カテゴリ:第1句集『青葡萄』( 8 )
草深昌子句集『青葡萄』
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<目次>

   序 ・ 原  裕

   一、毬       昭和60年

   二、手鏡      昭和61年

   三、父の日    昭和62年

   四、回転扉    昭和63年

   五、白南風    平成元年

   六、かいつぶり  平成2年

     あとがき




序 ・ 原  裕

難波の血
  ~句集『青葡萄』に寄せて

 句集名を思案しているうちに

  湯のやうな日がさしきたり青葡萄

の作品を「鹿火屋集」の句稿の中に発見したときの感動をあらたにしたのでした。それは<新しい作家>誕生の手応えでありました。
 わたしには、この作品のもつ「しずけさと充実感」が、すでに記憶の中に根付いている俳句に共通するものをうけとっていたのです。
 原コウ子の代表作の一つの<青葡萄太る一途にしずまれり>は、昭和三十一年のもの、句集『昼顔』に収録されています。この二つの「青葡萄」の俳句のたたずまいに近似なものをうけとったのです。つまり、女流にはめずらしく骨太なもの、それでいて女流のもつ繊細な感情のひだをみせる作風を感じたのです。
 草深昌子さんの俳句は、この「青葡萄」の句の生まれる以前から注目されましたが、この作品を発見して<新しい作家>の誕生の確信に似たものを得たのでした。
 原コウ子の「青葡萄」の句が生まれたころの作者は、鹿火屋主宰として後進の指導に精力を尽くされてをり、自分の作家としての努力を重ねていた時代のものです。つまり「俳句の可能性」への信頼へ全身をかけていたのでした。
 草深さんの第一句集の書名を「青葡萄」にしたいと考えたのには、これらのことのほかに、原コウ子も草深昌子も、ともに大阪生れです。そこに「難波の血」を思いました。
生涯大阪生れに誇りをもっておりました原コウ子に通じる何物かを草深さんに感じています。
 「青葡萄」の作品を発表した後、草深さんの作句は好調のようです。そこで本書に採録された六年間から年間一句を選んで味読し、この作者の俳句の輪廓をとらえたいと思います。

  毬ついて大地たしかむ五月晴

 「毬」によせる少女の時代からの祈りのようなものが伺える情景です。「五月晴」の天地の中で毬つきを楽しんでいます。その五月晴れの日差をすっかり吸い取ったようた大地との戯れ、その仲だちをしている毬のはずみ工合が何ともいえず心地よいのです。「大地たしかむ」ところに楽しい遊びのよろこびが感じられます。

  娘に贈る手鏡選ぶ聖五月

 これも五月です。「聖五月」には天地創造の気持をつないでいると見られます。娘に伝える母のこころ、「手鏡」には女性の魂がこもります。その「手鏡」を選んで娘に贈る母のこころは嬉しさにはち切れんぱかりです。

  父の日の空の厚みを知らず居りし

 「父の日」は六月の第三日曜。この句には昌子さんがお父上を早く亡くされて充分に甘えることができなかったという境涯がかくれています。それを天の神のふところでうけとめている。「空の厚み」にかけて詠んでいるのです。それだけ母の愛情に充たされて育った昌子さんの、母への感謝の念が一句の背景によみとれるのです。父母両親の分を母が一人で荷ってきているのですから。ちなみに草深さんの俳句入門はお母さんの影響と伺っています。
 近松忌全国大会で第一位となり文部大臣賞を受けたさいの家族からの祝福を笑顔で語っていた昌子さんの晴れやかた顔がいまも目に浮かびます。大阪へ出て受賞式にのぞんだときのよろこびを分ちあった日がありました。

  成人の日の娘を隔つ回転扉

 結婚して問もなく上京。母や姉たちと離れ住む身になった自分のことがふりかえられたことだろうと思います。娘も成人の日を無事に迎えた、祝福のこころは、また娘の自立をうながす季節でもあったことを、たまたま成人の日の祝宴を開いた会場の回転扉で気付かされたのです。それがうかつなことであったと思うには、娘への愛情が深すぎるのです。
ここには祈りがうたいとられています。

  白南風に花嫁の母吹かれをり

 この句には「姪・由紀、結婚」と前書があります。
 「歳月人を待たず」、いつしか母娘の一体の日々が過ぎて、ついに娘も良き伴侶を得て花嫁衣裳で自分の前にあらわれる仕儀となります。この明るい梅雨明けの白南風のなか、自分の姉を「花嫁の母」と認識させられたのです。ここに人生の哀歓はひとしおです。

  遠見して紙舟かともかいつぶり

 鳰の海に遊んだこころゆくまでの一日の旅の楽しさが伝わってきます。鳰(かいつぶり)を「紙舟」かとも眺めるところに、鳰を自分の眼でたしかめる姿勢が出ています。「紙舟」は比愉の面白さだけではなく、浮寝鳥を「物」としてうけとめているところに写実の眼の働き、自己の感性にすぺてをゆだねる姿勢があります。
 さらに俳句の可能性への挑戦、それは自己の可能性への挑戦でもあります。

   平成五年二月
                                          正午山房にて


                                             原 裕

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by masakokusa | 2006-12-23 11:50 | 第1句集『青葡萄』 | Comments(0)
草深昌子句集『青葡萄』


      一、毬

     ピカソ館出て目鼻ある春の人

     歓声のしづもりに似て夏はじめ

     毬ついて大地たしかむ五月晴

     吊輪より拳つき出る極暑かな

     秋暑し曇りきつたる道路鏡

     秋天へ家族の肌着寄せて干す

     野菊挿す鳥のかたちの壷あらば

by masakokusa | 2006-12-23 11:47 | 第1句集『青葡萄』 | Comments(0)
草深昌子句集『青葡萄』

      二、手鏡

     三つ峰の一つは険し初御空

     曇り日の干し竿長し沈丁花

     春天へ子育ての手を放ちけり

     葉桜やかたまりやすき紺セーラー

     靴音のひびきどこまで初夏の道

     子等の声渦となるまで風薫る

     娘に贈る手鏡選ぶ聖五月

     魚くさき手をいつくしむみどりの夜

     人形の手足ゆるびし梅雨の家

     夏芝居はねしばかりの松動く

     夕涼や啼く鳥どれも競はずに

     夜の秋ルーペに活字踊り出づ

     隣より電話のかかる秋ついり

     門一つうらもおもても秋落暉

     立冬の海に落ちたる空の色

     冬ぬくし大江戸八百八町の図

     ポストまで土の径行く冬日和

     母の背に似しもの追うて年暮るる

     大年の壷ふかぶかと洗ひをり

by masakokusa | 2006-12-23 11:46 | 第1句集『青葡萄』 | Comments(0)
草深昌子句集『青葡萄』


      三、父の日

     望郷の空の淵より初明り

     恵方へと飴切る音に押されをり

     ころがりし鞠のひと色雪催

     裸木や千手千眼われになし
     
     春暁やわが産声のはるかより

     飛鳥路の謎ある方へ青き踏む

     春陰の首まはし見る地平線

     春夕べ鉄の扉ごしの二タ三言

     花冷えの白磁の皿の光り合ふ

     子供の日地蔵の顔の六つ違ふ

     白鳥のひねりてあまる頸薄暑

     母の日の風顔の辺にきて迅し

     草笛や還らぬ月日おどろかす

     すみずみに天日皓し菖蒲園

     父の日の空の厚みを知らず居りし

     日盛りやベンチ一つを悔のごと

     滴りへ母の手窪のうすみどり

     美容師の鏡に見たる神輿かな

     屑籠の底抜けてゐる終戦日

     ビー玉に新涼の空すっぽりと

     藁屋根も鎌倉なりし涼あらた

     曼珠沙華乗せて木馬のひとめぐり

     寺柱ふくらむまでに秋日吸ふ

     身に入むや仏見し夜の細面

     一茶忌の顔につんつん雨の粒

     旅の夜の歌は小ごゑに一茶の忌

     バースデーケーキに刃入れ波郷の忌

by masakokusa | 2006-12-23 11:45 | 第1句集『青葡萄』 | Comments(0)
草深昌子句集『青葡萄』


      四、回転扉

     七草の一つ一つのみどりかな

     肩垂れてゐるボロ市の皮ジャンパー

     冬日輪子の立ち睡り支へをり

     鉄骨のはざまの空や成人祭

     成人の日の娘を隔つ回転扉

     オブラートひらと掌に立つ寒暮かな

     梅真白風が開けたる玉手箱

     雫して紅梅のいろ白梅に

     いぬふぐりガリバーの足ふりかぶる

     過ぎてより濃くなる思ひ桃の花

     若布干す人のてのひら若布めく

     どの子にも影ついてゐる春の庭

     宝蔵の扉の幾重にも花ぐもり

     花冷えや呼び止むるかに佛の手

     春陰の地べたに花の絵の売られ

     夕桜手をつながねば恋離る

     夕刊のけものくささよ花ぐもり

     彩消えてぬくみいつまで春の夢

     春愁わが名の活字角張れり

     少年の荒息過ぐる椎の花

     今年竹届かぬ天を指してをり

     母の日の花束に寄る核家族

     草笛のやうに鹿の子鳴き交はす

      原コウ子先生を悼みて四句
     涙ごゑ声支へてゐたる梅雨大地

     薔薇散ってあまたの棘をむなしうす

     全うすることのしづけさ蟻の道

     真向へば遺影はにかむ夏座敷

     えご咲くと知らで過ぎたるきのふかな

     鉄工に鉄の胸板大南風

     四万六千日の顔獅子鼻も鷲鼻も

     澄みわたる百の眼や夏座敷

     真つすぐに滝一身をつらぬけり

     あぢさゐの白にひた寄る初心かな

     校庭の四隅の暗さ広島忌

     夏痩せてソクラテスとも言ふべかり

     父と娘のまろび寝したる西鶴忌

     こまやかに闇分け入りし踊りの手

     空晴れて道濡れてゐる終戦日

     初秋の松葉ずまうに勝ちにけり

     爽やかや鳥の胸しろ胸くろも

     葛踏みてレンズの中の鳥逃がす

     新涼やなんじゃもんじゃの実の緑

     白靴の踏めば踏むほど霧生る

     千代紙の水色秋の寒さかな

     部屋かへて秋の灯のいろ違へたり

     香ばしき匂ひがしたり月の道

     虫の夜は卓の上なる耳飾り

     秋の夢花抱くやうに人を抱き

     末枯を真間手古奈として行けり

     初鴨の胸もて水を押し来たる

     病む母に相寄る姉妹木の葉髪

     病棟のにほひ濃くなる時雨かな

     なみだよりうすきにほひの冬の水

     母校冬わが鈍足の跡もなし


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by masakokusa | 2006-12-23 11:39 | 第1句集『青葡萄』 | Comments(0)
草深昌子句集『青葡萄』

      五、白南風

     泡風呂の泡に見を責め去年今年

     初電話はづみつつあり涙ごゑ

     竹林のまみどりぬけし三日かな

     初東風や一樹に伸びる長梯子

     餅花をおもしうれしと波に沿ふ

     どんど場へリヤカーで来し大達磨

     どんど火の次第に昏し人の顔

     どんど果つ波の婆娑羅を打ちかむり

     寒椿名を乱拍子荒法師

     大寒のこんがらかりし雨の糸

     子猿には跳べぬ空間凍返る

     ものの芽のしがらみかむり出でにけり

     涅槃図に蛍飛ぶかと問はれをり

     古町の大樹の影も弥生なる

     蔵の扉のまことぶあつき雪解風

     まだ誰も戻らぬ雛の夜なりけり

     春光や石の机に石の椅子

     みささぎへ春日踏みゆく索索と

     手鏡の真二つに割れ蜥蜴出づ

     派出所の裏の襁褓へ春の風

     靴の紐ほどけて春の磯つたふ

     芋菓子のほろりと甘き彼岸かな

     初花のそよりともせぬ日向かな

     泣きさうな人とほりけり山桜

     喪ごころのここにもそこにもさくらかな

     一片の花曳く蟻のよろけつつ

     啄木忌幌の破れ目に山河見ゆ

     天真をつらぬきとほす今年竹

     鉄幹の見えがくれなる青あらし

     鮎釣りの竿の先まで意志とほる

     夾竹桃揺れても風のくらきかな

     まだ言はぬこころありけり白菖蒲

     光陰のしなやかにあり今年竹

     梅雨の雷内々定といふ知らせ

     行き交うてサクセススーツ夏にほふ

     早稲の香や生れしばかりのはうき雲

       須賀川芭蕉来訪参百年記念大会七句
     釜めしの冷めてもうまし青葉旅

     須賀川や青葉の量に水の量

     句碑とわが胸のはざまや新樹光

     まだ朝の眉もひかぬに白牡丹

     ぼうたんの前ゆく手ぶり大ぶりに

     緋牡丹のはるか見てゐる少女の瞳

     牡丹見て蕎麦するすると熱かりき

     胸突坂といふもよろしき更衣

       姪・由紀結婚二句
     六月の花嫁ゆきの真白さに

     白南風に花嫁の母吹かれをり

     甘藍に刃の一閃のすばやかり

     浮巣見にきて骨董市に紛れをり

     鳥塚の石一枚や夏の風

     石人の鼻削がれたる大暑かな

     夏草を踏むや落葉に似たる音

     月見草魚籠のしづくをしぼりきる

     眞白なる花火はつひにあがらざる

     石階の凹に日こぼる晩夏かな
   
     星合の夜なり混み合ふ終電車

     狂ふかもしれぬ手を挙げ踊るなり

     新涼の汐汲坂をのぼりきりし

     鉄の香に草の香まじる秋暑かな

     湯豆腐を掬ふ軽さも旅はじめ

     照葉して奧へ奧へと京の空

     数珠一つ拾ひ上げたる時雨坂

     日翳れば襤褸ともなり紅葉山

     洛北の冷えを弥勒の胸乳まで

     冷やかに人掃く径を踏みゆけり
    
     秋澄むや一列にゆく仏みち

     一山の冷えを足下に丸木橋

     秋の日の辞世の句碑に暮れてゐし

     河童碑に秋思の背を合はせをり

     行く秋のうしろ見てゐる河童の目

     古民家や陶器のやうに白うさぎ

     古舞台の花道紅葉かつ散れり

     一茶忌の昼のぬくとさ夜のさむさ

     たっぷりとおこぶのおだし近松忌

     身の丈にあまるトロフィー暮迅し

     冬晴れの空見てあれば大事過ぐ

     くすり屋に隣るブティック一葉忌

     冬の雨針葉樹林の中とほる

     極月の寺の奧より海展く

     びしょ濡れの魚河岸抜けて聖夜なる

     雪催ひ合羽橋まで来てゐたり

     盃の藍の深さや年忘れ


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by masakokusa | 2006-12-23 11:38 | 第1句集『青葡萄』 | Comments(0)
草深昌子句集『青葡萄』


      六、かいつぶり

     日の顔の曼荼羅となり初電車

     超高僧ビルの下ゆく淑気かな

     青年の韋駄天走り初山河

     まづ雫のせて俎板始めかな

     天照らす俎開きの刃先かな

     寒雲の飛ぶかたちして動かざる

     はろばろと来たる雪片藁の上

     蛇行してのぼる急坂春めけり

     丹頂の白無垢ことに凍てにけり

     双鶴のおもひあふれし羽根ひろぐ

     恋へばかく啼けばよしやと鶴の舞ふ

     天空にあをみさしたり鶴のこゑ

     雪嶺や神の一刀鋭かり

     雪雫乳呑児抱きし日は遠く

     淡雪や子持杉また夫婦杉

     春雪に絹目の雨をとほしけり

     「考えるヒント」机上に日脚伸ぶ

     笑むに似て憤怒の像や下萌ゆる

     あんばいのよろしき日和薄紅葉

     恋猫のさらりと朝日かはしけり

     きざはしを児が這ひのぼり春の寺

     赤坂にうなじ吹かるる雛の日

     紙雛や金の盃銀の琵琶

     のぞかせてもらふ袂や紙雛

     木ぶし咲くこころに風をたたしめて

     満点の日和授かり卒業す

     まうしろに真紅の一樹卒業す

     校舎より高き梢や暮れかぬる

     桜咲くかまへに幹ののけぞれる

     寸分の乱れもあらず花の散る

     梅若忌あはれを謡ふ男ごゑ

     子雀の跳んで一粒万倍日

     水色の空までつづく茶山かな

     はればれと一日茶摘女となりぬ

     手の甲のほのあからみし茶摘籠

     茶摘女の手際に影も摘まれたる

     青葉寺二つ据えたる力石

     桑の実や子離れできぬてのひらに

     十薬に日暮れ遅れてきたりけり

     青葉潮雲の清濁いとはざる

     鴉声には鴉声応へて梅雨に入る

     瑠璃殿にしばらくありし梅雨の人

     黒南風や重ね置かるる小鳥籠

     頭の中が火薬庫となる梅雨夕焼

     文字摺草きのふの翳りけふの照り

     口笛を吹きたくなりぬ植田べり

     人の背の闇を見てゐる蛍狩

     凸凹のなき山連ね朝ぐもり

     神将の踊り給へる暑さかな

     炎帝のいろに乾けり国栖の紙

     碑を一帆として涼しかり

     鮎宿にバスかたむきてとどまれり

     夏座敷上座下座もなかりけり

     宿の湯のうすきみどりや夕河鹿

     すすり泣く弦より硬く髪洗ふ

     人肌のぬくみ樹にあり蝉の殻

     わが影のもっとも小さくして灼くる

     湯のやうな日がさしきたり青葡萄

     草木は揺れてもの言ふ終戦日

     大樹下に入りて秋意のはじめかな

     橋渡る人を見てゐる閻魔の日

     来迎会色なき風をとほしけり

     片々の散華の中のあきつかな

     一陣の風のなかなる一遍忌

     子規庵に屯して涼新たなり

     秋海棠耳にやさしき声残る

     秋風や子規も八雲も横向ける

     ぬかるみの径ゆくことも子規忌なる

     馬肥ゆる少女は胸を反らしつつ

     水族館の大円球やいわし雲

     ナポレオンフイッシュめぐらす秋の水

     秋水にさからふ魚の青さかな

     うそ寒や渚の海月うらがへし

     船下りて少女像まで秋の道

     秋の街マドロス人形一つ買ひ

     秋雨のつひと過ぎたる港町

     白菊の白あたらしき蕪村の碑

     身に入むや京に来て訪ふ芭蕉庵

     蒸し麺麭のやうな月上げ能舞台

     月のぼるシテの白足袋そくそくと

     山の木にシテとワキある良夜かな

     金剛の月をはるかに能果つる

     団栗に屈みて負ひ目なかりけり

     黄落や鴉も子とろ遊びして

     黄落に油絵具のにほひけり

     木の実落つぴしりとおのが身を打ちて

     秋うらら何はさておき浮御堂

     色変へぬ松に据ゑたる月の句碑

     高枝より若き声落つ松手入

     秋光や淡海の鴎飛び上手

     身に入むや夜も佇ち給ふ観世音

     遠見して紙舟かともかいつぶり

     船下りて秋の遍路のまぎれたり

     一島に一社一寺やいわし雲

     入舟も出船も白し秋夕べ

     諸子焼く炎の色赤し秋の暮

     浦島の亀に会いさう小春凪

     残菊や僧のこゑしてみあたらず

     鳴き竜のびよろんと鳴く寒さかな

     三の酉欅の雨をふりかぶり

     熊手買ふめったやたらと空掻きて

     三の酉おかめいよいよ細目なる

     枯れのなか刃よりも疼くことば過ぐ

     羽子板市それてがさつな風に会ふ

     歳晩の寺より見たる観覧車

     馬道をとろとろ行きて年惜しむ

     胸の辺に湯気寄りやすしぼたん鍋

     ほろ苦き菜のまじりたる牡丹鍋

     猪鍋にこゑのかすれてしまひたる

     木の葉散りつくすまで日の無伴奏

     山据ゑて空の動かぬ石鼎忌


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by masakokusa | 2006-12-23 11:37 | 第1句集『青葡萄』 | Comments(0)
草深昌子句集『青葡萄』
    
            あとがき

 私の生れるずうっと前からこの世はあって、私が消えてからもずうっとこの世はありつづける。―――そんなあたりまえのことが幼いころからの不思議でした。
 とめどなく流れる月日の中を、人として、ほんのつかのま通り過ぎることを思うと、喜びは一瞬、悲しみも一瞬といえましょう。
 そんな切ない瞬時のかがやきを、手触りのあるものとして握りしめ、ことばにとどめてゆくことができたら・・・そう願って俳句を作ってまいりました。
 私の俳句は、嬉しいときには嬉しい、淋しいときには淋しいと、脈打ってあるいのちを私自身に教えてくれました。
 平成五年、私は知命を迎えます。そして戦死した父の五十年忌を修します。
意義深いこの年に、原裕先生のご厚情により、句集上梓の運びとなりました。感慨ひとしおでございます。
 振り返ってみますと、今日まで、何と多くの皆様のとの出会いに恵まれ導かれてまいりましたことでしょうか。私の幸せは、そのことをおいてほかにございません。

収録句は、鹿火屋入会以降のもの三百句に限りました。41歳から47歳までの6年間の作品となります。
 上梓にあたりまして、原裕先生には身にあまる序文を賜り感謝の気持でいっぱいでございます。また牧羊社の小島哲夫様のお骨折りをいただき、鹿火屋の諸先輩方にお励ましをいただきました。ここに厚くお礼申し上げます。


    平成5年2月                    草深昌子


 (1993年2月15日 牧羊社発行 精鋭女流俳句シリーズⅠ 「青葡萄」)


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書評・草深昌子句集『青葡萄』   俳句の申し子   小林実美(俳人協会会員)

 俳句の申し子というと笑われるかも知れないが、私は本気でそう思っている。とにかく不思議な人で、ある人が、「彼女の俳歴はたかだか十二、三年だと思うが、俳句は句作りを始めた当初から洗練され、老成していた」と語っていたが、さもありなんと思う。
 私が草深昌子さんと知り合った頃、彼女は俳句よりも、卓球に熱中していた。卓球でひと汗かいたあと、息を弾ませながら句会場へ駆けつけたものである。腰を痛めて卓球を断念してから俳句に専念したわけだが、途端に脚光を浴びる身になってしまったのである。
 鹿火屋入会後、僅か三年で鹿火屋新人賞を受賞、同人に推挙された。その後も各大会で目覚ましい活躍を続け、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いなのである。

    春暁やわが産声のはるかより    
    毬ついて大地たしかむ五月晴
    どの子にも影ついてゐる春の庭
    涅槃図に螢飛ぶかと問はれをり
    頭の中が火薬庫となる梅雨夕焼
    裸木や千手千眼われになし

 昌子俳句の魅力は、何といっても天真爛漫な人柄がそのまま作品に表れていることである。しかも、生得の感性に濾過され、斬新そのものなのである。
 昌子さんは、句会ではいつも裏方に回り、"能ある鷹"を装っているが、句会後のおしゃべりタイムになると、俄然ハッスル。才気煥発に語りを楽しんでいる。
最近は、師である原裕主宰の影響もあってか、道元の世界に関心を抱き、一段と視野を広げた感がある。

    湯のやうな日がさしきたり青葡萄

 句集名にもなった句だが、原裕主宰は序文で「この句を発見したとき、新しい作家誕生の感動を覚えた」という。そして、「女流にはめずらしく骨太なもの、それでいて女流のもつ繊細な感情のひだをみせる作風を感じた」と述べている。私は、次の句に着目した。

    わが影のもっとも小さくして灼くる

 炎天下、標的のようになって身を灼かれているのである。しかも「わが影のもつとも小さく」と絞り込んでいるあたりが巧みだ。子供の頃、ルーペを利用して太陽光線で黒い紙を燃やしたものだが、そのことを思い起こさせる。見たまま、体験したままではなく、あくまでも「感覚」を重視する昌子俳句の本領を垣間見た気がするのである。
 昌子さんは「俳句は私にとって、手鏡のようなもの」と述べている。俳句にわが身を投影することによって、自らの生き方を見直すとともに、美しい心を育んでいるのだ。その意味からも、私には彼女が俳句の申し子のように思えてならないのだ。

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 (1993年6月1日牧羊社発行「俳句とエッセー」精鋭女流句集シリーズⅠ・書評)



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書評・草深昌子句集『青葡萄』     衣川ちせ子

 『青葡萄』本句集は精鋭女流句集シリーズの草深昌子氏の第一句集である。
 草深氏は昭和十八年大阪生れ、昭和五十四年「雲母」入会、五十九年退会。
昭和六十年「鹿火屋」入会、昭和六十三年新人賞、平成元年同人、俳人協会会員。現在神奈川県厚木市に在住。

 表紙は紙製、乳白色の地に露を置いた薄みどり色の青葡萄のイメージの大小の粒が一杯並んでいるさわやかな装幀である。
 題名は末尾の「かいつぶり」の章の、「湯のやうな日がさしきたり青葡萄」より。
 序文に原裕氏がこの句に出合った時の感動を述べ、新しい作家の誕生の確信を得たと云う事で名付けられた由、草深氏に対する可能性、師の大きな期待を負う人と思います。

  毬ついて大地たしかむ五月晴
  父の日の空の厚みを知らず居りし
  成人の日の娘を隔つ回転扉


 骨太で繊細、五月晴れの天地の中の毬つき、父の空の厚み、娘への愛の深さ、大変句作の心を刺戟されつつ詠み進みました。

  吊輪より挙つき出る極暑かな
  秋天へ家族の肌着寄せて干す
  娘に贈る手鏡選ぶ聖五月
  病棟のにほひ濃くなるしぐれかな


  若さ、軽快さ、又神経のこまやかさと巧みに構成された句群に感銘を深くしました。
 なお心にのこった句をあげて結びます。

  真つすぐに滝一身をつらぬけり
  白靴の踏めば踏むほど露生まる
  千代紙の水色秋の寒さかな
  早稲の香や生れしばかりのはうき雲
  人の背の闇を見てゐる螢狩
  木の実落つぴしりとおのが身を打ちて


 円熟の五十歳。御健吟をお祈りします。


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書評・草深昌子句集『青葡萄』     森川光郎(「桔梗」代表)
  
  草深昌子は鹿火屋同人。句集『青葡萄』は昭和六十年鹿火屋入会以降平成二年までの三百句収載。
 句集の昭和六十三年「回転扉」の章に「原コウ子先生を悼みて」の前詞で四句がある。

  涙ごゑ支へてゐたる梅雨大地  
  薔薇散つてあまたの棘をむなしうす
  全うすることのしづけさ蟻の道
  真向へば遺影はにかむ夏座敷

 「青葡萄」を読んだあと、もう一度振り返って見るとき、どうしてもこの四句に突き当ってしまう。この頃からの彼女の打ち込み方を管見すると、この四句は自分のことを表白しているのではないか、コウ子先生と自分を重ね合せて詠んでいるのではあるまいかと思うのである。
例えば「全うすることのしづけさ」の句にしても、これはなまなかなフレーズではない。そう簡単にぼっと吐きだされたものと思う訳にはいかない。しっかりと肝に据えて、然る後出て来た言葉と思うのである。

 句集の終りはつぎの句で締め括られている。

  山裾ゑて空の動かぬ石鼎忌

 実に堂々たる石鼎忌の句である。このような句に出会うと言葉を失う。私はこの句を終りに据えたことに作者の意志を見る。「原コウ子先生を悼みて」の四句と、地の底で細い根
がしっかりと繋がっていると思うのである。

 句集というものが、それを読んだ人の作句欲を、大いに刺激して呉れることもあるし、句集を読んだことに依って、作句欲が萎えてしまうものもある。
では「青葡萄」はどうかであるが、まあ次の諸作を御覧じろ。

  春暁やわが産声のはるかより

 春暁の原初とも言える清浄なる空気を破って自分の産声が響いてくる。それを耳をすまして受け止める。作者の感動は又読者の感動でもあることを痛切に感じさせてくれる一句。自分の産声を自分が聴くというレトリック。
 季語が万全であることが、より作者の意中に参入できるのである。

  春陰の首まはし見る地平線

 人は思わぬことをする動物である。この句のように春陰の首をまわして地平線を見ることもする。そのような己れを、或る距離をおいて見ている自分。「春陰」でなければ醸成しない句境と言えるだろう。俳句の面白さはこゝにある。

  どの子にも影ついてゐる春の庭

 さりげない句ではあるが、いやそれだからこそいつまでも気にかかる句と言える。このような句に会うと、佳什は、平明さの中に求められるの感を深くせざるを得ない。
 この性向の句がこの作者の本命と見ている。

  夕刊のけものくささよ花ぐもり
  香ばしき匂ひがしたり月の道
  まだ誰も戻らぬ雛の夜なりけり
  真白なる花火はつひにあがらざる
  湯のやうな日がさしきたり青葡萄

 見えぬものにじっと目をこらす。聴こえぬものに耳を傾ける作者の姿がありありと現出する。一方次ぎのような淡白な句群にも捨て難いものがあることを特記したい。

  美容師の鏡に見たる神輿かな
  まだ朝の眉もひかぬに白牡丹
  超高層ビルの下行く淑気かな



(『青葡萄』平成五年二月十五日発行・精鋭女流俳句シリーズⅠ・牧羊社刊)

by masakokusa | 2006-12-23 11:34 | 第1句集『青葡萄』 | Comments(0)