紗の幌の俥中の人や夏帽子 原石鼎 大正12年
石鼎らしい絵画的な視線は、そのまま読者の目にのりうつってくる。
背筋を正し前方をまっすぐに見ている横顔は、憂愁の美を含んで、映画のはじまりのシーンを見るように静かである。
妙齢の夏帽子、その波打つようなフリルの鍔は透き通っている。
と、思って、しばし見惚れているうちに、いや紳士かもしれないと思えてきた。
明治から大正、昭和初年にかけての時代の移動手段は人力車であった。
又、帽子が日本に入ってきたのも明治になってからであるから、この人力車の時代は帽子の時代でもあった。第二次大戦ごろまでは日本人のほとんどがかぶっていたという。
掲句も、そんな郷愁をもってながめてみると、紗という薄絹の幌であるからには、着物に高級パナマ帽というスタイルがなかなかに決まっているではないか。
とまれ、何がしかの物思い、背筋を伸ばす人の涼しさが的確に伝ってくる。
夏帽や鞨鞭の鼻素鈴の瞳 大正7年
鞨鞭も素鈴も耳慣れない、これは固有名詞、そう俳号かもしれない。
夏帽子をかぶった鞨鞭氏は鼻筋が通っている、片や素鈴氏はきらっと光る黒眼が美しい。
パナマ帽とかんかん帽の違いのようでもある。
石鼎の夏帽子が面白いので、ついでに調べてみると全句集に8句あった。
夏帽や我を憎む人憎まぬ人 大正7年
帽子をもって、こういう選別をする神経が石鼎であるというよりも、さまざまの夏帽子に一つ一つの表情を瞬時に見分けるというところが、石鼎の天性であろうか。
およそ類想をみない句である。
ともし会句集の扉に
夏帽やあらゆる顔に濃き影す 昭和12年
句集出版の祝意に、夏帽子を持ち出した。
「濃き」というところが誉れであり、太陽光線はもとより、「ともし会」という灯火の影をこめてもいるのだろう。
我に敏き人の夏帽新しき 昭和5年
「我に」などと詠えるのも直情的な石鼎の魅力である。
悉く夏帽の店となりにけり 大正13年
何度もこういう場面に出会いながら、凡愚我は句にすることを頭から放棄していた、
平成の世にも通用する句の眩しさ。
心を引かれた一点を見逃さない、観点を変えることによって、また新しい夏帽子の世界を広げている。
夏帽子折から通る大汽船 昭和5年
夏帽子と汽船の取り合わせはいかにもオーソドックスであるが、「折から通る」というダイナミックはさすがである。
草木にうもるる庵の夏帽子 昭和13年
石鼎の夏帽子の句はこれをもって終り。
写生の句でありながら、ただ右のものを左に映しただけでのものではない、夏帽子の心情を芯にした一つの世界が描かれている。
これぞ石鼎その人の夏帽子ではないだろうか。