『青草』・『カルチャー』選後に・平成29年11月       草深昌子選
f0118324_18430157.jpg


大牡蠣や縮みて鍋の底にあり         中原マー坊


 「大牡蠣や」と大きく打って出た、果たしてどんなにすばらしい牡蠣であろうかと思いきや、鍋の底に小さく縮んでいるというのである。

思わず笑ってしまうが、この笑いには庶民の哀感をそそるものがある。

見るからにぷっくりしていても、うっかり煮すぎると縮んでしまって見る影もないというのは牡蠣の特性であろう。

 それにしてもこの牡蠣鍋は、ささやかにも楽しいものであったに違いない。



朝時雨逃れて蝶の廂かな           栗田白雲


時雨は急にパラパラと降る初冬独特の雨であるが、この句は、単なる時雨でなく「朝時雨」であるところがいい。

朝という詩情のきらめきが蝶の身にふりかかって見事に美しい。

朝時雨は大山を越えて、裾野のあたりを束の間濡らしたのであろう。

「蝶の廂」とは、なんとも心憎い。

ふとした温もりを想わせて、作者の心象ともども蝶々をクリアに見せるものである。



   カーブして冬の空より車来る         日下しょう子


冬の空から自動車が飛び出してくるなんて、何というスピード感、おっと危ないではないかという迫力がある。

カーブしているのは高いところに架かっている高速道路と思われる、真っ青な冬の空以外に作者の目には何も飛び込んでこなかったのであろう。

ここには作者の驚き、作者の嘘偽りのない見方がある。

大胆な省略であるが、たまにはこれぐらいのことを言ってみたいと思う。

絵画には描けない、空白を大きくとった俳句ならではの描写である。



水量を計る人あり冬の川           新井芙美


冬の川で水量を計っている人がいるという以外、何もわからない。

一体どんな人が、何のために、どんな方法でやっているのか。

冬の川は渇水期であるから流れも細くなり、河原の草々もすっかり枯れてしまうだろう。

そういうイメージを持ちながら、この句を読むと、案外冬の川の様相は違うようでもあり、いろいろ想像させられるものがあって面白い。

俳句の魅力は、このように何も言わないところにある。

かくかくしかじかと因果関係を述べてしまってはおしまいである。


f0118324_18434236.jpg

太公望冬の静けさまとひけり         平野翠


「太公望」という言葉だけで一句が成り立っていると言っていいほど、太公望が効いている。

太公望は、周代の斉国の始祖。初め渭水の浜に釣糸を垂れて世を避けていたが、文王に用いられ、武王を助けて殷を滅ぼしたという。

そういう故事から、太公望は釣師の異称となっている。

この句、「釣人は冬の静けさまとひけり」ではさまにならない。

太公望としたことで、まことの太公望のイメージを重ね合わせることができるのである。

それによって、冬そのものの静けさが、どっしりと人のようにも、水のようにも、大公望と一枚になって感じられてくるのである。



寒菊や何匹となく蜂と蠅           石堂光子


寒菊の異名に冬菊があるが、冬菊と詠う場合は、秋の菊の花が冬になっても咲いている、遅咲きの菊というイメージで詠うことが多い。

この句は、冬菊ではなく断然「寒菊」ならではの風趣を引き出している。冬になって咲く菊の品種で、色は黄色である。

「何匹となく」という措辞が巧い。蠅や蜂の入り組んだ動きが想像され、そこには寒菊の濃い黄色が明らかに浮き出てくるのである。



水の湧くところ好きらし鴨一羽        坂田金太郎


池であろうか川であろうか、その一角には水の噴き出すところがあるのだろう。

そのあたりを一羽の鴨が来ては去り、来ては去り、どうかすると、なかなか去らないでずうっと漂っているという光景のようである。

実は、鴨より、作者こそが、湧水の美しいしぶきや、その音に魅かれているような感じが伝わってくる。

人の気持ちが鴨の気持ちに乗り移っているのである。



昭和史をたぐる小春の講座かな        古舘千世


先般、輝き厚木塾における「昭和史の講座」は、「青草」編集長の松尾守之氏が受け持たれた。

そこに参加された作者の満足感とともに、昭和史そのものに寄せる悲喜こもごもが「小春」に託されている。

さらっと詠われているが、読者もまた昭和という時代のある一面をふと回顧するような気分に誘われるのも「小春」の働きである。


f0118324_18444371.jpg

公園の隅まで紅葉煙草吸ふ          川井さとみ


近年、喫煙者にはなかなか厳しい状況が続いている。

公園では、隅っこの方に喫煙所があるのか、あるいは一人で、ちょっと遠慮気味に吸っておられるのであろうか。

何れにしても、そこにはあかあかと紅葉が照っているのである。

さぞかしゆったりとおいしい一服であろう。煙草の小さな火種も見えるようである。



   水鳥のくわんくわんと餌漁り         菊竹典祥

   靴底の厚くありけり冬初め          大本華女

   蜜柑狩ビニール袋はち切れて         菊地後輪

   物干しに玉葱乾く冬の里           奥山きよ子

   裸木や林の奥は日当たりて          佐藤昌緒

   冬日和忽とあらはる黒き雲          藤田トミ

   冬の蟹フロント越えてロビーまで       湯川桂香

f0118324_18465881.jpg

   湯たんぽを抱へてみたりはさんだり      柴田博祥

   鍬止めて腰を伸ばせば鶴渡る         狗飼乾恵

   母の忌のあたたかくあり神の留守       東小薗まさ一

   稜線や雲と出合ひて冬景色          石原由起子

   濁流の根まで呑み込む秋の川         長谷川美知江

   鉄橋の音跳ね返す冬日かな          宮本ちづる

   冬麗の葱の切つ先立てにけり         二村結季

   枯歯朶や水のかそけく湧くところ       森田ちとせ


by masakokusa | 2017-12-31 18:47 | 『青草』・『カルチャー』選後に | Comments(0)
<< 昌子365日(自平成29年12... 草深昌子作品論評・現代俳句展望... >>