飯田蛇笏の俳句・秋の音色             草深昌子

                                 
 本箱を整理していたら、古い俳句誌の特集に目が止まった。「私の推す秋の名句」である。錚錚たる有名俳人によるアンケートの結果は、だんトツ飯田蛇笏の俳句だった。

   くろがねの秋の風鈴鳴りにけり
   芋の露連山影を正しうす
   秋たつや川瀬にまじる風の音


 それらの秀句の他にも、忘れられない句がある。

   戦死報秋の日くれて来たりけり
   なまなまと白紙の遺髪秋の風


 蛇笏は、虚子に次ぐ俳壇の巨匠として大正時代を一世風靡した俳人である。だが、痛恨の生涯でもあった。長男はレイテ島にて玉砕、次男は病死、三男までもが戦地にて亡くなっている。「雲母」を継承し昭和俳壇をリードしていった龍太は、四男であった。
 二十余年前、私が初めて俳句を習った先生は、蛇笏の高弟で、当時は龍太主宰「雲母」の筆頭同人だった。
 初学の頃の私は、今思い出しても涙ぐましいほどひたむきで純粋だった。褒められると天にも昇る心地がし、貶されると地獄の底だった。実際、よく叱られた。机上で鉛筆トントンして、知恵を絞りに絞った一句を披露すると、「それがどうしたの!」の一言だった。反発すると議論は徹頭徹尾となって、遂には泣き出してしまうこともあった。それでいてある日、感動を素直に表現すると、「参った!私にはもうこういう句はできないわ。ああ、参った、参った!若さって凄いわねえ」と、しんから賛辞とも嘆息ともなく呟かれるのだった。
 「俳句は、事実でなく、真実を詠うものです」と、凛然と威儀を正された。真実という究極の難題にがむしゃらに立ち向かわせて下さったのは、蛇笏俳句の孤高の精神を骨の髄まで染み込ませた女流俳人の矜持にあった。
 その後、私は別の結社に属し、やがて主宰と永訣してしまった。この十年ほど、いつしか仲間褒めのなかで、容易く十七音に纏めてしまっていなかっただろうか。
 「それがどうしたの!」、あの一喝が、たまらなく恋しい。それに、「若さって、凄い」というセリフは、いまや私のほうが発する番になっている。

 蛇笏の秋の名句を思い返しているうちに、図らずも、わが俳句姿勢を懐旧することになってしまった。
 ふたたび、蛇笏俳句の数々に思いをはせていて、強烈に気付かされたことが一つある。

 俳句に人生を詠うのではない、
 人生が俳句を詠わせしめるのである。

 秋風の中で、くろがねの風鈴の音色を、瞑目して考えてみたい。

f0118324_1615252.jpg

   (2001年4月・芽の会50回記念文集・所収)
   
by masakokusa | 2007-02-08 00:09 | 俳論・鑑賞(1) | Comments(0)
<< 何のかんのと冒険者      ... 〈あたたかさ〉からの出発 ... >>