けさ秋の一帆生みぬ中の島 原石鼎
立秋の白帆である。
「イッパンウミヌ」静かにも弾けるような声調でもって、今朝秋の清らかさを堂々と詠いあげている。
大正3年、石鼎は故郷へ帰ったものの父親に認められず、医への道を断念して、杵築、米子あたりの海岸を流離う身となった。
掲句は、島根県中海であろうか、原石鼎句集『花影』の「海岸篇」に収められている。
石鼎は、見ることに徹した俳人であるが、その「見る」を、そのまま措辞にして、一句に生かすのもまた得意であった。
だが、この句は、「一帆見ゆる」ではなく「一帆生みぬ」であるところに、意表を突かれる。
思いつくままに、「見る」をあげてみると、
山川に高浪も見し野分かな
或夜月にげんげん見たる山田かな
月見るや山冷到る僧の前
谷深く烏の如き蝶見たり
見つめ居れば明るうなりぬ蝸牛
薔薇を見るわれの手にある黒扇
鹿のゐて露けき萩と見たりけり
寝ころべば見ゆる月ある大暑かな
物を見るということは、そこに自分の思いがあるということである。
作者のじっと見ている光景が、そのまま読者の眼に乗り移って、同じ感興に浸らせるものである。
片や、中の島に現れた「一帆」は、生き物がたった今羽化したかのような初々しい白。
「見る」ではたるんでしまう、すっと立ちあがた感じは「生みぬ」というほかないのである。
石鼎の認識の迅さが、読者をもはっとさせてしまう見事さ。
故郷への愛惜が、一気に詠わせしめた一句であろう。
まさに中の島ならぬ、石鼎の生んだ白である。