囀やあはれなるほど喉ふくれ 大正10年
「囀」は、虚子編新歳時記によれば月別には4月、同時に春3カ月に亙る「三春」の季題となっている。
その解説には、「再びめぐって来た春を喜ぶ如く、鳴禽類の声をつづけて鳴くことである」とある。
再びめぐって来た春を喜ぶとは、なかなかセンチメンタルな解説であるが、実態の多くは雄が雌に求愛する恋の歌である。
石鼎の一句も現実的な、ある種切ないともいえる囀をそのまま活写したもので、「喉ふくれ」という、この客観で一句は充分であるかと思われるが、石鼎はこれではおさまらない。
ここに「あはれなるほど」の主観をはさみこむことで、その客観の部分がいっそう増幅されるという、石鼎独特の中七の引きのばし方が何とも巧みである。
かにかく石鼎の俳句は、リアルでありながら直裁でなく、むしろ幻想的にまで、ゆったりと読者をまきこんで引きのばしていくあたりのテクニックに魅せられる。
2月の「孕猫」鑑賞に対して、土岐光一氏から有難いご指摘を賜って、なるほどと納得し、私も土岐氏にならって、『原石鼎全句集』と自選句集『花影』とを比較しながら読むということをやってみたところ、まさに「ばっさり落した」句というものの種々がおもしろかった。
20年ほど前、「鹿火屋」の同人から頂戴した、昭和12年6月刊行の『花影』は秘蔵していたが、このたび頁を繰って、その年年の風を通したようななつかしさを覚えたのも嬉しいことであった。
ところで掲句のあとには、全句集では、
囀りや山の口なる細椿
囀や裾合ふるる椿山
囀や棚田の奥の椿山
囀や一羽のために搖るる桑
と続くが、『花影』では、椿を取り合せた三句は落している。確かに、この配合では囀の季題がかすんでしまうようである。
そして、「一羽のために搖るる桑」という確かな描写の一句を残している。
ここにも、「搖るる桑」が具象であるが、やはり「一羽のために」と付加して、主観をこめている。
さて、「喉ふくれ」は囀そのものに迫って、まさに焦点が絞られて、明らか過ぎるほどあきらかに、渾身の囀を見せ、囀を聴かせてくれる。接写である。
これをエロスといえばエロスとも読めるが、私には、異性美への追及というよりは、母恋いしさのように見える。
たとえば、斎藤茂吉の「のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁にゐて足乳根の母は死にたまふなり」(大正二年刊行「赤光」所収)などが、石鼎にも去来していたのではないだろうか。
茂吉の「のど赤き」に比べ、石鼎の「喉ふくれ」のほうは虚無的である。
ともかく、石鼎に終始つきまとう人なつかしさ、人恋いしさのあらわれのように思われる。
深吉野時代の、
囀や杣衆が物の置所 大正2年
を見ても、石鼎の自然は、人の味わいそのものに化している。囀一つ聴くにも、人の気配なくしては考えられない、石鼎の淋しさである。
石鼎の句は、徹底して具象に根ざしている、つまりは石鼎の全精神全体重がかかっているからこそ、読者はさびしさ等という、むしろ抽象的な感覚を暗黙のうちに感じ入るのではないだろうか。
「俳句は事実でなく、真実を詠うものです」、という初学の師の教えは、石鼎の句を読むたびに腑に落ちるものである。
(ブログ「原石鼎」・2010年3月18日UP)