現代の俳人・私の一句                草深昌子

     水替の鯉を盥に山桜     茨木和生
 
  鯉は、暫時の水にすっと身をひきしめたであろうか。ひそやかな姿が鮮明に透き通って見える。やがて新しい水に放たれ、新天地にその命を謳歌するのであろう。
  山桜は生きとし生けるものに永遠の微笑を投げかけているようだ。「水替の鯉を盥に」と「山桜」の照応がすばらしい。
 人の世の営みは自然の恩寵によって輝くことができるが、自然の風光も人を容れて輝きを増すように思われる。
 透明な色彩感を湛えた一句から、「自然」とは人問をふくめ山川、草木、動物など天地間の万物共生をさす意味であることをあらためて思い起こされるのである。
 体当たりで季語の本意、本情を引き出される作家であるが、さんざん歩き回ってふと立ち止まった息づかいには静けさが漂っている。眼光の鋭さのゆきつくところに潜んでいるのは命をいとおしむやさしさであろう。茨木和生氏の俳句は、どれも、古典的でなお現代的なまなざしがゆきわたっている。
 去る四月二十二日の明け方、東吉野村の天好園で、図らずも掲句の句碑に出会った。折しもさくらは満開。あたりは一句の情景そのままに、静謐な明るさに包まれていた。朝日がほんのりと身に染みわたって、至福のひとときだった。新たに俳句の道を辿りはじめた私にとって、洗心の出会いの一句となった。

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(平成12年7月1日発行・「晨」第98号 p54所収)
by masakokusa | 2007-01-03 14:24 | 俳論・鑑賞(1) | Comments(0)
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