カテゴリ:秀句月旦(2)( 12 )
秀句月旦・平成21年12月
  
   大三十日愚なり元日猶愚也       正岡子規

 「元日」とあるので新年の句であろうか。私には一年の果、「大晦日」に書きつけた一句に思われる。
 大晦日といって急いて騒いでどうなるであろうか、明日という新年もまた何ほどのことがあろうか、嗚呼大みそか、嗚呼元日、というほかない。
 子規の病苦が吐かせた一句かもしれないが、子規はただ悶々とうろたえているのではなかった、子規の精神はどこまでも健やかに、病気を楽しむ境地にあったように思われる。
 今日に生きる誰彼であってもふとこんな感慨に襲われることが、それを物語っている。
 正真正銘の凡愚我は、紅白歌合戦を見て、除夜詣をして、やがて初日にまみゆる。
その心は、<来年はよき句作らんとぞ思ふ  子規>、である。

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    父母の亡き裏口開いて枯木山         飯田龍太

 冬はすっかり葉を落して裸木になる樹木と、いつまでも枯葉をぶら下げたままの樹木があるが、いずれも枯れた状態で越冬する枯木である。
 掲句は「枯木かな」でなく「枯木山」であることが、裏山の情景を見せて、一句のふところを大きくしている。まるで、父母の恩寵を暗示しているようである。
 龍太の自句自解にはこうある。
 「俳句はすべて短尺に乗るものでないといけません、といった人がある。(略)私はそこまで言い切れないが、せめて読者に不快な印象だけは与えたくないと思っている。出来たら自分のこころをしずめ、同時に読者にも安らぎを与えるような句を作りたいと考えている。ことにこんな場合は、自分の気持を静めることで精一杯。われながら淋しい句だと思う。自分をたしかめることも、読者に安らぎを与えることも全く忘れ去っている作品である。強いて言えば、冬日のなかの枯木山が明るく見えること。それだけがせめてもの救いであろうか」                


   薪をわる妹一人冬籠       正岡子規

 NHKドラマ「坂の上の雲」が始まった。子規に扮する俳優香川照之は見応えがある。それもそのはず、少しでも子規の苦しみを共有したいと、食欲を抑え17キロ減量したという打ち込みようである。子規の妹、律を演じる菅野美穂もまた熱演である。彼女は子規の死の撮影で、香川の痩せた背中を撫でながら「子規そのもので涙が出た」という。
 前回放映の、子規が母と妹を松山から迎えるシーンも明るく描かれているが、当時の情勢を思うと、物質的にも心理的にもいかばかり重い負担であったことだろうか。その苦しみを見守る母や妹の苦心も、並大抵ではなかっただろう。子規を思うたび、母八重、妹律に手を合わせたいような思いにかられる。
 そんな思い入れもあって、掲句の「妹一人」、わけても「一人」という措辞からは、よく働く妹の背中を恃む子規の熱い思いが伝わってくるものである。
 同時に、実情を別にしても、「一人」と置くことによって、冬の蕭条たる風景を伺わせ、「冬籠」の情趣をいっそう静かに深めているあたり、子規はさすがに冷静である。

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   人間に管を継ぎ足す寒さかな       長谷川櫂

 週刊俳句(毎週日曜日更新のウエブマガジン)に12月13日UPされた、川崎展宏追悼十句のうちの一句である。掲句には、<「人間は管より成れる日短」展宏>という前書きがある。
 何十年前か、何の雑誌か定かでないが、長谷川櫂の書いた川崎展宏論を切りぬきにして持っている。
 そこには、昭和二年生れの展宏は終戦の時18歳、「半ば大人、半ば子供の目で戦争とそれにとって代わった戦後を目の当たりにしてきた。人格の、そして俳句のもっとも深い部分に戦争の刻印を押された世代」、「大手を振って闊歩するなどはいうに及ばず、たとえ慎ましくあろうとも、この世にあること自体を恥とする感覚がある」と記されている。
 展宏が「近頃つくづく人間(無論、自分も含めて)はいやな存在と思うようになった。(略)こんな俳句を作って何の意味がある、自分の俳句について思うことがある」と書いたことに触れたあとで、<人間は管より成れる日短 展宏>を、「たしかにそうだ。いくら巨大な脳をもっていると威張ってみたところで、人間も所詮は海鼠と同じ。一本の管からできている。しかし、そうはいってみても気持ちは少しも軽くならない。展宏さんの抱える心の屈託が、かえって重く迫ってくる句だ」と鑑賞する。
 続いて<熱燗や討入りおりた者同士 展宏>は、赤穂浪士の吉良邸討入りから脱落したもの同士が酌み交わしているのであるが、展宏が詠めば先の戦争を生き永らえた者同士と読めると。
 追悼十句には、<熱燗やがさつな奴が大嫌ひ  櫂>もある。

 元禄7年、芭蕉の病床にかけつけた丈草は、夜伽の吟の中で、<うづくまる薬の下の寒さ哉>と詠んだ。芭蕉に「丈草、でかしたり」と称賛を受けた句である。
 丈草の心理的な寒さが、掲句にもかよっている。
 親炙する師の声はもう聞かれない。孤独な人間の命を見つめる心情の寒さはひとしおである。



   人間は管より成れる日短           川崎展宏

 俳句の大先輩から「川崎展宏さんが亡くなられましたね、惜しいですね」と℡があった。
 先日、<冬と云ふ口笛を吹くやうにフユ>を、このHPに書かせていただいたばかり、と云うと、展宏のカタカナの句なら何といっても<「大和」よりヨモツヒラサカスミレサク>がいいですよと、懐かしげに仰る。
 「大和」は戦艦「大和」、昭和20年4月7日米軍機の集中攻撃を受けて沈没した。「ヨモツヒラサカスミレサク」はある日電文のように作者の胸裡に飛来した言葉。ヨモツヒラサカは『古事記』にある黄泉比良坂(よもつひらさか)。黄泉国(よみのくに)の間にある坂で、ヒラが崖、急斜面、サカは境の意。破裂した「大和」の船体が散乱する海底に咲くはずもない菫を、「スミレサク」という幻の電信を発して咲かせたのである。「大和」と運命を共にした戦没者への魂鎮めである。 
  「日短」の掲句も、発表当時俳壇を賑わしたものだが、私には少々気持ちの悪い句である。人間の管は長くて、日は短い、という関係性がどこかに伺われるからかもしれない。それにしてもこの季題の付きかたは妙である。
 川崎展宏著『高浜虚子』(昭和41年刊行)も最近再読したばかり。ご冥福をお祈りします。



   風邪を引くいのちありしと思ふかな      後藤夜半

 インフルエンザほどの重患なる風邪引きではなさそう。咳や水洟が出て、ぐずぐずするにはするが、風邪を引くのも生きてあればこそ、まあ風邪ともうまくつきあっていこう、風邪には負けないぞという余裕がうかがえる。
 俳人はつくづく何事も客観視するものだと思う。
 翌年80才の夜半は<着ぶくれしわが生涯に到り着く>、また最期の81才には<破れ傘一境涯と眺めやる>と詠った。


   水洟や鼻の先だけ暮れ残る          芥川龍之介
 
 この句も又、著しく自分を見つめているが、ひやりと冷たい眼である。
高い鼻はときに自身の視野に入るのだろうか。神経衰弱に陥った龍之介の、かの美しい鼻梁がしのばれる。 「自嘲」という前書きがなくても、「水洟」に生身の感覚があって、間違いなく、自画像である。
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   冬山路俄かにぬくきところあり         高浜虚子

 岸本尚毅の「形式について―虚子の場合」(『俳句』12月号)を読んだ。
虚子の、<千二百七十歩なり露の橋>、<国寒し四方の山より下ろす炭>、<踏みあるく落葉の音の違ひけり>、<落葉焚く煙を乱すものもなし>等をあげて、
 ―草田男は俳句以前に生じた思考を草田男化した文体に嵌めました。(略)虚子の場合、俳句以前には何もない。何もないところで季題と形式が出会うことにより何の変哲もない風景が俳句に生まれ変わります。虚子は「思考と形式の一体化」を最もよく体現した俳人でした―と。
 掲句に鑑みても納得の論である。
 「俄かに」はいえそうで言えない、まさに歩きの止る瞬間が捉えられる。
 いつだったか、落葉の降り積もった日陰の坂道を細々とのぼっていくと、突然林が途切れて、崖道にさしかかり、そこには笹鳴が聞こえた。南面の何ともあたたかな日だまりであった。一読、なつかしの場所へ引き込まれた。
by masakokusa | 2009-12-02 00:07 | 秀句月旦(2) | Comments(0)
秀句月旦・平成21年11月

   あたたかき十一月もすみにけり    中村草田男

 成田千空著『俳句は歓びの文学』(平成21年10月刊行)は、成田千空が終生、敬愛してやまなかった師、中村草田男への熱い思いがつまっているエッセイ集である。
 草田男の第一句集『長子』(昭和11年11月刊行)について、〈六つほどの子が泳ぐゆゑ水輪かな>、<そら豆の花の黒き目数知れず>、<父の墓に母額づきぬ音もなし>、<蜻蛉行くうしろ姿の大きさよ>等をあげ、「これほど素直に初心が生かされた俳句を私は知らない。初心はこういう俳句において自然を獲得しており、従って作者の天性と直結しているはずであった。成心をもってしては決してとらえることができない言葉のかたちにおどろくのである」と記している。
 掲句もまた『長子』所収、千空の云う通り、初心にして、成心にあらざる句である。
十一月に入ると、ある日突然の寒波に震えあがるのは毎年のことである。慌てて寒さに身構えていると、豈図らんやぽかぽかの小春日和に恵まれることが多い。そんな明暗著しい11月という季節のありようをざっくりと一息に把握して17音字に結んだ。
 寒さは一句の裏にひそんでいる。
 「終りけり」でなく「すみにけり」に名残を引いて、いっそうしみじみと有難かったあたたかさを思うのである。


   畑の木に鳥籠かけし小春かな    正岡子規

 「小」は、小さい、未熟、つまらぬ、少ない、低いなど、さまざまの意味を含んで、日本人好みの修辞詞であるが、「小春」も本当の春に対して、よく似た小さな春というイメージで、初冬の温暖な気候をいう。コハルというひびきからして、なんとも愛らしくあたたかな感じである。
 子規の句は明治30年のものだが、平成の世の今も同じような風景に出会うことが嬉しい。
 籠の鳥は小さな一羽であろうか、文字通り小春を奏でて、土もほっこりしていそう。
 この年、松山で柳原極堂が「ほととぎす」を創刊。子規は腰部の手術を受け、一時容態が悪化した。
 <蜜柑を好む故に小春を好むかな>、ちょっとひねった句も、同年のもの。


   冬と云ふ口笛を吹くやうにフユ    川崎展宏

 冬というときの唇はどこかとんがっているように思う。きちっと区切って発音しないとフ・ユとならないから、口笛を吹くように一音一音となる。
 「冬」が、「フユ」という発声のカタカナ書きになったことで、私にはどこか寂しさを伴って冷やかに感じられるが、寒気の中にもユーモラスなあたたか味を覚える方が自然かもしれない。
 いずれにしても、斬新な一句は、今もって冬になると口誦したくなるものである。
 蛇足だが、女は口辺から老いるから「くちびる美人」になるためには、「ありさんあつまれアエイウエオア~ばんごうばらばらバベビブベボバ」などのはっきり読みエクササイズが必要という。掲句を読みあげるのもエクササイズの一つになりそう。


   鴫立庵時雨冷えしてゐたりけり    草間時彦

 草間時彦は鴫立庵(神奈川県中郡大磯町)の二十一世庵主であった。
  心なき身にもあはれはしられけり鴫立沢の秋の夕暮  西行
 この西行の歌が大磯にある鴫立沢という川であると定めて、元禄時代に大淀三千風という俳人が鴫立庵を開いた。
 「鹿火屋」の原石鼎が晩年隠棲したのは大磯の隣り町、二宮であったことから、鴫立庵で催される句会にはよく参じた。掲句の「時雨冷え」という美しいことばが身に入みるようになつかしく思い出されるものである。
 時彦はむろん、中世の歌人や江戸のさまざまの俳人を心からしのんでおられるのであろう。
 固有名詞「鴫立庵」に多くを物語らせている。


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  山茶花やいくさに敗れたる国の     日野草城

 昭和20年8月15日終戦の詔勅をきいた、その年の11月の句である。
 草城は、空襲で居を移すこと五度に及び、ついには草深い二上山の麓に隠れ棲んだ。
 <二上山を瞻(み)てをりいくさ果てしなり  草城>
 今日、平成21年11月12日、天皇陛下即位20年を祝う記念式典が開かれた。
 両陛下は一つの務めもゆるがせにせず、たゆみない日々の実行の積み重ねによって、全ての戦争の犠牲者に対する鎮魂の思いや、重荷を背負いながらそれに耐えて健気に生きる人々への思いを具現化され続けた、それがこの20年ではなかったか、と前侍従長が語られている。
 草城が山茶花を見てしみじみともの思いにふけった、その感慨が、今日のそれとなって感じられるのも、市井の花、山茶花のおかげである。俳句という詩のことばのおかげである。

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   高き木に梯子かけたり冬構    高浜虚子

 今朝、俳句を始めたばかりの方から、「冬を迎えるために薪割りをしていますが、このマキワリは季語になるのでしょうか」という質問を受けた。
 冬を迎えるための防雪、防風、防寒など用意の一切を含めて「冬構」という冬の季語がある。したがって「薪割」は季語ではないが、素材として活用できますよね、と答えて、ちなみに歳時記を繙いてみると掲句があった。
 例によって虚子の句は誰にでもよくわかる、季語が一句の中心を貫く情景は「なるほどねー」というほかない。
 尚、薪を積みためる仕事は、「冬仕度」とか「冬用意」の範ちゅうにも入るが、これは秋の季語となる。この季語で虚子の一句はと引いてみると、
 <妾より美しき妻冬仕度 虚子>であった。ウーン、これは大分考えてから、そうか、漬物の仕度などしている妻を見直しているのであろうか、と感じ入った次第であるが、読みが浅いかもしれない。マキワリの男性はどう鑑賞するであろうか。


   まだ名無き赤子にのぼる山の月    大峯あきら
 
 生まれたばかりの赤ん坊は、まるまるとつるつると裸を見せる。全身これ火の玉となって泣くかと思えば、全身これ水の平らとなって眠り落ちる。そんな凄まじい生命力、穢れをしらぬ生命力には、まだ名前すらついていない。
 折から、山の端には煌々たる月が昇り始めた。授かった命への賛歌のごとき月光が惜しみなく注がれる。宇宙と一つになった命への畏敬が、森閑たる静けさを大らかに伝える。
 何より、無垢なるものの温みがいとおしい。

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   人生の冬に入りたる我等かな    今井千鶴子

 新橋の居酒屋で時の経つのを忘れた。
この夏、奥穂高登山中二千メートル付近で熱中症から意識不明になり村人に水を運んでもらって九死に一生を得た友、ジープでアメリカ縦断を果たした友、老人介護付きマンションに入居した友、同級のわれら一団の話にはつぎつぎ花が咲いて、弥が上にも盛り上がった。おつまみは豆腐、サラダ、卵焼き、仕上げはお蕎麦という、おきまりの油抜き健康志向コース。
 早めに切り上げて、「じゃー」「ジャー」と威勢よく駅頭に手を振り合った誰彼の顔は、明るいライトに照らし出されて一様に「人生の冬に入る」ものであった。
by masakokusa | 2009-11-04 08:58 | 秀句月旦(2) | Comments(0)
秀句月旦・平成21年10月

   柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺    正岡子規

  碧梧桐が「柿食ふて居れば鐘鳴る法隆寺」とは何故云われなかったのかと評したのに対し、子規は「尤もの説である、併しかうなると稍々句法が弱くなる」と答えた。
 「鐘鳴る」では「鐘鳴る法隆寺」と法隆寺をじかに修飾して、それは単なる固有名詞に終ってしまう。
 子規は「柿食へば」すかさず「鐘鳴る」と結び付けて、空間を置き、「法隆寺」からもたらすものの存在感を大きく打ち出したのであった。
 子規の句法というのは、言語の接続の仕方をいうであろう。かつて私の第二句集『邂逅』の栞に岸本尚毅氏が書かれた言葉の綾が、こういう句にこそ引き出されるのかもしれないと思い返された。
 「極言すれば俳句に必要なのは、感動でも叙情でもない。一つ一つの言葉がその一句に対してどのような影響を与えるか、言葉と言葉がどのような相互作用を持つか、といったあたりの微妙な匙加減が、実は句作りの本質なのではなかろうか」
 それにしても碧梧桐の疑問をうけて、「尤もの説である」という子規の度量の大きさには恐れ入った。

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  とある日の子規の献立秋深む    藤本美和子

 子規の『仰臥漫録』には三度の食事と間食など、病床六尺の世界が克明に書かれている。
 例えば、「10月21日 客なし 夜に入りて癇癪起らんとす 病床の敷蒲団を取り代ふることによりて癇癪を欺きをはる」とある。
 その前日10月20日は、「朝便通、朝飯なし、牛乳五勺紅茶入り ビスケット 午飯三人共に食ふ、さしみ、豆腐汁、柚味噌、ぬく飯三わん、りんご一つ、牛乳5勺紅茶入り ビスケット 煎餅(中略)晩餐虚子と共にす 鰻の蒲焼、ふじ豆、柚みそ、飯一わん、粥二わん、柿二つ、無花果二つ、夕刻前便通及びほーたい取替、夜便通」である。
 さて掲句は、「とある日の子規の献立」と打ち出してあとは黙っている。そして、「秋深む」と感受する。
 この静けさが、二物の関係性の裏側にひそむ何やかやをしみじみと読者に伝えてくるのである。
 


   裕忌の月皎々と軒にあり     林たかし

 裕忌は10月2日、俳人原裕の忌日。
 原裕は、原石鼎の原家と養子縁組をし、若くして「鹿火屋」の主宰を引き継ぎ、その重責を担ったが、1999年逝去された。69歳であった。
 掲句は、「鹿火屋」に30余年所属の同人、林たかし句集『踏青』に所収されている。
月光もさることながら、「軒にあり」が作者ならではの思いだろう。その風貌は穏やかであったが、ときにギョロ目を鋭く光らされたことなども思い出される。
 今わが部屋を飾っている恩師の色紙は、
   鹿垣の露におぼるる草の花      裕
   裏山は蟲の園生の母子かな      〃

 等、筆跡も清らかで、掲句と併せて、なつかしくご恩を思い返している。




   小さき子遊べば冷ゆる千草かな     岸本尚毅

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 秋に花をつける草々の一つ一つを名指しで呼ばないで、大きく抱きこんで八千草とか千草という。どれも小ぶりで風に揺れる様は可憐にもさびし気である。
 大人はそんな千草を通り過ぎるだけであるが、幼い子供は千草にしゃがみこんで、無心に、一心にこころを入れて飽きることなく遊んでいる。千草の情をもっともよく受け止めているのは「小さき子遊べば冷ゆる」その感じ、そのものなのである。
 第四句集『感謝』には「子」と「妻」の句が絶妙の間合いで収められている。「子」や「妻」を詠うというよりは、やはり主役は「季題」であって、季題が詠われることによって、子にも妻にも普遍性が生れてくるのであろう。
   
   うたふこと止めぬ子かなし冬ざるる       尚毅
   なつかしき服着て妻や桐の花           〃 
   避暑の子や白き枕を一つづつ           〃
   寝る前に外を見る子や月明り           〃
   秋の妻数かぎりなき人の中             〃
   椎の実やわが家にいまだ小さき子        〃

by masakokusa | 2009-10-01 10:38 | 秀句月旦(2) | Comments(0)
秀句月旦・平成21年9月
   刻々に大秋晴となる如し     皆吉爽雨

 「コクコクに」、ここには作者のときめきが聞こえるようである。また、「大秋晴」は、どこまでもスケールの大きい秋晴を打ち出して、いやがうえにも晴れやかである。
 こんな気持ちのいい一句をものにした作者の爽快感はいかばかりであったろうかと察すると同時に、その気分が率直に伝わってくるものである。
 爽雨は写生一途の作家であった。
<返り花きらりと人を引きとどめ>、<さわやかにおのが濁りをぬけし鯉>等々、明快にして人品高き句は、読むほどに清々しく、新しい。



   桔梗や子の踝をつよく拭き     山西雅子

 母と子が向き合った情景ながら、ほのぼのというような甘いものでなく、凛々しい純潔な心性を感じる。
 一読して身の引き締まるような美しさは、突き放した距離感がもたらすものであろう。この子は男の子の印象が強い。母親は背中を見せているだけで、母よりも子供に焦点が絞られている。賢い子に育っているのであろう、その透き通った眼の表情が愛くるしい。
 秋の草花は大方は群れて咲いている風情が感じられるが、桔梗といえばくっきりと一輪紫濃き色が目に浮かぶ。「桔梗」は他の何ものともとりかえられない、つまりは作者の愛情は桔梗の本情に凝縮されてあるのだろう。
 ここで<桔梗や男も汚れてはならず  波郷>を持ちだすのは不注意かもしれないが、「桔梗」といえば思い浮かぶ波郷の一句に、あらたに雅子の一句が私の胸中に並んだのである。


   健啖のせつなき子規の忌なりけり     岸本尚毅 

 全く子規という人物はこの一句に尽きると思う。健啖をおもえば子規、切なさをおもえば子規である。
 「健啖の」「せつなき」という付き方、「せつなき」「子規」という付き方、「健啖のせつなき子規の」「忌なりけり」という付き方、つまりは一句まるごと子規忌以外のなにものでもない、最後までグイーっとひっぱってゆく、そのストレートさが子規そのもの。
 掲句は、岸本尚毅の第三句集『健啖』所収。赤尾兜子主宰「渦」入会後、兜子逝去に伴い退会、波多野爽波に師事。平成3年、爽波死去の後、「自分の俳句を自ら律する必要に迫られた私は、あらためて写生という俳句の基礎を学ぶことに努めた。そうした中から生まれた作品をまとめたのがこの句集だ」。
 『健啖』たるタイトルは作者の健啖ぶりを発揮するものでもある。

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  去来忌の抱きて小さき膝がしら      赤尾兜子

 去来忌は9月10日。芭蕉の弟子、蕉門十哲の一人である向井去来は、1704年9月10日に没した。嵯峨野に「落柿舎」という庵をかまえ、芭蕉もここに滞在して「嵯峨野日記」を書いたことで知られる。この落柿舎の裏側にただ「去来」とのみ彫られた30センチほどの少し先細りの石が、その人の墓である。
 高浜虚子に、<凡そ天下に去来ほどの小さき墓に詣でけり>という、上五が何と13字という字余りの名句があるが、この「小さき」を意識的に兜子は引いたかもしれない。
 同時に墓のかたち、墓のあり様が「抱きて小さき膝がしら」を彷彿とするものでもある。それは又、兜子が去来に心を通わせている姿でもある。そこには芭蕉とのやりとりも当然反芻されたであろう。
 赤尾兜子は前衛俳句を主導した俳人であるが、昭和56年、自宅付近の阪急電車踏切で急逝された。そのショック以後、師を顕彰してやまない木割大雄の「カバトまんだら通信」第三期一号に掲句を見た。
 読者をシンとさせる勁さがやさしい。


   馬追の緑逆立つ萩の上       高野素十

 馬追という虫の貌を見定めないが、その声は「スイッチョン」である。図鑑で見るとまさに掲句の通り、萩のような丸い葉の上に、「緑逆立つ」翅を見せていた。よくぞまあここまで描写一途であることよと思うが、やはり表現の妙手ではある。
 30数年も前の村野四郎著の「現代の俳句50選」の中に採られている。
 ―その合目的で簡素な言語構造の冴え。とくに「緑逆立つ」などの微妙な言葉の機能を、若い俳人諸君も、謙虚に学びとった方がいい。―
 他に選ばれた秋の句では、<トンボとまり直して風がすずしい  井泉水>、<あきかぜやわが胸中のさるをがぜ  楸邨>、<野菊まで行くに四五人斃れけり  枇杷男>、<白露や死んでゆく日も帯しめて  鷹女>、等、前衛を愛しつつ、即物性を尊ぶ。


    秋もはや塩煎餅と渋茶哉     子規

 朝 粥四椀、はぜの佃煮、梅干し砂糖つけ
 昼 粥四椀、鰹のさしみ一人前、南瓜一皿、佃煮
 夕 奈良茶飯四椀、なまり節煮て少し生にても  茄子一皿
 この頃食ひ過ぎて食後いつも吐きかへす。二時過ぎ牛乳一合ココア交ぜて、
 煎餅菓子パンなど十個ばかり
 昼飯後梨二つ、夕飯後梨一つ

 明治34年9月2日、子規は母や妹に支えられながら、かにかく一口一口、秋の味覚を味わっていた。
 子規が、病床日録ともいえる『仰臥漫録』の筆を起こしたのはこの日からである。
 『仰臥漫録』は、生前には親近者にも示されなかったという。文字通り、仰向けのまま命旦夕に迫るまで書き続けて、翌明治35年9月19日午前1時ついに絶命した。



   沈黙のたとへば風の吾亦紅    綾部仁喜

 ぽつねんたる吾亦紅、見過ごしてしまいそうな小さな花だけれど、その存在感は大きい。「風」の一語が一句にさりげなく行き渡っている。吾亦紅のからめとった風はひそかにも語ってやまない言葉のようである。
 芭蕉と石田波郷の俳句観を俳句の原理原則と思い定め、「俳句以外の何ものでもない俳句」を追求する俳人綾部仁喜は、平成16年以来、人工呼吸器によって病院生活を余儀なくされている。
 「わたくしは俳句性の最たるものは沈黙だと思うのです。言葉を使って、沈黙・無言を表現するところに俳句の最大の特徴があると考えています」、平成17年筆談によるインタビューの中で答えておられる。

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by masakokusa | 2009-09-01 00:33 | 秀句月旦(2) | Comments(0)
秀句月旦・平成21年8月
 
   一鳥の掃苔終るまで去らぬ        村越化石
 
 村越化石はハンセン病のため、草津楽泉園、多摩全生園に治療するも、ついには両眼を失明した。
〈どこ見ても青嶺来世は馬にならむ〉、〈蛇穴に入り湖の青しりへにす〉、〈黍に吹かれ心遠出をしてゐたり〉、〈水走る音の五月の夜なりけり〉など、その心眼は透けて明るい。
 掲句も、よき鳥の声をこころに、墓を浄めてやまない姿が美しい。
 〈泉より転生の鳥翔てりけり〉、〈ところ得ておのれを得たり蕗のたう〉、〈地に片手つけば惜春おのづから〉、〈涙また涼しよ生きてありにけり〉
 蛇笏賞、紫綬褒章他種々を受賞された。

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   ひととゐて落暉栄あり避暑期去る     石田波郷

 林間であろうか、海浜であろうか、避暑期も去ってしまった。しかしここには離れがたいわが友人が居て共に燦々たる落日を浴びている。
 俳句は非文学的なまでに「私」的なものである、私小説であると言い切った波郷であったが、波郷には生れてからこの方避暑というものを体験したことはない。
 よって掲句には波郷の自註がある。
 「持論のために言えば、この句は、その事実は自分のものでなくともこの青春は間違いなく、かって自分のものであったと言ふ事ができる。更に放言すれば、俳句は斯く斯くであらねばならぬいふことは言えない。俳句を畏れなければならない。又俳句は無類に無法であっていいと思う」と。


   雨雲の月をかすめし踊哉          子規

 幼い時、祖母がヒキガエルを可愛がり、毎晩縁側で見ていたので、今もヒキガエルを床しく感じる。読書、労働、昼寝、飲酒、「何でも子供の時に親しく見聞したことは習慣となる」と子規は書いている。

 半世紀以上前、朝日新聞愛媛版に、越智二良によって、子規の一日一句が一年間連載された。
 掲句は、8月16日の一句とそれに添えられた短文である。
 子規の一句もさることながら、子規の発する言葉にはいつ読んでも、納得させられる。


   朝がほや一輪深き淵の色         蕪村

 もうこれ以上の朝顔はないと思わせるほど、簡潔明瞭、圧倒的に「朝顔」そのものの句である。
 <朝顔の紺の彼方の月日かな  波郷>、 <朝顔の双葉のどこか濡れゐたる  素十>、<朝顔の裂けてゆゆしや濃紫  石鼎>、思いつく大好きな名句はいくつもあるけれど、どう描いても、どう語っても、結局は蕪村の一句に総括されるような気がする。
 「一輪深き淵の色」と畳みかけて手短におさめた自然体。だが、断定の凄みや勁さを言外にもたらしてるのはなぜだろうか。たった一文字「淵」の効用に違いない。淵という深み、深淵という思いの奥深さは、どまでも余韻をひいている。
 さらっと涼しげに表現して、ぎゅっと濃い印象を残す句である。

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   待つ位置に扉のあく電車今朝の秋     辻田克巳

 電車が、止まるべきところに止まらなければ大変なことになる。止まって当然、日々それを信じて、停車位置の印し通りに電車を待っている作者であるが、立秋の今朝、一部も狂わずにきっちりと体の前に開いたドアに乗り込んだ瞬間、はっと気付かされた節目たる日のたしかさ、気持ちよさ。
 〈秋来ると目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる   藤原敏行〉にあるように、目には見えない秋の到来を、日常茶飯の中に見届けた。


   捕虫網持たせておけば歩く子よ      後藤比奈夫

 夏休み真っ最中、あちこちで捕虫網を持った子供たちに出会う。昨日も「むじな池」では、ザリガニやホトケドジョウを掬いとろうと親子が楽しげに捕虫網を振りまわしてるのに出会って、その和やかで若々しい風景に見惚れてしまった。
 掲句は、小学生より小さい子供のように思う。「持たせておけば歩く子よ」という、まるでゼンマイジカケで動いているかのような表現の仕方がほほえましい。幼子のおさえきれない喜びを感じさせて、いかにも愛らしい。


   前にゐてうしろへゆきし蜻蛉かな     今井杏太郎

 「前にゐてうしろへゆきし」とは全くその通り、それ以外の蜻蛉の飛びようはないようにまで思わせる。
 クリアに場面を言葉に置き換えることのできる俳句の不思議な力に惹きつけられる。写真ではここまで蜻蛉を見せる事はできない。リズムの間合いが空間をも見せてくれるのである。
 かの捕虫網を持ってゆく子の前後にも、こんな蜻蛉が飛んでいることであろう。

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   炎天へ打って出るべく茶漬飯       川崎展宏

 「エンテンヘウッテデルベク」と、大見得を切った出だしが、威圧してやまない燃えるような日盛りへの身構えである。
 さあ、そこでどうするか?と思いきや何と「茶漬飯」と来た。脂ぎったビフテキでも鰻でもない、そっけなくもさらさらのものであった、このはぐらかされたような意外性がおもしろくも切ない。
 意外といったが、案外人間ってこの程度のものである。人間の卑小を描いて、いっそう天然の力を浮き上がらせるあたり、さすがに老練である。
by masakokusa | 2009-08-02 22:08 | 秀句月旦(2) | Comments(0)
秀句月旦・平成21年7月
   大き鳥さみだれうををくはへ飛ぶ     田中裕明

 日本一の大湖、琵琶湖の上空が思われる。大らかな息づかいがおのずから大きな場面を設定させるのである。
 さみだれ魚という作者の造語は一読するやいなや、鳥も魚も、五月雨ともろともに雫して、したたりやまない印象をもたらす。しかも銜えて離さない、鋭いくちばしまでクローズアップさせることのすごみ。
 <さみだれのあまだればかり浮御堂  青畝>の句も呼び込んで、読者はかがやかしい五月雨を目の当たりにするばかり。
 第二句集『花問一壺』所収、作者20歳代前半の句。さすがに瑞々しくも、エネルギッシュである。


   月見草見えなくなれば来る夜かな     大峯あきら

 この句の月見草は夕方に咲き、朝しぼむ待宵草のことであろう。
 咲き初めた月見草が思われ、月見草の存在を秘めた夜の真闇が思われる。たった17文字の中に込められた広やかな時間と空間。月見という言葉の印象、余韻というものの静けさに引き込まれるものである。
 学生時代に高濱虚子に師事した大峯あきらは、このほど出版された『高浜虚子の世界』(角川学芸出版)の中で、虚子を回想している。
 「(前略)平明と平凡とを感じ分けるという点において、虚子は誰よりも敏感であった。これはとりもなおさず、虚子が本当の詩と詩まがいとを容赦なくふるい分ける力量の持主であったことを意味する。詩というものは、当り前のことを言葉で彩色して当り前でないかのように見せる技巧のことではないと思う。当りまえのことが当たりまえでないことに驚き、その驚きが我れ知らず言葉になったものが本当の詩である(後略)」
 大峯あきら代表による同人誌「晨」はこのたび創刊25周年記念大会を京都にて開催した。折しも代表は傘寿を迎え、その記念として自選句集『星雲』を刊行された。
 掲句は第一句集に所収のもの、20歳代の若さにしてすでに、当りまえのことが当たりまえでないことを知る鋭敏な詩精神を宿していたことの証にほかならない。

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   雪食ひに行くとて人の富士詣      正岡子規

 7月1日、子規庵を訪れた。子規の机上に置かれた日めくりカレンダーにある今日の一句が掲句であった。 富士詣とは「近世、陰暦6月1日から21日までの間に富士山に登り、山頂の富士権現社に参詣すること」。今も富士山の山開きは7月1日である。
 「雪食ひに行く」には思わず顔が綻んだ。一生に一度は富士詣をしたいという庶民の願望が、そう深い信仰心によるものではないことを見抜いて面白がっている子規、そして食い気も好奇心も旺盛なる子規の羨望がうかがえる。だが、富士詣は当時いかに困難であったろうか。  
 折しもテレビで、山開きのために富士登山道の凍りついた残雪除去に必死の山小屋の主人やボランティアの人々の姿が放映された。
 子規の一句も、軽く言い流したようにみえて、「雪」の背後に六根清浄が思われ、「富士詣」たるものの有り様をよく詠いあげていることにあらためて感じ入った。

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   ごきぶりの扁平なるを憎みけり      坂口匡夫

 虫という虫は全て怖くて、出会えばギャッっと逃げ去る。ところがゴキブリは女にとって出会う確率が高い上に、逃げ場がなくて、心臓に悪い思いを重ねてきた。掲句は20年前、結社で大評判となった秀句だが、私はこの句からさえ逃げ腰だった。
 ところが年の功で、掲句に真向えるようになってみると、あらためて面白いと思う。その冷静な観察眼は男性ならではの勁さであると同時に、やさしさにほかならないことに気付かされている。「憎みけり」といいながら、無様ないのちをさらさずには生きておれないものへの憐憫の情あればこその「扁平なる」の発見であったことも今にしてわかることである。
 今年、同じ作者が<ごきぶりやかつて謳ひて誉められし 匡夫>を詠われたことを知って快哉を叫んだ。
 何と矍鑠たるお姿であろうか、俳句精神であろうか。涸れることのない詩情が光っている。ごきぶりに会うのも悪くはないナ、と思う昨今である。



   いなり寿司百個のにほふ海の家     中西夕紀
   水貝の小鉢の氷ぐもりかな         綾部仁喜   
   七夕の飲食雨となりにけり         松林朝蒼   
   さらしくじら人類すでに黄昏れて      小澤  實

 2005年7月1日初版発行の『食の一句』、7月から抄出した。一冊には365日、日替りで美味しい俳句が満載されている。著者の櫂未知子のあとがきは何より美味しい。
――「食」は、自分がどこで誰とどんなものを食べたか、その時、自分はどんな状況だったかによって印象が異なってくる。砂を噛むような思いで食べたものもあるだろう。幸福感いっぱいで喉を通らなかったこともあるだろう。食べることは生きること、それを実感しつつ本書をご一読頂ければ幸いである。

 「いなり寿司」の開放感、「水貝」のひんやり感、あるべきところに盛られる食のよろしさ。
 3句目は新暦の7月7日。落ちついた梅雨時の飲食が質素にも贅沢なものに感じられる。
 4句目の「晒鯨」は、鯨の脂肪層を薄く切り、熱湯で脂肪を除き冷水でさらしたもので、いかにも涼しげな食品。飲兵衛には酢味噌で食べて、その歯触りもこたえられないものらしいが、「おばけ」という別名もあって、食わず嫌いの私には不明の味である。だが一句の飛躍した想像力の味の方は納得させられる。
 さらしくじらの「晒し」からは真っ白と同時に、罪人などを「曝す」という語感もひびいて、喧騒の消え去った夕べの海辺が思われる。酌むほどに、わが身をむなしくして、どっぷりとその乙なる味わいにひたっておられる作者であろう。

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by masakokusa | 2009-07-01 00:00 | 秀句月旦(2) | Comments(0)
秀句月旦・平成21年6月
   ゆるやかに着てひとと逢ふ蛍の夜     桂信子
   ふところに乳房ある憂さ梅雨ながき      〃
   衣をぬぎし闇のあなたにあやめ咲く      〃
   女ざかりといふ語かなしや油照り       〃
   ビールほろ苦し女傑となりきれず       〃


 一句目は処女句集『月光抄』(34歳刊行)、以下は第二句集『女身』(40歳刊行)にある。
 エロスがよかったのか、抒情がよかったのか、潔さがよかったのか、訳もなくあこがれて愛誦してやまなかった若き日々。そんな遠い日々が昨日のことのようになつかしい句々である。
 大正8年、一家中スペイン風邪にかかり、4歳の信子は医師二人より匙を投げられたものの奇蹟的に快復したという。このことが以後の精力的な活動のバネになったのではないだろうか。  
 88歳には第10句集『草影』を刊行。<蟇鳴くやいよいよ太き土性骨>、<人の言ふ老とは何よ大金魚>等。数え年90歳で没する最後の最後まで、ゆるがぬ意思を揺るがぬ俳句に投影して生き切った女傑であった。
 未収録作品に、<大花火何といつてもこの世佳し>

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   近松の恋の淵より冷房音        植村通草

 わが初学の師、植村通草の第二句集『粧』にある一句。
 あとがきに、幸か不幸か弟子と称する取り巻き雀に「きじゅ」「きじゅ」と囀られてみると何やらお目出度いやうな気分になり漸く重い腰をあげてまとめてみることになった、と書かれている、喜寿の節目の刊行である。
 飯田龍太染筆による題字「粧」は、観音のひねり腰を思わせるような姿に品がある。
 ところで掲句は恋の淵に引き込まれるどころか、なかなかに冷めている。
 他に、<大寒の仏身すっとおん素足>、<寒苺ゆたかに試験地獄の灯>、<嬰留守の揺りかごのぞく初句会>、<深追ひはすまじくビールこぼすまじ>など、情もさることながら知性の塊のような女流俳人であった。


  花柘榴燃ゆるラスコリニコフの瞳    京極杞陽

 梅雨時の鬱陶しい中に燃えるような緋色をちりばめる柘榴の花。そんな柘榴の花をざっくりとつかみきって、有無を言わさず納得させられるものがある。
 柘榴の花を知らなくても、「ラスコリニコフの瞳」で想像されるものがあるだろうし、ラスコリニコフを知らなくても「花柘榴燃ゆる」で想像されるものがあるだろう、「モユル」と「ラスコリニコフ」との接点がスーッと当然のように結びついて意味でなく韻律からも盛り上がってくるような一種独特の印象がいかにも鮮明である。
 杞陽はヨーロッパに遊学していた昭和11年、ベルリンに来遊した虚子歓迎の日本人会主催の俳句会に出席し、<美しく木の芽のごとくつつましく 杞陽>が虚子選に入った。この出会いが、虚子との師弟関係の始まりであった。

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   鉄線の初花雨にあそぶなり      飴山 実

 何と言っても「初花」がいい。動きもあって清々しい雰囲気が漂う。晴の日でなく雨の日の鉄線であるところも紫の色彩を引きたてて美しい。
 鉄線の花といえばすぐに思い浮かぶのはもう一句、<忘らるるものに父の日鉄線花  神蔵器>がある。
二句共々共鳴しつつ、鉄線の花の持ち味が醸し出される。地味ではあるが自在な花のありよう。


   新緑や人の少き貴船村       波多野爽波

 一読、清流の貴船道にいざなわれる。「新緑や」、このさりげなさの鮮やかさが一句のすべて。
 こんな簡潔な句を読むと、やはり長い俳句より短い俳句の方が本流であることを確信する。


   病人に鯛の見舞や五月雨      正岡子規

 「病人に鯛の見舞や」という悠然たる詠いぶり、病人子規の静けさが「五月雨」によく出ている。鬱陶しい雨にも、滋養が身にしみいるような有難みが感じられる。
 この翌年、明治35年6月2日の『病床六尺』には、
「悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思って居たのは間違ひで、悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であった」、と記している。

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   紫のはげて咲きゐる菖蒲かな     星野立子
   花びらの吹かれまがりて杜若       〃
   あぢさゐの毬の日に日に登校す      〃
   今朝咲きし山梔子の又白きこと      〃
   橘の花や従ふ葉三枚            〃


 高濱虚子編の『ホトトギス雑詠選集』夏の部(六月)を読み始めるとたちまち立子の作品に惹かれる。
 あまりにもそのまんまというか率直な詠いぶりで、夫々の花が紛れもなく立ちあがってくるのだが、やはり立子ならではの発見があっていきいきしている。
 橘といえば京都御所の紫宸殿の右近の橘を思い出すが、花は見たのか見なかったのか定かではない。でも、立子の簡潔明瞭な俳句を読むと、たしかにその通りの花を見たような気がしてくる。
 花橘は彦根藩井伊家の家紋であったり、文化勲章のデザインでもあることを知ると、いっそう「したがふ葉三枚」が印象的である。

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by masakokusa | 2009-06-01 00:33 | 秀句月旦(2) | Comments(0)
秀句月旦・平成21年5月
  
   お金あるときの嬉しさいちご掌に    原コウ子

 作者自註によると、「戦時中戦後は凌げるだけのお金より持てなかったのが、時に不意に私を喜ばせるお宝が入ると、私は早速飢えている欲しいものを買った。」という。昭和24年の作品。
 戦後60余年、百年に一度の不況という今日の事情としても大いに共鳴できる句である。さしずめ、不意に私を喜ばせるお宝というのは、定額給付金のようなものかもしれない。いや、そんな平俗的なことではないだろう。こころまで貧乏であればこうは詠えない。
 つつましい生活にあっても誇り高き女流俳人の詩情。それは豊麗なる苺に仮託した「いちご掌に」によく出ている。

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   摩天楼より新緑がパセリほど    鷹羽狩行

 「摩天楼」と「パセリ」の落差の大きさが、高所恐怖症の私にはドキッとさせられて、目の眩むような句であった。ニューヨークでの作品は、海外俳句の草分けとして一躍有名になったが、以来40年経ったことの方に今は驚いている。
 かのエンパイアー・ステート・ビルは、テロの標的にもなりながらが無事ではあったが、往時の颯爽たるすがたは失せて、すでに歴史的モニュメントとしての意味合いに堕しているようである。「エンパイア・ステート・ビル」を避けて、「摩天楼」としたことは、先見の明であった。
 「摩天楼より」の調べや字面がどこまでも手堅く、パセリのツマの如き新緑は今もって鮮やかにも、愉快である。


   幹高く大緑陰を支へたり     松本たかし

 初夏の木立の陰ほど美しいものはない。緑の木漏れ日はどこからも飛びこんでめっぽう明るい。そんな気持ちのよい緑陰であっても、その翳りにしばらくいると、ついついうつむきがちに心象的に詠おうとしてしまいがちだが、「幹高く」という真正面からの描写には、意表をつかれる。
 先の「摩天楼」は見下ろし、「大緑陰」は見上げる、共に逆転の発想が新しい。
 そして、「支へたり」、紛れなく松本たかしの精神のありようが現れている。


   飛魚の波に飛びつき沈みけり      松藤夏山

 「飛魚の」、「飛びつき」という「飛び」の追っかけは躍動的である、また「波に」は波をひっぱりあげて海の青さ、海のねりをゆったりと背後に感じさせる。「沈みけり」からは、動画のように、瞬時、瞬時が生きて動いて、滑空する胸鰭のかがやきを目の当たりに見せる。
 結局、一字一句が完璧なのである。
 「飛魚」という小さな季題一つに、邪心も観念もなく、徹底的に描写した、そのことがすでに壮観である。


   地に落ちし葵踏みゆく祭かな     正岡子規

 京都の葵祭は5月15日。平安時代には「祭」といえば葵祭をさしていたという。
 <牛の嗅ぐ舎人が髪や葵草  蝶夢>、<白髪にかけてもそよぐ葵かな  一茶>、<しづしづと馬の足搔や加茂祭  虚子>、<牛の眼のかくるるばかり懸葵  松彩子>、そして、<大學も葵祭のきのふけふ  裕明>等を思い起こしながら、ゆたかに葵祭を想像している。
 ことに子規の一句、「葵踏みゆく」は行列のゆかしさをうかがわせて、明快である。
 子規にはまた、<鉾をひく牛をいたはるまつり哉>がある。いかなるときも子規の句には子規がいる、知的にやさしい子規がいる。
 子規と一緒なら、馬になっても牛になってもいいから葵祭を見に行きたい…ナンテ…夢のような祭を想う。

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   子の皿に塩ふる音もみどりの夜    飯田龍太

 眼の覚めるようなみどりの夜、新緑の静けさに包みこまれる夜である。
 静けさの背後には、幼子への情愛が行き渡っていて、いっそう鮮やかに生きた緑を感じないではいられない。
 「塩ふる音も」の「も」が、一句のすべてではないだろうか。「も」の支配する世界は、ひやりとするまでに繊細で、すみずみに神経が通っている。食卓塩が真っ白な皿に着地する、その間際まで、「見えて」、「聞こえて」、シーンとするほかない夜である。


   電車いままつしぐらなり桐の花    星野立子

 「あっ、桐の花」と桐の花を木々の向こうに見届けて、車窓に身を乗り出すような体験は誰しもが経験するところだろう、これをこんな風に自由にのびやかに詠いあげることができるのものかと驚かされる。
 「いままっしぐらなり」、進行形の気持ち良いスピード感、率直な心のままに言葉を置きかえる才能につくづくほれぼれする。
 遠く咲く桐の花とともにある束の間の喜び。やがて桐の花は過ぎ去っても、その淡い色調は清楚に胸に残っていて、季節のめぐりをしみじみと味わう。


   人にややおくれて更衣へにけり   高橋淡路女 

 旧暦4月1日をもって冬服を夏服に、旧暦10月1日をもって夏服を冬服に着替える日とされているが、要は季節の変化に応じて衣服を着替えるのが更衣である。
 桜の花もすっかり葉になってしまって、世の中は若葉にあふれるこの時期、明るさの反面、結構冷える日も多い。
 若者は季節にさきがけて半袖シャツを着こなすが、寒暖の差についていけない体というものもある。それでも、新緑に促されるように、ある日「エイヤッ」とウールものを脱いで軽快な装いになった淡路女はわが身のように親しく感じられる。
 <すずかけも空もすがしき更衣  波郷>、の如き颯爽たる更衣もあれば、掲句の如き更衣もあるところが人生の哀歓である。


   おそるべき君等の乳房夏来る     西東三鬼

 「オソルベキキミラノチブサ」、内容のインパクトもさることながら、内容に勝るとも劣らない韻律の歯切れの良さが迫力となって、口誦性を高めている。
 「おそるべき乳房」と言いながら、作者にはそれらに立ち向かうような精神の張りが漲っていて、ぶつかり合うような熱気さえ感じられる。そんな斬新なエネルギーが即ち夏のもたらすエネルギーであって、いかにも壮快である。


   牡丹切て気のおとろひし夕かな     蕪村

 花生けのために牡丹に鋏を入れて、切ったのであろう。そののちの何だか知れぬグタッとしたような気の衰えを詠って、牡丹がさも大輪で、妖艶であることを匂わせる。また夕べのもたらす情感がかぶさって、牡丹の色彩に翳りを落とすあたりも情趣である。
 肉感的に実感として感じさせる巧みさに、こちらにまで何やら気の衰えが乗り移ってしまうようである。
<牡丹散てうちかさなりぬ二三片>、と共に、蕪村の牡丹は、絵に描いたように生きている。

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by masakokusa | 2009-05-01 12:55 | 秀句月旦(2) | Comments(0)
秀句月旦・平成21年4月
 
   花の芯すでに苺のかたちなす    飴山 實
  
 春も終わり頃、苺の可憐な花は野路一面に這うように咲いている。同じ晩春の花でも、藤の花には一抹のさびしさを覚えるけれど、苺の花は次に来る季節の明るさをもたらしてくれる。
 それにしてもこの観察眼には驚かされる。「芯」の一字は、文字通り一句に結実している。作者は応用微生物学専攻の学者、加えて、家で畑も作っていたそうで、なるほどその眼力は鬼に金棒なのである。

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   春風の日本に源氏物語    京極杞陽
   秋風の日本に平家物語       〃

 二句並んで、昭和30年4月号「ホトトギス」巻頭を占めた。
 春風と秋風、源氏と平家を対比して不動である。春風の豪華絢爛たる色彩感、秋風の無彩色なる無常感。 日本という風土、日本人という心象が、たった17字×2でもって歴然と表れるなんて俳句ってつくづく面白いと思う。
 源氏物語に秋風もよく通い、平家物語に春風が通わないこともない、だからこその二句であろう。京極杞陽は、15歳で関東大震災に遭い、生家と家族のほとんどを失った。
 
   春の水岸へ岸へと夕かな    原 石鼎

 岸へ岸へと春の川波が畳まれてゆく。単なる観察ではとらえることのできない感覚。そして、「夕べかな」と、暮れなずむこころをさりげなく置きながら、余情はどこまでも引いている。
 控えめな詠いぶりに読者の方がむしろ情緒を熱くして一句に没入してしまう。
 昭和10年、石鼎49歳の作品。2月、母堂危篤の報を受けて、夫人コウ子と共に島根に帰郷。小康を得て一旦帰京。3月、母堂逝去。
 原石鼎全句集には掲句のあと、<一枝の椿を見むと故郷に>、<桃椿なべて蕾は春深し>、<春宵や人の屋根さへみな恋し>、<ひとりでににじむ涙や峰の花>、等が続く。
 
   春の水とは濡れてゐるみづのこと   長谷川 櫂

 石鼎の<岸へ岸へと夕べかな>の春の水はたっぷりと、なみなみと湛えられている。いや、濡れているというべきか。海や湖沼の水のみならず、雨上がりの水であっても、打水であっても、蛇口の水であってもいい。水をもってして濡れないことはない。だまし絵のような何か不思議な世界にしっとりと紛れ込んだような気分が漂う。
 「春」の情趣そのもが、「濡れているみず」であるという理知的にして、瑞々しい感性が、いかにもうるわしい。

   今年また花散る四月十二日    正岡子規

 子規の四歳下の従弟、藤野古白は明治28年のこの日ピストル自殺をして果てた。24歳であった。19歳で古白と号し、子規に学んで、子規を驚かせるほどの清新な句風であったという。子規は従軍中に訃報をうけ、秋には古白の墓前で、〈我死なで汝生きもせで秋の風〉と悼んでいる。
 事実を抜きにしても、この4月12日という日付が動かしがたく、一句全体を支配している。何の因果関係もない私にとっても、4月12日は花を惜しむほかない日のように思われるものである。

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   鳥の巣に鳥が入ってゆくところ    波多野爽波

 鳥の巣は卵を抱いて、巣立つまで育てあげる、それはそれは大事な家である。だが、ひなが育ったあとではもうほったらかし。その放置された巣の一つを、先日山家の方に見せていただいたが、空気のように軽くて、それでいて何とも頑丈なものであった。鳥の生命力そのものの知恵が張り巡らされている、といった風情には生きものの哀愁が感じられた。
 さて掲句、鳥の巣を時間的にも空間的にも映像にして見せる。「ゆくところ」下五に読者はあわてず安心してその形態を見つめることができる。ただ提示しているだけで、作者の思い入れがないのも、清新な印象を与えてやまない。
 学習院の学生であった爽波18歳の作品。26歳最年少でホトトギス同人に推挙され、名門の生れ爽波はまさに「ホトトギス」のプリンスだった。

   人入って門のこりたる暮春かな    芝不器男

 一読してすっと暮春、春も終わり頃の情感が乗り移ってくる。暮の春というものはこの情景をおいてほかにはない、と思わせるぐらいである。もとより夕暮れの感じでもある。
 爽波の「鳥が入ってゆくところ」が清新ならば、この「人入って門のこりたる」も、その表現においていっそう清新である。凡手なら、「門入って」とやりそうなところ、「人入って」と突き放し、客観に徹したことで、むしろ虚しさの主情が匂ひ立つようである。


   青天や白き五弁の梨の花    原石鼎

 「脂が抜け過ぎて物足りなさを感じる」、「淡泊な上にも淡泊な句」と掲句を評したのは山本健吉だったろうか。まさに、脂が抜けて、いやがうえにも淡泊な花、それこそが梨の花である。花曇りの空を一掃するかのように、真っ青な空に真っ白にひらく梨の花。
 <花影婆娑と踏むべくありぬ岨の月 石鼎>、石鼎の桜の花はまた妖しいまでに艶やかである。
 淡泊なる花は淡泊に、妖艶なる花は妖艶に、石鼎は季題そのものに焦点を絞りきっている。

 
   入学の吾子人前に押し出だす    石川桂郎

 ピカピカの一年生、小学校入学ほど親にも子にも眩しいものはない。「もじもじしてないで、さあ、もっと前へ」と、少しばかり不安げなわが子の背中を押している親もまた緊張している。男親ならではの愛情表現のようではあるが、30数年前の母親として私の気持ちもまた全くこの通りであった。
 俳句は読者を代弁してくれるものだと知ったことでも忘れることはできない、思い出すたびになつかしい句である。


   人はみななにかにはげみ初桜    深見けん二
   ゆさゆさと大枝ゆるる桜かな    村上鬼城
   山又山山桜又山桜         阿波野青畝
   したたかに水を打ちたる夕桜    久保田万太郎
   花冷の闇にあらはれ篝守      高野素十
   風に落つ楊貴妃桜房のまま     杉田久女


 花と言えば桜をさす。桜は日本の国花、花の王である。
 今年、侍ジャパンが野球世界一に輝いた日、桜の花も早々とほころびはじめた。サムライはともかく日本には、富士山と桜があってよかった、桜花があってこその日本だとつくづく思う。富士を仰ぐたび、桜を仰ぐたびに感動し、激励される。
 桜の名句は数え切れないが、思いつくままに、初桜、万朶の桜、山桜、夕桜、夜桜、八重桜、と一連にながめてみると、どの句も、なぜか重量感たっぷりである。
 楚々とした花でありながら、その背後には、人々に愛され、日本の国を象徴するにふさわしいかがやきがどこまでもかぶさってくるのであろう。

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by masakokusa | 2009-04-01 00:54 | 秀句月旦(2) | Comments(0)
秀句月旦・平成21年3月
   
    春塵や観世音寺の観世音     高野素十

 簡潔明瞭なる一句は、おもしろいと言っては観音菩薩に失礼かもしれないが、とにかく楽しい。
 何の解説もいらない句意だが、シュンジンヤカンゼオンジノカンゼオン、というカ行やサ行の響き、濁音が多いところへもって、ンという撥音がとびとびに挟みこまれていて、口誦すると何だかスカッとする。
 それでも、その切り刻んだような響きが微小にもざらつく砂埃を皮膚感覚に訴えて、眼にもよく見える。ほのぼのとありながら、いかにも古いお寺のあたりがイメージされる。むろん観世音も古そう。
 観世音寺は大宰府市にあり、天平18年の建立、日本で最古の梵鐘は国宝になっているという。

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    辛夷咲き日暮のこころ永くせり     細見綾子

 枯色の多い、まだ緑の乏しい山中や野道を歩いていて、ある時あっと驚かされるように咲いているのが辛夷の花である。先日も浜離宮の芳梅亭から、一人が見つけると一斉に歓声があがった。高層ビルを抜きん出て咲いているのは壮観であった。
 「暑さ寒さも彼岸まで」の頃、満を持して開く香り高い花は、にわかに日差しの眩しさをもたらしてくれる。そういえば短かった冬の日がめっきり春らしくなって、暮れ方も遅くなったことが大ぶりの真っ白な花弁に実感されるのである。


   雲はあれど彼岸の入日赤かりし     正岡子規
 
 春分を中日として、その前後三日ずつ七日間を彼岸という。今年の彼岸入りは17日。
 彼岸入りというと必ず口誦されるのは子規の<毎年よ彼岸の入に寒いのは>である。「母の詞自ら句となりて」という前書がある。 この時、子規は26歳、まだ病床についていない。それどころか、母のつぶやきをすかさず一句にする斬新さ、子規の才気はあふれるばかりであった。
 翌年には、<数珠ひろふ人や彼岸の天王寺>、<乞食も乗るや彼岸の渡し船>、そして翌28年が掲句である。
 現代俳人が今も使うこの口ぶり、この情景、現代俳句のすべての種は子規が播いたのだとあらためて思う。


   いつぬれし松の根方ぞ春しぐれ   久保田万太郎

 時雨は冬の季語だが、気まぐれな雨は春にも降ってくる。傘の用意がなくて、はらはらと濡れているうちに、いつしか止んでしまうところ、やはり春ならではの明るさだと思う。
 掲句は瑞泉寺に句碑となっているが、この句碑に会うたびに、「ああ、俳句ってこういう風に作るんだ」とよく教えられた思いがしたものだった。ゆっくりと大ぶりに読ませて、これぞ春時雨というものを見せてくれる。そのうえ、人情の機微もうかがわれるところ、さすがに万太郎である。
 瑞泉寺には他に、大宅壮一評論碑「男の顔は履歴書である」、吉野秀雄歌碑「死をいとひ生をもおそれ人間のゆれ定まらぬこころ知るのみ」、等の文学碑が建っている。


   田楽もかたき豆腐にかたき味噌    高濱虚子

 田楽は木の芽田楽のこと。硬めの豆腐に青竹の串を刺して、こんがり焼いて、硬めの木の芽味噌をつけて、もう一度あぶる。木の芽はサンショウの芽のことで、これを味噌に摺りこんで、きざんでのせる。
 数年前、吉野の花見の帰途、伊賀上野の芭蕉生家を訪れたがあいにく閉っていた。そのがっかりを吹き飛ばしてくれたのは、近くの老舗でいただいた田楽だった。味噌の焼ける匂いに柚子の香りがたちこめて、忘れられない春の味覚となった。魚介類の乏しい伊賀上野は古くから豆腐作りが盛んであったという。
 田楽の句なら波郷の<田楽に舌焼く宵のシュトラウス>、がおしゃれで好きだった。だが今はやはり虚子の句の方が一段ウマイと思う。虚子の句は何ともそっけない、そのそっけなさこそが田楽の風味であることに唸らされるのだ。
 料理も俳句も飾り気のないのが飽きがこなくていい。

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   はくれんは生まれる前に咲いてゐし     山本洋子

 吉野山六句と前書きのある一句。
 はくれんは「白木蓮」。幹の高さは十数メートルであろうか、花は陽春の日を浴びて燦々たる白色を放っている、花弁もすこぶる大きい。吉野山の花見の途上、尾根道を少しおりたったところに静けさのはくれんはあった。
 その夜の句会で、掲句にまみえた時、息を飲んで絶賛した句である。「生まれる前から咲いてましてん」と、白木蓮の咲く山家の女主が言われたのであろうか。この一言が眼前の「はくれん」を捉えて離さなかった作者の感動。
 打坐即刻、生まれたての印象をもたらして、一点の汚れもない。おかげで読者もまた、この上もない清浄、清潔なるはくれんを目の当たりにするのである。命へ及ぶ連想の深み、韻律の潔さ、まこと斬新そのものである。
 「名句は賜る」、その現場に立ち会ったことで忘れられない句である。


   なかなかに長き若布を拾ひけり    石田勝彦

 逗子か鎌倉あたりの浜辺であろうか。「なかなかに」が、おもしろい。「なかなかに」、「長き」と頭韻に畳みかけて、若布のすがたが「見える」ようである。同時に俳人石田勝彦の得心の表情や渋い仕草が彷彿と浮かびあがってきて、思わず眼前にお会いしたようななつかしみを覚える。大人の風格というほかない句である。
 「なかなかに」という言葉が一句の中で見事に「こなれている」ことに感心するばかり。

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   なにはともあれ山に雨山は春     飯田龍太

 大らかでしっとりとした春の訪れである。「なにはともあれ」、これまた前句同様、龍太でなければ「こなれない」言葉。
 山梨県も奥の方、代々庄屋であったという古い邸宅から眺められたであろう、その広やかな深い呼吸から発せられた「なにはともあれ」である。この一言に誘われて読者もまた臨場感をもって、みずみずしい感覚を目の当たりにすることができる。
 芽起こしの雨といわれる、早春の雨はけぶるように山々の木々をうるおしていく。雨の中でも鳥はときに美声をもらす、やがて囀りの季節の到来である。
 それにしても、「山に雨」ときて、あらためて「山は春」という、(「山に春」ではない)、そのあたりに土着の俳人の眼が坐っているのだと思う。龍太は「家の眼の前にある山は、普段からそこにあるんで、眺めるというより、山から眺められる意識になる、俳句は自分の住んでいるところを、旅人の目で見ること。旅に出れば、そこに住む人の目で見ることなんです」と語っていた。


   音どれも春となりたる水辺かな      黛 執

 おさな子は水辺に来るとすぐに靴を脱ぎたがる。石でも何でもかんでも投げたがる。やがて老人の杖の音もやってくる。烏がやけに大きな声を発したりする。作者の鼓動もまた春のものである。
 「どれも」といって具体的なものは何一つ出さないで茫洋としたまま平明な言葉でもって一句に仕立てた。いかにも水温むころの風景、水彩画の世界である。打ち出しの「音」一字で持って一句は立体的になった、霞のかかった山なども遠くに見えるようである。
 

   ねんごろに生きていつしか霞みけり     浅井一志

 作者は、第三句集『百景』でもって、第48回俳人協会賞を受賞された。飯田龍太の命日の前日に当たる2月24日、表彰式を終えられたばかりである。正々堂々たる霞にほのぼのと包まれておられる頃であろう。霞は遠くから、いと微かにもたらされるもの、その健やかな己のありようを伝える「いつしか」になつかしみと感慨を覚えている。

   青空の狎れを許さず雪解富士
   鎌倉に月の海ある櫻かな
   菜が咲いて観音堂へ見知らぬ子
   春の鳰だれも齢のとどまらず
   種芋やそばに女の素顔あり

 20歳から飯田蛇笏に10年師事し、蛇笏亡き後は龍太に30年師事された。「雲母」終刊後は「白露」同人。まこと一筋道の俳人である。30数年前、私の「雲母」時代には、すでに有力作家であった。
 ちなみに手元にあるその頃の「雲母」五月号を開くと、横須賀 浅井一志は三句入選。
<一散に齢過ぐるか青柚の香>、<亡国のうつつに蘭の花ざかり>、<杉の箸割れば香の立つ涼夜かな>


   霞より引き上げられし地引網     伊藤通明

 作者は、第五句集『荒神』でもって、第48回俳人協会賞を受賞された。(浅井一志と同時受賞)
 「抒情立志」という簡潔にして力強いひびきにみなぎっている句集である。
 霞さえも引き上げられたかのような印象をもたらす措辞の強靭さは又しなやかさでもある。

   ももいろをはなれて桃の花雫
   遠足を容れてしまへり石舞台
   古伊万里の赤としばらくあたたかし
   貝のひも噛みゐて春も尽きんとす
   西行忌こゑを使はず暮れにけり

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by masakokusa | 2009-03-01 00:52 | 秀句月旦(2) | Comments(0)