何故俳句か               草深昌子
     
                                「晨」120号記念特集
        
    何やらゆかし


 小学生のころ、駆けっこでビリながらも走りぬくと母は「ヤマジキテナニヤラユカシスミレソウ!」と歌うように大きな声で私をひしと抱きしめてくれた。百点を取ったときも、級長になったときも、いつだって、ナニヤラユカシスミレソウ!ってぎゅっと抱くのだった。母のリズミカルで嬉々としたオマジナイが最高に嬉しかった。姉と私は競ってお手伝いや勉強に発奮し、スミレソウ、スミレソウ、と言い合うのだった。
 結婚のとき、母から、形見にとっておいて、と一冊のノートを貰った。戦火をくぐり、鼠の齧り跡のついた表紙には「俳文学史講話・専攻科・ふみ子」とある。
 ――像、花にあらざる時は夷狄にひとし。心、花にあらざる時は鳥獣に類ス。夷狄を出、鳥獣を離れて、造花にしたがひ、造花にかへれとなり。自然にしたがって自然を友とせよ、自然を見つめて自己に帰れと力説しているのである。一番の門人に対しては、予が風雅は夏炉冬扇の如し。衆にさかひて用る所なし。と、いっている。即ち俳諧は実用品でなきことを徹底せしめているーー、ここには一字一字に赤い丸がついている。びっしり書き綴った俳諧への熱き言葉は、読むほどに芭蕉の声なのか母のそれなのか渾然としてくる。

  山路来て何やらゆかしすみれ草  芭蕉

 私より姉より、母こそがもっともゆかしいすみれ草であったことに気づかされた。戦争で夫を亡くした母は、すみれ草の楚々としてしかもたしかな存在感にこころ惹かれ、口誦することで、自 らを鼓舞していたに違いない。十七音はまさに呪文であった。
 現実の生活を芸術の中に埋没させるような生き方、実事を捨てて虚事に専念する生き方にあこがれていた母からは、季節に応じてしなやかに順応して生きることを教えられた。
 私は天真爛漫であったが、何故かこの世の無常にむなしさをおぼえてならない気質でもあった。大阪弁で、やんちゃなくせにあかんたれ、と言われ続けた。やがて俳句に一心になることで、悩ましい両面性は救われた。やんちゃな私がおとなしい句を作り、あかんたれの私が大胆な句を作ることを発見して、自分が解き放たれたのである。俳句を実生活の活力にしてきた母の日常は、そっくりそのまま私の日常につながっている。
 そういえば、娘時代、太りすぎを気にしてお饅頭の皮だけを食べて中の餡子を捨てていた私に、半ばふざけて半ば真顔に、こう言い放ったのも母だった。
 「金銭のことや衣食のことだけで一生を終わる人はお饅頭のおいしさを知らずに皮だけ食べて死んでしまったようなものです。経済のやりくりも必要ですけど、そんな実利生活は端です。饅頭の皮のようなものです。目指すべきは芸術であり、饅頭の餡であります」そう、饅頭の中に餡があるように、私のコアには呪文ならぬ俳句があったのだった。

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 (平成16年3月号[晨]第120号・98p所収)
by masakokusa | 2006-12-11 10:20 | 俳論・鑑賞(1) | Comments(0)
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