんなに大きくはない子供同士だろうか。傍らで見ていた作者は膝を打つような思いで、「ああ、こういう間柄が本当の仲良しというものだ」と感じ入っている。なんと素晴らしい観察力かと、私は作者の眼力のほうに感じ入ってしまった。俳句を読む喜びの一つは、句のように、言われてみて「なるほど」と合点するところにある。バナナの皮を重ねて置こうが離して置こうが、別に天下の一大事ではないけれど、そうした些細な出来事や現象から、人間関係や心理状態の綾を鮮明に浮き上がらせる妙は、俳句独自の様式から来ているのだと思う。俳句でないと、こうはいかないのである。むろんそのためには、作者の観察眼の鋭さとセンスの良さが必要だ。同じ句集から、もう一句。こちらも掲句に負けず劣らずの佳句と言えるだろう。内容のほほ笑ましさと、作者の眼力の確かさにおいて……。「校門の前は小走り浴衣の子」。『邂逅』(2003)所収。(清水哲男)


 November 18 2003

  セーターの黒の魔術にかかりけり   草深昌子

 季語は「セーター」で冬。この黒いセーターは他人が着ているのか、それとも自分が着ているのか。いずれとも解釈できるが、私としては作者当人が着ていると解しておきたい。他人に眩惑されたというよりも、自分の思惑を超えて、心ならずも自身が着ているものに気持ちを支配されることは起きうるだろう。私のような着たきりスズメにはよくわからないことながら、たまに新しいものを着たりすると、なんとなく居心地が悪かったりするようなことがある。多くの女性は、ファッションにこだわる。何故なのかと、学生時代の女友だちに野暮な質問をしたことがあった。彼女の答えは明快だった。「自分を飾るというよりも、その日の気分を換えるためね」と。赤いセーターと黒いそれとでは、大違いなのだと言った。へえ、そんなもんかなあ。以来私は、似合う似合わないの前に、そういう目で女性のファッションを見る癖がついたようである。だから、掲句についても、上記の解釈へと導かれてしまうわけだ。「黒の魔術」といっても、まさか悪魔と契約を結ぶ「黒魔術」とは関係なかろうが、着た後の自分の気分が着る前の予想を超えて昂揚したりしたのであれば、やはり「魔術」という時代がかった言葉を使うのは適切だろう。黒といえば、この季節の東京では、やたらと細いヒールの黒ブーツが目立つ。私などは、万一転んだりしたら捻挫は免れないななどと余計な心配をしてしまうのだが、あれも気分転換のためだとすれば、彼女たちはどんな気分に浸って街を闊歩しているのだろうか。こっちはいきなり踏みつけられそうで、なんだかちょっとコワい気もするのだが……。『邂逅』(2003)所収。(清水哲男)


 May 17 2004

   応援歌泰山木は咲かむとす   草深昌子

 季語は「泰山木(たいさんぼく)の花」で夏。はつなつ讃歌。爽快な句だ。近所の学校からか競技場からか、元気あふれる応援歌が聞こえてくる。天気は上々なのだろう。見上げると、泰山木の花が大きなつぼみを今にも開こうとしていた。応援歌を聞いて下うつむく人はあまりいないだろうから、作者の視線の方向には無理がなく、お互いに何の関係もない応援歌と泰山木とがごく自然にしっくりと結びついている。「咲かむとす」の語勢も良く効いていて、ものみな生命を吹き上げるこの季節の喜びをしっかりと表現した佳句だ。実に、気持ちが良い。私の通っていた高校には立派な泰山木があったので、掲句を読んだときにすぐ思い出した。が、当時の私は精神的にかなり屈折した(ひねくれた)状態にあったので、句のような情景があったとしても、素直には反応しなかったろうとも思われた。何を見ても何があっても、暗いほうへと心が傾いていってしまっていた。なかなか素直になれない。よくよく考えてみると、つい最近まで多少ともつまらないことに拘泥する癖があったと思う。いや今でも癖は抜けていないかもしれないのだけれど、ようやく掲句の作者と同じ心持ちになれるようになってはきており、これまでの屈折の時期を客観視できるようにもなってきた。ずいぶんと長い間、素直さを獲得できないでいたことに、下世話に言えば大損だったと舌打ちしたい気分だ。素直になれることも、きっと才能のうちなのだろう。『邂逅』(2003)所収。(清水哲男)

f0118324_20593544.jpg

(1996年7月から2006年6月まで清水哲男氏製作運用のインターネット「増殖する俳句歳時記」より作者「草深昌子」分を抜粋)
by masakokusa | 2007-01-03 19:20 | 昌子作品の論評 | Comments(0)