冬近く今年は髭を蓄へし 正岡子規 明治33年作。同年にもう一句、<冬近し今年は髭を蓄へし>と終止形もある。 私には「冬近し」とずばり言いきって、しばらく間合いをもって「今年は」と続く方が好ましい。また「近し」「蓄へし」と「し」のたたみかけもしみじみする。だが、この「し」の連なりは強すぎてゆったり読ませないというきらいもあり、「冬近く」の連用形の方が子規の表情をよく窺わせるかもしれない、大方は掲句を採用している。 子規は鬚髯を蓄えることについて「剃るの面倒はなけれど掃除の面倒あり 寒き時は鼻水したたり 熱き時は口のはたむさくろし 飯を食ふ時汚れ易きの心配あり 湯に浴する時は甚だ邪魔ものとなる」と学生時代は否定的であったが、この年はもう病状も募っておのづから無精になって髭が伸びたのであろう。だが俳句を読むかぎりでは、進んで鬚を蓄えようとしている口ぶりでもって冬を迎える心の引き締めを表している。 かくして口鬚は子規のトレードマークとなった。 ちなみに、明治32年の蕪村忌は会者46人、庭前で記念撮影におさまった子規は隣の鳴雪とともにすでに清浄なる髭を見せている。 帰るのはそこ晩秋の大きな木 坪内稔典 坪内捻典といえば<三月の甘納豆のうふふふふ>が有名。この句ふとした思いつきながら狙いはあったという。つまり正岡子規が柿と奈良を取り合わせた句がないことに気付いて<柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺>を作ったことを見習って、それまでにはなかった甘納豆を俳句にとりいれたのだという。 かにかく、俳人ネンテンは正岡子規のことなら自身のことよりよく知っている。 その著、『柿喰ふ子規の俳句作法』のなかで、子規のリアリズムについて述べ、作家司馬遼太郎はまぎれもなく子規の系譜を引く人であるとして、司馬の語った言葉をひいている。 「言語というものは基本的に魅力のあるものなんです。お母さんの言語を聞いて人は大きくなりますから、人は言語が好きで仕方がないはずなんです」 で、掲句は、口ずさむだけでほっとする。晩秋がずしんと胸に響いてすこぶるなつかしい。 叙勲の名一眺めして文化の日 深見けん二 誰しもが思い当たる文化の日のひとこま。文化の日とは何ぞや等と象徴的なフレーズをつけたりしないで、さりげなく秋晴れの朝のくつろぎを思わせるあたり、作者ならではの風格が滲み出ている。 作者の師である高濱虚子は俳人でただ一人、昭和29年に文化勲章を受章した。虚子はその気持ちを、<我のみの菊日和とはゆめ思はじ>と句に残している。 かつては「明治節」であったこと等もあわせて、大正生まれの氏にとって、時代は大きく移り変わったものと思われるであろう。それやこれやしのばれるのも掲句のもたらす余韻である。 さらに、次の一句も味わいたい。 <ゆるむことなき秋晴の一日かな けん二> 銃口や猪一茎の草による 原石鼎 つつぐちやししいっけいのくさによる、と読む。リズムがすでに緊迫している。 追い詰められて今し弾丸が命中せんとする間一髪、藁をも掴む猪のあわれさがどこかおかしい。猪は人間の畑を食い荒らす大敵ながら「草による」という死の間際に見せたはかなさ、その恐怖のありようを誰が嘲笑うことができるであろうか。そこには猪になりかわったような石鼎の命が息づいている。 金科玉条にしている石鼎の言葉がある。 「心持を出来るだけ低めて、即ち親しみて物を見る。その時、きっと見られる方のものに一種の輝きが認められる」、この平明なるもの言いにいつも慰められている。 不世出の俳人原石鼎にして言える言葉、実践できる態度ではある。 『原石鼎全句集』の巻頭第一句は深吉野での26歳の作品、<頂上や殊に野菊の吹かれ居り>である。掲句はその翌年、大正2年のもの。 「頂上や」にしても、「銃口や」にしても、その鮮烈明瞭なる打ち出しは読者をすぐさま俳句の現場へ下り立たせてくれる。 刈田行くかぎり両眼ぬくみもつ 坂口匡夫 「寒々とした中のある開放感。なにか行事のあとの帰路か、まだ残っている火照りがいつか充足感になっていた」と自註にある。 「まだ残っている火照り」、それは昨日まで稲穂をみっしり垂らしていた稲田のそれのようである、「いつか充足感になっていた」、それは豊かなる収穫の余韻のようである。刈田という季題のありようがここでは人間になりかわって感受されている。人間というよりは生きものが自然のなかにしのびこんだような感覚がなまなましい。 実際、刈田の頃の日差しはことのほか強い。さえぎるもののない日の光を浴びながら眩しくてならない、それゆえの俯き加減の眼差しがおのれをいっそう慈しむ。30代後半の瑞々しい抒情。 同じ作者の、<穭田に吉野大きく暮れにけり>は古希を少し過ぎた頃のもの。石鼎への思いを風土に包括した、鹿火屋全国大会での作品である。 ルノアルの女に毛糸編ませたし 阿波野青畝 ルノアルの女は、モヘアの毛糸玉のようにボリュームたっぷりである。毛糸玉のような女が毛糸でもってセーターでも編もうものならさぞかしふわふわとあたたかさ満点のものになるであろう。セーターもろとも俳句もまた肉感的な仕上がり。 「編ませたし」と突き放しているところが青畝らしい手練。 蛇足だが、モジリアニの女に編ませたら寒色の、薄手のものになりそう。 帰り花きらりと人を引きとどめ 皆吉爽雨 小春日和の続くころ、春咲きの花が思いがけぬ花をつけることがある。二度咲きとも狂い咲きともいわれるが、帰り花という呼び方はすでに詩的である。 澄みきった空気の中で、日当たりのよい枝に桜が一つ二つその色も鮮やかに開いているのに出会ったりすると、本当に掲句の通り、はっと立ち止まってはるかな思いに満たされるものである。 はっと、というこの一瞬を「きらりと」という表現で文字通り人の心をぴたりと引きとめる。人の心も、花の心も透き通るように美しい。「引きとどめ」の終わり方も瞬時的にして余情をひく。 一字一句が珠玉である。 冬空や猫塀づたひどこへもゆける 波多野爽波 字余りの「どこへもゆける」には、何やらふてぶてしく、しのび歩くような猫の足取りが手に取るようによく見える。どこかで見たような光景が「冬空や」と大景にのみ込まれることでのびやかな絵になっている。うっとしい冬空には違いないが、猫のゆく塀づたいのあたりだけはぬくみをもっていて、ふと心なごまされるのである。ここでまた読者は猫になりかわって冬空をなめるように味わっているのである。 爽波はまさにどこへでも行ける俳人であった。 岸本尚毅著『俳句の力学』の中で、「私は季題というものは極めて多くの『稜』をもった『多面体』と思っている」という爽波の言葉を挙げて、そのあとに、尚毅はこう述べている。 「指揮者によって違う表情を見せるマーラーの交響曲と同様に、季題もまた『演じる』俳人によって次々に新しい表情を見せてくれます。マーラーに魅せられた指揮者の多くは、十曲以上ある交響曲の全曲録音を行いました。それぞれに特徴的なマーラーの交響曲を、一曲ずつ自分の色に染め上げることの愉悦を指揮者は本能的に知っているのでしょう。それは、数ある季題を一つ一つ我が物にしようとする俳人の本能と同じだと思うのです。」 冬の水一枝の影も欺かず 中村草田男 寒々と水を湛えた池のほとりには枝葉を落とした木々が突っ立っている。澄みきった水面には、ひと枝も残さずことごとく映し出されているというのである。 「一枝の影も欺かず」という厳しい断定には、たちまち身の引き締まるような緊張感を覚えさせられるものである。このもの言いは一見大仰にみえて少しもダテではない、すっと腑に落ちてくる。冬の水ならばこその独白である。 「イッシ」も強ければ、「アザムカズ」も強い、そして「イッシノカゲモアザムカズ」と一呼吸も入れぬ一連の潔癖。 俳句には内容にふさわしい表現、季題の世界をいっそう明確にするひびきがあることを実感させてくれる一句である。 冬の日の川釣の竿遺しけり 宇佐美魚目 12月9日父他界 5句 朴落葉百を火として歎くのみ 顔いまも木賊にむかふ冷えしまま 餅を切る力籠めればそこに父 父の息かかりし草も縷となりし 冬の日の川釣の竿遺しけり 中村雅樹著『俳人宇佐美魚目』によると、魚目と魚目の父(俳号は野生)は父子で虚子と鶏二に師事した俳人であった。 魚目と共に鶏二のもとを訪ねて「自分はもう年齢がいって駄目だが、魚目は一人前にしてやりたいと思っています」と頭を下げた父親であった。当時の青年魚目は寝る時間を削り体質が変わるくらい俳句に打ち込んだという。野生は、名釣会の会長を務めたほどの釣師であった伯父の影響で一時釣りにも凝ったらしい。 魚目の言葉によれば「――生涯を通じて道楽者であった父にはこれといった遺品も無かったが、その中で能管を見るような短いタナゴ竿の華奢な美しさは目を奪うばかりであった。然しながらその竿は手を触れた途端にボロボロと形は崩れて漆まじりのただの竹の破片と粉になってしまった。虫にすっかり食われていたのである。散華したタナゴ竿は私にとっては最もふさわしい父の形見となった」 短くも美しい文章にこめられた百千の思いが、掲句である。冬の日はもとより寒々しく弱々しいものであるが、それだけにかえって冬の日差しのあたたさは何ものにも替えがたい力強さとありがたみを覚えるものである。 穏やかな表出の中に父の生涯が大きく肯定されている。 みかん黄にふと人生はあたたかし 高田風人子 「ふと」がすばらしい。これほど実感のあるあたたかさはないように思う。 そもそも俳句というものは、ふと浮かんだことを言うものであって、「ふと」を使ってはいけません、と初学時代に教わった。ここでは、そんなセオリーは吹っ飛んで、「ふと」のかがやきに魅了されてしまった。 「人生はあたたかし」だけであったら、たとえば美空ひばりの歌謡曲を思い出させる一節のようでもある。だが、「ふと」でもってかえがえのない詩情が生まれた。平凡を少しも怖れずに本当に作者の正直な気持ちを言いきったものは、読者もまた何の疑いもなくわかるというのが俳句という文芸の喜びである。 垣根越しに実った蜜柑であれ、炬燵で剥いている蜜柑であれ、私自身が過去にそのような体験があったように思われ、なつかしく思い出している。
by masakokusa
| 2008-11-01 00:14
| 秀句月旦(1)
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