囀や杣衆が物の置所 原石鼎 大正2年
木樵の人たちが、斧や鋸を置くところといえば、例えば切株の周辺であろうか。
杉山であろうか檜山であろうか、山深きところの日向に寄せ固めたひとかたまりのものが、まるで宙に浮いたように感じられる。
その宙に浮いたところ、ぽっかり透けたような虚空が、そのまま春の鳥どちの囀りどころである。
逆に言えば、囀りどころが、そのまま杣衆の休みどころでもあるだろう。
「囀」と「杣衆が物の置所」が見事に呼応している。
この一体感が、しじまを破って鳴く鳥どちの音色を、美しい言の葉のように響かせてくれるのである。
思えば、「ソマシュガモノノオキドコロ」という一続きの語感からすっきりとした気分をもらっているのかもしれない。
囀のよろしさに唱和するようなフレーズである。
まこと、一字一句が的確におさまって無駄と言うものがない。
文字通り、抑えの効いた下五が、余韻を引いてやまない。
石鼎と言えば吉野の句と決まっているのが不満で、「原石鼎全句集」を開くときは、いつも大正10年あたりからというのが私のささやかな抵抗であったが、久しぶりに素直に、虚子の言う「俳句の歴史、少なくとも私等の俳句の歴史に於て輝いた時代を形づくった」という吉野の句群を読み直して、今更に尋常ならざる明るさにことごとく唸らされたものである。
石鼎はまだ27歳、28歳の若さである。
俳人はその最も初期の作品において生涯の価値を持つということの典型であろう。
吉野時代の句は当然のことながら、杣山、杣人が多く素材になっている。
直接「杣」の一字を用いたものに限っても、秀吟は枚挙に遑が無い。
樵人(そまびと)に夕日なほある芒かな
杣が往来映りし池も氷りけり
腰もとに斧照る杣の午睡かな
杣が蒔きし種な損ねそ月の風
粥すする杣が胃の腑や夜の秋
杣が戸の日に影明き木の芽かな
星天に干しつるる衣や杣が夏
杣が幮の紐にな恋ひそ物の蔓
苔の香や午睡むさぼる杣が眉
老杣のあぐらにくらき蚊遣かな
蚊帳つりてさみしき杣が竈かな
杣が頬に触るる真葛や雲の峰
杣が子の摘みあつめゐる曼珠沙華
鉄砲を掛けて鴨居や杣が秋
秋風や森に出合ひし杣が顔
髭剃りて秋あかるさよ杣が顔
諸道具や冬めく杣が土間の壁
春夏秋冬にわたり、杣の老いも稚きも、杣の暮しとその周辺に及ぶ観察はいかにも行き届いている。
石鼎は杣人に対して、ある種の憧れのような尊敬の念を持っていたのだろう、そうでなければ、「杣衆」とは言えないであろう。
「杣」の句々を読むうちに、「杣衆が物の置所」には、作業道具もさることながら、大きな弁当などもあるのではなかろうかと、いっそう温もりを覚えてきた。
そんな杣の諸道具を思うちに、鉞(まさかり)の名句が思い出される。
鉞に裂く木ねばしや鵙の声
「鵙の声」以外のなにものでもない「鉞に裂く木ねばしや」だと思う。
あらためて、掲句に戻ると、この句もまた「囀」以外の何物でもないことに気付かされる。
人の世にある諸相が、自然の諸相に映し出されることにほかならないことを、石鼎はばっちりとしかも言葉を惜しんでつかみ取るのである。