切株に鶯とまる二月かな 大正6年
鶯は春の季題であるから、「切株に鶯とまる」だけでも既に一句になりそうなものだが、それでは何の変哲もない、それだけのこと。
「二月かな」と置かれると、初めてそこに他のどの月にも替えようのない正真正銘の二月が立ちあがってくる。
二月は寒気凛冽たる月。だが月の初めに立春を迎えて、気持ちの上ではほっと一息つくような明るさを覚える。事実、日脚も日に日に伸びてくる。
二月の季感そのものを「切株に鶯とまる」という、たった十二音でもって言い切ったのである。
二月が来ると石鼎の掲句が思われるのは、幸田文が、「二月はものがしいんと、うち静まる月」と言ったことが、身に沁み入るように忘れられないからかもしれない。
幸田文のエッセイはこう続く。
「一年は十二の月のあつまり、ひと月ひと月に季節もめぐるし、ものも事も変るし、各月各様の特徴がある。一年のうちに一度しかまわってこない、その特徴。
六十年の人生なら、たった六十回しか経験できないその一か月一か月。おろそかに行き過ぎないで、二月は二月の特徴を知ろう。
秋の紅葉、菊の行楽から急に来た冬の風、つづいて歳末、新年のせわしなさ、楽しくもあったが、身も心もざわつき通し。
二月はしいんと打ち静めて、身を休め、こころを深くする月である」
石鼎の鶯も、まだ初音を洩らさず、ただ黙って、日の差す切株にしいんと静止しているような気がする。
まこと恰幅のある一句である。
それにしてもこの情景を散文にしたら何千字要るであろうか。
たった十七音でもって、人里で冬を越したであろう鶯の生態、早春の燦たる日ざしや、耳をすませたくなるような空気感、しっとりしているであろう切株の切り口までをも鮮やかに見せてくれる。
石鼎の絵心もあるだろうが、それよりも物を見ることに長い時間を費やし、心を尽くす、そんな日々の中の一瞬の集中力がなければ、かくも短い一句は仕上がらないであろう。
そうして石鼎には、
三月の声きくまでの二月かな 昭和8年
という二月をまるまる使いきった、長い句もある。