律といふ子規の妹木の実降る 宮坂静生 宮坂静生の高著『子規秀句考』を夜長のつれづれにひもといていたら、子規の夜長の句に出会った。 〈長き夜や障子の外をともし行く 子規〉である。「病臥の身にとって秋の夜長ほどつらい時はない。この家にあたかも時間が停まってしまったかのようだ。だが、どんなに気が焦っても、母や妹を用もないのに呼びつけるわけにはいかない。このような閑けさの中で、ふたりは何をしているのであろうか。ふと、そんな折に人の動く気配がする。灯影を障子におとして、何か物をとりに立ったのか、厠へでも行ったのか。」 さすがにしみじみとした解釈がほどこされている。子規には夜長の句が97句、上五に「長き夜や」と置いた句が23句あるという。いかに子規が長き夜に拘泥しつづけたが知られよう、と。 病床にありながら子規は多くの仕事を成し遂げた。子規の業績のかげに、ときに病苦の憤懣をぶちまけられながらも献身的看病をもって子規の生涯を支えとおした妹、律のことが忘れられない。 「木の実降る」、たった5文字にこめられた俳句の奥行きはどこまでも深い、どこまでもやさしい。 割るる線うすうす見ゆる通草かな 照井 翠 通草は、山地にハイキングにでも行かないとなかなか見かけない。だが何と今日、出かけようとすると門の端っこに、お隣の垣根から長楕円形の通草が二つぶら下がっているではないか。はっとするような美しいむらさきの実の一つはもう裂けて白い果肉がのぞいている、一つはまだのようであった。お隣にお知らせすると、気前よくくださった。そこでよくよく観察するとまこと掲句通り〈うすうす見ゆる〉線が一筋走っていた。「あけび」の名は、厚い肉質の皮が熟すと縦に裂ける、つまり「開け実」に由来するという。 それにしても通草のつるっとして淡白な美味までも感じとらせるようなところ「うまいなー」 松手入ちょっと刈り込み過ぎしかな 桂信子 『桂信子全句集』(ふらんす堂発行)を手元にすることが出来た。 わが家は松手入を済ませたばかり、そこで桂信子ならどう詠うか?と季語別索引から引き当てた句である。思わずそうそう、その通り、と微笑まされた。素人の手元は切り捨てるという快感にとりつかれてしまったようである。おかげできれいさっぱり透け透けの青空に出会えたけれど。刈り込み過ぎに見えてサマになっている松手入れこそは本職の芸かもしれない。 どちらにしても、文字通りちょっと言って、松ぶりを鮮やかにみせるあたり、松を裸にして俳句もろともにその骨格の正しさを見せられたようで、さすがにとうならされる。掲句の前は「弁当のまはりの塵や松手入」、後ろは「事多き十一月のはじまりし」が並んでいる。これらは九十歳を迎えた記念に編まれた句集『草影』にある。 全句集には『草影』以後も収められているが、終の一句は、「冬真昼わが影不意に生れたり」であった。桂信子は今も生きている、そしていつ何時となく不意に現われてカツを入れてくださるであろう。 返り花たれのひそみにならひしや 鷹羽狩行 一読愁眉をひらくような明るさがある。十一月は暦の上では冬だが、春のようにおだやかなぽかぽかした日和も多い。その小春日和に桜の花もふと本当の春と間違えて一輪、二輪、愛らしい花を開いて見せてくれたのだ。作者は目を細めて「たれのひそみにならひしや」といたわるように小声をもらした。絶世の美女が病のために苦しげに眉をひそめた、その美しさにならって醜女もまた眉をひそめたという古きよき言葉を思い浮かべたのも、時ならぬ花、二度咲き、狂い花などとも言われる返り花の興趣に感じ入ってのことである。 ふさぎ虫連れて遮二無二酉の市 植村通草 霜月十一月の東京名物、「酉の市」の開かれる神社は関東近郊で30箇所ほど。浅草の鴛神社、新宿の花園神社、目黒の大鳥神社などで、これらはすべて日本武尊を祭神としているという。わが町、厚木の路地にも小さなお酉様があって、福をかっ込むという熊手が威勢良く売れてゆくのはなかなかの風情である。 掲句の作者は飯田蛇笏の高弟、わが初学の師である。具象、具象と喧しく、その難しさに初心の私は泣き出してしまうほど辛いものであったが、一方素直な句に対しては心底ほめちぎってくださってこれまた飛び上がるほど嬉しかった。俳句にハマッテしまったのは全く先生のおかげである。 〈遮二無二〉からは、おかめの器量を選りわけながら雑踏を押し進んでゆく師の裾捌きの激しさをうかがわせるが、同時に無我夢中に俳句に立ち向かっていたわが心象もまたそのようであったことをなつかしく思い出すものである。 坂のぼる十一月となりにけり 坂口匡夫 丘陵地を切り開いて造った住宅地である。家路はいつも坂を登らなければならない。若い頃はなんでもなかった坂道がだんだん息切れがしたり膝がいたくなったり、健康のバロメーターでもある。坂を上るのは一年中変わらないことであるが、さてこの十一月はいっそう全体重がかかるような気分を意識させられるものである。上旬のさわやかな秋晴から、やがて紅葉し、いよいよ厳しい寒さを迎えると、ついには年末へ突入、十一月ほど変化の著しい月はない。折々に思考をめぐらせる坂道を11月という言葉にのみ語って穏やかであり、もの静かであり、どこかさびしくもある。 瓜坊のかくかくかくと走り来る 秋山夢 猪は向こう見ずに猛然とやってくるが、さてその子、「瓜坊」は「かくかくかく」と走り来るという。そう言われるとまったく納得させられる擬態語である。今年は猪の干支であったせいか、やはり猪突猛進に過ぎ去る気配であるが、この瓜のころがるような瓜坊の来訪には癒される思いである。 句集『水茎』は、この句のあと、〈秋の草途切れて猪のぬた場なる〉、〈冷まじき砂浴びゐたる雀かな〉、〈秋の蝿死して眼を閉ざさざる〉、〈眼を閉じて金木犀の下に猫〉と続く。生き物によせるこの観察眼はナイーブかつシャープである。 焚かれゆくけさの落葉のなまがはき 鈴木しづ子 夕べは雨が降ったのであろう。少しじとつく落葉を今朝は火にくべているのである。その「なまがはき」という下五のなんと激しい口調であろう。くすぶろうが盛ろうがもうどうにでもなれというような虚無的なまなざしさえ感じられる。「なまがはき」はイコール女の生身のようでもある。 鈴木しづ子には、〈肉感に浸りひたるや熟れ石榴〉、〈雪こんこん死びとの如き男の手〉、〈夏みかん酸っぱしいまさら純潔など〉、〈コスモスなどやさしく吹けば死ねないよ〉など、境涯俳句の典型がある。これらの体ごと投げ打った俳句の芯には知性の大きなかたまりが潜んでいるのであろう。「なまがはき」は、現実性を帯ながら、ありのままの言葉などという生易しいものではなく、詩のことばとして時空に立ち上がっている。 作者はこう詠いきったときどんなにか心が鎮まったであろうか、背筋が伸びたであろうか。作者名は俳句の前書きのようなもの、という虚子の言葉はさすがにとうべなわれる。 本あけしほどのまぶしさ花八つ手 波多野爽波 待望の句集が届いた、或いは憧れの本がやっと今手に取れた、さあと開く1ページ目は、ぴっと気持が引き締まる、或いはドキドキする、こんな一瞬が私にはすごく幸せである。そんなささやかな喜びほどの輝きがあの寒気の中に咲く八ツ手の花のよろしさだと、言っている。 しかし、私は長い間「本あけしときのまぶしさ」、と勘違いしていた。作者は「花八ツ手」を詠いあげているのであって、先の感情を述べているのではない。この技巧の違いを知ったこともあって、花八ツ手の白さがいっそう好きになった。 枯野ゆく棺のわれふと目覚めずや 寺山修司 マンガ的風景、この荒唐無稽こそはさびしさや不安の裏返しのように思われる。青野では気味が悪いが、枯野をゆくところに説得力がある。覚醒するのは生身の体というよりはたましいそのものを印象させて、枯野の荒涼をあきらかに見せている。 〈林檎の木揺さぶりやまず逢いたきとき〉、甘えっ子のひたむきが、棺の中にまで及んでいる。
by masakokusa
| 2007-11-02 23:12
| 秀句月旦(1)
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