青梅を画きはじめなり果物帖 正岡子規 子規は幼いころから絵が好きであった。11歳の時の「画道独稽古」は、葛飾北斎の画を極めて精緻に模写したもので、大人顔負けである。 後に、「文学者とならんか画工とならんか、我は画工を選ばん」と記すほどであった。 明治35年6月27日にはじまる果物帖は、門人蘇山人が清国に帰国するに際し子規に揮毫を依頼したものだが、蘇山人が亡くなったため、子規の手元に残された。 果物帖には、青梅の図から、初南瓜、山形の桜の実、巴旦杏、桃、夏蜜柑、茄子、天津桃、甜瓜、リンゴ、初冬瓜、李、越瓜シロウリ、枝豆、古くるみ古そらまめ、バナナ、玉蜀黍、と続き、8月7日の鳳梨パイナップルまで、合計18図、子規の絵の他に下村為山の絵が2図収められている。 南瓜より茄子むつかしき写生哉 病間や桃食ひながら李画く 絵かくべき夏のくだ物何々ぞ 画き終へて昼寝も出来ぬ疲れかな 子規の死の三か月前に画かれた「青梅」は、一枝に一個きりであるところが切ないが、いかにも涼やかである。 『病床六尺』に、「写生といふ事は、画を画くにも、記事文を書く上にも極めて必要なもので、この手段によらなくては画も記事文も全く出来ないといふてもよい位である(中略)理想といふやつは一呼吸に屋根の上に飛び上らうとしてかへって池の中に落ち込むやうな事が多い。写生は平淡である代りに、さる仕損ひはないのである。さうして平淡の中に至味を寓するものに至っては、その妙味に言ふべからざるものがある」(6月26日)と述べている。 紫陽花や赤にならぬが面白き 正岡子規 紫陽花やけふはをかしな色に咲く 〃 紫陽花やあしたは何の色に咲く 〃 紫陽花は日を追って色彩が変化するところから、「七変化」とか「八仙花」などと名がある。そんな紫陽花の遊び心がそのまま子規の遊び心になっている。 明治26年、紫陽花に「赤」はなかったのであろう、今は結構赤い変種も見かけるが、「赤にならぬが面白き」には子規の色彩に対する多感なるさまが伺えて楽しい。 紫陽花は今日であれ、明日であれ、「色に咲く」ところが妙である。 子規の文学における「写生」は、西洋自然主義の洋画の影響抜きには語れないが、子規自身は日本画が好きであった。 ちなみに、「紫陽花や」の「や」一字で、ただの散文がたちまち韻文、つまり俳句になるのも「面白き」である。 起重機の見えて暮しぬ釣荵 中村汀女 起重機の見える日々の暮らしとは、何とハイカラであろうか。海洋の燦々たる陽光も想像され、その建設的な光景はとても力強い。 だが、「起重機の見えて暮しぬ」と言いだして、下五に「釣荵」ともってこられると、情景は一変してしまう。 ここには実は、相当につつましやかな日常が映し出されるのである。 豪快にして進歩的なるものと、楚々として懐古趣味なるものと、この落差が意表を突く。 ものやわらかな興趣をもたらす汀女の句は、強いものや鋭いものを内に秘めていることを垣間見せるものである。 青林檎旅情慰むべくもなく 深見けん二 国際宇宙ステーションに五ヶ月半も滞在した野口さんは6月2日、カザフスタンの草原地帯に無事着陸された。 口もきけない状態かと思いきや、笑顔で「草と土のにおいが強烈で新鮮です。地球の空気はおいしい。」と親指を何度も立てられたのには、驚愕した。 片や日本では、親指を立ててはみたものの、鳩山首相が辞任表明。 野口さんは、差し出された林檎を齧って、「重い、ニュートンになった気分だ」と。 これは、日本でも夏に出回るアメリカ原産の早熟品種の青林檎であろう、爽涼として酸っぱかったのではないだろうか。 「祝」と名のある青林檎が有名であるが、まさに帰還祝いの林檎であった。 野口さんのすばらしい映像に、若き日の深見けん二の一句が、重なった。野口さんには、一刻も早く冷たいビールを飲み干して、あまりにはるかなる旅情を慰めてほしいものである。 やごを飼ふ少年の明日充実し 佐藤鬼房 「やご」は蜻蛉の幼虫。 昨日、孫の通う小学校では、プール開きに備え、PTA協力でプールの清掃を行った。その際、ギンヤンマや赤とんぼのやごを2000匹あまり救出したという。 そのうちの4匹を娘一家で飼うことにしたらしい。早速、餌にするイトミミズを買いに走ったそうだ。 水に棲む醜い虫が、やがて脱皮を行い、きれいな成虫になる。 羽化した直後は柔らかく、色も淡く、弱々しいが、次第に引き締まって、あの鮮明な蜻蛉の体色にかわるのだ。 「蜻蛉になってほしい~」そんな祈りを込めて、その有様をつぶさに観察することは少年時代ならではのものだろう。 タイピストコップに薔薇をひらかしむ 日野草城 タイピストとはタイプライターを打ち文章を作る仕事である。なんて、あえて言わなければならないほど現在はパソコンに取って代わって、タイプライターなんぞを知らない人の方が多いだろう。 若き日、我があこがれのタイピストは結婚もせず、背筋の通った男まさりの風体であった。その傍らのコップに挿した薔薇は、まるで打ちつける音の素早さに誘われるように開いたという詠いぶりである。薔薇の花がいっそう引き締まっている。無機質なものに配合された鮮やかな色調も、今やこころなしセピア色である。 同じ作者に<手をとめて春を惜しめりタイピスト>もある。 日野草城は大正10年、京都帝国大学の19歳でホトトギス雑詠の巻頭を占めるという早熟ぶりを発揮。 大学出身のサラリーマンである草城は、「タイピスト」や「ボーナス」や「ラッシュアワー」など、これまで俳句界になかった素材を俳句表現に試みたのである。
by masakokusa
| 2010-06-03 13:16
| 秀句月旦(3)
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