合格の知らせ舞ひ込む春満月 大本華女 「合格の知らせ舞ひ込む」というフレーズに対して「春満月」が見事に決まっている。まこと、おめでとうございますという気分に満たされる。 春の月は朧につつまれてほのぼのとした情趣がある。わけても満月はぼってりとゆたかに重たそうである。そんな満月の夜に、合格の知らせはもたらされたのである。 よろこびのすべては、春満月の本情に仮託してゆるぎない。 (木の実) 三線の音色の沁むる雛かな 江藤栄子 三線(さんしん)は沖縄・奄美の弦楽器。三味線に似ているが胴には蛇の皮を張ってあるという。 そんな三線の音色がひもすがら聞こえてくるところに雛は飾ってある。 果たしてどんな音色であろうか。 耳を澄ましていると、哀愁を帯びた独特の旋律でもって、琉球の昔に引き込まれていくようである。 お雛さまのお顔も、おのずから古色蒼然たるもののようにしのばれてくるのである。 「三線の音色の沁むる」とだけ言って、「雛」そのもののありようは読者の想像にゆだねられたところにしみじみとした雰囲気がただよっている。 (セブンカルチャー) 惜しげなく野蒜を摘みて日暮かな 石原幸子 何と贅沢な一日であろうか。自然と親しむ豊かな気持ちのありようがそのまま一句に反映されている。 蓬にあらず、土筆にあらず、何よりも野蒜であるというところに作者の感受性のよろしさがさりげなく出ている。 「惜しげなく」も「日暮」も野蒜ならでは措辞であり、ふと春の愁いまで感じられてくるものである。 野蒜の香りがどこまでも余情を曳いている。 (草句の会) 吽像や七百年の春の塵 河野きなこ 春は地面が乾燥して風塵現象というか、いたるところに埃が舞い上がる。その埃の中には桜の花びらなども無数のまじっていることだろう。 吽像は寺院の山門に置かれた仁王像であろうか。 七百年という途方もない歳月を経たものにふりかぶった塵は、ただの塵ではない。 塵もろとも圧倒されるような存在感に、のどかなる時を過ごされたのであろう。 阿吽の仁王像であるが、口を開けた阿像でなく、口を固く閉じた吽像にしぼったことで春塵をひとしおリアルにしている。 (草句の会) 中野屋の草餅一ついただきぬ 小川文水 「中野屋の草餅」とはどんな草餅であろうか。 中野屋が有名な老舗なのか、あるいは地方にひっそりとある団子屋さんなのか、何も知らないが、それでも「一ついただきぬ」と、こう詠われると何かとても尊い草餅のようではないか。 中野屋の字面から、春の野原の真ん中を想像させられるからかもしれない。あっさりとした表現が、そのまま草餅の味わいとなっている。 (草句の会) 春嵐空を一時空色に 湯川桂香 あたたかな春の時節であるが、時には時雨を伴って暴風雨になることもあれば、砂塵をともなって砂嵐にもなることもある。 そんな春嵐の一と日の一瞬を見逃さず、「空を一時空色に」と言い切った。何とも爽快なる発見をしてくれたものである。 まるで春嵐を舞台に見ているような、変幻自在の美しさをあらためて思い知らされるのでる。 畳がざらついたり、洗濯物が飛ばされたり、花粉症がひどくなったり、春の嵐は嫌われもののようであるが、これをよき春の自然現象として受け入れる心のゆとりが作者にはたっぷり備わっている。 (木の実) 一息に七節八節鳩の恋 山森小径 「鳩の恋」は「鳥交る(さかる)」という季題の発展的傍題である。 人目につくのは雀の交尾らしく「恋雀」などはよく詠われるが、この句は恋鳩である。 鳥が美しくさえずるのも、雌をひきつけるような仕草をするのも、雄鳥の愛情の現われである。 恋してやまない鳩は何と、一息に七回あるいは八回も節をつけて鳴いたというのである。まさに息がつまりそうな物狂おしさではないだろうか。 よくぞ観察されたものだと、その臨場感に思はず微笑まされもするものである。 そこには作者の春を迎えた喜びもおのずから投影されているのであって、体力や気力の充実がなければ詠えないものである。 (木の実) 春の月無人交番灯りけり 中澤翔風 天上には春の月が朧にかかっている。かたや、地上には無人交番所があって、ひっそりと灯が点っているというのである。 この交番は全くの空っぽというのではなく、たまたまお巡りさんはパトロールにでかけて留守なのではないだろうか。どことなく人なつかしい春の月明りが、交番の小さな灯りに呼応して、やわらかな春宵の情趣をいかんなく引き出している。 (木の実) 春一番吹き飛びさうな子に引かれ 上田知代子 作者は小さなお孫さんと近郊に出かけられたのであろう。 春一番のあまりの強さに、この子は吹き飛ばされるのではないかと気が気ではない、だが自身の足腰もか細く歩き悩んでいたところ、なんとそのいとけなき子がおばあちゃんの手を引いてくれたというのである。 黙っていても、繋いだ手には「おばあちゃん、大丈夫?」という内心の不安感といたわりの気持ちがこもっていて、思はずホロリとされたことであろう。 ただ面白いショットというだけではない。 その底には、小さなる命と弱りゆく命が一つとなって、この大いなる春の嵐にあらがっているのだという、いじらしいありようが潜んでいるのである。 (木の実) 鳥雲に写真の母の若さかな 佐藤昌緒 春、北方へ帰って行く渡り鳥が雲間に見えなくなっていくことを「鳥雲に入る」という。これを省略して「鳥雲に」と言ってもいい。 この頃の気象は、曇り空が多く、これを「鳥曇」という季語に詠うこともある。 空気感にあたたかみはあるものの、どこかどんよりとした雲の多い日和の中で、作者は古いアルバムを繰っている。すっかりセピア色になっているが、そこには輝くような母の笑顔が写っていた。ともすれば年老いた母の姿ばかりを脳裏に浮かばせていた日々にあって、と胸を衝かされたことであった。 北方へ去りゆくものを見送ることは、地上にとどまるものの姿を顧みることでもある。 一抹の感傷が、母の若さに救われているのである。 (青葡萄) 緑摘む手際の良さや形良さ 福山れい子 松の新芽はぐんぐん伸びて軸を立てたように抽んでてくる。これを放置すると松の勢力が弱るので、あまり長くならないうちに摘み取っていかねばならない。 これを「緑摘む」といってなかなかに手間のかかる仕事である。 先祖代々からの門被りの松であろうか、職人さんは法被姿をひるがえしながら長い梯子をかけて摘んでいる。この松の癖を知り尽しているとでもいうような手際の良さが光っている。みるみる小ざっぱりとした松に生まれ変わった。あらためてすがたかたちの美しい松であることよと思う。 焦点を一点に絞って、その表現もリズミカルにかつ重厚に抑えて、松の姿のみならず俳句のすがたもぴたっと気持ちよく決まっている。 (青葡萄) 春めきて月やひるまの空に透く 中園子 上から下まで一気に読み下ろしたあと、あらためてその光景がほのぼのと浮かび上がってくるようである。 その内容にことさら濃いものがあるわけでもないのに、この典雅なる美しさはどうであろうか。 一字一句が緊密に響きあって一句まるごとが春めいてくるという仕上がりである。 昼の月の発見がすべてであるが、その発見すら作者には自覚のない忘我のひとときではなかっただろうか。 まこと穢れのない世界である。 (青葡萄) 山里は風冷たくて山笑ふ 潮雪乃 「冬山惨淡として眠るが如し」に対比して、春の山は「春山淡冶にして笑ふが如く」である。 眠るがごとき枯木山であったものが、色を帯びて、茫々とうぶげに覆われたような山となっている。まるで山そのものが笑みを浮かべているようだという感覚はとても楽しい。 だが、この「笑ふ」という措辞はなかなかに曲者で、わざとらしさが目立ってしまうような句づくりでは素直に笑えない。 さて、掲句は、丹沢山地にある大山であろうか。 春日のなかの山のよろしさを、裾野に広がる田園の風のつめたさとともにさらっと素直に詠いあげて隙がない。 これこそが本当の「山笑ふ」すがたではないだろうかと、その大きな捉え方に感嘆するばかり。 (青葡萄)
by masakokusa
| 2014-04-30 21:06
| 『青草』・『カルチャー』選後に
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