|
碧梧桐のわれをいたはる湯婆(たんぼ)哉 正岡子規 2月1日は河東碧梧桐の忌日。 碧梧桐は18歳の時から子規に俳句の教えを受け、高濱虚子とともに門下の双璧と称されたが、子規亡き後、新傾向俳句を唱え一世を風靡したもののやがて衰退、昭和8年には俳壇を引退した。 碧梧桐忌の例句もほとんどないのが現状であれば、子規の読み込んだ碧梧桐はなつかしい。 碧梧桐と虚子はもっともよく子規を看病した。 子規は随筆に、「人々代る代るおとづれとぶらひたまひし中にも碧虚二子は常に枕をはなれず看護もねごろなり。去年と言ひこたびといひ二子の恩を受くること多し。わが命二人の手に繋りて存するもののごとし」と称賛している。 明治29年、掲句の他にも湯婆の句があり、懐炉の句がある。 冷え尽す湯婆に足をちぢめけり 目さむるや湯婆わづかに暖き 古庭や月に湯婆の湯をこぼす 貧乏は妾も置かず湯婆かな 胃痛やんで足のばしたる湯婆かな 三十にして我老いし懐炉かな ![]() 夫婦して豆撒き歩るく暗さかな 大正15年 大正15年というと石鼎は40歳、年譜によると相変わらず病を養っていたようであるが、こんな風に追儺の豆撒きをやったのだなあとなつかしく偲ばれる。 追儺は、大晦日の夜、疫病神を追い払う朝廷の儀式だったが、いつしか民間に普及して今の節分になったらしい。 夫婦して個々に、炒ったばかりの豆を桝一杯に抱えてはいるが、きっと妻コウ子の方が先頭をきって、「福は内、鬼は外」と大きな声を張り上げていたのではないだろうか。 ぼそぼそとコウ子につき従っていた石鼎も、廊下をわたり畳をわたりするうちに、いつしか厳粛になって、それなりの声を四方に放って鬼を追い払ったに違いない。 「夫婦して豆撒き歩るく」までなら誰にでも言えそうだが、これを下五で「暗さかな」ととどめられてみると、やっぱり石鼎ならではのものだと思うばかりである。 豆撒きといえば、明日は立春、こころなし弾み心があってもよさそうだが、そうは言わない。 灯のもたらす明るさと闇夜のはざまにただよう現実の暗さはもとより、自身を意識せずにはおれない心情としての暗さも滲み出ているようである。 暗いと感じるのは、石鼎がいまここに生きているからであって、石鼎がいなければそういう暗さもないのである。 石鼎が病身だからというのではない、石鼎の暗さは、ふと今を生きる私のもののようにも実感されるのである。 ![]() 2月2日(木) 悴んで屋敷林の中とほる ![]() 2月1日(水) 太々と幹ある障子開きけり
浅井陽子選
特選 若宮にはじまる年の用意かな 草深昌子 早めに来た人が少し小振りの若宮から始める。 人が揃った頃、本宮にかかる。 古老の声も弾み清々しい。 入選 本善寺さまから賀状たまはりぬ 草深昌子 (平成24年1月号「晨」所収) ![]() 波来れば波の上飛ぶ千鳥かな 岡田耿陽 <高浪の裏に表に千鳥かな 耿陽>の千鳥もろとも、かくも生き生きと、目の当たりに飛ぶが如くに、その生態をよくぞ描写できるものだといつ読んでも感嘆する。 波間をくぐり、あるいは、波より高く飛びあがり、空中を軽々と旋回してよき声を落としてくれる千鳥、小さな愛らしい軍団を活写してやまない。 岡田耿陽は虚子門下。写生に驀進して止まない姿勢を虚子に称揚された。 このたび発刊された岸本尚毅著『生き方としての俳句』に於いて、著者は先ず耿陽の次のような句を引いて、鑑賞をはじめている。 水切ればむらさき走る蜆かな 又ひとつ烏賊の嚏や籠の中 灯りたる障子に螻蛄の礫かな 魚籠の目を噴出す潮や夜光虫 寄せかへす波のにごりや桜貝 耿陽の句からは、それぞれに物の命があり、生命の営みがあるという思いが力強く伝わってきます。 耿陽の力強さは言葉の力に由来します。俳句は言葉で出来ています。映像も音響も伴いません。言葉に頼るしかありません。しかし17音はあまりに短い。それゆえ俳句における言葉の技巧は、短さゆえの瞬発力を発揮するものでなければなりません。 「むらさき光る」「烏賊の嚏」「螻蛄の礫」などは、短い形式の中で彫琢を凝らした表現です。 千鳥の句も又、「彫琢を凝らした表現」であることを、あらためてかみしめている。 寒雀顔見知るまでしたしみぬ 富安風生 雀は年中、その辺を飛んでいるが、ことに寒中は餌が少ないからであろうか、いっそう人家に寄ってくるようである。 吟行に出かけた折など、日溜りの椅子に坐ると必ずといっていいぐらい、「何かちょうだい」という風情で足下にやってくる。 寒さに負けじと、毛並みもまるまるとふくらんでくる冬の雀は一茶ならずともつい声をかけたくなるようないじらしさがある。 それにしても「顔見知るまで」とはさすがに言い得て妙である。 ![]() 住吉の松をはなるる寒鴉 山本洋子 寒鴉というと一見荒涼として、さも粗雑に扱われそうな季題であるが、作者はまことに丁寧に典雅に詠いあげた。 それでいてこの寒鴉の孤影はいっそう明確である。 「住吉」は住吉神社のあるところ、つまりは海の神様を祀ってあるところであり、歌枕でもある。神々しきまでに緑濃き住吉の松ではないだろうか。 そこへ飛んできた寒鴉は、おのれにそぐわないことを察知したかのように、さっと飛び立っていった。今頃は、どこかの枯木にあって松への思いをあたためていることであろう。 掲句は、山本洋子句集『夏木』に所収。 他に、 室生寺へ行くかと問はれ春の風 正月の人に寄りくる鴎かな いくすぢも鳥羽に立ちたる稲光 刈萱や池にうつりて女来る 満月はのぼり暦は果てにけり どの句も平明にして、その味わいは奥深い。 作者は、「私意をはなれよ」を信条としているが、無我から表現されたものは、隠しようもなく己が現れてくる。 まこと、「清雅な気品に充ちた第六句集」である。 ![]() 寒鯉の雲のごとくにしづもれる 山口青邨 寒中、冷え切った水中をゆらめかせて、黒っぽい鯉の群れが見える。泳いでいるというより打ち重なるようにかたまって、漂っている感じでもある。 そんな寒鯉の静かなありようを、雲行きの怪しい黒々とした雲のように感じているのである。 「しづもれる」という下五のとどめかたが、いかにも暗く身をひそめるかのような余韻をよく引いている。 先生は大きなお方龍の玉 深見けん二 昨年、NHKラジオ放送にて「選は創作なり―高濱虚子を読み解く」という深見けん二の講座はすばらしかった。深見けん二は19歳で虚子に師事、虚子の最晩年まで薫陶を受けた一人である。 虚子の<龍の玉深く蔵すといふことを>について、テキストの中でこう述べている。 ―昭和14年作。1月9日笹鳴会。丸ビル集会室にて。笹鳴会は婦人中心の句会。 1月1日には明治神宮に詣り、参拝の兵の列を見、遺族を見ている。 『句日記』(昭和11年刊)の序に「心の生活は深く湛へたる潮であり、詩は表面の波であるとも言へる。」とあり、それは終生変わりなかった。 「深く蔵す」は、深い心を奥深くおさめ貯えることであろう。それが今一番大事と「龍の玉」の瑠璃色の実の美しさを見て思う。龍の玉という名自体がふくらみを持つ。― 「先生は大きなお方」というまさに大きな打ち出しが、龍の玉を輝かしくも包み込んでいる。 ![]() 元日も二日も暮れてしまひけり 正岡子規 明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。 新年の賀辞を述べかわして、ものの始まり、時間というものを強く意識させられるのが元日であるが、いつしか暮れてしまった、そして二日も同じように早くも暮れてしまった、というのである。 「暮れてしまひけり」、をもう少し丁寧に詠いあげたのが、芥川龍之介の<元日や手を洗ひをる夕ごころ>ではないだろうか。 古俳句には<元日はかくて二日のまたれける>、<元日はうれし二日は面白し>などがあるが、元日も二日も大差ないのが本当のように思われる。 何もしなかったというのではない、とどのつまりは暮れるのである、単純なるところこそが味わいである。 年寄りの句のようであるが、子規28歳の新年。 高濱虚子に、<老しづかなるは二日も同じこと>がある、こちらも実感。 ![]() 1月31日(火) 大鷲を見たるその夜のよき知らせ ![]() 1月30日(月) 待春や雪に落ちたる雪の音 1月29日(日) 上人の腰掛石の深雪かな 1月28日(土) 裘(けごろも)の突つ立つてゐる上がり端 1月27日(金) 待春の五目畠とは言ひなせる 1月26日(木) 探梅の浮桟橋に下り立ちぬ ![]() 1月25日(水) 日の丸のはためく雪の朝かな 1月24日(火) 見るところ椅子なきはなき春待たる 1月23日(月) 室といふよるべありけり寒の雨 1月22日(日) 待春の豚のひとこゑあがりけり 1月21日(土) ひるがへる薄き衣や寒念仏 ![]() 1月20日(金) 着ぶくれて東郷平八郎に会ふ 1月19日(木) 探梅のかへるさチャイナタウンかな 1月18日(水) 待春や通りすがりに甘栗を 1月17日(火) 寒林を来たれば楽の鳴りにけり 1月16日(月) 荷を負うて荷をひつさげて日短 ![]() 1月15日(日) 伝馬町はた紺屋町春隣 1月14日(土) 寒晴や檻を出たがる鳥のこゑ 1月13日(金) 床柱いただく新年句会かな 1月12日(木) 銅鑼一つ一つに日脚伸びにけり 1月11日(水) 寒木を切なくしたる鴉かな ![]() 1月10日(火) 寒木の駱駝の首に似たるかな 1月9日(月) ガス灯もベンチもみどり寒日和 1月8日(日) 大晴の注連明けにして鴉飛ぶ 1月7日(土) 初買の目にとびこんできたるもの 1月6日(金) 読初のわが生ひ立ちの記なりけり ![]() 1月5日(木) 歌留多読む声にこつくりする子かな 1月4日(水) 膨らんでゐたる三日の鳥の肚 1月3日(火) 暗がりはつめたかりけり松の内 1月2日(月) 二日はや大きな皿にモンブラン 1月1日(日) その人の年賀みじかくあたたかく ![]() ![]() 土しぶき浴びし枝豆抜きにけり 伊東一升 「土しぶき」という措辞は何と斬新であろうか、瞬時に、茹であがったばかりの真っ青な枝豆がよぎりもして、その一句の力強さに魅了される。 ビールに欠かせぬ枝豆、その一番人気の秘訣は、ここに端を発していることに気付かされるのである。 月映る昨日荒れたる枝川に 二宮英子 中七は、自然に対する態度に真摯なるものがなければ言い止められないものであろう。 風雨のあとの月影のさやけさが安堵感としてしみじみと行き渡っている。「枝川」という、その一言にも一句の詩情が増幅されるのである。 山裾の供華の捨て場や葛の花 青木和枝 葛の花をスピード感をもって色鮮やかに描写された。その花の逞しさは、ばさばさと捨てられる供華の切なさの一切を引き受けてくれるやさしさでもある。 玉砂利のとばされてゐる野分かな 伊藤由紀子 対象を見る目が自然体でありながら、見るべきものは見るという観察眼が、野分の実体を明らかにしている。やがて、その不穏なる空間の奥までもが察せられるのである。 一稿に頬の痩けけり秋燈 鈴木厚子 一稿は、いかなるものであろうか、福島原発や原爆などに関わるものかもしれない。 詮索はさておいても、一心に打ち込む書き手はいつしか鬼の様相を帯びられたであろうことは想像に難くない。 「秋燈」たる季題の本意本情は即ち、「一稿に頬の痩けけり」に尽きるように思われる。 病棟の十四階の良夜かな 井上久枝 虚子は娘である立子に、人には皆それぞれの運命がある、その運命に安んぜよ、と言った。 この句の良夜には、「その境遇に立ってその境遇より来る幸福を出来るだけ意識することだ」という虚子の言葉の真髄がしみじみ理解されるものである。まこと、こよなき月明りである。 豊年や石の鳥居に石を載せ 内藤英子 鳥居に石を置くと願いが叶えられるという、幸せになりたくて縁起を担ぐありようは人として自然の行為である。そんな光景が、少しもむなしく映らない、むしろ健やかものとして見出せることこそが「豊年」の証なのである。 遠くまで見渡せる世界が文字通り豊かに表出されている。 蟷螂の折れんばかりの反身かな 大前貴之 「折れんばかりの」その危機感を含んだような物言いがまるでアニメの齣送りを目の当たりにするようで楽しい。 やがてその楽しさが、命の切なさに思えてじーんと来るのが「反身」である。 生きんがための命を活写している。 括りたる萩に雨聞く生家かな 葛西節子 楚々たる萩の花によき日々を過ごされたのであろう、今は伸び放題になった枝を括ってある。 一抹のさびしさはあるものの、その光景には、季節の巡りにしたがって生きる、確かなる日常の平穏が滲み出ている。 雨を聞きながら、生家ならではの安らぎに心が洗われていくばかり。 朝富士のひときは高し野分あと 神田美穂子 野分が過ぎ去ったあとの大いなる清澄。朝富士によせる格別の感慨は「高し」という他ないのである。 初採りや南瓜の種に日のぬくみ 依田久代 「初採り」に見事に呼応する「日のぬくみ」には、その喜びと共に、大きな驚きがこめられている。さまざまの生長の過程を経て、今掌中にあるエネルギーの何と有難いことであろうか。 敬虔なる作者の立ち姿がしのばれる。 道草や芋の朝露すくひ舐め 宮崎修 中七下五だけでも一句になるであろう。 だが作者は「道草や」という上五でもって、大きく一句全体をゆさぶるように仕上げられたのである。そうすることによって、この時節の空気感が生き物のように動き初めるのである。 綾子句碑撫でて丹波の秋惜しむ 板阪とも子 〈でで虫が桑で吹かるる秋の風〉、綾子俳句の愛らしさと鋭さと、その存在は学ぶほどに眩しい。徒ならぬ「丹波」。 父母の墓まのあたり稲の花 深海利代子 稲の花はおよそ目立たない地味な花であるが、これほど頼りになる花はない、大いなる豊年を約束してくれるものである。よく働きよく育ててくれた両親に、何と又ふさわしいものであろうか。 作者は充足の微笑みをもらしている。 天高し旅の鞄にチョコレート 町田美智子 チョコレートを旅の鞄にしのばせておくのは旅の楽しみであると同時に、旅の想定外に備える作者の知恵であり心配りであろう。 「天高し」には、よき旅の平安のよろこびが十二分に込められている。 秋の蚊の塵のごとくに飛び来たり 岡本惠美子 澄み切った空気の中を何やら飛んできたもの、「塵のごとくに」とはまさに眼力がきいている。 即物的に詠いあげながら、確かなるポエジーを掴んでおられるのである。 手の窪に塩や漢の祭酒 梅園久夫 リズムのよろしさに思わず二読三読させられる。そして留めの「漢の祭酒」とは、何と濃密な情趣であろうか。手窪に塩があれば足りるという、質実にして剛健なるありようは、五穀豊穣を祈る祭の原点を思わせるものである。 螻蛄鳴くや傍線あまた歎異抄 濱本美智子 「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」等など、親鸞の言葉の一つ一つに傍線を引き、含蓄あるところを見出される作者のかたわらには螻蛄が鳴く。 高濱虚子の〈虫螻蛄と侮られつつ生を享く〉と併せて味わうと、螻蛄は、いよいよ不思議の音色を奏ではじめるようである。 新米を入れ立ち上がる紙袋 寺田記代 新米の「新」という言葉がこれほど重量感をもって感じられるとは驚きである。 「立ち上がる紙袋」には新米のかがやきがはちきれんばかりに充実している。 (『雉』平成24年1月号所収) 雪に来て美事な鳥のだまり居る 昭和9年 華麗なる一幅の日本画を観るようである。 真っ白な雪は、あたかも一鳥の念力がもたらすかのように降りしきっているのだが、この鳥の名前を定かにしないで、「ミゴトナトリ」とざっくりと言い放った大胆さが、一句の全てであるように思える。 一七音に表現しきれないものを読者に伝えるのには、この手に限るのであったと思い知らされる見事さである。見事が「美事」であるあたりも巧妙である。 「だまり居る」という擬人化のせいであろうか、睨み据えている眼光が見え、その背後からは絢爛たる極彩色が立ち上ってくるような煌めきが感じられてならない。 この不思議を解明してくれたのは、永田耕衣であった。 「〈雪に来て美事な鳥の黙り居る〉といった句も、どこか神性というものがないと出てこない句といえるだろうな。神の出てくる句も神サマっぽくはない、どこかおおらかなんだ。子供のときに神の放射能を受けとったんだろうなア、郷里で、たっぷりと」 「神の放射能」とはおそるべき詩人のもの言いである。 この頃、麻布本村町に住んでいた石鼎の姿を、隣に住んでいた須賀敦子が、その著『遠い朝の本たち』の中で触れている。 ――「原さんて憶えてる?おとなりの」、 妹は遠い記憶をたぐるようにうーんといった。 「うん、あの麻布の家のとなりで、いつも庭に立って、空を見てた、じじむさいおじいさんでしょう」―― 病身の石鼎にとっては、千万言を費やす代わりに、ただ黙って空を仰ぐことよりほかに生きる方法はなかったのだろう。いや、ただ黙って、自然と同化することほど至福の時はなかったに違いない。 爺むさいおじいさんの姿は、内なる自信に支えられて、耐えて耐えて立っていた孤高の俳人の姿であったのだった。 極寒の中に、ただ「だまり居る」烏の重量感や貫禄の風姿は、石鼎その人に思えてならない。 ![]() ![]() 一月の川一月の谷の中 飯田龍太 なんとそっけない句であろうか。あっ、と言葉を呑み込んで黙りこくるしかない。宇宙を運行する地球を真二つに斬って見せられたようである。微動だにしない大自然の存在を前に、人間の無力を思い知らされるようなつめたさを覚えた。 苦しい時も楽しい時もすべてを呑み込んでいく、刻々の流れ。人の世のすべてを残酷なまでに支配する時間というものに立ち帰るとき、「一月」は荘厳である。思えば、そっけない、という印象はそのまま人生のそれである。そっけないからこそ、一度だけ生きる人生は、七転八倒しても情熱を燃やしつづけねばならない。 私にとってこの句は、老師一喝の響きをもたらすものである。 と、平成十二年正月の日記に記している。二十一世紀を迎えた感慨であろうか、妙に気張っていたようである。 あれから十余年、今やこの句を読むと、思わず、南無阿弥陀仏と唱えてしまう。宇宙に宙づりになったような浮遊感もあって、どこまでも清々かつ深々である。 俳句の究極の小ささが究極の大きさになり代わっているところ、あらためてめでたいと思われる。 この句は私の中で、高濱虚子の〈去年今年貫く棒の如きもの〉と彼此一体になっている。 永遠を貫く茫洋たる棒が見え、その棒を一刀両断した断面もまた見えるのである。 血の流れまでもが遮断されたような一瞬の冷たさが初めの印象であったが、ややあって、とくとくと流れ来るもののあたたかさは比類ないものである。そして、そこに差しこんでくる日の明るさには、人生の本質的な苦しみを知る人の洞察が秘められているようである。 この句が口を衝いて出たときの龍太は紅潮しただろう。郷里に腰を据えたその人にとって、これほど心なぐさまる光景はなかった、そのことに気付かされた一瞬間ではなかったろうか。 龍太二十九歳の句に、〈春蝉にわが身をしたふものを擁き〉がある。戦死した長兄の遺児をわが子として抱きしめている。 脈打ってある命の温もりを詠うことを原点に、自然と人間の融合を求めて、日々奮闘しながら、ことごとく生あるものをいとおしんできた俳人の至りつくべき世界が、四十九歳にしてここに現れたのである。 人為の及ばぬ自然の大きさ、そこには現世を超えたものの美しさがあることを、祈るように感受し続けた俳人の思想が、無言のうちに滲み出ている。言わば、己の心象を己の句でもって、ズバリと言い当てられたというものであろう。 この句に関して、龍太は「自分の力量を超えた何かが宿し得た」としか語っていない。その物言いにこそ、天性の悠悠たる力量が伺われるものである。 (平成24年1月号「晨」所収)
|
カテゴリ
昌子365日 NEW!
俳論・鑑賞(2)NEW! 秀句月旦(3)NEW ! 石鼎俳句鑑賞NEW! 昌子作品抄 昌子作品の論評 昌子月詠 昌子週詠 歳時記・夏 俳論・鑑賞(1) 秀句月旦(2) 秀句月旦(1) 第2句集『邂逅』 『邂逅』書評抄録2 『邂逅』書評抄録1 第1句集『青葡萄』 句句燦燦 師系燦燦 俳句はめぐる エッセー3 エッセー2 エッセー1 挨拶文・書簡・他 大峯あきら・寄稿 プロフィール 以前の記事
2012年 02月
2012年 01月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 10月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 07月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 07月 2007年 06月 2007年 05月 2007年 04月 2007年 03月 2007年 02月 2007年 01月 2006年 12月 2006年 11月 お気に入りブログ
最新のコメント
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
タグ
ネームカード
ファン
| |||||||||||||||||||||||||||||||||