ささなきの眉あらはせし夕日かな 昭和4年
笹鳴のよぎった瞬時が見事な絵画になりきっている。チチッ、チチッという舌鼓を打つような冬鶯の地鳴きが、瞬時にきらめく色彩感覚にすりかわったような美しさを目の当たりにすることができる。
鶯の眉が石鼎のそれに乗り移ったごとき夕日はまさに眩しくて、読者も思わず眉を顰めてしまうほどである。
それにしても、「ささなきの眉」を見せるとは驚かされるが、この句以前に、石鼎には<春鹿の眉あるごとく人を見し 大正7年>もある。
季題が何であれ、対象そのものになりきってしまう石鼎の念力が見出したものである。
笹鳴の飛ぶ金色や夕日笹 大正10年
ささなきのふと我を見し瞳かな 大正14年
かつての二句をあわせて一句に凝縮したような掲句である。
石鼎に笹鳴の句は多いが、「笹鳴」の表記を使い分けている。
ささなきの谷に起るや一ところ 大正13年
ささなきや雪をかむれる石燈籠 昭和2年
笹鳴の日の出まへより一しきり 昭和6年
笹啼の移るにつれて見ゆる枝 〃
笹啼の籠の頬白に憑く日かな 昭和8年
「笹啼」は「笹鳴」より微妙に音色が異なるようである。
五句目の「憑く日かな」からは、たちどころに阿波野青畝句集『万両』(昭和6年刊行)にある、<座について庭の万両憑きにけり>が思い出される。
青畝の「万両憑きにけり」は石鼎のこころに少なからず「憑いていた」のではなかろうか。
ところで、石鼎の句はいつだって絵になるものであるが、ときに中川一政描くところの油絵が思い出されてならない。
中川一政は、クールベの「自分は天使など見た事がないから天使を描かぬ」という言葉を引き合いに出して、この言葉のみを論議すれば、クールベは絵空事という事をしらぬ、即ち肉眼と心眼の区別、現実と幻想の区別を知らぬことであると、書いている。
そして脚本家が登場人物を舞台に上がらせ、殺したり殺されたりを展開する如く、画家は、林檎の質、線、形、動勢を発揮させるべく並べるものであるという。
つまり、一政はこう云う。
「画は作者の幻想の世界であり、作者が絵空事を描くものであります」、「画面の物体が現実と似るもよし、似ぬもよし、それは作風であり、人物で云えば服装の相違であります。然し其画が生きるか死ぬかの絶対的の問題は、幻想の有無に依るのであります。幻想がはっきりしていればいる程その絵は生彩を発するわけであります」
石鼎のどの名句にも気迫がこもっている所以が、納得させられる一政の言葉である。
(ブログ「原石鼎」 平成21年12月13日UP)