カテゴリ:昌子作品の論評( 77 )
『里』(島田牙城主宰)二千十八年2月号より・俳句鑑賞

あふみのしづくしらたましらずしてしたがふこひはいまこそまされ  万葉集巻第十一 柿本朝臣人麻呂之歌集出

近江に降りた真珠たち     中村与謝男


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大雨の宿りを室の花のもと     草深昌子 句集『金剛』



 室の花の室(むろ)はガラス張りの、或いはビニールハウスの様な温室のこと。こうした温室育ちの花が室の花。

 今は温室の設備や技術が発達し、季節に関係なく様々な花が出回るから、この場合は蘭などとも取れるが、そうではあるまい。

 作者は伝統派の方だから、この花は既に蕾をつけた草木を炉火を設えた室内に持ち込んで、開花を早めさせた花。

 伝統を意識して梅と考える。

 雨宿りさせてもらった廈(いえ)で炉火近くへと勧められ、梅を見たのだろう。

 座五の「もと」は、そのすぐそばの意だから、花の香もしているに違いない。

 冬の大雨に濡れた身に炉火はあたたかく、尚も降り続く雨音が聞こえる。

 能の「鉢木」では、雪中一夜を求めた旅僧(最明寺時頼)に、佐野源左衛門常世夫婦が栗飯を勧め、薪が無いからと秘蔵の鉢 

 木を燃やす。

 句も、作者への主の優しいもてなしの心根が伝わるようだ。

 


by masakokusa | 2018-03-03 20:54 | 昌子作品の論評 | Comments(0)
課題詠   兼題=虎落笛    晏梛みや子選
   
   特選

      文机に突つ伏してゐる虎落笛      草深昌子


    稿の成った安堵かしら、それとも真逆の遅々と進まない放心の・・・。
    季語が季語、その扱いに注目しました。


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   秀逸

      七草の粥や朝日子はちきれて      草深昌子


(「晨」平成30年1月号所収)

by masakokusa | 2018-02-02 10:28 | 昌子作品の論評 | Comments(0)
『はるもにあ』2018年1月 第66号

  客人との対話  ~『はるもにあ』64号より~ 


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   満田春日(「はるもにあ」主宰)



   木斛の花散るまるで雨のやう    草深昌子



 雨のように散るとは、さぞや大きく成長した木斛で、細かな花を無数につけているのだろう。

 「青草」主宰として弛みなく吟行を重ね、四季折々の自然の微妙な表情を活写されている昌子さんだが、俳句と共にある限り、新しい出会いは無限に訪れるのだろう。

それは俳人としての昌子さんの物の見方、感じ方が常に新しいから。

「まるで」という副詞は、使い方によっては幼い感じがするものだが、ここでは目を丸くし、童心に返っている顔が彷彿とする。


by masakokusa | 2018-02-01 23:59 | 昌子作品の論評 | Comments(0)
昌子作品の論評・大峯あきら

  大峯あきら鑑賞



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    雲去れば雲来る望の夜なりけり     草深昌子




 これは盆の月ではなく、十五夜との対面の句。

 雲一つない大月夜ではなく、どちらかといえば雲は多い方である。

 大きな雲がつぎつぎにあらわれてはどこかへ消え、望月を大空に残してゆく。

 望月の従来の情趣は一句から一掃され、代わりに満月をつぎつぎに追いかけるダイナミックな雲の運動をいきいきとつかんでいる。




(平成301月号「晨」所収)


by masakokusa | 2018-01-27 10:50 | 昌子作品の論評 | Comments(0)
草深昌子作品論評・現代俳句展望         

 現代俳句展望         太田かほり



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赤子はやべつぴんさんや山桜      草深昌子

あめんぼう大きく四角張つてをり      〃



句集『金剛』より。

一句目。

「ろうたし」「うつくし」「なまめかし」等など、女の美しさを表す古語は、多感な高校生の頃に『源氏物語』の「若紫」の巻などを通して知る。

だが、これは物語の話であって現実の普通の生活感覚ではあからさまな容貌の表現は口にするのは憚れる。

ただ、赤子に限ってはどんなに形容しても害はなく、赤子を理想的に育てるのにはかえって効果的に働くものである。

中でも「べっぴんさん」は文字通り別格の響きがある。

口にして阿るようなニュアンスはなく、普通名詞「べっぴん」に接尾語の「さん」をつけることで親しみの感情が加わり、同時に軽いユーモアを醸し出す。

「美人」よりも「美人さん」、それより断然「べっぴんさん」に真実がある。

たとえ並の顔かたちであったとしてもよもや反語に受け取られるということはない。

関西圏の言葉ではないが関西的な柔らかさを含んでいて耳に心地よい。

赤子とは、どの子も愛らしいものである。

この句は世俗的は語彙を用いているが「若紫」の巻をひもとくような雅さがあるのは季語「山桜」によるものか。

そういえばこの巻は「北山の春」に始まる。


二句目。

スケッチを見せられたように水馬の姿態が鮮やかに見えてくる。

簡潔明瞭にその習性が描かれた。

本当は足は六本であるのだが、中の二本は意識から欠落しているためか、六角形を描くことなく四角で納得していることに気づかされる。

だから、これはスケッチという写生によるのではなく全体を瞬時に見て把握した大まかな水馬ということになる。

省略という手法ともやや異なって、これが作者のものの把握の仕方なのだろう。

水の上で四角く踏ん張って静止し、流されそうになると跳躍してまた着水するあのよく見知っているつもりの水馬像にぴたりと重なる。

痛快な描写である。


(平成29年12月号『浮野』所収)


by masakokusa | 2017-12-31 17:57 | 昌子作品の論評 | Comments(0)
選後に ・ 大峯あきら   山本洋子
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   大峯あきら選

   巻頭

   夏鴨の鳴いて日中を飛びにけり    草深昌子

 春が来ても北へ帰らないで、そのまま残っている夏の鴨を通し鴨とも言う。
そんな夏の鴨を見かけるのは涼しい木蔭なのであるが、これは日中の空を鳴きながら飛んでいるところである。
鳴き声で捉えたところが面白く、どこか濃い季節感がある。
〈鮎食うて相模も西に住み古りぬ〉
関西から関東に嫁いで相模の国の西に住んでいる作者。
鮎の季節が来ると西国のことを思う。


   山本洋子選

   次席

   木斛の花散るまるで雨のやう     草深昌子

 木斛は椿科のごく小さな五弁の花が咲く。
その花の散りようが「まるで雨のやう」と感じた。
散りざまを素直にのべてあるだけだが、一瞬感じた言葉が美しい。
〈鮎食うて相模も西に住み古りぬ〉
ただ相模の西に住むのでなく〈住み古りぬ〉で〈鮎を食う〉人が根強く住みついている感をもたらしている。


(平成29年9月号第201号「晨」所収)
by masakokusa | 2017-09-30 13:43 | 昌子作品の論評 | Comments(0)
近ごろ気になる一句・「なんぢや」2017夏37号
   草深昌子句集『金剛』より

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    峰雲や蠅の頭の臙脂色      草深昌子


 入道雲の白、夏空の青。
 「峰雲」という背景は書割のようだ。
 舞台に蠅がいて、暑い日ざしを受けている。その蠅の臙脂色の大きな眼に注目した。
 頭という表現は一瞬の印象を大事にしたのだろう。
 季重なりにこだわっていたらこうした句は生まれない。
 この時期、嫌われそうな蠅、虻、蜂、蚊など、夏は人と共に息づく虫でいっぱいだ。

(鈴木不意)

(平成29年6月1日 季刊 なんぢや「夏」37号 発行人榎本享 所収)
by masakokusa | 2017-06-30 23:52 | 昌子作品の論評 | Comments(0)
課題詠 兼題=更衣           中杉隆世選

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   特選  
   その人に会はんと衣更へにけり      草深昌子


 特別な思いを抱く人への心情の濃さが伺える。
 「衣更へにけり」というさらりとした表現が余情を強くしている。



(「晨」平成29年5月号第199号所収)
by masakokusa | 2017-05-30 21:37 | 昌子作品の論評 | Comments(0)
晨集散策          大槻一郎
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   よき人と知れたる日向ぼこりかな     草深昌子


 冬の昼、風のない時に日向でくつろいで居ると着衣はふくれ、身も心ものどかに暖まる。
 面識のないお互いが、最初はいぶかしみながらも話を交すうちに心を許し打ち解けてゆく。
 昔から日向ぼこりには、人間の善し悪しを判断するのに効果があるのであろう。
 この句、日向ぼこりの効用に焦点を当てた面白さがある。
 晨作品ではあまり見られない作品である。



(「晨」平成29年5月号第199号所収)
by masakokusa | 2017-05-30 21:34 | 昌子作品の論評 | Comments(0)
『火星』(山尾玉藻主宰)・俳壇月評      大山文子
 
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   冬や実の草にまつくろ木にまつか     草深昌子
                               (『俳壇』3月号「毛衣」より)


 上五の「冬や実の」の出だしにまず惹かれた。
 見たままを詠むのが写生ではない、それを通して後ろにあるものを見よ。
 と、よく言われるが、見た儘を詠んでその真実をまっすぐついた作者の洞察力に驚いた。
 足元には黒々とした竜の玉、その上には千両や万両の実、頭上には南天の実が冬の無聊を慰めてくれる。
 つくづく見ていて見ていないことを気付かされた。


『火星』第928号所収
☆山尾玉藻主宰 句集『人の香』により第56回俳人協会賞を受賞

 
by masakokusa | 2017-04-30 20:20 | 昌子作品の論評 | Comments(0)