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私の先生        草深昌子

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 平成十四年十一月、米子空港で「ようこそ!昌子さん」と手作りのプラカードを掲げて待っていて下さったのは、栗木先生と令夫人、かつての大槻啓子先生でした。
「先生!」思わず、啓子先生に抱きつきました。
 冬晴のその日、実に五十年ぶりの邂逅でした。

 すでに還暦を迎えたおばあちゃんの私に、栗木先生の第一声は「大きなったなあ!」でした。
 それもそのはず、私は一メートルに満たないまま入学し、六年間ずっと学年一番のチビだったのです。
 まだ乳呑児の時に、父を戦争で亡くした私は、何もかも成長が遅れていたのでしょう。そんな、いたいけな私を、先生は兄のようにも父のようにも愛情いっぱいに導いて下さいました。 

 啓子先生は四年、栗木先生は五、六年の担任でした。
 啓子先生は、子供心にも上品で、うっとりするほど憧れました。
 栗木先生は、いつも颯爽と現れ、先生の行くところはどこも光りをまき散らすかのように輝くのです。まるでアラン・ドロンでした。
 「マーちゃん、マーちゃん」とおっとりと声をかけてくださる先生が好きでたまりませんでした。

 五十年ぶりのあの日も、私の胸はドキドキしていました。
 でも栗木先生は、ただ悠々として、少々のお酒に真っ赤になっておられました。
 当時、一緒に級長をしていた姫岡君と共に、語っても語りつくせないなつかしい時を過ごさせてもらったのは幸せな思い出です。

 「大きなったなあ」のお声は忘れることはできません。
 先生の激励に応えて、私はこれからも、少しでも大きくならねばなりません。
 栗木先生は私の先生として、今も私の中に生き続けてくださっているのですから。


(『闘病記録』栗木恭彦 2017年4月11日発行 編集者 姫岡和夫)
by masakokusa | 2017-03-30 20:46 | エッセー3 | Comments(0)
『柳居子徒然を読んだ ー 十周年記念誌』       草深昌子
 
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       『柳居子の風景』           草深昌子         

                               
 去る三月三日の「風景」と題する出だしの数行には、すっかり引き込まれました。
 遠く離れた柳居子さんにお会いしているような、なつかしさを覚えたのでした。

 ――風景という言葉を、眼前の景色、眺めと同義語とするのは無理があるかと思う。もう少し広がりが有り見えないところも含めての「気色」というものが相応しいかもしれない。まるで風が目に見えない様に、風にそよいで木々の葉が僅かに動く様を表す含蓄のある言葉だ――

 表現できそうにもないことを、さりげなく言葉に置き換えてしまわれるところ、何ともうらやましいかぎりです。
 俳句を作って四十余年、今さらに、こういう「風景」を詠みたかったのだと気付かされます。

 若い頃、何故俳句をやるのかと問われるたび、「俳句はわが存命の喜びです」と答えていました。
 徒然草の「されば、人、死を憎まば、生を愛すべし。存命の喜び、日々に楽しまざらんや」から引いてきて、何だか恰好をつけて言い放っていたような言葉が、ようやく、自分の本当のものとして実感されるようになってまいりました。
 それと言いますのも、「草深昌子のページ」という拙いブログに、柳居子さんから、折角なら毎日一句を書き込んでは如何かとお勧めいただいて、たどたどしくも続けてきたからのように思われます。
 一日にたったの十七音、小さな一行詩ですが、これが確かな一本の杖となり、今日まで楽しく歩んでまいりました。
 何より、柳居子徒然を通して、そのゆるぎない後姿に激励されてきたことが大きかったのです。
 あらためて柳居子さんに心からお礼を申しあげます。

 それにしましても、柳居子徒然工房というものの実体は如何なるものなのでしょうか。
 博学多才の凄さはいうまでもないことですが、誰のものでもない柳居子さんならではのものの考え方、感じ方を一字一句ご自身の言葉として創作し、休みなく発信されるわけですから、凡愚の想像を絶します。時にして、修羅場のようなものではないでしょうか。
 それでも、まるで何でもないことのように、自然体のありように魅せられますのは、ただただ不思議でなりません。

 ところで、先の風景を語る言葉は、司馬遼太郎の『空海の風景』につながります。

 ――司馬氏をして空海という人の全貌を結果的に解き明かす事が出来ない巨大な人に、司馬氏は自作の題名を空海伝とはせず、風景という言葉を選ばれた――

 柳居子徒然は、まさに「柳居子の風景」にほかならないものでありました。
 これからも柳居子の風景に励まされていくことでしょう。

(『柳居子徒然を読んだー十周年記念誌』所収)

柳居子さまによる連載、楽天のウエブ・ログサイト『柳居子徒然』が、一日も休まず、10周年を迎えられました。
この度、『柳居子徒然を読んだ ー 十周年記念誌』(2016年7月1日)が発刊されました。
心よりお喜び申しあげます。
by masakokusa | 2016-09-02 21:13 | エッセー3 | Comments(0)
モーツァルトを聴く                       
   
 朝、夫を送り出したあと、ひとりモーツァルトを聴いている。
 ピアノコンチェルトハ短調第二十四番、演奏はクララハスキル。そしていま、音楽の流れのままに、真っ白なページにペンを走らせている。

 庭の紅梅は、寒気のなかを咲ききって散った。名残の二三輪に雨の雫が光っている。
 隣に咲き始めているのは八重椿。椿の花はどれも天上に背を向けてひらく。俯いて咲くことを身上としているのだろう。どういうわけか、今年は蕾のときから元気がなかった。案の定開き始めると、花びらのどの先も縮れて味気ない枯れの色を見せている。まるで青年のみだらな茶髪のようで眼を背けたくなる。だが小鳥たちは嬉々としてやって来る。

 第一楽章から一変して第二楽章のすべりだしは大海原のうねりをおもわせる。ピアノはさみしがりやの私に、とつとつと語りかけてくれる。胸のなかの混沌とした物思いの一つ一つを丁寧にすくい取って洗い上げてくれるようだ。ときには木綿の感触に、ときには粗い麻布で、仕上げはシルクで包み込むようにして、湯上がりの心地になっていく。
 フォションのアップルティをふたたび注ぐ。こんどはためしにレモンをしぼってみる。口中にレモンとアップルがミックスされて溶け合う。舌の奥の方ではレモンはレモン、アップルはアップルと別々の声をあげているのがはっきりと認められる。
 ピアノと木管は風のように絶えず呼び交わしている。二物の交歓はからみつつ、混じりつつ、分離しつつ、やがて一体となっていく。

 ハスキルはたぐいまれなるメロディーを奏でる。一音一音が孤高に独立して、しかも威張らず、はにかんだようにはなやぐ音色だ。人間の音声もこうでありたいと思う。人のことばはゆっくりと間をおいて聞こう。自分のことばは、ひと呼吸おいて発したいと思う。
 小鳥の声はどこまでも透き通る。「やあ、椿さん、おはよう!」と、先ず小首をかしげる。椿は昨夜の雫を払うようにしてふっさりと揺れて答える。やがて小鳥は全身を捩らせて椿の奥へ吸われていく。美しく切ないような、しあわせな時が黙って流れている。

 モーツァルトの鼓動は私のそれとなって、私もまたいつしかしみじみと歌い上げている。
 そう、今日こそ、美しい声を発しよう。たれかれに心をこめて「おはよう!」と呼びかけよう。きっと気持ちのよい「おはよう!」がかえってくるだろう。

 目覚ましい展開を見せてピアノコンチェルトは終わった。一頁も尽きた。 

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by masakokusa | 2009-06-25 11:39 | エッセー3 | Comments(0)
幸せのかたち                   
                                                    
 「今年の椿は遅いわね」、「一輪だけ咲いているよ」、私と夫の朝食の会話はそれきりでとぎれた。私は内心でことばを続けていた。「四年前の三月六日の朝、それはもう数えきれないぐらい咲いていたのよ」。
 娘は、その真っ赤な椿の花を置きざりにして巣立っていったのだった。

 娘が結婚して一番寂しくなったのは食卓である。娘との会話はいつも食卓で花開いた。たわいない中にもはなやぎがあった。決まって私の真向かいに座っていたから、その頃の庭の椿の木はすっぽり娘のかげにかくれていた。
 結婚直後の二人は、必ず一緒にやって来た。娘は頬を彼の肩にのっけるようにくっつけて満面で笑っている。その「幸せのかたち」はほほえましかった。
 結婚して二カ月程経ったある夜、思いがけず、会社の帰りにケーキを下げて娘が一人でやってきた。偶然その夜は夫もケーキを下げて早々と帰宅したものだから、私の柏餅を加えて、食卓にデザートの花がぱあっーとひろがった。
 三人は定位置についた。娘が私の正面に、夫が私の斜め横に座るというおきまりのコの字型である。
 「前はこうだったのよね、こうだったのよねー」とふいに大声で口走ると、私は感きわまって喉元がつまった。 「彼も来たいのだけれど飲み会があって、ごめん」と、申し訳なさそうに言う娘に、「いいの、いいの、たまには一人でいらっしゃいよ」。三人というなつかしい数の再現に、私はやたらはしゃいでいた。
 そこへあろうことか、予定を変更して彼がやって来たのだ。娘は小躍りすると、ソファに座っている彼にぴたっと寄りそって動かない。少し離れた食卓から、またしても私は、ひとり「幸せのかたち」をながめることになった。
 ああ、やっぱり彼がいいのねえ、そっとつぶやいた。そう、そうだった、命というものはいつまでも同じところにうろうろしてなんかいないのだ。
 コの字型は私の幸せのかたちだった。でも今はもう思い出のかたちなのだ。そう自分に、何回も言いきかせていたっけ。

 あれからもう何年経っただろう、今年もあたたかな季節がめぐってきた。
 コの字型の一角は、素通しになって椿の木はすっくと立ち続けている。蕾を膨らませて椿は今にも笑いだしそうだ。


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by masakokusa | 2009-04-15 21:16 | エッセー3 | Comments(0)