『青草』・『カルチャー』選後に・平成29年12月       草深昌子選
『青草』・『カルチャー』選後に・平成29年12月       草深昌子選_f0118324_17520829.jpg


     冬晴の我の辺りは翳りけり       菊地後輪


 冬晴は、初冬の小春日和とは一線を画した、厳しい寒さの中の晴れ渡った日和である。

 それだけに、遙かまで見渡せる大気の透明度は満点である。

ここ丹沢山系の裾をひく地もまた、大山がくっきりと聳えて、ビルの立て込んだ都会では想像もつかない冬晴の美しさを見せている。

作者もそんな冬晴にほれぼれしながら、ふと気づくと、あれっ、自分の居るこのあたりは、翳っているではないか、というのである。

光りがさせば影もある、当たり前のことだが、その当たり前を不思議に思うのが詩人である。

作者はただ正直に述べただけであって、何も言ってない。

だからこそ、一瞬にして、自然のありようが人の世のありようの如くに、読み手の心に深く入り込んでくるのである。

そういえば、世の中は幸せそうにあまねく晴れていても、今ここに立っている自分の立ち位置だけは、ぱっとしない暗がりであるということはよくある。  

ふとした淋しさに遭遇したとしても、俯瞰してみれば、それもまた幸せな空間ではないだろうか、何も悲観することはない。

ここには、作者ならではの冬晴に対する感受が、まばゆいばかりに打ち出されいる。




 口重の店主おでんの蓋を閉ぢ      中澤翔風


冬の寒さにふと暖簾をくぐりたくなるのは、何と言ってもおでん屋だろう。

おでん屋は、屋台よし、老舗よし、たまに高級おしゃれ感覚の店もよし、そのありようはさまざまだが、何より欠かせないのは気軽に傾ける燗酒ではないだろうか。

さて掲句のおでん屋だが、オヤジは何となく愛想がないとは感じていたが、おでん鍋の蓋を閉じたその時に、その口重を再確認されたのだろう。

機微あるところを捉えたのは、通人の翔風さんならではのもの。

うす暗い席に、おでんの匂いが、むわっと漂ってくるようである。

だが、大根も練物も、コトコトとよく煮えて、さりとて煮込み過ぎず、きっと美味いに違いない。もうちょっと煮込むべく、蓋をずらして置かれたのだと思ったが、作者によると、「看板だよ」という、気難しいものであったらしい。

それだけ酒が進んだということであろう。

先日、「小田原おでん」に行ったが、ここの女主も黒ずくめの衣装で、何だかテキパキしなかったが、それもおでん屋の風情というものだろうと、納得させられた。

『青草』・『カルチャー』選後に・平成29年12月       草深昌子選_f0118324_17525361.jpg

    冬晴や松の合間を船のゆく       山森小径


松林が一面にひろがっている海辺であろうか。冬晴にキラキラとかがやいてやまない海の向うには一艘の舟がすべるように行くのである。冬晴の空気感が、松の青さ、海原の青さを見せて清々しい。まこと端正な句である。



     大声で母呼ぶ庭や初氷         栗田白雲


「お母さん、ほら見て見て、氷だよ」、はち切れそうな子供の声が、家中にひびいた。

「ええつ、ホント!」、濡れた手をエプロンで拭きながら、真っ先にかけつけたのはお母さん。

 清冽な一コマである。

先づはそういう読みになるであろうか。

だが、この情景は氷に限ったものではない、何か珍しいものを見つけたのか、あるいは転んだのかもしれない、そしてまた誰の声とも限らない。

鑑賞に幅をもたせるのは、「大声で母呼ぶ庭や」という中七でいったん切れる表現の巧さである。

しばらくは庭に声を響かせて、読者の感興を呼びさますという空間の取り方、そこではじめて、「初氷」を鮮やかに眼前にするのである。



    爪たてて霜の厚みを確かめり      湯川桂香


 「爪立てて」というと先ず思い当たるのが、蜜柑を剥くときの仕草である。

だが、一句は違う、何と爪を立てて霜の厚みを計ったというのである。

 寒気の極まった冬の夜、地面の水蒸気がただちに結晶して真っ白な霜を置く。

しんしんたる夜が明けて、晴れ上がった空のもとには、一面の霜が広がっている。

枯葉か何かに針のように、いやもっと厚く板のように結晶された霜であろうか。

作者の驚きが、そのままストレートに読者の驚きとなって伝わってくる。

『青草』・『カルチャー』選後に・平成29年12月       草深昌子選_f0118324_17540224.jpg

    十二月八日よ七十五年前        吉田良銈


 128日は、昭和16128日のこと。つまり、太平洋戦争開戦の日である。

 その日は、作者にとって毎年、毎年、ついぞ忘れることのない、心に深く刻まれた切ないメモリーである。

 そんな、昨日のことのように認識される開戦日が、今年は何ともう、75年も昔のことになるのだという。

多くの俳人が、開戦日の句を作ってきたが、75年の歳月の詰まった一句は、吉田良銈さん以外には詠えないものである。

御齢91歳の俳人ならではの128日を瞑目して考えたいと思う。


 

   畑中の霜よけ笹の葉にも霜        高橋まさ江

   路地奥に竈設へ餅を搗く         堀川一枝

   着ぶくれて脱衣の山の渦高く       米林ひろ

   年の瀬や手を引かれゆく交差点      田淵ゆり

   採血の針の太さや隙間風         泉いづ

   鴨一羽群より離れ空に鳴く        伊藤波

『青草』・『カルチャー』選後に・平成29年12月       草深昌子選_f0118324_17543733.jpg

   着ぶくれてエレベーターを遣り過ごす   古舘千世

   柳川をゆっくり行くや炬燵船       菊竹典祥

   息切らし子の担ぎ来る配り餅       森川三花

   捨舟の内の水照り葦枯るる        瓜田国彦

   綿虫よ嚏の主はそなたかな        石原由起子

   おでん煮る母や明日は留守らしき     神崎ひで子

   着ぶくれてパンダの列につきにけり    佐藤健成

『青草』・『カルチャー』選後に・平成29年12月       草深昌子選_f0118324_17555792.jpg

   あれこれと炊き追はるる冬至かな     木下野風

   枯菊となりて匂ひをただよはす      関野瑛子

   雲なくて白壁高し冬の朝         市川わこ

   大風や欅一夜に枯木立          中園子

   二階まで柚子の実りし家を訪ふ      奥山きよ子

   枯木道かすかに見ゆる昼の月       石堂光子



    

by masakokusa | 2018-01-31 23:48 | 『青草』・『カルチャー』選後に
<< 俳句四季 2018年1月号 新俳句年鑑2018  (ことば... >>