夕笹子 ・ 辻 恵美子
紙を漉く崖の上なる一戸かな
真っ青な空を透かして崖の下は清流であろうか。
「崖」という一語からは、おのづから紙漉きの現状やその心情がかぶさってくる。
季語に本意本情があるように、どの言葉にも本意本情とでもいうべき何かが内包されてあることを改めて気づかせてくれる一句である。ましてや紙漉きを生業とする三千戸以上が今は十戸になったという、そのうちの「一戸」もまた象徴的である。
伝統の灯を消すまいという一念に心を寄せながら、緊密に仕上げられている。
紙漉くや山茶花散るをまなかひに
山茶花は朝な夕なによき日当たりを得て楚々としている。散りゆく山茶花に焦点をあてられたことで、紙漉女の静けさのしぐさが目に見えるようである。
今漉くは迎賓館の障子紙
迎賓館は和風の粋をあつめた京都迎賓館であろう。世界中からの賓客をもてなすに、美しい陰影を見せる障子は何よりやさしくかつ機能的である。迎賓館のもたらすイメージは、すみずみまで真心のこもった美濃紙の貴重なありようそのものでもある。
雀隠れ ・ 稲田邦子
人見知りする子に雀隠れかな
萌出たばかりのいたいけな感じの若草もいつしか雀が隠れてしまうまで丈をのばしたという「雀隠れ」なる季語が何ともいきいきと匂い立ってくるようである。
この子はさぞかし利発なよい子に成長するであろう。自然と人間の鼓動の共鳴がうれしい。
子供ゐて春の雪踏む小枝橋
「小枝橋」は固有名詞であろうが、小枝という語意の印象が上五の「子供ゐて」とよく呼応して一句全体にひそやかな響きを奏でている。このひびきこそが春の雪のもっている本意に通うのである。
築山の起伏さだかや初つばめ
「初つばめ」が見事である。これが単なる「つばくらめ」であったなら、「起伏さだかや」は平凡な措辞に終わったであろう。
「初」という新鮮な驚きは、築山の輪郭を起伏もろともに際立てて、その飛翔をいっそう祝福せずにおれないのである。
(2008年7月号「晨」第146号所収)