原石鼎俳句鑑賞・平成26年7月
 
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   月明の畳にうすき団扇かな     原石鼎    昭和3年


 先日、梅雨の満月の頃、二階へあがると畳に月の光がうっすらとさしていた。
 この鬱陶しい時期に何と美しい明るさであろうか、しばしうっとりしていると、はたして石鼎の句が思い出された。
 風の嫌いな私には、クーラーや扇風機はもとより、扇子や団扇の風さえも、時にうとましく感じられるのだが、石鼎のこの団扇ほど手に取ってみたいものはない。
 団扇といえば、黒田清輝の「湖畔」に描かれた女性の持つ団扇が、涼しき色香を漂わせて傑作であるが、掲句もまた、一幅の絵になり映画のラストシーンになりそうな奥行きを漂わせている。

 団扇と扇子は共に涼をとるためのものであるが、

   扇子置き団扇を持ちてくつろげる     岸本尚毅

 この句の通り、扇子は高尚にして外出用、団扇は庶民的にして家庭用といえるだろうか。いかに世が進んでも、祭など夏の風物詩に欠かせないところは共通している。
 ちなみに、掲句が「月明の畳にうすき扇子かな」ではサマにならない。
 団扇だからこそ新しいのである。

 そういえば、原石鼎全句集には、掲句の隣に、

   名月の畳にうすき団扇かな     石鼎

 が並んでいるが、これも名月では印象がかたまってしまって、ふわっと団扇が浮きたたない。「月明の」が絶妙である。
 この切り出しは、石鼎のおはこのようで、

   月明の障子のうちに昔在     石鼎   昭和4年

 団扇にかぶさってくる人の世の詩情もうかがわれるものである。

 参考までに、

   ほろほろと雨つぶかかる日傘かな     石鼎    昭和4年
   ほろほろと雨のふり来し日傘かな      〃      〃

   美しき風鈴一つ売れにけり     石鼎    昭和4年 
   美しき風鈴道に売れにけり      〃      〃

 原石鼎全句集にはかくのごとく、同様の句が並んで掲載されている。
 だが、原石鼎『花影』に採用されているのは、どちらも前句の方である。
 状況の説明をすると俳句はツブシになることが一目瞭然。真実のリアリティーとはこういうことであろう。
 石鼎ほどの俳人にしても、先づは書きあげてみるという手順があったのだと思うと、名句の生れる現場に立ち会えたような楽しさが味わえる。
by masakokusa | 2014-07-31 23:53 | 原石鼎俳句鑑賞
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