秀句月旦・平成28年4月
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   今年また花散る四月十二日       正岡子規

 藤野古白が、ピストル自殺を図って死んだのは、明治28年4月12日。
 古白は、子規より4歳下の従弟。
 子規の従軍出発の荷づくりを手伝い、出立を見送ってくれた古白であったが、その留守中の死であった。
 天才肌で、清新なる俳句を作って子規を喜ばせていたが、神経過敏で生きることが苦しかったのであろうか。
 子規は、古白への悲しき思いが迫ってやまない胸のうちを、

  春の夜のそこ行くは誰そ行くは誰そ
と詠んでいる。

 掲句は、古白の一周忌追善のもの。
 子規の私的な事情の一句であるが、今年又花散るという茫漠たる思いが、4月12日という明らかなる日付に押さえられると、何の因果もないものにとっても、あらためて花咲き、花散る思いをただごとでなく受け止められるのである。

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   その辺の草を歩いて啄木忌         大峯あきら

 石川啄木の忌日は、明治45年4月13日。
 掲句は、吉野在住の作者であるから、吉野の芳しき草々を、ゆっくりと一歩また一歩、時の移りをしみじみと噛みしめながら歩んでおられた時のふとした啄木忌であろう。
 青々と地べたに貼り付くような草々から触発された、その胸中には、若き日から親しんだ啄木のあれこれが浮かび上ったに違いない。

 啄木は明治41年に上京して与謝野晶子、鉄幹宅にしばらく滞在したが、その後金田一京介の下宿「赤心館」に移り住んでいる。
 この下宿は本郷の菊坂町にあった。
 啄木は、誰からも嫌われそうな入口に一番近い室に入り、「この下宿の唯一の八畳で、広くのんびりしたのと、縁からすぐ庭に下りられる、この土に親しみのあるのが私に好ましく、始めから選んでがんばっていたものだ」と書いている。
 これを読むとまたいっそう、「その辺の草を歩いて」が啄木その人のように感じられるものである。
by masakokusa | 2016-04-30 23:57 | 秀句月旦(3)
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