カテゴリ:大峯あきら・寄稿( 1 )
花の開花を待つ吉野                 大峯あきら
            
 ことしは全国的に桜の開花が早かったようで、あちこちから花便りが届く。その中で、吉野山の桜はなぜか遅れているのである。
 気むずかしくて敏感な吉野山中の天候は、花が咲く直前まで手を変え品を変えるのが、例年のことであるが、ことしは執拗に寒気が居すわったままである。
 先月の終わり、吉野山の奥千本あたりの高嶺はまた雪をつけ、麓の村々を霰が叩いてまわった。それからはずっと曇りつづきで、激しい露をともなう雨も降った。

   吉野山さくらが枝に雪ちりて花おそげなる年にもあるかな

 まことに西行のこの歌のとおりの日々である。むろん西行が詠んだのは、もっと早い二月頃、まだつぼみも出てない枯桜であろう。それにしても、これはどこの桜でもよいわけではなく、あくまでも吉野山の桜でなくてはならない。
 冴え返る日が何日もつづくと、吉野人のあいだでは、ことしの花は遅いでしょう、という言葉が今でも日常の挨拶になる。一首はそういう吉野人の心に、ひっそりと身を寄せた趣がある。
 この三日に吉野町の観光課に電話で様子を問い合わせたら、「まだどこも咲いていません。十日ぐらい遅れるでしょう。十二日の蔵王堂の花会式の頃になるかもしれません」という返事であった。
 うすら寒い風が杉山の上をそうそうと吹き渡る。その杉山は桜を閉じこめている砦のようである。その砦の山の向こう側に、開花を抑えられて震えている何千本という山桜のことが思いやられる。一週間後に俳誌『晨』の何人かの仲間たちと一緒に、その桜に見えることになっているからである。
 
 十数名のこの桜の吟行会がはじまってから、もう二十年になるだろうか。何回か参加していた飴山実、田中裕明などはすでに故人になってしまった。人は変わっても桜は毎年同じように美しく咲く。「年年歳歳花あい似たり、歳歳年年人同じからず」であろうか。
 しかし、もっと厳密にいうと、吉野山の桜は毎年、微妙に異なった表情を見せるのである。ほんとうに美しい花ざかりに出逢えた幸運は、吉野に近く住むわたしなどでもめったにない。
 観光ルートを外れた静かな山中に立つ民家に泊めてもらったわたし達は、観光客や俳人たちに逢うことのない山径を、一種奇妙な生きものみたいにたどりながら句を拾うのである。
 
 それは「けものみち」ともちがうし、「吉野山こぞのしをりの径変へてまだ見ぬかたの花を尋ねん」と詠んだ西行の超越の径ともちがう。人里を離れて奥山へ消える径ではなく、山人たちが日常に通う生活の径である。そんな径が、ちょっと注意すると、あちこちにあるのが花の吉野山の個性であろうか。
 谷々をいちめんに埋める桜の、この世ならぬ華麗さと、昔変わらぬ素朴な山人たちの日常生活とが事もなく共存しているのだ。こん豪華な贅沢が、今日どこにでもあるとは思えない。
 去年、そんな径で仲間たちはいくつかの秀句を拾った。

  赤子はやべっぴんさんや山桜      草深昌子 
  はくれんは生まれる前に咲いてゐし   山本洋子
 
 大きな山桜の下の乳母車の中に入れられていた可愛らしい山家のみどり子。満開の花をつけた自家のはくれんの巨木を見上げて山人がふとつぶやいた言葉を決して聞き逃がさなかった俳人。
 この年は上天気のお陰で、吉野全山の桜は文字どおり匂い立つようだった。
 その折の拙句。

  どこからか揺れはじめたる桜かな
  花の夜は更けて大きな星ばかり
  花どきの山墓傾ぐことごとく



おおみね・あきら=俳人、哲学者 1929年生まれ。俳誌「晨」代表同人。主な著書に句集『宇宙塵』『牡丹』、エッセー集『花月のコスモロジー』など。吉野の山の麓に住み、浄土真宗の寺の住職を務める。

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(2006年4月5日発行「東京新聞」(夕刊))
by masakokusa | 2010-01-29 19:29 | 大峯あきら・寄稿 | Comments(0)