宝船漕ぎ出す古希の櫂をもて 神崎ひで子
室町時代ごろから、初夢に良き夢を見んとして、宝船の図を敷いて寝る風習があった。この宝船の図には、 なかきよのとをのねふりのみなめさめなみのりふねのをとのよきかな (永き世の遠の眠りのみな目覚め波乗り船の音の良きかな) という回文歌が添えられている。 私も昨年、京都は下賀茂神社の本家本元の「宝船」を送っていただいた。 そこには七福神はもとより金銀、珊瑚、宝石、米俵など、見るからに目出度いものが山積されていて、嬉しかったことを覚えているが、果たして夢はどうであったのか、ぼんやりしている。 ひで子さんは、ぼんやりなんぞしていない。宝船を枕に敷いて、心は颯爽と前途ある大海原へ漕ぎ出されたのである。 「コギダス」「コキ」の、「コ」の畳みかけが櫂のリズムとなって心地よい。 まことに輝かしい本年のスタートである。
去年よりは少し賢く読始 田野草子
新年に入って、初めて書物を読むことが読初(よみぞめ)、読始(よみはじめ)である。 草子さんもまた、なんと素晴らしい今年を歩み始められたことであろうか。 この句を読むと、一読にして、我もまた少し賢くなったような元気がもらえるではないか。 きっと少々難しい書物であろう。いや平明にして奥深いものと言った方がいいかもしれない。あるいは手元にある愛読書を改めて読始に選ばれたものかもしれない。 いずれにしても、去年までは、なかなかすんなり読めなかったものが、何と今年は心から頷かされるものになっているではないか。 本を読んで「わかる」ということほど嬉しいことはない、間違いなく自身の糧となっていることを感じ入るのである。 「賢く」という何気なくも、少しあらたまった言い方が、文字通り賢明である。
若水を供へなんども頭下げ 市川わこ 「若水」という兼題が出された時、私を含め大方の人は、難しい季語だと気構えた。聞き慣れない言葉に加え、神聖なる新年の水ということを考えると、イメージは特別なものに飛んでいくのである。 ところが、わこさんは何とも素直に身近なものとして、難なく若水を詠いあげた。 元旦に汲んで、心新しく神仏に供えた水であろう。 庶民のささやかな感謝と願い事の数々、まさに神仏に何度も頭を下げられたのであろう。 若水に対する、心の引きしまりは十二分に伝わってくる。
元日のひろき額の顔洗ふ 坂田金太郎
何十年付き合ってきた我が顔のことは、若い時はともかく齢を積みかさねるほどにいちいち考えもしないのではないだろうか。 だが元旦の洗顔ばかりはちょっと厳粛である。ざぶざぶと濯ぎながらもわが額の広さをしみじみと慈しまれたのであろう。 新年の自覚というものが「ひろき額」にきれいさっぱりと出ていて、読者もまた清々しさをいただけるものである。 女性の美しい富士額でもあるかのようなめでたさも想像されたのであるが、何と男性。 作者にうかがえば、禿げあがってしまって額が広くなったのだという。 とんだ種明かしは聞かない方がよかった、と言いつつ、初笑をしたのであった。
横浜港汽笛一声去年今年 東小薗まさ一 全てを漢字でもって仕上げた一句は見るほどに手堅い。 作者は故意に漢字を並べようとしたのではないだろう、韻律もスムーズであって、思わずこうなったというような一句である。 横浜港では大晦日の夜24時、除夜の鐘ならぬ汽笛が新年を迎えるお祝いとして鳴り渡るそうである。 まさに、時去り時来たるとう意味合いが、汽笛の音量となって響いてくる。 「去年今年」という新年の季語の置き方は出来るようで出来ない、素直な実感が効いている。
悴める手に息かけて赤提灯 松尾まつを
寒さに凍えそうなそのとき、行きずりの街角に、赤提灯を見つけたら、ふっと吸い寄せられてしまうのではないだろうか。 男社会では、赤提灯はすでに居酒屋を指すのであろうが、男女を問わず一句が身に染み入るようにわかるのは、「赤提灯」という具体的なものの置き方が絶妙だからである。 色彩の赤もよければ、提灯の明かりも納得させられるのである。 「手に息かけて」からは、一呼吸おいて、ふと綻びた作者のまなざしまでもがうかがえる。
病癒ゆるごとく日脚伸びにけり 森田ちとせ
冬至が過ぎると畳の目の一つ一つほどに日が長くなることを実感する。 いや実感というよりは、「日脚伸ぶ」と言ったときに、自然界のささやかな春の兆しを見つけることで、厳寒の時期を精神的に凌いでいるのかもしれない。 そんな「日脚伸ぶ」という季題に、この句はまた新しい境地を見せてくれた。 穏やかでありながら、「本当にそうだな」と思わせる表現の強さがある。 作者がちとせさんと知れば、厄介な病気を抱え込んでいた作者自身のひそかにもじんわりとした感慨に違いない。
病棟の渡り廊下や日脚伸ぶ 小幡月子
渡り廊下は旅館などで見かける新館と旧館をつなぐ廊下であったり、本館から湯屋に渡されたものであったり、俳句にはよく使われる措辞ではあるが、この渡り廊下は病棟から病棟へ掛けられたものである、そこに先づ意外性がある。 この句からも、ふとしたあたたかさが、作者にとって救いのように感じられたのであろうことが、明るい日射しそのままに伝わってくる。 これが本当の「日脚伸ぶ」だなと、思わせるものがある。
能登鰈手袋の手で炙りけり 柴田博祥
寒さをものともせず防寒着を着込んでの魚釣であろう。 能登という固有名詞がいかにも寒げで、いかにも美しい、それゆえに鰈もまた一段と弾けるような新鮮さを見せてくれる。 手ごたえ十分に釣りあげた鰈は、手袋の手のまま火にあぶって、ワンカップでも飲まれるのであろうか。 「手袋」の手の触感が喜びの臨場感さながらに伝わってくる。
能登の女あかぎれなんかなんのその 熊倉和茶
能登鰈の能登もいいが、この句の能登もまた一句を大きく深く広げている。 旅をされた感想であろうが、旅人を越えてまるで常住の思いのように受け止めた、 能登の女性の心映えが「なんのその」という大胆なる措辞にきっぱりと出ている。 皸が少しも痛々しくなく、能登の女の勲章のようではないか。 作者自身にも能登の女性に通じる気概がなければこうは詠えないものである。
初手水赤子の小さき拳かな 大本華女
初手水は元日の朝汲み上げられた若水で、その年初めての手水を使い、手や顔を洗うことを言う。 この句はもちろん水道の水であろう、それでも立派な初手水である。 赤ん坊の瑞々しさが、初手水に呼応しているのはもとより、赤ん坊がぎゅっと握り拳を見せているのが何より目出度いのである。
若水に淹れて茶柱立ちにけり 小川文水 若水に八十路の顔を映しけり 藤田若婆 悴みて洗顔の水手より漏れ 米林ひろ 選評は席を移して初句会 佐藤健成 子等去りて正午の鐘の冴ゆること 末澤みわ 人日や紅茶に落とすウイスキー 山森小径 一人居て宝の如き寒満月 中野はつ江 悴むや花の蕾のやはらかな 鈴木一父 河豚刺を青磁の皿に掬ひけり 二村結季 初鏡横皴深くありにけり 中澤翔風 変身の魔法かけたや初鏡 芳賀秀弥 湧き出づる若水つとに泡となる 河野きなこ けふもまた光る星あり冬の朝 藤田トミ 画像追ふ医師の背中や春浅し 関野瑛子
by masakokusa
| 2018-03-03 22:04
| 『青草』・『カルチャー』選後に
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