史上の一句・原石鼎          草深昌子
                          

  雪に来て美事な鳥のだまり居る    原 石鼎
 
 石鼎が存命なら数え年百歳にあたる年に、私は「鹿火屋」に入会した。
翌、昭和六十一年、石鼎生誕百年のお祝い会で、原コウ子先生にまみえることが出来たのは今もって胸の熱くなる思い出である。
 『原石鼎全句集』のあとがきに、原裕主宰は、漸くまとめた第一本を今は亡き原コウ子(昭和六十三歿)の霊前に献ずることを許されたい。コウ子夫人の内助がなかったら、石鼎の闘病延命はなく、この本の後半の句は生まれていなかったろうから、と記されている。裕主宰も、その生涯を石鼎顕彰に尽くして、すでに亡くなられた。
 石鼎を思うと今はなぜかしみじみするばかりである。

 さて、石鼎の俳句は、初学から印象鮮明でよく口誦した。後年、飯田蛇笏が、石鼎の作品は、捉えた光景がはっきりしていて誰にも合点がゆく、常に大衆性を具備した強みがある、と述べていることを知って、それこそ合点がいったものである。
 石鼎生前唯一の自選句集『花影』の中では、最終章の昭和九年から十一年あたり(四十八歳から五十歳)の作品が一番好きである。
 掲句も昭和九年作。一句は、華麗なる一幅の絵として一寸の狂いもなく静止している。真っ自な雪は、あたかも鳥の念力がもたらすかのように降りしきっているのだが・・・何鳥とも言わないで、美事な鳥と大胆にも言い放った見事さ、一句を支配しているのはミゴトナトリに及くものはない鳥のひびきである。また、だまり居ると、擬人化したことの凄み。睨み据えている鳥の眼光から、背後から、なぜか絢爛たる極彩色が立ち上ってくるような光景を覚える。この不思議を解明してくれたのは、永田耕衣の言葉である。
 「〈雪に来て美事な鳥の黙り居る〉といった句も、どこか神性というものがないと出てこない句といえるだろうな。神の出てくる句も神サマっぽくはない、どこかおおらかなんだ。子供のときに神の放射能を受けとったんだろうなア、郷里で、たっぷりと。」

 ところで、この麻布本村町時代の石鼎の姿を、子供の頃、隣に住んでいた須賀敦子が、その著『遠い朝の本たち』の中で触れている。
――「原さんて憶えてる?おとなりの」、妹は遠い記憶をたぐるようにうーんといった。「うん、あの麻布の家のとなりで、いつも庭に立って、空を見てた、じじむさいおじいさんでしょう」――
 病身の石鼎にとって、言いたいこと泣きたいことは山ほどあったに違いない。だが、只黙って、自然と同化することのみに一心であったのだろう。いつも空を仰いでいた俳人の孤独な姿は、内なる自信に支えられて耐えて立っていた孤高の姿でもある。だまり居る鳥の重量感や貫禄の風姿は、石鼎そのものに思えてならない。

  こくめいに生きて句に住む寒椿   石鼎

 これからも、石鼎に、勇気付けられ、癒されることであろう。

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(平成16年5月1日発行・「晨」第121号p57所収)
by masakokusa | 2007-01-03 20:09 | 俳論・鑑賞(1) | Comments(0)
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