草深昌子句集『金剛』・書評抄録(その7)


 『ランブル』(上田日差子主宰)

        20181月号 創刊20周年



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     ☆草深昌子句集『金剛』


   ~金剛をいまし日は落つ花衣~      上岡沙羅



五年前にご主人を亡くされたあとの第三句集である。

大峯あきら氏代表「晨」同人参加、岩淵喜代子代表「ににん」同人参加、

現在「晨」同人、「青草」主宰、カルチャーセンター講師


  露けしやかたみに払ふ蜘蛛の糸

  一葉落つここなる風の通り道

  初時雨駆けて鞍馬の子どもかな

  一枚の朴の落葉を預かつて

  深吉野に深き空あり藁盒子


詩情にあふれ、作者の自然に向ける優しさが読手の心に染み入る。


  赤ん坊下ろして梅の咲くところ

  赤子はやべつぴんさんや山桜

  竹夫人七瀬を風の越え来たる


七瀬は平安時代以降宮中で行われた陰陽道の祓の場である七つの瀬のこと。

添い寝籠でとる夏の涼に色香が漂う。

自然の大きな優しい抱擁力が赤子を包んでいる。


  七夕やみんな大きくなりたくて

  ちやんちやんこ何かにつけて笑ひけり

  水鳥は水の広きに睡りけり

  どこにでも日輪一つあたたかし

  行春や鳥居の前の立話

  あめんぼう大きく四角張つてをり


 どの句にも、自然や子供への優しさ、愛が根底に流れているのが感じられ、心癒される思いがする。


 大峯あきら氏の「季節とはわれわれ自身を貫ぬいている推移と循環のリズムである」を信条に、第四句集の上梓をお祈りいたします。

 


# by masakokusa | 2018-02-02 20:19 | 第3句集『金剛』NEW! | Comments(0)
『はるもにあ』2018年1月 第66号

  客人との対話  ~『はるもにあ』64号より~  

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   満田春日(「はるもにあ」主宰)



   木斛の花散るまるで雨のやう    草深昌子



 雨のように散るとは、さぞや大きく成長した木斛で、細かな花を無数につけているのだろう。

 「青草」主宰として弛みなく吟行を重ね、四季折々の自然の微妙な表情を活写されている昌子さんだが、俳句と共にある限り、新しい出会いは無限に訪れるのだろう。

それは俳人としての昌子さんの物の見方、感じ方が常に新しいから。

「まるで」という副詞は、使い方によっては幼い感じがするものだが、ここでは目を丸くし、童心に返っている顔が彷彿とする。


# by masakokusa | 2018-02-01 23:59 | 昌子作品の論評 | Comments(0)
昌子365日(自平成30年1月1日~至1月31日)
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1月17日(水)      うち晴れて地蔵通りや小正月
 
       1月16日(火)      冬萌やものめづらしく墓を見て 
     
       1月15日(月)      遠に見てしろじろあるは梅かとも

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      1月14日(日)      買初やラメ入りにしておとなしき

      1月13日(土)      座布団を干しがてらなる日向ぼこ

      1月12日(金)      パンダ舎を外れて今川焼を食ふ

      1月11日(木)      日脚伸ぶ墓域のどこかしらに声

      1月10日(水)      着ぶくれて見上ぐる鴉鳴きにけり

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      1月9日(火)      寒晴のさても大きくばつたんこ

      1月8日(月)      薔薇色がよぎりし鏡初めかな

      1月7日(日)      人日の風船とゆくしやぼん玉

      1月6日(土)      枝折戸に錠前かたく笹鳴ぬ

      1月5日(金)      生籬のここは疎にして水仙花


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      1月4日(木)      大広間けふは二人や牡丹鍋

      1月3日(水)      あはうみに姉妹の子の日してをりぬ

      1月2日(火)      初旅の蘇我馬子をこのあたり

      1月1日(月)      虚子編の新歳時記や福寿草

     
         
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 明けましておめでとうございます。
 いつも「草深昌子のページ」をお開き下さいまして、
 本当に有難うございます。
 本年も、どうぞよろしくお願いいたします。    

# by masakokusa | 2018-01-31 23:59 | 昌子365日 new! | Comments(0)
俳句四季 2018年1月号

作品十六句

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くさびら       草深昌子


   秋晴の大きな松の影にゐる

   桟橋といふほどもなき野菊かな

   月明の魚の背びれの出て泳ぐ

   銀杏のにほひに猿の綱渡り     

   秋晴を泣いて赤子の赤くなる

   団栗の袴脱いだり脱がなんだり

   秋の蠅輪ゴム跨いで来たりけり

   秋風にいちいち鯉は口ひらく

   説法の跡はここらの秋の蜂

   一行にはぐれやすくて草虱

   秋雨の林の径を深くしぬ

   古町や橋がここにも蚯蚓鳴く

   くさびらのべつたりとして根方なる

   草の実に立たせたる子のもの言はず

   にほどりの目のあさましき冬隣  

   屋根に鳩廂に鳩や秋出水



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(俳句四季出版「俳句四季」1月号所収)


# by masakokusa | 2018-01-31 23:50 | 昌子作品抄 | Comments(0)
「青草」・「カルチャー」選後に・平成29年12月       草深昌子選
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     冬晴の我の辺りは翳りけり       菊地後輪


 冬晴は、初冬の小春日和とは一線を画した、厳しい寒さの中の晴れ渡った日和である。

 それだけに、遙かまで見渡せる大気の透明度は満点である。

ここ丹沢山系の裾をひく地もまた、大山がくっきりと聳えて、ビルの立て込んだ都会では想像もつかない冬晴の美しさを見せている。

作者もそんな冬晴にほれぼれしながら、ふと気づくと、あれっ、自分の居るこのあたりは、翳っているではないか、というのである。

光りがさせば影もある、当たり前のことだが、その当たり前を不思議に思うのが詩人である。

作者はただ正直に述べただけであって、何も言ってない。

だからこそ、一瞬にして、自然のありようが人の世のありようの如くに、読み手の心に深く入り込んでくるのである。

そういえば、世の中は幸せそうにあまねく晴れていても、今ここに立っている自分の立ち位置だけは、ぱっとしない暗がりであるということはよくある。  

ふとした淋しさに遭遇したとしても、俯瞰してみれば、それもまた幸せな空間ではないだろうか、何も悲観することはない。

ここには、作者ならではの冬晴に対する感受が、まばゆいばかりに打ち出されいる。




 口重の店主おでんの蓋を閉ぢ      中澤翔風


冬の寒さにふと暖簾をくぐりたくなるのは、何と言ってもおでん屋だろう。

おでん屋は、屋台よし、老舗よし、たまに高級おしゃれ感覚の店もよし、そのありようはさまざまだが、何より欠かせないのは気軽に傾ける燗酒ではないだろうか。

さて掲句のおでん屋だが、オヤジは何となく愛想がないとは感じていたが、おでん鍋の蓋を閉じたその時に、その口重を再確認されたのだろう。

機微あるところを捉えたのは、通人の翔風さんならではのもの。

うす暗い席に、おでんの匂いが、むわっと漂ってくるようである。

だが、大根も練物も、コトコトとよく煮えて、さりとて煮込み過ぎず、きっと美味いに違いない。もうちょっと煮込むべく、蓋をずらして置かれたのだと思ったが、作者によると、「看板だよ」という、気難しいものであったらしい。

それだけ酒が進んだということであろう。

先日、「小田原おでん」に行ったが、ここの女主も黒ずくめの衣装で、何だかテキパキしなかったが、それもおでん屋の風情というものだろうと、納得させられた。

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    冬晴や松の合間を船のゆく       山森小径


松林が一面にひろがっている海辺であろうか。冬晴にキラキラとかがやいてやまない海の向うには一艘の舟がすべるように行くのである。冬晴の空気感が、松の青さ、海原の青さを見せて清々しい。まこと端正な句である。



     大声で母呼ぶ庭や初氷         栗田白雲


「お母さん、ほら見て見て、氷だよ」、はち切れそうな子供の声が、家中にひびいた。

「ええつ、ホント!」、濡れた手をエプロンで拭きながら、真っ先にかけつけたのはお母さん。

 清冽な一コマである。

先づはそういう読みになるであろうか。

だが、この情景は氷に限ったものではない、何か珍しいものを見つけたのか、あるいは転んだのかもしれない、そしてまた誰の声とも限らない。

鑑賞に幅をもたせるのは、「大声で母呼ぶ庭や」という中七でいったん切れる表現の巧さである。

しばらくは庭に声を響かせて、読者の感興を呼びさますという空間の取り方、そこではじめて、「初氷」を鮮やかに眼前にするのである。



    爪たてて霜の厚みを確かめり      湯川桂香


 「爪立てて」というと先ず思い当たるのが、蜜柑を剥くときの仕草である。

だが、一句は違う、何と爪を立てて霜の厚みを計ったというのである。

 寒気の極まった冬の夜、地面の水蒸気がただちに結晶して真っ白な霜を置く。

しんしんたる夜が明けて、晴れ上がった空のもとには、一面の霜が広がっている。

枯葉か何かに針のように、いやもっと厚く板のように結晶された霜であろうか。

作者の驚きが、そのままストレートに読者の驚きとなって伝わってくる。

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    十二月八日よ七十五年前        吉田良銈


 128日は、昭和16128日のこと。つまり、太平洋戦争開戦の日である。

 その日は、作者にとって毎年、毎年、ついぞ忘れることのない、心に深く刻まれた切ないメモリーである。

 そんな、昨日のことのように認識される開戦日が、今年は何ともう、75年も昔のことになるのだという。

多くの俳人が、開戦日の句を作ってきたが、75年の歳月の詰まった一句は、吉田良銈さん以外には詠えないものである。

御齢91歳の俳人ならではの128日を瞑目して考えたいと思う。


 

   畑中の霜よけ笹の葉にも霜        高橋まさ江

   路地奥に竈設へ餅を搗く         堀川一枝

   着ぶくれて脱衣の山の渦高く       米林ひろ

   年の瀬や手を引かれゆく交差点      田淵ゆり

   採血の針の太さや隙間風         泉いづ

   鴨一羽群より離れ空に鳴く        伊藤波

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   着ぶくれてエレベーターを遣り過ごす   古舘千世

   柳川をゆっくり行くや炬燵船       菊竹典祥

   息切らし子の担ぎ来る配り餅       森川三花

   捨舟の内の水照り葦枯るる        瓜田国彦

   綿虫よ嚏の主はそなたかな        石原由起子

   おでん煮る母や明日は留守らしき     神崎ひで子

   着ぶくれてパンダの列につきにけり    佐藤健成

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   あれこれと炊き追はるる冬至かな     木下野風

   枯菊となりて匂ひをただよはす      関野瑛子

   雲なくて白壁高し冬の朝         市川わこ

   大風や欅一夜に枯木立          中園子

   二階まで柚子の実りし家を訪ふ      奥山きよ子

   枯木道かすかに見ゆる昼の月       石堂光子



    

# by masakokusa | 2018-01-31 23:48 | 『青草』・『カルチャー』選後に | Comments(0)
新俳句年鑑2018  (ことばの翼 詩歌句)

 

 

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 草深昌子    晨・青草(主)



    夏鴨の鳴いて日中を飛びにけり


    木斛の花散るまるで雨のやう


    鮎食うて相模も西に住み古りぬ


    晩涼や八幡さまに池二つ


    秋晴を泣いて赤子の赤くなる


    潮風に飛ぶ大根を蒔きにけり




 草深昌子(くさふか まさこ)

 昭和18年、大阪府生まれ。

 鹿火屋新人賞・鹿火屋奨励賞を受賞。

 著作に『青葡萄』「邂逅」『金剛』がある。


# by masakokusa | 2018-01-31 23:28 | 昌子作品抄 | Comments(0)
草深昌子句集『金剛』・書評抄録(その6)
☆『絵硝子』(和田順子主宰) 二十二年記念号 平成301月号


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句集を読む    谷中淳子


 草深昌子著 『金剛』


「青草」主宰の第三句集である。

 草深氏は「雲母」「鹿火屋」で研鑽を積まれ、現在「晨」同人として活躍されている。

 氏の心に溜まった情景は魅力的である。

 情景は優れた表現力により端正な俳句となり、読み手の心に余韻を残す。


  掃苔の大東亜とぞ読まれける

  母と子に一つマントや石畳

  赤ん坊に手を振る別れクリスマス

  対岸の椅子に色ある残り鴨

  蚕らにひまなき振子時計かな

  夕月にはくれんひらきかかりたる

  のんき屋といふは電気屋燕の子

  をさなき子まつくらといふ木下闇

  鴨塚といふもののあり鴨来たる

  遠足のおどろく大き岩の割れ

  側溝に水無き蛇のすすみけり


 次に、作者の感覚と季語の本意への理解が冴えた作品を紹介したい。

 

  七夕の傘を真つ赤にひらきけり

  すみよしといふも涼しき社かな

  涼しさの丸太ん棒に座りけり

  三伏や金の佛に金の蓮

  もの言へば連れのうなづく水澄めり

  夏館ものの盛りは過ぎにけり


 草深氏はあとがきで、「晨」大峯あきら代表の「季節とはわれわれ自身をも貫いている推移と循環のリズムのことで何一つこのリズムから自由になれない」という言葉を引用されている。

 氏は、この言葉を深く体得されていると思う。

 だからこそ、氏の作品は、同じようにそのリズムの中生きている我々の心に響くのである。

  


# by masakokusa | 2018-01-31 19:46 | 第3句集『金剛』NEW! | Comments(0)
昌子作品の論評・大峯あきら

  大峯あきら鑑賞



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    雲去れば雲来る望の夜なりけり     草深昌子




 これは盆の月ではなく、十五夜との対面の句。

 雲一つない大月夜ではなく、どちらかといえば雲は多い方である。

 大きな雲がつぎつぎにあらわれてはどこかへ消え、望月を大空に残してゆく。

 望月の従来の情趣は一句から一掃され、代わりに満月をつぎつぎに追いかけるダイナミックな雲の運動をいきいきとつかんでいる。




(平成301月号「晨」所収)


# by masakokusa | 2018-01-27 10:50 | 昌子作品の論評 | Comments(0)
昌子365日(自平成29年12月1日~至12月31日)

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      12月31日(日)      大年の路地を鴉の渡りけり

      12月30日(土)      年の瀬の杜甫を語りて茶房なる

      12月29日(金)      歳晩の井筒の竹を組んでをり

      12月28日(木)      常磐木の丈高ければ枯木また

      12月27日(水)      海の日に白菜干して暮しけり


      12月26日(火)      波乗りの波と来たれるクリスマス

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      12月25日(月)      歳晩や厩に顔を深く入れ

 

      12月24日(日)      枯園や日向の何とあたたかな 

    

      12月23日(土)      円卓に誰もつかざる芝枯るる


      12月22日(金)      日当たりてちぢれあがりし枯葉かな     


      12月21日(木)      絨毯を踏んでグランドピアノまで

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      12月20日(水)      城山の麓広しや餅を搗く

      12月19日(火)      龍の玉載せて手のひらまつたひら


      12月18日(月)      忘年のドームはまるで雲のやう


      12月17日(日)      着ぶくれて白鷺にもの言うてをり


      12月16日(土)      犬は尾を振らざる日向ぼこりかな

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       12月15日(金)      莢蒾に式部に実あり冬ざるる 


       12月14日(木)      花と実と枯れてその葉の青きこと


       12月13日(水)      夜もすがら書き飛ばしけり霜の声


       12月12日(火)      凩やあはれむとなく人の杖


       12月11日(月)      色に咲きこゑに鳴きけり十二月

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       12月10日(日)      行きながら蜜柑をもらふ山路かな


       12月9日(土)      おでん酒見合はすたびににつこりと


       12月8日(金)      冬日いま分厚き雲を割つて出て


       12月7日(木)      松の幹曲りて八つ手咲くところ


       12月6日(水)      柊の花と知れたる夜風かな      

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       12月5日(火)      長屋門くぐると冬の鵙のこゑ

       12月4日(月)      吉野川行き行くお講日和かな

       12月3日(日)      褞袍着て星をいただく吉野かな   

       12月2日(土)      湧水のあぶくのほかは冬ざるる

       12月1日(金)      はつきりと見えて遠くに山眠る



# by masakokusa | 2017-12-31 20:30 | 昌子365日 new! | Comments(0)
『青草』・『カルチャー』選後に・平成29年11月       草深昌子選
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大牡蠣や縮みて鍋の底にあり         中原マー坊


 「大牡蠣や」と大きく打って出た、果たしてどんなにすばらしい牡蠣であろうかと思いきや、鍋の底に小さく縮んでいるというのである。

思わず笑ってしまうが、この笑いには庶民の哀感をそそるものがある。

見るからにぷっくりしていても、うっかり煮すぎると縮んでしまって見る影もないというのは牡蠣の特性であろう。

 それにしてもこの牡蠣鍋は、ささやかにも楽しいものであったに違いない。



朝時雨逃れて蝶の廂かな           栗田白雲


時雨は急にパラパラと降る初冬独特の雨であるが、この句は、単なる時雨でなく「朝時雨」であるところがいい。

朝という詩情のきらめきが蝶の身にふりかかって見事に美しい。

朝時雨は大山を越えて、裾野のあたりを束の間濡らしたのであろう。

「蝶の廂」とは、なんとも心憎い。

ふとした温もりを想わせて、作者の心象ともども蝶々をクリアに見せるものである。



   カーブして冬の空より車来る         日下しょう子


冬の空から自動車が飛び出してくるなんて、何というスピード感、おっと危ないではないかという迫力がある。

カーブしているのは高いところに架かっている高速道路と思われる、真っ青な冬の空以外に作者の目には何も飛び込んでこなかったのであろう。

ここには作者の驚き、作者の嘘偽りのない見方がある。

大胆な省略であるが、たまにはこれぐらいのことを言ってみたいと思う。

絵画には描けない、空白を大きくとった俳句ならではの描写である。



水量を計る人あり冬の川           新井芙美


冬の川で水量を計っている人がいるという以外、何もわからない。

一体どんな人が、何のために、どんな方法でやっているのか。

冬の川は渇水期であるから流れも細くなり、河原の草々もすっかり枯れてしまうだろう。

そういうイメージを持ちながら、この句を読むと、案外冬の川の様相は違うようでもあり、いろいろ想像させられるものがあって面白い。

俳句の魅力は、このように何も言わないところにある。

かくかくしかじかと因果関係を述べてしまってはおしまいである。


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太公望冬の静けさまとひけり         平野翠


「太公望」という言葉だけで一句が成り立っていると言っていいほど、太公望が効いている。

太公望は、周代の斉国の始祖。初め渭水の浜に釣糸を垂れて世を避けていたが、文王に用いられ、武王を助けて殷を滅ぼしたという。

そういう故事から、太公望は釣師の異称となっている。

この句、「釣人は冬の静けさまとひけり」ではさまにならない。

太公望としたことで、まことの太公望のイメージを重ね合わせることができるのである。

それによって、冬そのものの静けさが、どっしりと人のようにも、水のようにも、大公望と一枚になって感じられてくるのである。



寒菊や何匹となく蜂と蠅           石堂光子


寒菊の異名に冬菊があるが、冬菊と詠う場合は、秋の菊の花が冬になっても咲いている、遅咲きの菊というイメージで詠うことが多い。

この句は、冬菊ではなく断然「寒菊」ならではの風趣を引き出している。冬になって咲く菊の品種で、色は黄色である。

「何匹となく」という措辞が巧い。蠅や蜂の入り組んだ動きが想像され、そこには寒菊の濃い黄色が明らかに浮き出てくるのである。



水の湧くところ好きらし鴨一羽        坂田金太郎


池であろうか川であろうか、その一角には水の噴き出すところがあるのだろう。

そのあたりを一羽の鴨が来ては去り、来ては去り、どうかすると、なかなか去らないでずうっと漂っているという光景のようである。

実は、鴨より、作者こそが、湧水の美しいしぶきや、その音に魅かれているような感じが伝わってくる。

人の気持ちが鴨の気持ちに乗り移っているのである。



昭和史をたぐる小春の講座かな        古舘千世


先般、輝き厚木塾における「昭和史の講座」は、「青草」編集長の松尾守之氏が受け持たれた。

そこに参加された作者の満足感とともに、昭和史そのものに寄せる悲喜こもごもが「小春」に託されている。

さらっと詠われているが、読者もまた昭和という時代のある一面をふと回顧するような気分に誘われるのも「小春」の働きである。


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公園の隅まで紅葉煙草吸ふ          川井さとみ


近年、喫煙者にはなかなか厳しい状況が続いている。

公園では、隅っこの方に喫煙所があるのか、あるいは一人で、ちょっと遠慮気味に吸っておられるのであろうか。

何れにしても、そこにはあかあかと紅葉が照っているのである。

さぞかしゆったりとおいしい一服であろう。煙草の小さな火種も見えるようである。



   水鳥のくわんくわんと餌漁り         菊竹典祥

   靴底の厚くありけり冬初め          大本華女

   蜜柑狩ビニール袋はち切れて         菊地後輪

   物干しに玉葱乾く冬の里           奥山きよ子

   裸木や林の奥は日当たりて          佐藤昌緒

   冬日和忽とあらはる黒き雲          藤田トミ

   冬の蟹フロント越えてロビーまで       湯川桂香

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   湯たんぽを抱へてみたりはさんだり      柴田博祥

   鍬止めて腰を伸ばせば鶴渡る         狗飼乾恵

   母の忌のあたたかくあり神の留守       東小薗まさ一

   稜線や雲と出合ひて冬景色          石原由起子

   濁流の根まで呑み込む秋の川         長谷川美知江

   鉄橋の音跳ね返す冬日かな          宮本ちづる

   冬麗の葱の切つ先立てにけり         二村結季

   枯歯朶や水のかそけく湧くところ       森田ちとせ


# by masakokusa | 2017-12-31 18:47 | 『青草』・『カルチャー』選後に | Comments(0)