冬晴の我の辺りは翳りけり 菊地後輪
冬晴は、初冬の小春日和とは一線を画した、厳しい寒さの中の晴れ渡った日和である。 それだけに、遙かまで見渡せる大気の透明度は満点である。 ここ丹沢山系の裾をひく地もまた、大山がくっきりと聳えて、ビルの立て込んだ都会では想像もつかない冬晴の美しさを見せている。 作者もそんな冬晴にほれぼれしながら、ふと気づくと、あれっ、自分の居るこのあたりは、翳っているではないか、というのである。 光りがさせば影もある、当たり前のことだが、その当たり前を不思議に思うのが詩人である。 作者はただ正直に述べただけであって、何も言ってない。 だからこそ、一瞬にして、自然のありようが人の世のありようの如くに、読み手の心に深く入り込んでくるのである。 そういえば、世の中は幸せそうにあまねく晴れていても、今ここに立っている自分の立ち位置だけは、ぱっとしない暗がりであるということはよくある。 ふとした淋しさに遭遇したとしても、俯瞰してみれば、それもまた幸せな空間ではないだろうか、何も悲観することはない。 ここには、作者ならではの冬晴に対する感受が、まばゆいばかりに打ち出されいる。
口重の店主おでんの蓋を閉ぢ 中澤翔風
冬の寒さにふと暖簾をくぐりたくなるのは、何と言ってもおでん屋だろう。 おでん屋は、屋台よし、老舗よし、たまに高級おしゃれ感覚の店もよし、そのありようはさまざまだが、何より欠かせないのは気軽に傾ける燗酒ではないだろうか。 さて掲句のおでん屋だが、オヤジは何となく愛想がないとは感じていたが、おでん鍋の蓋を閉じたその時に、その口重を再確認されたのだろう。 機微あるところを捉えたのは、通人の翔風さんならではのもの。 うす暗い席に、おでんの匂いが、むわっと漂ってくるようである。 だが、大根も練物も、コトコトとよく煮えて、さりとて煮込み過ぎず、きっと美味いに違いない。もうちょっと煮込むべく、蓋をずらして置かれたのだと思ったが、作者によると、「看板だよ」という、気難しいものであったらしい。 それだけ酒が進んだということであろう。 先日、「小田原おでん」に行ったが、ここの女主も黒ずくめの衣装で、何だかテキパキしなかったが、それもおでん屋の風情というものだろうと、納得させられた。
冬晴や松の合間を船のゆく 山森小径 松林が一面にひろがっている海辺であろうか。冬晴にキラキラとかがやいてやまない海の向うには一艘の舟がすべるように行くのである。冬晴の空気感が、松の青さ、海原の青さを見せて清々しい。まこと端正な句である。
大声で母呼ぶ庭や初氷 栗田白雲
「お母さん、ほら見て見て、氷だよ」、はち切れそうな子供の声が、家中にひびいた。 「ええつ、ホント!」、濡れた手をエプロンで拭きながら、真っ先にかけつけたのはお母さん。 清冽な一コマである。 先づはそういう読みになるであろうか。 だが、この情景は氷に限ったものではない、何か珍しいものを見つけたのか、あるいは転んだのかもしれない、そしてまた誰の声とも限らない。 鑑賞に幅をもたせるのは、「大声で母呼ぶ庭や」という中七でいったん切れる表現の巧さである。 しばらくは庭に声を響かせて、読者の感興を呼びさますという空間の取り方、そこではじめて、「初氷」を鮮やかに眼前にするのである。 爪たてて霜の厚みを確かめり 湯川桂香
「爪立てて」というと先ず思い当たるのが、蜜柑を剥くときの仕草である。 だが、一句は違う、何と爪を立てて霜の厚みを計ったというのである。 寒気の極まった冬の夜、地面の水蒸気がただちに結晶して真っ白な霜を置く。 しんしんたる夜が明けて、晴れ上がった空のもとには、一面の霜が広がっている。 枯葉か何かに針のように、いやもっと厚く板のように結晶された霜であろうか。 作者の驚きが、そのままストレートに読者の驚きとなって伝わってくる。
十二月八日よ七十五年前 吉田良銈
12月8日は、昭和16年12月8日のこと。つまり、太平洋戦争開戦の日である。 その日は、作者にとって毎年、毎年、ついぞ忘れることのない、心に深く刻まれた切ないメモリーである。 そんな、昨日のことのように認識される開戦日が、今年は何ともう、75年も昔のことになるのだという。 多くの俳人が、開戦日の句を作ってきたが、75年の歳月の詰まった一句は、吉田良銈さん以外には詠えないものである。 御齢91歳の俳人ならではの12月8日を瞑目して考えたいと思う。
畑中の霜よけ笹の葉にも霜 高橋まさ江 路地奥に竈設へ餅を搗く 堀川一枝 着ぶくれて脱衣の山の渦高く 米林ひろ 年の瀬や手を引かれゆく交差点 田淵ゆり 採血の針の太さや隙間風 泉いづ 鴨一羽群より離れ空に鳴く 伊藤波 着ぶくれてエレベーターを遣り過ごす 古舘千世 柳川をゆっくり行くや炬燵船 菊竹典祥 息切らし子の担ぎ来る配り餅 森川三花 捨舟の内の水照り葦枯るる 瓜田国彦 綿虫よ嚏の主はそなたかな 石原由起子 おでん煮る母や明日は留守らしき 神崎ひで子 着ぶくれてパンダの列につきにけり 佐藤健成 あれこれと炊き追はるる冬至かな 木下野風 枯菊となりて匂ひをただよはす 関野瑛子 雲なくて白壁高し冬の朝 市川わこ 大風や欅一夜に枯木立 中園子 二階まで柚子の実りし家を訪ふ 奥山きよ子 枯木道かすかに見ゆる昼の月 石堂光子
by masakokusa
| 2018-01-31 23:48
| 『青草』・『カルチャー』選後に
|
カテゴリ
全体 プロフィール 「青草俳句会」のHP 昌子俳句抄 昌子俳句を鑑賞 昌子の句会・選評 大峯あきらのコスモロジー 大峯あきらの折々 俳句総合誌『俳句』ほか 俳論・鑑賞(2) 俳論・鑑賞(1) 原石鼎俳句鑑賞 受贈書誌他より 第3句集『金剛』 第2句集『邂逅』 『邂逅』書評抄録2 『邂逅』書評抄録1 第1句集『青葡萄』 カルチャー・選評 青草俳句会・選評 秀句月旦(3) 秀句月旦(2) 秀句月旦(1) 昌子の近作 昌子365日 昌子週詠 昌子月詠 句句燦燦 師系燦燦 俳句はめぐる 歳時記・夏 エッセー3 エッセー2 エッセー1 挨拶文・書簡・他 大峯あきら・寄稿 尾池和夫・講演 以前の記事
2024年 03月 2024年 02月 2024年 01月 2023年 12月 2023年 11月 2023年 10月 2023年 09月 2023年 08月 2023年 07月 2023年 06月 2023年 04月 2023年 03月 2023年 02月 2023年 01月 2022年 12月 2022年 11月 2022年 10月 2022年 09月 2022年 08月 2022年 07月 2022年 06月 2022年 05月 2022年 04月 2022年 03月 2022年 02月 2022年 01月 2021年 12月 2021年 11月 2021年 10月 2021年 09月 2021年 08月 2021年 07月 2021年 06月 2021年 05月 2021年 04月 2021年 03月 2021年 02月 2021年 01月 2020年 12月 2020年 11月 2020年 10月 2020年 09月 2020年 08月 2020年 07月 2020年 06月 2020年 05月 2020年 04月 2020年 03月 2020年 02月 2020年 01月 2019年 12月 2019年 11月 2019年 10月 2019年 09月 2019年 08月 2019年 07月 2019年 06月 2019年 05月 2019年 04月 2019年 03月 2019年 02月 2019年 01月 2018年 12月 2018年 11月 2018年 10月 2018年 09月 2018年 08月 2018年 07月 2018年 06月 2018年 05月 2018年 04月 2018年 03月 2018年 02月 2018年 01月 2017年 12月 2017年 11月 2017年 10月 2017年 09月 2017年 08月 2017年 07月 2017年 06月 2017年 05月 2017年 04月 2017年 03月 2017年 02月 2017年 01月 2016年 12月 2016年 11月 2016年 10月 2016年 09月 2016年 08月 2016年 07月 2016年 06月 2016年 05月 2016年 04月 2016年 03月 2016年 02月 2016年 01月 2015年 12月 2015年 11月 2015年 10月 2015年 09月 2015年 08月 2015年 07月 2015年 06月 2015年 05月 2015年 04月 2015年 03月 2015年 02月 2015年 01月 2014年 12月 2014年 11月 2014年 10月 2014年 09月 2014年 08月 2014年 07月 2014年 06月 2014年 05月 2014年 04月 2014年 03月 2014年 02月 2014年 01月 2013年 12月 2013年 11月 2013年 10月 2013年 09月 2013年 08月 2013年 07月 2013年 06月 2013年 05月 2013年 04月 2013年 03月 2013年 02月 2013年 01月 2012年 12月 2012年 11月 2012年 10月 2012年 09月 2012年 08月 2012年 07月 2012年 06月 2012年 05月 2012年 04月 2012年 03月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 10月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 07月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 07月 2007年 06月 2007年 05月 2007年 04月 2007年 03月 2007年 02月 2007年 01月 2006年 12月 2006年 11月 お気に入りブログ
最新のコメント
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
タグ
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
ファン申請 |
||