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窓ひらく鉄線の花咲きわたり 山口青邨 さながら鉄線のように細く硬い蔓の伸ばすので鉄線花という。 <鉄線花を一重の花の元(はじ)めとす 後藤夜半>にあるように一重のすっきりとした花びらが美しい。白色もあるが気品ある紫色が好もしい。 又、掲句のように、窓を開けば、そのあたりにひとかたまりに咲いているというのがいかにも鉄線花らしい佇まいである。 こんな鉄線花を、「父の日」を主題とした一句にかぶせたものも忘れ難い。 忘らるるものに父の日鉄線花 神蔵 器 ![]() 棕櫚の花海に夕べの疲れあり 福永耕二 棕櫚はヤシ科というだけあって、野性的かつ南国的である。 海辺などに見かける棕櫚は際立って大ぶりで、晴れやかな印象をもたらすが、手入れの行き届かない庭やさびれた公園に咲いていたりするとどことなく陰気な風情でもある。 「海に夕べの疲れあり」という抒情は、作者その人の疲れのようであり、棕櫚の花のあの垂れ下がった黄色の粟粒のような花の脱力感のようでもある。 ![]() 水馬かさなり合うて流れけり 内藤鳴雪 「水澄まし」と言う昆虫には二種類あって、生物分類学でいうミズスマシは、水面をくるくる回っている「まいまい」という甲虫であり、もう一つのミズスマシは「あめんぼう」と呼ばれ、表面張力を利用して、すいすいと水面滑走する虫である。 掲句は「あめんぼう」と読むのだろうが、関西出身の私などは「みずすまし」と呼ぶ方がなじみがいい。 この水馬の軽快感をそのままリズムにのせてゆくあたり、さすがにさらっとして上質な写生句である。 春に水面に現れた水馬は、初夏の頃よく重なり合っている。上に乗っている方が雄で下が雌だとか。水中で産卵のときも雄は背中に乗ったままというから面白い。 そのユーモラスなところが、「流れけり」に通っていて、自然のなりゆきにまかせているかのような飄々たるさまがいかにも涼しげである。 内藤鳴雪は松山の人。文部省参事官を経て明治22年旧藩の常盤会寄宿舎の監督となった。舎生としていた正岡子規の影響で46歳から俳句を始め、子規日本派隆盛の原動力となった。 円満洒脱な人柄は、『内藤鳴雪自叙伝』によく表れている。 白牡丹ある夜の月に崩れたり 正岡子規 ![]() この堂々たる格調高い一句は、子規がまだ健康体の25歳の作品である。 気品ある白牡丹が、ほろほろ散るというよりは、グシャッと一気に崩壊した感じをもたらして、どこか無残な冷たさが印象される。 「ある夜」とは、一体いつ、どういう夜であるのか、明確に示さないところが心憎い。まるで、満月の今宵こそはとばかりに意識的にどっと崩れたかのようなところ、白牡丹の白さを際立てて、いかにも心象的である。 牡丹の句と言えば蕪村の<牡丹散ってうちかさなりぬ二三片>が有名だが、この蕪村を称揚したのは子規であった。 子規もまた蕪村にならって牡丹が好きであったらしい。 一輪の牡丹かがやく病間かな 林檎くふて牡丹の前に死なん哉 明治32年5月、「夜昼焦熱地獄に在り」という病子規のもとへ、鼠骨らが子規庵へ牡丹の鉢植を持参した。 薄紅大輪の牡丹であったという。 花の如き口をあけたり燕の子 青木月斗 スーパーマーケットの入口に立て看板があって躓きそうになった。そこには「ツバメが巣を作っています。糞が落ちますので頭上ご注意ください」とあった。 見あげると壁に巣があって親鳥がしきりに出入りしている。 掲句の如き、愛らしい子燕はまだ雛であるのだろう、「花の如き」口をいっせいに巣の外に向けてひらくほどには成長していない様子。 やがて六月中旬頃からは二番子の産卵も始まるとか、初夏の空は楽しみに満ちている。 5月28日(月) 黒鯛を路地のかかりに捌きをり 5月27日(日) 青田波寄せくる母は蓬(ほほ)けたり ![]() 5月26日(土) 夏めきて鴉の翔ちあと濡るる 5月25日(金) 何鳥か鳴いてやまざる夏木かな 5月24日(木) この道の先に道なき揚羽蝶 5月23日(水) おもひきり風吹く丘の新樹かな 5月22日(火) 薔薇園の一つ裸像をさびしみぬ ![]() 5月21日(月) サングラスかけて命のことを言ふ 5月20日(日) 薫風や掴みどころの蔓になき 5月19日(土) あをあをとありしあたりや姫女苑 5月18日(金) へこへことゆける毛虫の嫌はるる 5月17日(木) 薫風に鴉の嘴を滴らす ![]() 5月16日(水) 豆飯に豆の潰れてあるが好き 5月15日(火) 道細く直ぐにあらざる薄暑かな 5月14日(月) 夏めくや中洲に花の赤きこと 5月13日(日) たとふれば墨痕淋漓朴の花 5月12日(土) 青芝のいきれともなき匂ひかな ![]() 5月11日(金) 日輪の新樹隠れの高さかな 5月10日(木) 新緑の鉄砲打にすれちがふ 5月9日(水) 葉桜の陰と知りたる帰りしな 5月8日(火) 若葉して豆大福の店に列 5月7日(月) ただ歩むこの楽しさの端午かな ![]() 5月6日(日) 観音の胸を抽きたる若葉かな 5月5日(土) 林泉の静けさにゐる菖蒲の日 5月4日(金) 妹は兄より強きみどりの日 5月3日(木) 花棕櫚の影に紫煙をくゆらしぬ 5月2日(水) 母のこと語らん新茶淹れにけり ![]() 5月1日(火) 燕らのいそしむ五月来りけり 行春の水を滑りぬ水馬 大正13年 石鼎俳句の中七の妙には、いつも唸らされるのであるが、掲句の「水を滑りぬ」という表現も、平然と見ているさまに見えて、どこか空恐ろしいものである。 水馬は夏の季語で、水面をすいすいと走り回る細長い虫であるが、今ここにある水馬は、すいすいとまではいかない感じの一と滑りである。そこには、去りゆく春をちょっと後追いしたいような心がこもっていそうである。 「行春や」と一旦切らずに、「行春の水を滑りぬ」と行く春を水につなげてひっぱったところの微妙な感覚も水輪のひろがりをひそやかにしている。 華やかであった春も尽きんとしている、ふとした哀愁が、まるで氷上のそれのようにどこまでも透き通っているさまは見るからに清らかである。 今思わず、「ふとした」と言ったが、このふとした気持ちに寄り添ってきたのが、「水を滑りぬ水馬」そのものであったのだろう。 はからいを一切見せない句である。 ちなみに「水馬」の句を夏の歳時記に拾うと、 静まれば流るる脚やみづすまし 太祗 松風にはらはらととぶ水馬 虚子 水すまし水に跳ねて水鉄の如し 鬼城 など、水馬の生態がいかにもあきらかである。 ここであらためて、「行春」を主題とする石鼎の水馬は、「水に流るる」ものでなく、「水に飛ぶ」ものでなく、「水に跳ねる」もののでもないことを思い知るのである。 ところで、石鼎の「行春」の句は、他にも好きな句が多い。 行春や古毛の中の棕櫚の苞 大正12年 行春の棕櫚の古毛に埃かな 〃 行春の遠火事も見て別れ哉 〃 行春や庭の夕のさみどりに 昭和4年 不老館の蚊帳の内より塩竈の社見ゆ 行春の塩竈様は我のもの 昭和5年 行春や朽ちて葉にのる八重椿 昭和9年 行春や古炉へまでも花の風 昭和10年 行春の古炉へまでも花吹雪 〃 行春という、ある種茫洋として、つかみどころのない季感を味わう心境には、今生きてここに在る、私のいのちの鼓動を聞きとめようとする無意識の静けさがはたらくのではないだろうか。 取り残されたいのちといった感慨もあるだろう。 そんな私一人のつぶやきは、誰にわかってもらえなくてもいい、そういう穏やかな思いの中にあって、これこそは私の行春へのしんじつの手向けですよという、頑然たる強さも端々に匂わせるのである。 ![]() 窓遠き逗子や炭屋に藤垂れて 飯田龍太 甲府在住の龍太にとって、海近き逗子の旅は、開放的な寛ぎを覚えられたことだろう。やや冗長で、けだるい感じの中にも、どことなく弾みごころが伺われるのは、その独特の節回しによるように思われる。 私にとっても、逗子は、フランス刺しゅうを習いに、40年近く通ったところであるから、逗子=刺しゅう糸であって、その艶なる色彩がぱーっと浮かびあがってくる。 飯田龍太にあこがれて俳句にいそしんだ歳月もまたこの時期に等しい。 そんな明るさが陰影をもって印象されるのは、炭の暗さにかぶさる藤の紫が鮮やかに見えるからであろう。 季節感そのものがすでになつかしい。 藤の花が咲くと、華やかだった春もおしまいである。 2012年4月19日(木)朝刊でもって、飯田蛇笏ゆかりの俳句誌「白露」が終刊になることを知った。 飯田蛇笏から飯田龍太へと継承された「雲母」誌は1992年に終刊。その後を広瀬直人が「白露」を創刊し、「雲母」の俳句を継いできたのである。 「白露」は19年続いた。 「雲母」から数えて、実に97年の蛇笏精神を貫いた俳句の歴史に幕を下ろすことになる。 ![]() 空ふかく蝕む日かな竹の秋 飯田蛇笏 春になると草木は萌え出して、輝かしい緑を発散する。 だがひとり竹の葉っぱは色あせてくる。ことごとく黄ばんで、勢いもなく、やがて風に音をたてて絶え間なく散ってゆく。この凋落のさまを俳句では「竹の秋」という。 秋季には逆に「竹の春」と言われ、青々として美しい。竹は普通の植物とは春秋がさかさまなのである。 地中に、沢山の筍を養ったあとの親竹は、いつしか疲れきってしまっているのであろう、そんな竹の秋である。 「蝕む」という措辞の的確さに、胸を衝かれる。 虫がものを食うように、悪弊や病気などの何ものかが、じわじわと本体をおびやかしてくるのも、大いなる天然のありようではある。 ![]() チューリップ喜びだけを持ってゐる 細見綾子 さいたさいたチューリップのはなが ならんだならんだ あかしろきいろ どのはなみてもきれいだな まさに、「喜びだけを持っている」、ピカピカのランドセルそのもののチューリップの花。思わず笑みがこぼれる。 チューリップの花をズバリ言い得た調べの何と決まっていることだろう。 誰でも詠えそうで詠えないのが、「喜びだけ」の「だけ」である。 「だけ」という断定が、胸のすくように抽んでている。 すっくと茎をのばしたチューリップの元気をここに新ためて納得するのである。 喉元のつめたき鶯餅の餡 川崎展宏 「喉元の」の来ると我が喉元を意識する、だが、そうではなかった、「喉元のつめたき」にすかさず「鶯」がくっついてくると、ああそうか鶯であったかと思い直す。 鶯の美声を思えば、瞬時に感受される何かがあるのであるが、そこへ、「餅の餡」と止めが刺される。 「モチノアン」このまったりした感触、アンコの味わいはゴックンというかツルリンといおうか、その中間ぐらいの感触でもって、あんぐりと飲み込む味わいがたまらない。 しばしそのひんやり感と甘味を味わうことになるのであるが、そこには当然、鶯の感触も鶯のころの季節の風情も沁み込んでいる。 この句は意味的には「喉元のつめたき」「鶯餅の餡」で、要は鶯餅の一句である。 一句が、ただの鶯餅に終わらないところが、17音の配合のウマさ加減である。 絶妙の句またがり、中七の字余りでもって、読者にゆったりと読ませて、その想像力をどこまでも引き延ばしてくれるのである。 ![]() かたくりの花の韋駄天走りかな 綾部仁喜 片栗の花は、ものみな萌え出づる春の到来を告げる。ホトトギス歳時記でも二月の花として掲載されるが、春の冷たかった今年はかなり遅れて開いたようである。 山地の木蔭に、一つ一つ茎をのばしては俯き、うっすらと紅潮したかのような紫の花を咲かせる姿はまさに紛うことなく韋駄天走りのさまである。 「韋駄天走り」に出会ったときの驚きは忘れられないが、今もって、片栗の花と言えば韋駄天走りの他には思いつかない。 韋駄天という足の速い神様が転じて足の速い人の譬えになっているのであるが、風を切って、後方へそっくりたなびく髪のさまが見るからに印象的である。 掲句は、片栗の花の形態を見事に言いとどめられたと同時に、春先の花の先駆けとして、急展開の季節感をも象徴しているのである。 ![]() 誰も見よ虚子忌の雲の輝きを 上村占魚 4月8日は俳人高濱虚子の忌日である。 ― かえりみれば、明治31年10月、それ以前の松山版「ほととぎす」を継承した虚子が、東京から第二巻第一号を発刊経営に当って以来60年余、虚子の文芸活動は「ホトトギス」と共にあった。この間いわゆる雑詠選を介して、幾多の俊才を発見育成し、その門流の及ぶところを孫弟子、曾孫弟子まで探れば、現俳壇を形成する人脈のくまぐまに至っている。 明治・大正・昭和三代にわたるこの業績を、虚子みずからの典型的「花鳥諷詠」の句業とあわせて思うとき、おおまかこの時代を「虚子の時代」と称して差し支えないであろう ―(現代俳句の世界・高濱虚子集~解説・三橋敏雄より) 掲句は虚子一周忌の作品、上村占魚については、岸本尚毅著「生き方としての俳句」にくわしい。 ― 占魚は内面のつぶやきをそのまま俳句にすることによって風景を想像させる手腕に長けていました― まこと虚子の俳句観を体現した作家ならではの忌日句である。 虚子の大御所ぶりが、風景のひろやかさと共に燦然と伝わってくるものである。 あたたかな雨が降るなり枯葎 正岡子規 今年は春の寒さが長引いて、ほとほと身に応えた。 そして大雨風とともに4月はやってきた。 子規の句もまだ本格的な春の到来ではないようだ。茂った雑草の大方は枯れきっている。だが、今日は草萌えを促すようなあたたかな雨がしとしとと降っているという、細やかな雨脚が透き通るようによく見える光景である。 この句は「枯葎」を季語とする冬の句か、「あたたか」を季語とする春の句か悩むところであったが、今は「あたたかな雨が降るなり」を主題とする春の句であることを疑わない。 一と雨のもたらす湿潤が、「枯」の一字によく作用している。 二月頃の、早春の雨のあたたかさをいち早く感受した句であるが、今年は仲春になっても共鳴されるものである。 ![]() 4月30日(月) 行春や指にかためてだんご虫 4月29日(日) 蓬髪に蕊降りかかる昭和の日 4月28日(土) 暮遅き鳥の咽(のんど)をころがしぬ 4月27日(金) その人に蹤くべくありぬ春野道 4月26日(木) 柿芽吹くところに語りはじめたる ![]() 4月25日(水) 風切つて過ぎゆく人や夏隣 4月24日(火) 陸橋に仰げる空の霞かな 4月23日(月) 一川に橋がいくつも花過ぎぬ 4月22日(日) 掌に蟹をのせたる暮春かな 4月21日(土) 翡翠のあと行く鵯や春深む ![]() 4月20日(金) かくまでも掻き曇るかな梨の花 4月19日(木) ひよどりの嘴のこまめに暮れかぬる 4月18日(水) 東山三十六峰花篝 4月17日(火) 閼伽桶に名の無きはなき桜かな 4月16日(月) にはとりの苗代寒を鳴きにけり ![]() 4月15日(日) 鎌倉のこの路地が好き菫草 4月14日(土) 墓原に来たるはきつと桜人 4月13日(金) 日の中に雨降る春の愁かな 4月12日(木) 豪邸にさくら苫屋にさくらかな 4月11日(水) 盤石にくさびをかます桜かな ![]() 4月10日(火) 過ぎたれば痛み覚えぬ桜かな 4月9日(月) 花風に竹の箒の音よろし 4月8日(日) 花筵大阪言葉はばからぬ 4月7日(土) ひよどりのこゑを洩らさぬ初桜 4月6日(金) 大山をかたへにしたる山笑ふ ![]() 4月5日(木) 晩春の嵐あととはなりにけり 4月4日(水) お屋敷の松の高きに鳥交む 4月3日(火) 少年と爺と語るや鳥雲に 4月2日(月) うぐひすのこゑやすかさず人のこゑ 4月1日(日) ものの芽のうすきみどりやけふの丈 ![]() 雨を来し人ひとくさし桜餅 大正12年 ![]() 桜餅と言えば先ず虚子の句が思い浮かぶ。 三つ食へば葉三片や桜餅 虚子 人を食ったような句であるが、大阪から東京に引っ越して間無しの頃、向島長命寺のさくら餅をいただいた時、あまりにもこの通りであることに笑ってしまった。 暗黙のうちにおいしさが通っている。 石鼎の桜餅の句は全句集の中に二句ある。 掲句の前に、 雨を来し人の臭ひや桜餅 大正12年 がある。 セルのような毛織物であろうか、雨に濡れて少々臭ったのであろう、桜餅に雨の日の情趣がかぶさったものである。 「雨を来し人の臭ひや」はとりあえずの句であろう。 やがて、その臭いは雨を運んでやってきた、生身の、呼吸している人間の臭いであると、人なつかしくうけとめたのである。 「雨を来し人ひとくさし」と、畳みかけるように、作者の見た通り、感じた通りに書きなおしている。 ここには虚子のあほらしさはなくて、石鼎の五感が蠢いている。 虚子の句はいつなんどき食べても桜餅は桜餅であると突き放しているが、石鼎の桜餅は「ひとくさし」でもって、その時ならではの桜餅の味わいを文字通り咀嚼しなおさねばならないものになっている。 桜餅らしい屈託のなさが虚子であり、桜餅らしい粘っこさが石鼎であろうか。 ところで、大正11年に柳の句がある。 お神輿の荒れて過ぎたる柳かな 大正11年 全句集において、この次に来るのが、 神輿荒れもみにもみたる柳かな 大正11年 である。 「桜餅」と同様に、「柳」も又、はじめは、「荒れて過ぎたる」と実況報告的であったが、のちに「もみにもみたる」といっそう明確、具体的になった。 而うして、柳の最も柳らしい揺れかたが再現されるという趣きである。 石鼎の全句集を繙いて、こういう手の内を覗かせてもらうような句に出会うと、石鼎の「ひとくささ」がひとしおなつかしく匂ってくるものである。 ![]() ひた急ぐ犬に会ひけり木の芽道 中村草田男 ひた急ぐ犬に会うのはいつの時節だってよさそうであるが、木の芽道ほどふさわしいものはないように思う。 逆に言えば、木の芽道であればこそ、ひた急ぐ犬に出会ったのであろう。 まさに出会いがしらの一句である。作者の感受性もろとも、木の芽吹くころのみずみずしさが際立っている。 芽柳の水に綾ある日となりぬ 上村占魚 芽柳はいろいろの芽のなかでも最も大らかな感じがする。 <芽柳の吹かれてもどるときゆるし 草也>という句にもあるように、ゆったりとしたさまがいかにも春の風情である。 掲句は、そんな萌黄色の新芽をつけた無数の枝が、高みより水の上に枝垂れるさまである。 水面にはこまかな波がたっているのであろう。あるいはさまざまの砂塵がたゆたっているのかもしれない、物の影も映っていることだろう。 「水に綾ある」という言葉の技巧が、さらっと読み下されて美しいのは、まこと「ことばの綾」である。 春泥やつなぎたる手を又はなし 岡田耿陽 春泥は、春の雪解けや、霜解けなどによってできた「ぬかるみ」のこと。この穢ない泥さえもシュンデイといえば何か独特の季感がわきあがってくる。 春泥にはばまれていったん右と左に手を離したのは、幼い子供であろうか、それとも若いカップルであろうか、はたまた年寄り同士であってもいいと思う。 いずれにしても離した手はまた繋ぎ直されるのであるから、ほのぼのとした光景である。 繋ぎなおされた手は、前にもましてあたたかな温もりをもたらしたことだろう。 耿陽は明治30年生れの虚子門下俳人。 同じく虚子に師事した明治33年生れの中村汀女に、 春泥にふりかへる子が兄らしや 中村汀女 がある。こちらも愛らしい。 いかなごにまづ箸おろし母恋し 高濱虚子 兵庫県は室津名産「いかなごくぎ煮」新子詰合せなるものが到来して、まさに掲句の通り、ひとしおなつかしく春の美味を味わった。 室津は万葉集にも詠われる古い港町、「炭屋」という老舗は創業二百数十年。参勤交代の帰路、故郷への手土産にもなったとか。 瀬戸内や阪神地方では、各家庭で競って炊かれるようで、姉からも毎年のように届く。こちらは老舗のように、煮上がった姿がくっきりと釘のようにはいかないが、その柔らかみがたまらない。 ちなみに、虚子は愛媛県松山市出身。虚子の箸にした鮊子もまた格別のものであったろう。 ![]() 二日灸花見みる命大事也 几董 高井几董は江戸中期の京都の俳人。蕪村の高弟。 二日灸(ふつかきゅう)は陰暦二月の二日に灸を据えること。 「二日灸は効能が倍あるとか、息災になるとか言われている。この日往々寺や村に名灸の札が立ったり、田舎道をぞろぞろと灸すえに行く人々に逢うことなどよくある」と古い歳時記に出ている。 掲句は、「四十以後の人三里に灸すべしと」という前書きがある。 人生五十年と言われたのはついこの間のことで、江戸時代の平均寿命は三十歳ぐらいだという。乳幼児の死亡が異常に多かった頃の数字ではあるが、いよいよはかない命が思われるものである。 それでも長生きの方も相当おられたのであろう。今の百歳以上の方々の如く。 「花見る命」とは美しくも具体的であり、几董の敬意がよく表れている。 先人の惜しみし命二日灸 高濱虚子 は、几董の句と響きあっている。 ところで、私の好きな二日灸の句は、 やまの娘に見られし二日灸(ふつかやいと)かな 石鼎 である。 石鼎の吉野時代のものであるが、この句に魅せられた私は、若き頃より二日灸をひそかにも実践して今に至っている。 ![]() 雛飾る四五冊の本片寄せて 山本洋子 何とつつましい、女らしい仕草であろうか。 雛に寄せるいとおしさが滲み出ているように感じられるのは「四五冊の本」であり、「片寄せて」という、上質、上品なる措辞である。 いかにもさりげないのだが、たくさんの書物に囲まれて暮らしている知的な表情も加わって、このように飾られたお雛さまのお顔はいかばかり凛々しく美しいものであろうかと、自ずから想像されるものである。 「片寄せて」という連用形止めに、ちょっと弾んだ心持ちが窺えるのも楽しい。 雛もなし男ばかりの桃の酒 正岡子規 明治28年、子規の日清戦争への従軍が決まって、日本新聞社の同僚や、内藤鳴雪などが見送りの酒宴をはってくれた。おりふし3月3日であったから、皆で「雛もなし」という句を詠みあったそうである。 「桃の酒」は、「お白酒」ではなく、酔いのよくまわりそうな酒の雰囲気である。 首途やきぬぎぬをしむ雛もなし このあと子規は日清戦争へ向けて勇躍東京を発ったのである。 富士新雪ささらで寄する白子干し 二宮英子 富士新雪たる四文字の荘厳、その韻律の引き締まり、思わず身丈の伸びるような清らかさを覚える。そこへ引き寄せた十二音の何と柔和なることであろうか、この措辞でもって俄かに一句が躍動する。 「ささら」は簓であろうが、新雪さらさらの感を誘って、あたり一面輝くばかり。 金星の明るき冬の水飲めり 河野照子 清冽なる水は、たちまち私の喉をひやりと下っていって、身も心も透き通るような感覚をいただいた。まるで金星の雫のような、得も言われぬ味わいである。明けの明星であろうか、気持ちが前向きになってきそうである。かりに宵の明星であれば、心落ち着くことであろう。いずれにしても天地のリズムと共にある気力は清々しくも自然体である。 俳句を拝誦して、あたかも読者自身のものとして取り込ませていただくことほど幸せなことはないのである。 松茸を一本かかげ婿来たる 鈴木厚子 何て素敵な婿殿であろうか。屈託のないスケールの大きさ、繊細なるやさしさ、千金に勝る松茸の一本である。好機を逃さず、リアルに詠いあげるという俳人の実力もさることながら、何より親としてのあたたかさに魅了される。 首立てて夕日に消ゆる秋の蛇 大前幸子 金色の夕日に威儀を正したかと思うと、すっと穴に吸い込まれていった蛇、何と神々しい命であろうか。人としての最期もかくの如きものでありたいと思ったほどである。 「首立てて」は、腰の据わった作家ならではのものである。 雨はれて刈田雀のかまびすし 紺井てい子 「雨はれて」と、時間の切れや経過にひと呼吸置いたあと、一転、「刈田雀の」「かまびすし」という頭韻の弾みでもって、文字通り欣喜雀躍の刈田を展開している。 一見素っ気なく見せるのも、俳句の芸である。 ひとつ濃く富士五合目の秋灯 神田美穂子 「ひとつ濃く」なる描写に、類想がないわけでもないが、富士五合目と続くと、まさにそれだけでもって秋灯の詩情が十二分に伝わってくる。大きな世界に埋没していくような己でありながら、己への愛惜もまた濃いのである。 苞にせむ金の芒を一摑み 宮崎修 「苞にせむ」に全体重がかかるのであろう。ただの芒ではない、「金の芒」ならではの華やぎ、「一摑み」というざっくりとした手触り、ある種の豊穣を思わせる。一本気なる男のロマンは、苞の行方にかかっている。 清流の淵へなだるる野菊かな 浜田千代美 碧潭になだるる野菊の香気が匂い立ってくるようである。印象鮮明なる光景は、石鼎の〈頂上や殊に野菊の吹かれ居り〉と、好一対である。 椿の実からりと落つる日和かな 高橋咲子 椿の実は神社仏閣の一隅によく見かけるが、静けさの中に「からりと」落ちる音のみを捉えて、よき日和を堪能されている。 ときに眩しいほどの艶やかな日差しである。 大笊に縮れてゐたり唐辛子 山崎桂子 唐辛子の乾燥は完璧、見るからに激辛である。お手製であるがゆえに、ひとしお惚れ惚れする大笊であり、縮れもまた並ではないのである。 俳人は食生活一つをとっても手抜きをされない、この愛惜の唐辛子ほど己を励ます真紅はないのではないだろうか。 屋上にシーツはためき菊日和 小林亮文 屋上にシーツがはためくのは何時であってもよさそうであるが、作者はとりわけ菊のよく咲くよき日和をもって称えられたのである。日常に詩を見い出すということは、いいかえれば三百六十五日よく生きていなければならないということである。存命の喜びここにありだと教えられる。 大粒の雨にたたかれ崩れ簗 大片紀子 「たたかれ」がいきいきと機能するかと思えば、「大粒」も又見逃せない。崩れ簗はお手上げ、この雨はたまったものではないだろう。俳句は言葉で作るとはよく言われるところだが、この句など先ずお手本である。 対岸の造船の灯や秋惜しむ 佐保光俊 穏やかに叙して、他のどの季節でもない秋深む思いにしばし立ち止まらされる。なぜ対岸か、なぜ造船の灯か、つまらない鑑賞を一切必要としない作者独自の思い。その筋の通った勁さが、しんとした詩情をもたらしている。 出漁の男の咳を闇に聞き 塚田裕之 「男の咳」には生業に生きる男ならでは溜め込みがあるのだろう、ゆるがせにできないものの響きがこもっている。「闇に聞き」という簡要を得た措辞は、「男はつらいよ」ではないが、どこか物語的であり、濃密なる出漁である。 夜神楽や大蛇の腹に大き穴 川口眞佐子 大蛇の腹には女を容易すく飲みこんでしまえるほどの大穴が空いているのだろう。神秘にひそむ人間臭のおかしみを一つの具象で捉え、夜神楽というものの真実を伝える。 田島和生主宰の「風鳥園雑記」は毎号読み応えがあった。 新年号では、「先師に学べ」と題して、厳しかった沢木欣一選を仰いだ林徹先生の態度を偲ばれている。 徹先生は「先生は先生、自分は自分など不遜なこと」は考えず、必死に作った、「常に自分の師事する先生の胸を借りるつもり」で先生の作品を読み、選評を読んで理解することの大切さを主張され、俳句に打ち込まれた、というのである。このくだりは、何度読んでも叱咤激励されるものであるが、ふと思い出されたのは幸田露伴の「他者によって自己を新たにする」という考え方であった。 立派な人や賢い人に随身しているうちに、意外にその人が能力のある人になって頭角を出して来る、やがて新しい自己が出来上った頃、新しい運命を獲得するという。 「この他力によって新しい自己を造るという道の最も重要な点は、自分は自分の身を寄せて居るところの人の一部分同様であるという感じを常に存する事なのであって、決して自己の生賢しい智慧やなんぞを出したり、自己のために小利益を私しせんとする意を起こしたりしてはならぬのである」と結ばれている。 林徹俳人は、己を無にし、すぐれた師を全面信仰することの大切さを、身を以って教えてくださったのである。 ![]() 3月31日(土) 蕾の木花の木実の木長閑なり ![]() 3月30日(金) 山笑ふ雲の溶けたる空の色 3月29日(木) 親鸞の説や蛙の目借時 3月28日(水) 春風のときに鳶を吹き飛ばす 3月27日(火) あたたかに撫でてポストのあたまかな 3月26日(月) 春の雲そのさきざきに鳶の飛ぶ ![]() 3月25日(日) またしても空を見上ぐる春愁 3月24日(土) 春寒の勅額門といふがあり 3月23日(金) 暮れなづむ梅のかをりの濃ゆきこと 3月22日(木) うぐひすの初音にかをる花白く 3月21日(水) はくれんの港の音に芽吹きけり ![]() 3月20日(火) 開帳や風にはためくものの音 3月19日(月) 海向けば顔に風来る彼岸かな 3月18日(日) 江ノ島は余寒に痩せしかと思ふ 3月17日(土) いちさきに蝌蚪の生るるや芭蕉庵 3月16日(金) 日晒しの港の椅子のあたたかし ![]() 3月15日(木) 野遊びの子の詰め詰めに一と筵 3月14日(水) 仲春や南から来る風つめた 3月13日(火) 曾祖父の髭の写真や山笑ふ 3月12日(月) 貝殻は砕けて草は芳しく 3月11日(日) 遠足の子に萬年橋搖るる ![]() 3月10日(土) ものの芽のなべてしつとりしてゐたる 3月9日(金) 鳥雲に入るや涼亭開け放ち 3月8日(木) 蝌蚪の紐浪速言葉に掬はるる 3月7日(水) 浪速から友の来たると蝌蚪生るる 3月6日(火) 永き日の突堤縦に横にあり ![]() 3月5日(月) 梅林に入りもせでゆく春の人 3月4日(日) 踏青の大盤石に坐りもす 3月3日(土) 古町をい行く雛の日なりけり 3月2日(金) のどけしや波打際は波の音 3月1日(木) 春雪の積もらぬ木々の揺れにけり ![]() くもり来て空ばかりなる梅林 大正13年 梅林は、一つの丘であったり、一つの山の凹みであったりすることが多いから、そこから見渡せる空の青さは格別である。 さっきまで、空には真綿のような雲が幾つも浮かんでいた。そんな雲の一片が日輪の前を通りかかると、あたりは白光してかえって眩しくもあった。 だか、午後になって、急に曇り始めると、いつしか数多の雲は空にとけて一つもなくなってしまった。空は一面、うっすらと翳って、しろじろとあるばかりである。 晴れ間には酒旗の一つぐらいは揺れていたかもしれないし、梅のみならず何かしらが目に飛び込んでいたであろう。よし曇ってきたとしても「空ばかりなる」筈はないのであるが、そうとしか言いようがないのが石鼎の詩情である。 上から下へすっと一本の線を引いたような簡潔な描写は、そのまま春の寒さを物語り、「空ばかりなる」というつぶやきは、そのまま作者のうっとうしさである。 そして結句にきて、俄かに「梅林」のありようがクローズアップされるという塩梅である。梅の咲きようも今一歩のように思われる。 翌年に、 日高さにまぶしき梅の一枝かな 大正14年 がある。こちらは、日の高きことを手放しに喜んでいる、健康的な心の力強さがうかがわれる。 客観写生の裏には情が濃く潜んで在ることを、この二句からも気付かされるのであるが、「梅林」は「日高さにまぶしき」ものでなく、「梅の一枝」は「くもりきて空ばかりなる」ものでないことは明白である。 「梅林」を掴み、「梅の一枝」を掴むことにおいて、焦点の絞り方はさすがである。 100人いたら100人が見る見方ではない、101人目の目とでもいうような石鼎のものの見方が、「くもりきて空ばかりなる」なのである。誰しも空を見ると救われるのであるが、掲句の空は必ずしも救われるような空ではない。 空に執するところが石鼎の独創性であろう。 昔、「鹿火屋」の最古参の同人の方から俳句は「真善美」であると教えられた。それはやはり原石鼎から学ばれたものではないかと思っている。 石鼎の人口に膾炙する句はあまねく真善美であるが、全句集を繙くと、マイナーなるものも、意に介せず思うままにどんどん詠み込まれていて面白い。 人の世に生きる人間として、偽りのないものの見方というものが強固な裏打ちとなっているからこそ、石鼎の俳句は今に生きているのではないだろうか。 ![]()
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